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DREAM/ING 111

私の中の「ま、いいか」なブラック&ホワイトホール

なる@版★あなたにとってブログとは?最終フェーズ

2007-08-13 | ブログについて考える
ブログについて考える ★あなたにとってブログとは? 最終フェーズ
に参加します。

その1:これからブログはどうなっていくと思いますか?

ブログ全体として:
●ブログだけをやりたい人、いろんなWEBサービスのとりまとめ拠点として使う人、非常に多岐にわたるようになり、参加者が分かれていく。
●モバイル化が進み、一部でメール感覚・電話感覚になっていく。一方で、ビジュアルを重視した TV感覚・書籍感覚のものも増え、軽重・二極化が進む。
●卒業・リタイア・三日坊主も多いが、時間がたって戻ってくる人も出てくると思う。

自分として:
3年目に入って、好きな時に好きなペースで好きな記事を書き、
ようやく「ブログをやるぞ!」みたいな力も意識も抜けて来た気がします。
反面、力のはいった記事や、自分をぎゅっと掘りさげた記事は減っている気も・・・
いい・悪いではなく「今がそういう時なのだ」という認識です。
今は変化を見ながら、参加できるWEBサービスには参加しながら、
生き残るWEBサービスを考えながら、ブログライフを楽しみたいです。
多分、このブログは一番変化しながらも、
ある種のコアとして続けていくように思います。


その2:再度あなたにとってブログとは?
今現在、私がブログに感じてるイメージは以下です。
また日々変化すると思いますが。

●ものさし
いろんな長さ、目盛り、はかり方、数字の上限・下限が感じられるから

●同人誌

●多チャンネルニュース速報

●(化石や樹の根っこの見える)地層断面
時間・経験・自分の「その時」の「見える化」

●写真
一瞬を切り取る/連写できる/本人にしかわからないもの、誰にでもわかるものが混在/
見え方は見る人(プロフィール・知識・感性 等)によって千差万別


その3:「あなた」を代表するブログ記事を教えてください。(5つまで)

QUEEN+PAUL RODGERS★コンサートレポ・感想記事大募集!!
(タグ:記録、出会い、交流)
キーワード検索してけっこうきちんとレビューや感想を書かれていたら
ガンガンお邪魔して、TBをお願いするジャンルの記事の代表として。
同好の士との出会いの機会としても、記録としてもとっても貴重です。

好きなSF映画考★L・O・V・E  マシュマロマン♪>え
教えて!★あなたのいち押し冬歌・WINTER SONGS・ベスト5♪
(タグ:記録、交流)
レポ系がコンサートのような「イベント」「モノ」が主役だとすると
「教えて!」やバトンものは参加してくださるブロガー主役。
魅力的なコメントをくださる皆様に日々感謝です!

人形考 3★球体間接人形の内的宇宙
(タグ:記録、表現、自分と向きあう)
完全な趣味の記事。
ある意味、参加してくださる方との嗜好的接点が
一番深い分野だな、と思います。

緊急提言★あなたとあなたの家族のために/『CHINA FREE』!!!
(タグ:表現、出会い、交流 自分と向きあう)
意識して書いたのははじめての対一般メッセージ型記事。
この問題は、自分の言葉できちんと表現して発信したい、
と強く思ったので。
最近の DREAM/ING111を代表してるかな、と思って選んでみました。


その4:その他、ブログについて思うことなんでも。

上記の記事セレクトのために、かなり遡って記事を読み直しました。
独り言記事の多さに苦笑いしつつ(その時は真剣に悩んでたんだと思うのですが、今読み返すと、悩み等がすごく大げさに見えてしまって;)、その記事にいただいているたくさんの気持ちのこもったコメント(エール、反論、疑問、共感、感想、他)に感動してしまいました。
「ブログをやっていてよかった!」と思えるのは、私にとっては、やはりコメント(記事を読んでくださってるという事実とともに)を読んだ時なんだな、と、改めて実感。

ご参加、ありがとうございます。&
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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ブログについて考える ★あなたにとってブログとは? 2NDフェーズ まとめ

2007-08-11 | ブログについて考える
==============================
ブログについて考える 5:あなたにとってブログとは?

ブログについて考える ★あなたにとってブログとは? 2NDフェーズ


ブログについて考える ★あなたにとってブログとは?2ND.:ご参加感謝×∞です!
==============================


なんと1年以上放置してしまいました;

なんだか皆様のコメントを拝見してるだけで
私なりのブログの概念図ができ上がってしまった部分があって
仕事にはすでに有効に活用させていただいておりますが、
ご参加くださった皆様への
フィードバックをしておりませんでした。
たいへん申し訳ありませんでした!!!

