ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

植物は訴える

2019-01-12 22:40:27 | 日常
今日明日二連休。
今朝も冷えた。
8:15、-12℃、洗濯物バリバリ、鼻の穴カピカピ、加湿器稼働しても30%に至らない。
室温を18℃まで上げようと暖房が躍起になって働いている。


自分の脳は「何か食べたい」と訴えるが、胃が「うるせえ黙れ」と取り合わず、
交渉は物別れのまま埒開かないので水を飲む。

父の遺品であるハイビスカスの鉢植え2つのうち、大輪黄色花の方が根詰まりして来た。
早急に鉢と土を換えてやりたいが、今の時期にやってもいいのだろうか。
私が仕事で不在の時間8~12時間は室温6~9℃、私が在室の時は25℃の寒暖差がある。
赤花の鉢も黄花の鉢も、湿度28~30%という過酷な環境で3年も頑張って来たのだ。
黄色のは花の付きが少なく滅多に咲かずやたら枝葉が伸びる。
枝葉の勢いが強いので根も同じようにどんどん張っているのだと思う。
人間で言うと小さな鎧を着せられたまま体が大きく成長したために手足の血流が悪化して
手足の指が壊死し始めた状態と同じである。
土を触るのは春まで待ってからにしたいが、黄色花の鉢の方がもう葉の端に壊死が始まってしまって慌てている。
 




この二つのハイビスカスは元々父の所持していたもので、赤花の方は父の旧友がくれたものだ。
20年も前に脳梗塞の病後の父を旧友夫妻が父を訪ねて
「一人で自宅療養では何も楽しみが無いから」とくれたものだった。

父にとってその旧友は、離婚後孤独な生活をしていたのを写真撮りに付き合ってくれたり
あちこち温泉や鄙びた宿を巡ったり気ままな楽しい時間を共有してくれた、
夜学時代の無二の親友であり、父の命の恩人であった。
父が独居で私がまだ札幌で働いていた時、父は11月の早朝5:30頃右半身が動かなくなって床に倒れた。
その日たまたま会う約束をしていたのに連絡が無いので不審に思った旧友が夕方18:00頃電話をかけてきた。
12時間以上も暖房の入っていない室内で倒れていた父は辛うじて床を這って受話器を取り助けを求めた。
旧友は119通報し家主にも連絡を取って立ち会ってくれた。
家主が開錠し救急隊を迎えた。
3日後に父から私の連絡先をやっと聞き出して私に知らせてくれた。
この人が電話をかけてこなければ、
父は70歳にもならずに20年前の時点でこの世から消えたであろう事は間違いない。
人知れず衰弱して絶命し、死後長期間経ってから異臭に気付いた隣室の住人を通じて家主に発見されるという、
誰にとっても最悪の事態になっていた可能性が高かった。
そうならなかったのはこの赤花ハイビスカスを持って来てくれた旧友のおかげである。

20年前に貰った時にはまだ細い割り箸程度で1個か2個花をつけた小さい鉢植えだった。
父は赤い花が咲けば喜んで愛でたが植物の世話の仕方を全く知らない人で、やろうともしなかった。
やがて鉢からはみ出すほど大きく成長し頭でっかちの不安定な状態になって度々引っ繰り返るようになった。
父のADLが低下してエレベーターのある所に転居する時だったろうか、私は土を換え鉢を大きいものに取り替えた。
その後年中真っ赤な大輪の花を咲かせ、どんどん大きくなって天井につかえるほどになったので、
どれだけ伸びても良いように朝顔の鉢みたいな行燈状に枝を巻き付けた。

10年も経った頃、私は花屋の店先に卵焼きのような大輪黄花のハイビスカスを見つけて父宅に持って行った。
父は部屋の中がぱっと明るくなったと言って黄花も喜んだ。
しかしこの黄花は赤花と違って若いのか枝葉ばかりどんどん伸び、花がなかなか咲かなかった。
それでも父の要介護度が重くなって在宅介護が本格的になった頃には赤も黄もどちらもよく咲いた。
いずれも直径22~23cmくらいの花である。
 


葬儀の後、父宅を引き払う際に二つの鉢植えを私の狭い部屋に持って来ても置き場所に困ると思った。
私は頼んで教会に置かせて貰った。
教会の人達の方が植物の世話の仕方に詳しいからだ。
2ヶ月くらいは会堂の日当たり良い場所で二つとも咲いたが、咲きながら枝も葉も全体が黄ばんで来た。
 


