高祖は秦の苛酷な法律に懲り、簡素な法に変えた。ところが臣下たちは酒を飲んでは功を自慢し、酔ってわめきちらし、剣を抜いて宮殿の柱に斬りつける者まであらわれた。そこで叔孫通(しゅくそんとう)という者が高祖に説いた「そもそも儒者は、進んで天下を攻め取るには無用ですが、取った天下を治めるには役立ちます。どうか魯の国の儒者を召してともに朝廷の儀式を調えたいとぞんじます」高祖はこれを許した。魯では二人の儒者が同行を拒んでこう言った「礼楽というものは、天子に徳が備わって、はじめて興すものです」と。しかし叔孫通は招聘に応じて来た者、及び帝の側近の者と自分の弟子と百人余りで野外で糸で縄張りをし、茅で席次の標識を立てて百官の席順を決め、朝見の練習をさせた。
緜蕝(めんぜつ) 緜は木綿糸、蕝は茅
緜蕝(めんぜつ) 緜は木綿糸、蕝は茅