まとめることそのものは目的ではないのですが
いただいた情報を私本意で集約させていただきました。

おさらい:
STEP1:
「あなたにとってブログとは?」単語収集

STEP2:
ブログ構成要素MAPへの集約と構造化

※クリックで大きくなります

STEP3:
ブログ構成要素のしぼりこみ←今回作業


※クリックで大きくなります


集計結果:
●表現の場 13
●記憶/記録/データ保管 11
●出会いの場 7
●交流の場 7
●報告の場 6
●自分と向きあう 6
●継続 6
●自分の城 5
●情報収集の場 5 
●癒しリハビリ 5
●他者からの影響/他者への影響/双方向性 4
●思考/考察の場 4
●データ破棄の自在性 3
●思考交流/思考連鎖の場 3
●自己スキルの確認/再認識 3
●修業の場 2
●データ共有 2
●他の媒体の代替え 2
●ルールがある/ルールが必要 2
●自分演出 2
●自分発見 2

●情報経由の場
●濃密な時間空間
●接点
●仲間探し
●評価の場
●可変媒体/多面媒体・一面性⇔多面性
●成長の場
●ルールがある/ルールが必要
●議論の場
●人間観察
●発見/再発見
●リアルタイム
●タイムカプセル効果
●刺激
●夢実現
●自己アピール


意識高い皆様の、貴重な「声」を得ることができ、たいへん勉強になりました。
向きあったコメントをくださった皆様のご参加に、深く深く感謝申し上げます。

私なりに、ブログ構造を集約した形で「見える化」でき、
満足度の高い作業となりました。


この短いようで長い1年間で、ブログ含めたWEB環境もまた変化・進化しています。
WEB2.0というコンセプトワードは、それなりに根づいて、様々な場所でつぼみを持ち、あるいは花を開かせたり、ビジネス含めて形あるものに結実したりしつつあります。
GoogleやYou Tube、にこにこ動画のような、ブログともなじみやすい
集合知型サービスが充実し、新しいCGM型コミュニケーション方法もバリエーションを増やしています。
もっとも保守的に思われるここgooでもブログアクセサリー含め利用できるサービスが増えてきています。

ビジネスでもブログの影響力は確実に高まっています。
ブログ調査や、ブロガーとの連携企画はこれからも活発化が見込まれます。

その一方で、かつてブログを整備してきた初期ユーザーは
初期ブログを脱して、新しい方向を模索していたり、
新たなサービスに流出したり、
ブログ比重を減らしつつあるようにも見えます。

ブログの運営会社もまた、はてなを含め競合(SNS、他)サービスとの
差別化、取り込み、融合、協働、等、更なる進化・変化を
進めています。

日々増え続け、多数の年齢・性別を超えた新人が参加し続ける
一方で、ブログ文化は成熟したとして、卒業組も後を絶たない、
そうした新陳代謝が非常に短いサイクルで起っているブログ。

ブログはこれからどうなっていくのか。

私には、まだまだ面白いこといっぱいな、ワクワク・キラキラな
場であり、媒体であり、世界なのです。


この後、最終フェーズに入らせていただきます。
ぜひご参加ください!!


参考:
ブログ誕生10周年 なお進化途上のメディア
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ブログについて考える★2年・2年間・2年分

2007-07-24 | ブログについて考える
転がる石は苔をむさず。

そっか。

でも私はもしできるんなら

苔を育てながら転がりたいな、

そのほうが2倍楽しそうだから。

最強の苔、かもぉぉーん!!!<欲張るな?


・・・・・

って、3年目の抱負になるのでしょうか?
そゆの語っちゃう自分がキライじゃないから困ったものだ。
って全然困ってないから、ますます<オイ

関係ないけど、かもぉぉーんと書くと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん を思い出すのって
ちょっと回路的に間違ってます?w


ブログって、
別に隠しているわけではなくても
過去記事を読んでなければわからない
個々のブロガーの側面があったり
過去に消えたつながりがあったり
トラブルがあったり、強い結束があったり。

ずっと参加していれば、当たり前のことであっても、
いったん閉じたトビラの向こう側で
ブラックボックス化は進んでいく。

定番の記事も、特徴的なコメントも
はじめて参加する人にはまた全然違ってみえたり・・・
ある意味、毎日新入社員が入ってくる会社のようなものなのかも。

で、
もちろん、全然気づかない場合も多いけれど
過去のしがらみに気づく人もいて。


この人とこの人はどういうつながりなんだろう?
どうしてこのコミュニティはこういうメンバーなんだろう?
どうしてこの人とこのコミュニティのこの人がつながってるんだろう?
どうしてこの人とこの人は交流していないんだろう?
・・・

