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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 乃(なんじ)の知る所に非ざるなり

2010-04-27 11:52:44 | 十八史略
蕭何以長安地陿、上林中多空地棄、請令民得入田。上大怒、下何廷尉、械繋之、數日而赦之。
上撃布中流矢、疾甚。呂后問、陛下百歳後、蕭相國死。誰可代之。曰、曹參。其次。曰、王陵。然少戇。陳平可以助之。平智有餘。然難獨任。周勃重厚少文、可令爲太尉。安劉氏者必勃也。復問其次。上曰、此後亦非乃所知也。

蕭何、長安の地陿(せま)くして、上林の中(うち)に空地の棄てられたるもの多きを以って、民をして入って田(でん)することを得しめんと請う。上大いに怒り何を廷尉に下(くだ)して、之を械繋(かいけい)せしが、数日にして之を赦(ゆる)せり。
上、布を撃つや流矢に中(あた)って疾(やまい)甚(はなは)だし。呂后問う、陛下百歳の後、蕭相國死せば、誰か之に代るべき、と。曰く、曹參なり、と。其の次は。曰く、王陵なり、然れども少しく戇(とう)なり。陳平以って之を助くべし。平の智は余りあり。然れども独り任じ難し。周勃は重厚にして文少なく、太尉(たいい)たらしむべし。劉氏を安んぜん者は必ず勃ならん、と。復其の次を問う。上曰く、此の後は亦乃(なんじ)の知る所に非ざるなり。

蕭何が、長安の地は狭いのに、帝の御料場の中には空地のままうち棄てられたままになっている所があるので、民が林に入って耕作できるように願い出た。帝は大変怒って、蕭何を獄吏の手に下して、手かせをして牢に繋いだが数日経って赦した。
帝は黥布を征伐した時、流れ矢にあたったが、其の傷がもとで病が重くなった。そこで呂后が問うた「陛下に万一の事態が起こったとき、相国の蕭何がもし死んだら誰を代りに任用したらよろしうございましょう」帝は「曹参がよい」と答えた。更に「その次は」と問うと「王陵である、が少し愚直であるから陳平に補佐させるようにせよ。陳平は知略は充分にあるが一人では任せがたい。周勃は重厚な人物であるが、飾り気がないから太尉とするがよい。将来劉氏を安泰に保つ者は周勃であろう」と言った。呂后がまたその次を問うと、帝は「それから先のことはそなたの知ったことではなかろう」と言った。

上林 天子の庭園、狩猟などを行った。 田 耕すこと  廷尉 刑罰をつかさどる官名
械繋 械は手かせ足かせ  戇 愚直、がんこ  文少なく 文は模様、飾り
太尉 軍事長官、丞相に次ぐ位

十八史略 羽翼已に成れり。動かし難し

2010-04-24 08:35:45 | 十八史略
呂后使人奉太子書招之。四人至。帝撃布還、愈欲易太子。後置酒。太子侍。良所招四人者從。年皆八十餘、鬚眉皓白、衣冠甚偉。上怪問之。四人前對、各言姓名。上大驚曰、吾求公數歳、公避逃我。今何自從吾兒游乎。
四人曰、陛下輕士善罵。臣等義不辱。今聞太子仁孝・恭敬愛士、天下莫不延頸願爲太子死者。故臣等來耳。上曰、煩公。幸卒調護。四人出。上召戚夫人、指示之曰、我欲易之、彼四人者、輔之。羽翼已成。難動矣。

呂后人をして太子の書を奉じて之を招かしむ。四人至る。帝、布を撃って還り、愈々太子を易(か)えんと欲す。後、置酒(ちしゅ)す。太子侍す。良の招く所の四人の者従う。年皆八十余、鬚眉皓白(しゅびこうはく)、衣冠甚だ偉なり。上(しょう)、怪しんで之を問う。四人前(すす)んで対(こた)え、各々姓名を言う。上、大いに驚いて曰く、吾、公を求むること数歳なれども、公、我を避逃(ひとう)せり。今何に自(よ)って吾が児に従って游(あそ)ぶかと。
四人曰く、陛下士を軽んじて善く罵(ののし)る。臣等、義として辱(はず)かしめられず。今、太子、仁孝・恭敬にして士を愛し、天下頸(くび)を延べて太子の為に死するを願わざる者莫(な)しと聞く。故に臣等来れるのみ、と。上曰く、公を煩わさん。幸に卒(つい)に調護せよ、と。四人出づ。上、戚夫人を召し、之を指示(しし)して曰く、我之を易えんと欲すれども、彼(か)の四人の者之を輔(たす)く。羽翼已に成れり。動かし難し、と。

