夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

名残

2007年08月29日 11時00分52秒 | 日記
8月16日に岬に来たときに隣りのうちで咲いていた紫陽花をコップに入れ、そのことを名残の紫陽花としてアップしましたね。8月20日にも夏の終わりというタイトルで同じ紫陽花を紹介しています。

今回満月が撮れればと思い、また岬に参りましたが、家を開けてまず迎えてくれたのがいつもの愛しの彼女(トップの人形)と今回のサプライズ、紫陽花でした。

花屋で買う紫陽花は水揚げが難しく、なかなか長持ちしませんが、この紫陽花はもう2週間もあの異常気象ともいえるような夏の暑さを耐えて待っていてくれたのですね。葉っぱもまだまだぱりっとしていて、元気そのもの。もしかしたらこのまま根を出して再生するのじゃないかと期待を抱かせるくらいです。
もちろん、その間ここには一度来ただけで、水も替えてやっていない、健気って褒めてあげたい。



名残って言葉は、死に行くもの、過ぎ行くものへのシンパシーがニュアンスとしてあるのだと思います。だからこその「名残の紫陽花」であり、「夏の終わり」だったわけなのですけど、、、

最近は何事も強く、たくましくなってきたのでしょうか。
私がいろんなものが儚く、脆く、そのなかで涙していた、昔の時代がむしろ懐かしいものとして思い返されるようにな歳になっただけのことなのでしょうか。



久しぶりのような雨、猛暑も終わり、これからはほんとうの秋の訪れとなるとの予報でした。それを聞くと、あのうだるような夏の暑さの中で謳歌し、五月蝿いとさえ感じていた蝉の声も、今はなんとなくいとおしいような感じに聞こえます。儚い命への共感なのでしょうね。
そしてそれはまた、一つの夏が終わったことへの感慨なのでしょうか?

それにしても、残された一里塚が短くなったことへの思いではなく、走りすぎてきた時間への懐かしみであるというところに私の限界を感じて妙にこだわっています。

極小の無限

2007年08月29日 10時06分16秒 | 芸術・文化
一光年を秒とするこの無限に広がる宇宙の中で、
小さな命が生まれる。

その宇宙に生命が生まれてから今までの時間ですら極小ともいえないほどのつかの間。
その種の持つ時間、そして種の個体の持てる時間。

固体としては無限とも感じられる時間。
極小の極小の時間の中で生物は必死に生きていく。

愛を探し、その愛の中で自分の生の記憶を育て残していくために。

それは親から授かり、子へと受け継がれていく、種の記憶。

作家が世評を気にするのは、作品を作り、評価してもらう環境を作るため
作家が自分自身を必死に見ようとするのは、その作品に込める魂を磨くため
世評のため、作品のために自分を見失い、汚すのであれば
それはもう作家ではない。
そのような作家から生まれる作品はもう作品ではない。
どんなに有名になろうとも、いつかはその作家は自分でそのことに気がつくだろう。

人の一生が至上なのではない。それは環境。
人の愛が至福のものでもない。それも環境。
愛は単なる手段、人の一生は単なる道具。
恵まれた愛、幸福な一生は、それを受け継ぐ幸福な子孫への贈り物。





懸案 一つ解決     改 写真を追加しました

2007年08月29日 00時56分03秒 |  岬な日々
岬に越してきて以来、一つ気になっていたことがあった。それは写真家の東X照Xさんの(以前の)お宅が近くだったはずということ。なにせお伺いしたのは10年以上前のこと、どこだったか忘れてしまい、いつもなんとなく心の隅から?マークが染み出してきていた。

東浪見に洞庭湖という名前の湖(池?)があります。JRの上総一ノ宮などにはJRのパンフレットが置いてあり、この湖を巡る散策コースなどが紹介されています。

本家の洞庭湖はちょっとまえに鼠が大発生したという記事が出ていたりしていましたね。
私的には、屈原がここで入水自殺(?)をしたことが一つ気になること。
また長崎人としては長崎のペーロンの一番最初がこの湖でその屈原の遺体を捜すために出した船から始まったといわれていることなどです。

でも、東浪見の洞庭湖は岸がコンクリートで護岸され、風景としてはまったく壊されてしまっています。桜の名所だそうですけど、私はこんな湖に映る桜なんかは見たくない。
湖の風景としては、隣りにある椎木堰や中原堰のほうが自然たっぷりの美しさでよほどすばらしいと思えます。




洞庭湖に行く前に立ち寄ったこの二つの堰にはダイサギやアオサギのかなり大きなグループが羽を休めていました。それにアオサギもちらほらいましたね。



ところでその洞庭湖へ入る直前に、あれこの家? そうこれこそ考えあぐねていた東X照Xさんの家。それがこんなところにありました。私の家から20分もないところでしたね。かれはその後長崎へ移り住んだのは知っていますけど、何となく気になっていたことが一つ判明してちょっとすっきりって感じ。よかった。

見果てぬ夢

2007年08月29日 00時25分41秒 | 日記


今日は満月、大恩ある大阪の叔母様に頼まれていた月のウサギの写真を撮り
、あわよくば嫦娥さんの湯浴み姿でも盗撮できれば通信社にでも売って大金持ちになれるかと期待していたのですけど、残念、私のよこしまな心が通じたのでしょうか、空に厚いベールを引かれてしまいました。来月の満月は中秋の名月。それを待つしかありませんね。
折角レンズテストなどを繰り返して、満を持していたのですけど、憂き世には思いの届かないことばかり多くて、僕ちゃんの人生は茨に溢れております。

と、言うことで今日は写真なし。暗闇の鴉を撮っても仕方がない、で、す、ね。