意識をもって眺めると見えてくる関係図がある。

膨大な個々人の過去にダイブできるのって
何ヶ月くらいが限度だろう?
過去のさまざまな関係性が
しあわせな交流の合間に見え隠れして、
「今」に封じられつつも、消えずに漂い続ける。

1年目、2年目・・・そして3年目。
私のブログの過去の「闇」も深まっていくのかな?w

ある意味、記事レベルでつながれば、過去は関係ないとも思う。
そして、ブロガーにも変化も進化もあるだろうから
過去に捕われる必要はないとも思う。

でもブログの「今」が「過去」から続いているというのもまた事実。
そして数あるブロガーの中には、平気なふりをしながら
秘かに根に持ち続けるようなタイプももしかしたらいるのかもしれませんね?
(・・・大体が分かってる同士間では全然ひそかではないわけだがw
 そういうねたみやゆがみやダークさそのものはキライじゃない。
 というか、興味深い。サンプルとして・・・
 ※今回、外部チェックされてるから書きにくいっす;


そういう世界だからこそ
来てくださる方、1人・1人とつながっていくご縁を
大切に育てながら、転がっていきたいと思います。





※このブログでは、トラブルもログだという考え方から
 記事もコメントも基本的にトラブル時含めて残しています。
 (証明のために必要だと思われた場合は、
  メールや相手が削除したブログ画面もすべて画像保存しています)
 なにか質問、疑問のある方は私のレベルで開示可能だと判断
 できる部分は開示いたします。お申し出ください。

※「私が交流しないブロガーの基準」を書いていたのですが、
 外野から誤解をまねきやすい、とイエローカードがでたので削除します。
 ごらんになった方ごめんなさい。
 興味ある方はメールにてご質問ください。
 (こうしてきちんと問題点を指摘してくれる、外野も宝物だなぁ、と


質問があったので追記:

このブログに参加してくださっている方で、
私とトラブった相手・もしくは交流がなくなった相手と、
新たに交流をはじめる方がおられても
当然ながらそれには関知はしません(今までもそうであったように)。
トラブルの内容にもよりますが、オープンブログでの交流は、基本は完全に個々人の自由と自己責任だと考えます。
こちらもできる限り変わらず参加させていただきたいと思います。

ただ、相手意識の問題等があり、干渉やいやがらせ含めて
相互の交流に無理や不具合含む影響が出る、と判断した場合は、
私自身が交流の妨害要素には絶対になりたくないので
了解と許可とが得られるまでは
該当ブログへの参加をやめる形を取りたいと思っています。
(これも、今までもそうであったように)。
交流そのものはメールでもmixi でも続けようと思えば続ける方法はあるので。
(以前、それを知らせた相手から、半年後に「いじめ加害者扱い」を受けたので
 あえてアナウンスはしません。疑問があればご質問ください。)

Like a Rolling Stoneでとらわれずに参りましょう、お互いに(にっこり
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ブログについて考える★ブログにおけるマズローの法則

2007-07-12 | ブログについて考える
ブログおよびブロガー欲求の変化を、マズローの法則にあてはめて考えてみました。
なお、マズローの法則はあくまで、ブログを整理するためのツールの1つとして活用しており、これがブログ整理の全てではないことは、当然の前提としてご了承ください。

念のため、こちらを先に読んでいただくとわかりやすいかも。

マズローの欲求5段階説って信じますか? (大西 宏のマーケティング・エッセンス)

『マズローの法則』に新説!( Codex Leicester 2007)

あくまで、ブログを考える際の個人の思考メモですが、
こういう考え方もできる、他、追加・補強・改変は歓迎いたします。
※この記事は上記の影響含めて、変更および消去する可能性があります。






ちょっとプロトタイプ化しすぎちゃいましたが
ブログ閉鎖のタイミングとか、コミュニティが荒れるタイミングとか
ステップアップに関係するのかな?と考えています。

すべての行動は最終的には自己に集約されるとは思っていますが、
基本、関心の比率が、より自己に向くのか、より他者に向くのかで、
ブログの記事の傾向は大きく変化しそうです。

単純な見分け方として、ちょっと強引に線を引くとすると
ある記事に対するコメントで、
●その記事自体や相手ブロガーについて語っている比率が高いと他者志向ブロガー
●誘発されて自分のことについて語ってる比率が高いと自分志向ブロガー
なのかな、と思うのですが。
もちろん記事内容にもよりますし、そのブロガーとの関係性もあるかも。交流歴が深まるほど、「知って欲しい」欲求が高まって自分比率が増える気もします。・・・と書きつつ、私の場合は「知りたい欲求」が高まるんだけど。(あれ?;

