枝の主日。
就寝する自覚も無しに爆睡していた。
体内時計がどんどん頑固になっておる。
じじの遺影に飾る花が終わり頃なので昨夜買って来た。
ケバいのと臭いのと暗いのと仏花を回避したら
消去法でこの薔薇になった。
例の如く香りが全く無い。
これは一般的な薔薇。
こっちは同系色のスプレー薔薇。
花屋の旦那さんが春らしい組み合わせになるからと言って
カスミ草をサービスしてくれた。
間もなく終わる黄色の花々。
さて。
晴れてはいるがもわっと鈍く霞んでいる。
朝飯を何にしようか考え中。
・・・・・
結局、
あんまり食欲が湧かなくて珈琲とクラッカーつまんで朝飯とした。
教会に来た。
枝の主日。
黙祷
招詞 詩編62;5~8
讃美歌(21) 58 295
聖句暗唱 フィリピ2;8~9
詩編交読 詩編112;1~10
祈り
讃美歌(21) 196
聖書朗読 マルコ5;25~34
証し
讃美歌(21) 524
献金
祈り
頌栄 28
黙祷
牧師は本日中標津に出張で礼拝奉仕のため留守。
礼拝では教会員が礼拝メッセージをしていた。
今日礼拝メッセージ奉仕した人は
一昨年大怪我で一時寝たきりになりかけたが奇跡的に回復し、
ほぼ同じ頃に娘さんを20代の若さで自死のため失っていた。
福音書の長血を患う女の箇所から癒された切実な祈りと喜びを、
愛唱讃美歌を引用して語った。
一番好きだと言う『麗しの白百合』という讃美歌に話が及んだ時
嗚咽のため言葉が詰まって一時中断した。
教会員の一人がすぐ行って原稿を代読した。
私は知らなかったが、長年愛唱してきた『麗しの白百合』は
娘さんの葬送でも歌った讃美歌だったという。
冷静に話せる筈がない。
仲間のフォローでメッセージはやり遂げられた。
私がじじの病状悪化で教会から遠のいていた間、
教会仲間は大怪我からの回復、娘さんの自死と、
立て続けに襲って来た出来事に皆で祈って、
何かしてやれる事が無いか模索し続けたのだろう。
涙でメッセージ奉仕が中断した事を失敗と評価する人もあるかも知れない。
しかし私はそう思わない。
信徒の礼拝メッセージは完成された「良いお話」をするのが目的ではない。
日曜日に良いお話を聞きたければ教会ではなく映画でも見に行くべきだ。
むしろ上手く喋る事が出来ず仲間が助けたり、
助けを借りてでも公然と証ししたかった福音を語り伝える事が出来た事、
癒された事の喜びと辛い体験の悲しみを
語る人も聴く人も会衆皆で共感共有する事が出来た事は、
教会の在り方としては中断して失敗どころか大成功だったと思う。
讃美歌『麗しの白百合』は、昔よくお邪魔した家庭集会でよく歌った歌だ。
その家で当時ご存命だった90代のお姑さんの女学生時代の愛唱歌であった。
個人的には少女趣味で敬遠してた讃美歌だったが、
今日の礼拝でこの讃美歌の印象が塗り替えられた気がする。
毎月3回は牧師の説教、月1回は教会員が定期的に持ち回りで
メッセージの奉仕をする。
この教派の特徴、『万人祭祀』である。
皆、年1回の礼拝メッセージの分担が重圧で苦心している。
でも皆、よくやっていると思うよ。
じじ宅から引き取って貰ったハイビスカス達は
今にも死にそうな様子であるがまだ完全に死にきれていない。
可哀想だが仕方がない。
帰り道。
日差しが暖かい。
橋の上から川の両岸を眺める。
そのまま歩いて、昔住んでいた川沿いの地区を散歩した。
街並みや建造物は姿を変えたが区画や地形は同じ、
2歳頃の記憶に残る公園もまだある。
昔と違うのは遊ぶ子供達がいない事。
一度自宅に戻って軽く食事をしてからバスで街に出た。
夕方まで岸壁の辺りを徘徊した。
ぼんやりと霞んで濁った太陽の色。
しばし茶屋で紅茶を飲みながら本の続きを読む。
・・・・・
間もなく日が沈む。
高台の、見晴らし良い場所まで上がってみた。
日没を見ながら、
昼間の礼拝でメッセージを語った教会員が話した事を考えていた。
話しながら泣けて来る辛い体験から救いの確信に至るまでを
分かち合う内容だったが。
・・・・・
帰宅。
2012年の11月に買い込んだアカネリンゴ、
じじの具合が悪くなって長期泊まり込む事となったために