結局父の死んだ年の暮れには二つとも死にかけていた。
 

写真の日付と、自分の睡眠中に見た夢の記録の日付とを照合すると、
12月の待降節の第一週にはこれらの植物が相当弱っていたのかも知れない。
変な夢を見た。

 父が登場した。
 ベッドでセミファーラーで上半身起こした姿勢の父が渋い顔で文句言っている。

 「おい、早く寝かせてくれ。
 この格好だとダメだ。」

 ベッドを倒すと

 「あーこれでやっと寝れる」

 と言う。
 夢はそれだけだった。

  (ぱんくず雑記帳 夢の記録 2014-12-04 22:02:19
       https://blog.goo.ne.jp/t-i801025box/e/a6cf5fa93198a3a49880c20540347f67)

変な、釈然としない夢だった。
父の存命中はたくさんの問題を抱えて迷い悩む事は多かったが、父の死の在り方は一口に言うと完了とか完結とか、
この世の苦しみを全部終え、思い残す事無く天に凱旋して行ったという感触を持っていたので
父が夢に出て来て何か訴えるなど、どうも合点が行かなかった。
しかし同じ頃にこれらの植物が死にかけているのを見て、
彼らがこの世にいない父の姿を借りて私に何か言っていると感じた。
何の根拠も無い変な話である。
しかしそれから翌年の春までどうもこれらの植物が気になって仕方がなかった。
結局翌年の5月末にとうとう私は枯れた鉢植えを自室に運び込み、枯れた枝葉を取り払い、
鉢と土を取り換えて培養液を与えてみた。
昔受洗した母教会の牧師先生が言っていた。

「植物は何処かに一箇所でも緑色の部分が残っているなら、世話すれば生きる」

その通りに実行してみた。
1週間目にして枯れ枝に芽が出た。
 


植え換えた1か月後には若葉が出た。
 


花の鉢をくれた人も貰った人も、どちらも既にこの世にいないのであるが、
かれこれ20年間も世話をしてきて付き合いが長いと植物の方でもこちらに何か言って来るものなのかも知れない。

その死にかけたのを植え換えてから4年になろうとしている。
昨日の明け方に私の足元で母が「体調悪い」と言う夢を見たのはあの時父が夢に出て来たのと似ている。
夢に登場した死んだ父や今生きている母がどうこうではなく、
身近で付き合いの長い生き物が体調不良を訴えている気がする。
昨日母に電話しても別にどうもしない、むしろ変な電話をしたので不審がっていた。
夢の意味を考えて、そうか、あんた達かと納得した。
何か、頭おかしくなってきたかな自分。

元気よく枝葉を伸ばしてきた赤い花はたまに咲くが、黄色い花は咲かずに枝葉ばかり伸びていると思ったら
赤花よりも一回り小さい鉢なためか根詰まりして来た。
出来れば厳寒期の今は鉢の土を動かしたくない。
暖かくなるまで待ってから土と鉢を換えたいなぁ。
当地の春は最短でもあと3ヶ月待たないと来ない。
葉の端の壊死が始まってから3ヶ月持つだろうか。
4月まで待てそうかどうか・・・。

植物の根詰まりは人間で言うとASOで四肢の末端が壊死し始めたのと同じだ。
Twitterのお仲間の方々にこの厳寒期にどうしたものか聞いたら、
根の周りの土をそのままに、一回り大きな鉢に入れて土を足すのがよいと教えて下さった。(感謝)
そんな訳で朝食を済ませたら一回り大きい鉢と土を買って来よう。

・・・・・

朝食。
昨夜買って来たパンを焼いた。
ちくわパンがちと焦げた 。


薬店の食品コーナーに売っていたトルコ製ウェハースも食べる。
実はこれウマい。


・・・・・

風強い。


鉢を買いに量販店に行って、アート・ブレイキーのCDとヒヤシンスの鉢植えを買ってしまった。




カラスと鳩が大勢いる。
ごめんな。
厳しい気象条件下だけど食べられるものは何も持っていないんだよ。




帰宅。
スーパーのかっぱ巻きを観察中。
断面から海苔に対する寿司飯の割合と、米粒の密度が重要。

朝の出勤前に、昼弁当のおにぎりを握るように簡単手軽にかっぱ巻きを作れたらなぁ。

つい衝動買いしたアート・ブレイキーのCD。
いや本当好きだこの人の音楽。


・・・・・

黄花の鉢は新しく一回り大きいもの換えて土も入れた。
赤花の方も鉢は換えずに土を足した。
培養液を与えて安静にして置く。
問題は私が勤務でいない時間帯だな。
留守中は室温10℃以下になる。

・・・・・

日が暮れた。
月齢6.0。
更に太くなった月。


明日は教会に行くために休みを確保してある。

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