人気ブログをみていると、そこのバランスがうまいように感じます。
他者志向だけでも、自分志向だけでも
コミュニケーションはバランスを崩してしまうのかな、と。
言及のないTBが嫌われたり禁止されたりするのも同傾向じかな?
中には、まったく記事に触れてないコメントもあって、
ほとんどスパム扱いだったり。
相手と交流したいのか、とにかく自己アピールしたいのかでも
変わってくるのかな?
ただ、相手に認められない自己アピールに価値はないようにも感じますが。

で、こゆこと全般が面倒になると、きっとコメント欄を閉鎖しちゃうんだろうなぁ・・・
他者志向、自分志向、もう少し考察したい部分です。
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ブログについて考える★「同じ」と「違う」

2007-07-03 | ブログについて考える
「同じ」は人を、「わたし」と「あなた」をつなぐ。

あ、やっぱり?
いっしょいっしょ!
うん、うん
ええ、すごくわかります!
おんなじだぁ!!!

たとえば「年齢」、たとえば「ライフステージ」。
ある年代に共通の、とても大切な記録としての話題。
学生、社会人、結婚、子育て期、子離れ期、子どもが巣立ってから・・・
それぞれにたくさんのアレンジの分岐点をかかえながら。

また、その背景にある
生まれた・育った・生きている「時代」。
60年代、70年代、80年代、90年代、2000年、昭和/平成。

そうして広げていくと、
職業も。
住いも。
趣味、好きな食べ物、好きなドラマ、
いやもっと身近に、今偶然みてるドラマ、今飲んでる珈琲、今見てる空の色
いや「今」という時間そのものも含めて
出会いがつないでいくいくつもの縁。

「わたし」を構成する様々な要素が
「あなた」を構成する様々な要素との接点となって
立ち止まらせ、声をかけてみようかな、と
入り口をのぞく気持ちを後押しする。

風鈴の音に振り返ると、自分の家のものと同じ・・・。
「わぁ!」と思ったり、「あれ?」と思ったり、にっこりしたり・・・
そんな感覚にも似て。

私がブログをはじめた最初の頃って、
同年代の趣味仲間を探そう、くらいの軽いノリだったような。
そうそう、そういえばgooの『テーマサロン』(ってなくなったのかな?)
で『Rock好き40代集まれ』的な記事を書いたのでした。
そして。
その時来てくれたあるブロガーとの縁が、
このブログをすごく広げてくれたな、と。

すごくすごくよかったのは、きっと
彼女が「同じ」だけでなく、「違う」もはっきりぶつけてくれる
ブロガーだったこと。

同じミュージシャンが好き。それが最初の接点。
なのに、見てる部分が違う。
一番好きなのは同じ、でも2番目は違う。
そうかぁ、違うのか・・・
あれ?でも「違う」って案外楽しい!


あぁそうか!
いやいや、それはないって・・・
う、それはちょっと・・・
え~~~、信じられない!
おおー、それはすごい!

「違う」は人を、「わたし」と「あなた」を広げる。

違う年齢、違う年代、違う趣味、違う考え方・・・・・・・

広がると、「わたし」は豊かになる。大きくなる。

「同じ」ばかりだとつまらない。
「違う」ばかりだとしんどい。
「同じ」と「違う」を楽しみながら。
「同じ」の中の「違う」、「違う」の中の「同じ」に心魅かれながら。

時に
「同じ」だけを求める人、
「違う」を拒絶する人にも出会いながら。
そして、それもまた、「同じ」と「違う」のバリエーションとして
学びながら、自分の糧や自戒、反省としながら・・・

「私の中のあなた」「あなたの中の私」が
「私」と「あなた」の間に新しい何かを生みだすのだと思う。
「私」しか語らない人、「あなた」に迎合してしまう人、
ちょっともったいない気がします。
個々が個々の「私とあなた」を語ることに意味を感じる。
そんな風に、すべての行為に「進化する遺伝子」を組み込んだ神さまに
ちょっと感動しながら・・・。

記事とコメントとレス。

だから私は、ブログを続けてこれたのだなと
3年目を前に感じます。
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ブログについて考える★はてなの逆淘汰・・・はてなの終焉?