呂后は使者をつかわして太子の書状を奉じて四人を招かせた。四人は都にやって来た。高祖は黥布を伐って帰り、いよいよ太子を易えようと思った。
その後宮中で酒宴が開かれた。太子も侍(はべ)っていたが、張良の献策で招かれた四人も付き従っていた。年齢は皆八十以上、ひげも眉も真っ白で衣冠をつけた姿がたいへん立派であった。帝は不思議に思い、名を尋ねると四人とも前に出て姓名を名乗った。帝は大いに驚き「余は貴公たちを何年も求めたが、その度に避け、逃げた。それが今どうして吾が子に従って客となっておられるのか」と問うた。四人は口をそろえて「陛下は士を軽んじてよく罵倒なさいます。臣らは義を重んじておりますゆえ辱めを受けてまで仕える気はございません。ところが太子は慈悲深く、孝心がお有りで、うやうやしく敬(つつし)んでよく士を愛されますので、天下の人びとで太子のために首をさし延ばして死ぬことを厭わない者はないと聞きおよんでいます。私どもが来たのはそのためでございます」と答えた。帝は「貴公たちの力を借りよう、どうかわが子を助けもり立てて下されよ」と頼んだ。帝は戚夫人を呼び、四人を指し示して「わしは太子を替えようと思ったがあの四人の者が太子を補佐している、ひな鳥に羽や翼が備わったも同然、もう動かすことは出来なくなった」と言った。

十八史略 高祖、太子盈を廃せんと欲す

2010-04-20 16:33:42 | 十八史略
初戚姫有寵。生趙王如意。呂后見疏。太子仁弱。上以如意類己、欲廃太子而立之。羣臣争之、皆不能得。呂后使人彊要張良畫計。良曰、此難以口舌争也。顧上所不能致者四人。東園公・綺里季・夏黄公・甪里先生。以上嫚侮士故、逃匿山中、義不爲漢臣。上高此四人。今令太子爲書卑詞、安車固請、宜来。至以爲客、時從入朝、令上見之、則一助也。

初め戚姫(せきき) 寵(ちょう)有り。趙王如意(じょい)を生む。呂后疏(うと)んぜらる。太子仁弱(じんじゃく)なり。上(しょう)、如意の己に類するを以って、太子を廃して之を立てんと欲す。群臣之を争えども、皆得ること能(あた)わず。呂后、人をして張良を彊要(きょうよう)して画計せしむ。良曰く、此れ口舌(こうぜつ)を以って争いがたきなり。顧(おも)うに上(しょう)の致すこと能わざる所の者四人あり。東園公・綺里季(きりき)・夏黄(かこう)公・甪里(ろくり)先生と曰う。上、士を嫚侮(まんぶ)する故を以って、逃れて山中に匿(かく)れ、義として漢の臣と為らず。上、此の四人を高しとす。今、太子をして書を為(つく)り詞(ことば)を卑(ひく)うし、安車(あんしゃ)もて固く請わしめば、宜しく来るべし。至らば以って客と為し、時々に従えて入朝し、上をして之を見しめば、則ち一助なり、と。

初め戚姫が帝に寵愛されて、趙王如意(じょい)を生んだので、呂后は疎んぜられた。そのうえ呂后の生んだ太子(盈)は慈悲深くはあったが身体が弱かった。帝は如意の気性が自分に似ていたので、盈を廃して如意を立てようとした。群臣は諌めたけれども、どれも聞き入れられなかった。そこで呂后は使者を張良に遣わして強いて太子の安泰を画策させた。張良はこれに答えて、「これは口先で諌めてもどうなるものでもありません。それがしが思うに、帝が招聘(しょうへい)しようとしてもどうにもならない人物が四人居ります、東園公・綺里季・夏黄公・甪里先生といいますが、彼等は帝が士をあなどり軽んずるのを見て山中に隠れ、義を貫いて臣になりません。帝はこの四人を見識の高い者だと思っておられます。今太子が手紙を書き、言葉を丁寧にして、乗り心地の良い車で是非にと請えば、彼等はきっと太子のもとにやって来るでしょう。参りましたならば、彼等を賓客として遇し、折にふれて伴って帝のお目にかけるようになされますならば、一つの助けになりましょう」と言った。