自作のジャムにして瓶詰冷凍してあった。
一瓶解凍して胚芽クラッカーにつけて食べてみた。
糖度低く抑えレモン汁と赤ワインとシナモンを仕込んであるからか、
あまりにもウマ過ぎて危険。
本当は生で食べたかったんだよ酸っぱいアカネリンゴ。
しかし2012年の秋からは殆ど自宅に戻れない日が続いて、
ダメにするのはもったいないから空き時間を捻出して一度自宅に戻り、
煮てジャムにして熱いまま瓶詰めし冷凍庫に移したのだった。
スーパーで食材調達したけど
一日徘徊し過ぎたので朝のカレーの仕込みは明日帰宅してからにする。
明日の朝の分はまだあるし。
岩田健太郎先生の
『サルバルサン戦記 秦佐八郎 世界初の抗生物質を作った男』(光文社新書)、
半分まで読み進んだ。
面白い。
一気に読み終わりそうだ。
就寝する自覚も無しに爆睡していた。
体内時計がどんどん頑固になっておる。
じじの遺影に飾る花が終わり頃なので昨夜買って来た。
ケバいのと臭いのと暗いのと仏花を回避したら
消去法でこの薔薇になった。
例の如く香りが全く無い。
これは一般的な薔薇。
こっちは同系色のスプレー薔薇。
花屋の旦那さんが春らしい組み合わせになるからと言って
カスミ草をサービスしてくれた。
間もなく終わる黄色の花々。
さて。
晴れてはいるがもわっと鈍く霞んでいる。
朝飯を何にしようか考え中。
・・・・・
結局、
あんまり食欲が湧かなくて珈琲とクラッカーつまんで朝飯とした。
教会に来た。
枝の主日。
黙祷
招詞 詩編62;5~8
讃美歌(21) 58 295
聖句暗唱 フィリピ2;8~9
詩編交読 詩編112;1~10
祈り
讃美歌(21) 196
聖書朗読 マルコ5;25~34
証し
讃美歌(21) 524
献金
祈り
頌栄 28
黙祷
牧師は本日中標津に出張で礼拝奉仕のため留守。
礼拝では教会員が礼拝メッセージをしていた。
今日礼拝メッセージ奉仕した人は
一昨年大怪我で一時寝たきりになりかけたが奇跡的に回復し、
ほぼ同じ頃に娘さんを20代の若さで自死のため失っていた。
福音書の長血を患う女の箇所から癒された切実な祈りと喜びを、
愛唱讃美歌を引用して語った。
一番好きだと言う『麗しの白百合』という讃美歌に話が及んだ時
嗚咽のため言葉が詰まって一時中断した。
教会員の一人がすぐ行って原稿を代読した。
私は知らなかったが、長年愛唱してきた『麗しの白百合』は
娘さんの葬送でも歌った讃美歌だったという。
冷静に話せる筈がない。
仲間のフォローでメッセージはやり遂げられた。
私がじじの病状悪化で教会から遠のいていた間、
教会仲間は大怪我からの回復、娘さんの自死と、
立て続けに襲って来た出来事に皆で祈って、
何かしてやれる事が無いか模索し続けたのだろう。
涙でメッセージ奉仕が中断した事を失敗と評価する人もあるかも知れない。
しかし私はそう思わない。
信徒の礼拝メッセージは完成された「良いお話」をするのが目的ではない。
日曜日に良いお話を聞きたければ教会ではなく映画でも見に行くべきだ。
むしろ上手く喋る事が出来ず仲間が助けたり、
助けを借りてでも公然と証ししたかった福音を語り伝える事が出来た事、
癒された事の喜びと辛い体験の悲しみを
語る人も聴く人も会衆皆で共感共有する事が出来た事は、
教会の在り方としては中断して失敗どころか大成功だったと思う。
讃美歌『麗しの白百合』は、昔よくお邪魔した家庭集会でよく歌った歌だ。
その家で当時ご存命だった90代のお姑さんの女学生時代の愛唱歌であった。
個人的には少女趣味で敬遠してた讃美歌だったが、
今日の礼拝でこの讃美歌の印象が塗り替えられた気がする。
毎月3回は牧師の説教、月1回は教会員が定期的に持ち回りで
メッセージの奉仕をする。
この教派の特徴、『万人祭祀』である。
皆、年1回の礼拝メッセージの分担が重圧で苦心している。
でも皆、よくやっていると思うよ。
じじ宅から引き取って貰ったハイビスカス達は
今にも死にそうな様子であるがまだ完全に死にきれていない。
可哀想だが仕方がない。
帰り道。
日差しが暖かい。
橋の上から川の両岸を眺める。
そのまま歩いて、昔住んでいた川沿いの地区を散歩した。