2007-06-17 | ブログについて考える
はてなブックマークのコミュニティについて

を昨日読んで、はてな事務局のはてなブログの事業コンセプトが
うっすら見えた気がしてたのですが・・・。
で、はてなブログのユーザーではあるけど、ほとんど活用していない私としては
「ふうん、そういう方向になるのね」なんて別段・感慨もなく思いつつ、
はてな生活の長い(深い)はてな市民の皆様の意見を聞きたいところだなぁ、と、ちょっと関心も持ちつつ。

で、

はてなの逆淘汰

というエントリーがあったので、そういう方々からの
「はてなが逆淘汰されるよ」という話かと思って飛んでみたら・・・。

“知識人”が集まって、はてなを上品な象牙の塔にする計画だったようです。

外出前なので、あとで記事にしよう、と思ったのだけど、
ちょっとシロウト目にもあまりに無謀な表現が多いので、雑感だけどアップします。

参考までにこういう問題について経済学ではどう考えているかを説明しておく。
こういうところでいきなり、「経済学」を主語にするあたりが
ネットイナゴを呼ぶ一因なんだろうなぁ、と感じながら・・・。
池田氏の説に異論ある、良識ある経済学者の反論をお待ちしたいところです。
※経済学ってすっごいバラつきある、そこが面白いのに。

で、その「経済学が考えてる」という事例が・・。

こういう現象は、ネットワークでは珍しくない。1970年代には、市民バンドが「誰でも参加できる無線コミュニケーション」として大流行したが、2ちゃんねるのような状態になって自壊した。TVゲーム業界で有名なのは、1980年代の「アタリ・ショック」と呼ばれる現象だ。質の悪いゲームが大量に出回ったため、消費者が不良品をつかまされるリスクを恐れて、ゲーム市場が崩壊してしまった。同様にインターネットでも、初期に主要なアプリケーションだったネットニュースは、今ではS/N比が悪すぎるため、ほとんど使う人がいない。

これは経済学で「逆淘汰」とよばれる、おなじみの問題だ。たとえば中古車の質に「情報の非対称性」があり、どれが不良品かわからないとき、消費者は不良品をつかまされるリスクを一定の確率で評価するから、不良品の確率が高いと中古車の価格は下がる。そうすると価値の高い(不良ではない)中古車は市場に出てこなくなって不良品だけが出回り、消費者も買わなくなって市場が崩壊してしまうのである。


いいたいことはわかるけど、例えに限界があります。てか、好都合な事例しかあげてないようだが、市民バンドが自壊した理由はそれだけではない(市場環境の変化がはいっていない。それ以前にネットとは規模も質も違いすぎて比較事例として不適切)し、ゲーム全体では業界はすたれていない(これだけ違法コピーが出回っていても)。
中古車におけるいわゆるレモン問題も、ネットトラブルと比べるのはあまりにも無茶だ。逆にレモンを淘汰してるのがネットでの個人情報だという点とか、多角的考察が抜けすぎていて、とても読めたものではありません。
ちなみにレモン対策のおかげで、まともなディーラーやオークションでの中古車の鑑定システム(評価規準)の精度はあがってきていますよー。
経済学の文脈で、ネットイナゴ現象を語るのなら、もうすこし広い視野とせめて最新動向でお願いしたい。
こんなレベルの反証では、ネット慣れした高校生にさえ通用しない気がした。

ウェブは、十分大きくなった。これからは量の拡大を求めるのではなく、質の高いコンテンツをフィルタリングするシステムが必要だ。それにはサービス業者が介入するより、ユーザー同士でチェックし、格づけするのがウェブらしい解決方法だろう。はてなブックマークは、もとはそうしたメカニズムの一つだったが、それ自体がイナゴの巣になっているのではしょうがない。

まさにネットイナゴもフィルタリングするシステムの1つであるという視点が
抜けています。システムのイメージがビジネス寄りに偏向して形骸化してるのでは・・・。
そして、コメントにもあるように、その評価システムがイナゴ化すれば
結局意味はない。スパム防止のような扱いにすれば、ひどいアラシは防げるのかもしれませんが。
(評価における泥沼化って、ヤフーオークションが10年前にぶつかった壁ですね。で、評価システムがこわくてオークション参加できない人がいる、という事実はいまだ解消されていません。)

って、こういう反論はすべて池田信夫 blog定義の
ネットイナゴに該当しちゃうわけですが・・・。
経済学的知識のない一般人はモノをいうな、唇寒いぞ、という感じなのでしょうか?

ただ、こういう記事の効能として、コメント欄に反論含めて
非常に上質な多角的視点が構築されるのは素晴らしい!