彊要 強要と同じ。  嫚侮 嫚も侮もあなどる、ばかにすること。
甪里先生 角里とも書く。



十八史略 大風起こって雲飛揚す

2010-04-13 18:21:26 | 十八史略
淮南王黥布、見帝殺韓信、醢彭越以同功一體之人、自疑禍及、遂反。帝自將撃之。
十二年、帝破布還、過魯、以太牢祠孔子。過沛置酒、召宗室・故人飮。酒酣上自歌曰、
 大風起雲飛揚。
 威加海内兮歸故郷。
 安得猛士兮守四方。
令沛中子弟習歌之、以沛爲湯沐邑。

淮南王黥布(げいふ)、帝の韓信を殺し、彭越(ほうえつ)を醢(かい)にせしを見て同功一体の人なるを以って、自ら禍の及ばんことを疑い、遂に反す。帝自ら将として之を撃つ。
十二年、帝、布を破って還り、魯に過(よぎ)り、太牢(たいろう)を以って孔子を祠(まつ)る。沛(はい)に過って置酒し、宗室・故人を召して飲す。酒酣(たけなわ)にして上(しょう)自ら歌って曰く、
 大風起って雲飛揚(ひよう)す。
 威、海内に加わって故郷に帰る。
 安(いず)くにか猛士を得て四方を守らしめん、と。
沛中の子弟をして之を習い歌わしめ、沛を以って湯沐(とうもく)の邑(ゆう)と為す。
淮南王黥布は帝が韓信を殺し、彭越を塩漬け肉にしたのを見て、功績も、立場も同じなので、自分にも同じ禍が及ぶであろうと自分で怯えてしまって、謀反を起こした。高祖は自ら兵を率いて討伐した。
十二年、高祖は黥布を滅ぼして帰り、魯に立ち寄って太牢(牛羊豚)を供えて孔子を祀った。さらに故郷の沛に立ち寄って酒宴を開き、一族、旧知を召して共に飲んだ。宴たけなわのころ、高祖は自ら立って歌った。
かくて沛の子弟にこの歌を習い歌わせ、沛を帝室の御料地とした。

過(よぎ)り 途中寄り道をして訪れること わが国にも伊藤東涯の詩に「藤樹書院によぎる」がある。
太牢 たいそう立派なご馳走。

十八史略 陸賈新語

2010-04-10 12:16:57 | 十八史略
承前
賈曰、陛下以馬上得之、寧可以馬上治之乎。文武竝用、長久之術也。使秦并天下、行仁義、法先聖、陛下安得有之。帝曰、試爲我著書。秦所以失、吾所以得、及古成敗。賈著書十二篇。毎奏稱善。號曰新語。

賈曰く、陛下、馬上を以って之を得たるも、寧(いず)くんぞ馬上を以って之を治む可けんや。文武並び用うるは、長久の術なり。秦をして天下を併せ、仁義を行い、先聖に法(のっと)らしめば、陛下、安くんぞ之を有するを得ん、と。帝曰く、試みに我が為に書を著わせ。秦の失いし所以(ゆえん)と、吾の得たる所以と、及び古(いにしえ)の成敗(せいはい)とを、と。賈、書十二篇を著す。奏する毎に善しと称す。号して新語と曰う。
つづき
陸賈は答えて「なるほど陛下は馬上で天下を取られましたが、馬上で天下が治められましょうか。文武あわせて用いるのが、国家を長久に保つすべであります。もし秦が天下を統一して、仁義の政治を行い、古の聖王を模範としていたならば、陛下がどうして天下を取られることができたでしょうか」と言った。高祖は、「ならば試みにわしの為に書を著せ。秦が天下を失った理由とわしが天下を取った理由と、それに古代の君主が成功し、また失敗したわけを」と命じた。陸賈はそこで十二篇の書を著したが、一篇を奏上する毎にいかにも、もっともだと、感じいった。その書を「新語」という。

新語 論語や春秋から儒教の大旨を説いた書。(陸賈新語)