街並みや建造物は姿を変えたが区画や地形は同じ、
2歳頃の記憶に残る公園もまだある。
昔と違うのは遊ぶ子供達がいない事。
一度自宅に戻って軽く食事をしてからバスで街に出た。
夕方まで岸壁の辺りを徘徊した。
ぼんやりと霞んで濁った太陽の色。
しばし茶屋で紅茶を飲みながら本の続きを読む。
・・・・・
間もなく日が沈む。
高台の、見晴らし良い場所まで上がってみた。
日没を見ながら、
昼間の礼拝でメッセージを語った教会員が話した事を考えていた。
話しながら泣けて来る辛い体験から救いの確信に至るまでを
分かち合う内容だったが。
・・・・・
帰宅。
2012年の11月に買い込んだアカネリンゴ、
じじの具合が悪くなって長期泊まり込む事となったために
自作のジャムにして瓶詰冷凍してあった。
一瓶解凍して胚芽クラッカーにつけて食べてみた。
糖度低く抑えレモン汁と赤ワインとシナモンを仕込んであるからか、
あまりにもウマ過ぎて危険。
本当は生で食べたかったんだよ酸っぱいアカネリンゴ。
しかし2012年の秋からは殆ど自宅に戻れない日が続いて、
ダメにするのはもったいないから空き時間を捻出して一度自宅に戻り、
煮てジャムにして熱いまま瓶詰めし冷凍庫に移したのだった。
スーパーで食材調達したけど
一日徘徊し過ぎたので朝のカレーの仕込みは明日帰宅してからにする。
明日の朝の分はまだあるし。
岩田健太郎先生の
『サルバルサン戦記 秦佐八郎 世界初の抗生物質を作った男』(光文社新書)、
半分まで読み進んだ。
面白い。
一気に読み終わりそうだ。
愛唱歌にされてる方も多いですね。
私も好きな讃美歌ではありますが、讃美歌21には入ってませんよね。
つい最近我が教会で、歌う機会がありました。
娘さんを亡くした思いを語った信徒の話に、かける言葉も出ませんでしたが、、、、、
お久しぶりでございます。
今の教会では讃美歌21を使っていますが、
私は個人的に嫌いです。
言葉が古いとか差別用語だとか
言葉狩りして引っ掛かった単語を歌詞の中から排除し
ただのつまらない替え歌にしてしまって
長年馴染んだ日本語の歌詞がズタズタになっています。
しかも曲と歌詞が語呂合っていないのばかりで歌い難い。
こんな事をするくらいなら
一から全く新しい讃美歌を作ればいいものをと思います。
教会でこれを採用してから讃美歌を殆ど歌えず
殆ど口パクです。
子供を亡くした人にかける言葉というのは、
やはり見つからないです。
ヘタに安っぽい慰めの言葉なんかかけると
かえって傷を広げてしまいそうで。
(わが教会でも使ってますが)
表現の自由と言いながら、最近は逆に言葉に敏感になってるようで、差別用語を表面上は削除していることが
逆に新たな差別を生んでいるような気がしてなりません
医療用語の表現もそうですよね
精神分裂病が統合失調症
ボケが認知症
なんか、薄い膜につつんで、本質をどっかに追いやろうとしているような気がします
現実はきれいごとでは無いのに、、、、、
ちなみに我が教会では月に一度賛美と証しの礼拝の時をもち、歌いたい讃美歌のリクエストなどしてますが
みなさん、昔の赤い讃美歌からリクエストする人が多いです(私もですが)
『讃美歌21』に馴染まないのは私くらいかと思ってました。
言葉狩りで引っ掛かったものを排除しても
本質は何も変わりませんね。
「月一度の賛美と証し」は、こちらの教会では
毎月第一週に月一度の讃美礼拝、
第四週に月一度教会員の証しをするという形で
第一週のは皆で歌いたい讃美歌をリクエストする事はなく
牧師が讃美歌を幾つか持って来て
それらの讃美歌の由来や歌詞の内容から聖書を開く
讃美歌の講座みたいな形になっています。
自分達でリクエストしたり誰かを励ましたり
歓迎してその人の愛唱讃美歌をリクエストして歌うと言うのは
昔私のいた母教会では
家庭集会や夜の聖書研究会、祈祷会などでよくやっていました。
心温まるひと時で私はそういうの好きでした。
今の教会では讃美歌は主に捧げるものだから
自分達の歌いたい讃美歌をリクエストするのは違うと
牧師が言っており、「讃美歌を学ぶ」という形です。