池田信夫氏にとってのネットイナゴの定義が、定まっていない、
というか、平均的な捉え方とどうもズレがある現状では
ご本人がこういうコメントをどうとらえて、どう考えるのかは不明ですが、
この記事は、コメント欄をもって、すごく上質なエントリーになったと感じます。
(なる@的直感「評判メカニズム」にて)

&まぁ、はてなが知的上質ブログをめざすとしても、
池田信夫 blogのある、gooは今のままでいてほしいです。
てか・・・一部ブログだけが変わっても、同じ気もしますが・・・
で、全部のブログサービスが同じ規準になったら、
web2.0は事実上骨抜きになってしまうことでしょう。

逆にいえば、はてなが象牙の塔になるのだったら
チャンスですぜ、他のサービス提供各社さま。

うーん、この問題ってすごくと面白い・・・。
帰宅したら、また情報収集したいと思います。

では、お台場にいってきまぁす!

※超急いで書いてるので、加筆・修正するかも。ってこういう状態でもアップできるのが、ブログのリアルタイム性で楽しいっすね。・・・良識ある方はしない気もするが;<オイ

関連:
ブログについて考える★ネットイナゴ考察・再び
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ブログについて考える★ネットイナゴ考察・再び

2007-06-12 | ブログについて考える
池田信夫 blog /はてなに集まるネットイナゴ

はてな系ブロガー(という言い方がいいのか悪いのかはさておき)の
はてブ(はてなブックマーク)でかなり見かけたので、
ちょっとチェイスしてた記事です。

ネット右翼、ネットイナゴ(最近ではネット赤潮?)は以前はすごく気になったのですが、
なんか最近感覚が麻痺してきたというか、「個人」として識別できず、
よほどしっかりした記事構成や明快な意見がないと
風景になりつつあるのですが(コワイ現象だ)。
まだまだブログ界で話題になるようですねー。
(被害者からすればたまったものではないでしょうから当然でしょうか)
祭りや炎上とはまた違う攻撃方法として
ちょっと興味深いので、ひさびさにとりあげてみます。

で、記事そのものよりコメント欄が面白い。

記事で一番気になったのは以下。
こういうイナゴの及ぼす社会的コストは大きい。彼らに食いつかれるのを恐れて、専門家はブログで意見を表明しないし、普通のユーザー(特に女性)はSNSに逃げ込んでいる。

うーむ。知らない間に、ネット内の格差化もかなりなレベルまで進んでたようです。
gooは「はてな」に比べると、けっこう思想的に偏りなく平和(?)なので、
そういう変化というか淘汰は、あまり意識しませんでした。
・・・まぁ、あまり過激な記事はたしかにお目にかかれない気はしますが。

池田信夫さんの自己レスで
この記事にも、さっそくイナゴからコメントが来たが、削除しました。彼らのメッセージの特徴は「おまえはバカだ」と断定するだけで、その理由が書かれていないことです。論理を組み立てて相手を説得するという訓練を学校でしてないからですかね。
実は社会では、こういう脳の小さいイナゴがsilent majorityなのですが、そういう連中は普通の学校や職場では発言の場がない。それが、だれでも発言できるウェブで多数派を占めてしまったということでしょう。
こういうノイズが増えると、記事の平均的な質が下がるため読む人がいなくなり、おかげで書く人もいなくなる・・・というadverse selectionが起こってメディアが崩壊してしまうことは、ネットニュースなどで経験ずみです。ブックマークは、そういう結果を避けるために記事を格づけするシステムなのに、それが逆淘汰を促進してるんじゃしょうがない。


というのも、今のところ個人的には実感できてないのですが・・・。

あ、でもそういえば、専門家はブログに書かないというのは、
先日来、死刑制度関係で弁護士の個人ブログを検索していて
少し感じたことではあるかも。
(弁護士を看板にしてる個人ブログで、書いてる人がいなかったと言う意味で)
ただ、マーケティング関係者は異様に多かったりするので
専門のジャンルにもよるのかも?
また、業種・職種的に、守秘義務が多い職業だと、
もともとオープンブログが使えないケースもあると思います。

ただ、コメント欄の流れを読んでいて、
たとえネットイナゴな弊害があったとしても、
こうしたある種良質な情報喚起が起り、意識連鎖が起り、
情報交換が起るブログのソーシャルメディア力は変わらず健在だと思う。

ある意味、「普通の学校や職場では発言の場がない」
(・・・ちょっと「?」マークがつきますが・・・)とする
ネットイナゴのような存在をあぶりだせることそのものが、
WEB2.0的な面白さだと思う。・・・なんて書いたらヤバイ?(ドキドキ

以下、思考メモ。

思考の濃度というものがあって、
それはもちろん善悪でも優劣でもなく。
ただ、あまりに濃度が違うと相いれない。
影響をうけすぎて、自分の濃度が保てない。

だから、心地よいと感じる思考は
個人的に「私」に適した濃度なのだろうな、と思う。
(同じ、というのではなく、
相手を受け入れたり、自分を開放したりが心地よくできる関係)

