goo blog サービス終了のお知らせ 

寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 安くんぞ詩書を事とせん

2010-04-08 15:38:05 | 十八史略
前々回の鹿を失うを解説していなかったので遅れ馳せながら、
帝位、政権、地位を鹿にたとえる。 逐鹿(ちくろく)、中原に鹿を逐うなどと言う。

遣陸賈立南海尉佗、爲南粤王。佗稱臣奉漢約。賈歸報。拝太中大夫。賈時前説詩書。帝罵之曰、乃公馬上得天下。安事詩書。

陸賈(りくか)を遣わして南海の尉佗(いた)を立てて、南粤王(なんえつおう)と為す。佗、臣と称して漢の約を奉ず。賈、帰って報ず。太中大夫(たいちゅうたいふ)に拝せらる。賈、時々前(すす)んで詩書を説く。帝、之を罵(ののし)って曰く、乃公(だいこう)、馬上に天下を得たり、安(いず)くんぞ詩書を事とせん、と。

高祖は儒官の陸賈を派遣して南海郡の尉である趙佗を立てて南粤王とした。趙佗は臣と称して漢との約束を守ることを誓ったので、陸賈が帰ってこれを復命したところ、功によって賈を太中大夫の官に任じた。陸賈は時々高祖の前にまかり出て『詩経』や『書経』を講じたが、高祖はこれを罵って「わしは馬上で天下を取った。何で詩経や書経が必要なものか」と言った。

南粤王 粤は越に同じ。 尉佗 尉は官名、佗は名、姓は趙。
乃公 汝の君主の意、自身を尊大にいう。

十八史略 梁王彭越殺さる

2010-04-06 10:32:53 | 十八史略
梁王彭越太僕、告其將扈輒勸越反。上使人掩越囚之。反形已具。赦處蜀。呂后曰、此自遺患。遂誅之夷三族

梁王彭越(ほうえつ)の太僕(たいぼく)、其の将の扈輒(こちょう)、越に勧めて反せしむと告ぐ。上(しょう)人をして越を掩(おそ)って之を囚(とら)えしむ。反形已(すで)に具(そな)わる。赦して蜀に処(お)らしむ。呂后曰く、此れ自ら患いを遺すものなり、と。遂に之を誅して三族を夷(たいら)ぐ。

梁王彭越の近侍の長が「彭越の部将の扈輒が彭越に勧めて謀反させました」と報告してきた。高祖は兵を出して急襲して彭越を捕えさせた。謀反の形跡は歴然としていたが、蜀に流すことで許そうとした。しかし呂后が「禍の種を残すものではありませんか」と言って反対した。遂に彭越を殺し、三族までも皆殺しにした。

十八史略 陳平匈奴と和睦す

2010-03-30 18:25:02 | 十八史略
匈奴寇邊。帝自將撃之。聞冒頓單于居代谷、悉兵三十萬、北遂之、至平城。冒頓精兵四十萬騎、圍帝於白登七日。用陳平秘計、使厚遺閼氏。冒頓乃解圍去。平從帝征伐、凡六出奇計輒封邑。
九年、遺劉敬使匈奴和親、取家人子名公主、妻單于。

匈奴、辺に寇(こう)す。帝自ら将として之を撃つ。冒頓単于(ぼくとつぜんう)代谷(だいこく)に居ると聞き、兵三十万を悉(つく)し、北して之を遂い、平城に至る。冒頓の精兵四十万騎、帝を白登(はくとう)に囲むこと七日。陳平の秘計を用い,間(ひそか)に厚く閼氏(えんし)に遺(おく)らしむ。冒頓乃ち囲みを解いて去る。平、帝に従うて征伐し、凡(すべ)て六たび奇計を出す。輒(すなわ)ち封邑を益(ま)す。
九年、劉敬を遺(つか)わして匈奴に使いせしめて和親し、家人の子を取って公主と名づけ単于に妻(めあ)わす。

匈奴が国境を侵し攻め込んで来たので,高祖みずから将となって討伐に向った。冒頓単于が代谷にいると聞き、三十万の兵を残らず率いて北上し、追って平城に着いた。ところが冒頓の精兵四十万騎が高祖を白登に囲むこと七日に及んだ。この時、陳平の奇抜な計により、ひそかに手厚く単于の妻に贈り物をしたので、冒頓は包囲を解いて去った。陳平は帝に従って征伐に出たが、六度も奇計を出して帝を救ったので、領地を加増された。
九年に、劉敬を使者として匈奴に遣わし、和親させ、良家の子女を帝の子として、単于の妻にさせた。

十八史略 叔孫通 太常となる

2010-03-27 13:49:23 | 十八史略
前回のつづき 読み下し文から
七年、長楽宮成る。諸侯群臣、皆朝賀す。謁者、礼を治め、諸侯王以下、吏六百石(せき)に至るまでを引き、次(じ)を以って奉賀せしむ。振恐(しんきょう)肅敬(しゅっけい)せざるもの莫(な)し。礼畢(おわ)って法酒(ほうしゅ)を置く。御吏、法を執(と)り、儀の如くならざる者を挙げて、輒(すなわ)ち引き去る。朝を竟(お)え酒を罷(や)むるまで、敢えて諠譁して礼を失う者無し。上(しょう)曰く、吾乃(すなわ)ち、今日、皇帝たるの貴(たっと)きを知る、と。通(とう)を拝して太常(たいじょう)と為す。

七年に長楽宮が完成した。諸侯群臣は皆朝廷に出て祝った。儀礼を司る式部官が取り仕切り、諸侯王以下六百石の吏官までを導いて席次に従って、お祝いの言葉を言上させたが、皆恐れ入り謹み敬わぬ者はなかった。拝賀の礼が終って儀礼の酒を賜ったが、御史が法をつかさどり儀礼に従わぬ者を挙げて外に引き立てたので朝賀がすみ酒宴が終るまで、声高に騒いで礼を失する者はなかった。高祖は「今日になって初めて、皇帝であることの貴さが実感できた」と喜んだ。そして叔孫通を太常に取り立てた。

法酒 儀礼の酒
諠譁 騒がしいこと、喧嘩
太常 神祇官、

十八史略 叔孫通太常となる

2010-03-25 17:48:27 | 十八史略

七年、長樂宮成。諸侯羣臣皆朝賀。謁者治禮、引諸侯王以下、至吏六百石、以次奉賀。莫不振恐肅敬。禮畢置法酒。御吏執法、擧不如儀者、輒引去。竟朝罷腫、無敢諠譁失禮者。上曰、吾乃今日知爲皇帝之貴也。拝通爲太常。

七年、長楽宮成る。諸侯群臣、皆朝賀す。謁者、礼を治め、諸侯王以下、吏六百石(せき)に至るまでを引き、次(じ)を以って奉賀せしむ。振恐(しんきょう)肅敬(しゅっけい)せざるもの莫(な)し。礼畢(おわ)って法酒(ほうしゅ)を置く。御吏、法を執(と)り、儀の如くならざる者を挙げて、輒(すなわ)ち引き去る。朝を竟(お)え酒を罷(や)むるまで、敢えて喧嘩して礼を失う者無し。上(しょう)曰く、吾乃(すなわ)ち、今日、皇帝たるの貴(たっと)きを知る、と。通(とう)を拝して太常(たいじょう)と為す。