ネットイナゴは、その濃度のバリアを
数に任せて変化させようとする、その行為自体が楽しいのではないか、と。

実は、ネットが&ブログがすごいのは、
リアルだと、なかなか感じられない&もしかしたら勘違いしやすい
そうした濃度の差を、ROM含めた様々な記事を通して、
語りかける前に感じることができることそのものにあると思う。
ネットいなごもいるけど、そんなものとは引き換えられない
上質コミュニケーションに出会える場がたくさんある。

ネットイナゴをおそれず(できれば襲われないにこしたことはないですが)
鍵をあけて、自分でネットフィールドを歩く。
すると発見がむこうから飛び込んでくる。
過剰防衛で、早々に閉じこもってしまうのはなんだかMOTTAINAIと思います。


参考:
[雑記][議論]ネット!イナゴ!(novtan別館)

[雑記][議論]ネット赤潮(novtan別館)
ネットイナゴ、ネット赤潮、ネットエチゼンクラゲの定義が面白い。


追記と修正:

今回のイナゴ騒動は、もともと専門外のネットワーク関連について
記事化した内容に対し、正当なものを含めて来た反論を、
池田氏が自己批判として全てアラシ扱いしたことが原因のようですね。
うーむ・・・。

関係性を見ず、記事単体で深く考えず、記事化しましたが、
こういう行動もまたネットイナゴなんじゃ?(大汗;)と大反省いたしました;

勉強になった記事を修正版として紹介させていただきますです。
アラシ関係の捉え方と書き手の品位の規準が凄くわかりやすい。
※一部抜粋です。記事元へGO!

[Text]書き手側の品格(NC-15 )
えーと。今回の炎上って、そもそも知識不足でわけわからんエントリ挙げた挙句、論理的に異論を唱える奴も荒らし認定して対応してたのが原因じゃねえのかと。要するに自業自得って奴で。

俺が考える「書き手側の品位」は具体的にこんな感じかなと。
・反対意見はあることを前提に書く。
・論理的な反論については真摯に返す。
・反対意見を全て「相手が悪い」と思わずに、まず「自分のエントリのどこに原因があったかを考える」。
・事実誤認があるときは素直に謝る。
・自分のミスで不具合なコメントがついたエントリは削除しない。わかるように訂正する。
具体的にそこら辺が書く側に要求される最低限の品格だろうと。てか、俺のところは全部それやってるけど、それでも荒れるときは荒れるからね。
そもそもブログで意見を発信するっていうことは、当然レスポンスを期待してるから発信するわけで。そうでなかったらチラシの裏に書いてりゃいいだけの話じゃん?そのレスポンスには当然ポジティブなものもあればネガティブなものもあるわけで。どっちか一方だけ欲しいといっても無理な話。


明快だ!

それにしても、はてブ(はて部?w)はブログ考察活動が活発です。
もう自分で考えないで、秀逸だと感じた記事の編集だけしてればいいかも?
なんてことも思いつつw

や、やっぱ何かアンテナにひっかかった話題を自分なりに考え、
腑に落とすのが楽しいってことですね。ぱくぱく。(←鯉の口イメージ
ただ、こういうコミュニケーション考察エントリはもともと大好きなので
ハイったら出てこれないのが個人的な問題だ。;ぱくぱく(←エラ呼吸

で、こういうネットトラブルテーマの自己増殖傾向もまた
赤潮現象なのかな?と。


関連カテ:
ブログについて考える

ブログについて考える★「炎上」はリアル飛び火が一番問題では?
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ブログについて考える★批判について

2007-05-19 | ブログについて考える
日ごろ、バカバカしいことばかり書いてるせいか、
たまに時事や社会的なことに関わる記事やコメントを書くと、
「できてないくせに、キレイゴトな記事を書いていい人ぶっている」
と思う方がおられるようです。
今までに何度かマイナスコメントをいただいてますし、
記事で個人攻撃をされたこともあります
(全1014記事に対して、4~5記事位ですが&99%のコメントは好意的ですが
多分、それは記事に同意してるから、というよりは、
反論はあえて書かない方が多いからかな、と。)。
もちろん私個人に限ったことではなく、また、
そうした個人攻撃専科(?)の方もおられるようで
&自分と意見が異なる他者の記事が気になってしかたない方もおられるようで
多くのブログでコミュニケーショントラブルが起り、
炎上にいたるケースも見てきました。

以下・私見です。

反論や異論の場合は、きちんとした議論になる場合もあり、
私にとってとても有効な情報交流ができるケースもあります。
で、反論と個人攻撃のなにが違うのか、と考えると
対・記事内容なのか
対・個人なのか
の違いではないかな、と。(言葉の定義が曖昧でゴメンナサイ。
不明点はご遠慮なくご質問くださいませ)

記事の内容に疑問を持つ。自分はこう思う、とコメントする。
そういう場合は、コミュニケーションギャップやバックグラウンド
の差違を埋めて、情報交換を重ねれば、意見交換は成立する。
相いれない場合でも、その理由がわかれば、理解できる場合が多い。
こちらの考え違いを指摘されるのは、ものすごく勉強にもなる。

問題なのは、記事ではなく、記事を書く行為や書いているブロガーが
気に入らないのを、反論に見せかけて(赤裸々な攻撃の場合もありますが)
コメントされる方々。
(当方ではありませんが、性的犯罪関係の記事で、
「男の性衝動がわからない女のくせに」という表現を使う方々など)
また、常連参加者で、いきなり当方を嫌悪されたらしく
私の書いた「いじめ」関連の記事に反応され、私自身をいじめの加害者だと
自分のブログで記事で糾弾(世界発信という表現で)された女性もおられました。

人を嫌いになるのに理由はない、と思ってますので、
そうしたケースは基本的にはご縁がなかっただけだと思います。
上記の場合は、情報交流があっただけに、
個人的には唐突な対応は非常にショックでしたし、
オープンブログで「いじめ加害者」=犯罪者扱いというのは、
さすがに黙って見過ごせない・見過ごしてはいけないと思い
ブログ上でそれなりの対応はさせていただきました。
(先方が「ありのままに思ったことを書いただけ」としても
常識に照らし合わせてみて、個人へのあからさまな誹謗中傷行為だと判断しています。
正式謝罪も弁明もなく記事を隠されましたが、
検索方法によっては削除記事でさえヒットするため、
ある種のロングテール効果のマイナス面を痛感します)
※このトラブルで私に対し今も疑問のある方、いつでもご連絡ください。
記事にもしていますが、それ以外の判断材料を開示します。

情報通で文章力に長けた方々からすれば、取るにたりない戯言確信犯で
それを批判されるのは承知のうえです。
もしもっとしっかり書こうと思ったら、こんなに短期間で反応はできない。
経験不足と知識量を補う時間が必要だと思います。
ただ、この情報発信における身軽さ
(思った時に思ったことを思ったまま書ける)こそが、
玉石混交型メディア・井戸端的なCGMのベネフィット
であり、WEB2.0の推進力だと思うのだけど。

そしてまた、マスコミとは違って、個のメディアの集合・交流空間であり、
共感・同感だけでなく、違う意見・知らない情報を共有することに
意味のあるソーシャルメディアで、
参加者全員を納得させることなんてできない。
なにが誰のトリガーになるかわからない、その効果も結果も見えない。
誰かにとっては真実でも、誰かにとっては偽善なのかもしれない。
それなら、私は書くほうを選びます。
他者の顔色をうかがうのは性に合わないし
なんのためにブログをやってるのかわからなくなるから。

オープンブログでコメント欄を開放している限り、書き込みは自由です。
同じく削除も自由だと思っています。
ただ、ソーシャルメディアであるブログにおけるマイナスコメントの、
というか、マイナス行為の一番のポイントは、他の参加者への影響かな、と。
リアル以上に波及範囲が広いこと。
それに対し自覚的であれば、おのずと働く自重はあるでしょうし、
配慮は必要だと個人的に思っています。
(「好き勝手」できる個人メディアであるブログの、ある種の常識的制限
であり、またそうした配慮が「人間・関係」の基本かな、と思っています)

ブロガーの中にはあえて、攻撃カラーの方もおられるでしょうから、
対応は様々ですし、自己責任に基づく行動である限り自由だと思いますが、
当ブログに関しては、そちらから攻撃してきて、攻撃しかえされた時、
逆上や逆恨みや粘着的対応はしないでほしいかな、と思います。
(なせか、自分は攻撃するのに、他者攻撃を非難するブロガーも
いて不思議なのです。)

まぁ、好き勝手やるのなら、その責任を取る。
あとはできるだけ意図的には人を傷つけない。リアル社会と同じかな、と。
リアル社会にいじめや仲間はずれや暴力や様々なハラスメント、等々の
人間関係の問題があるように、ソーシャルメディアにもそれがある。
人間同士が「個」から出て、他者と関わる限り、同感ばかりではない。
そして差違にこそ意味がでるように、人間は遺伝子レベルで初期設定されている。

できるなら、たくさんの出会いを、そして差違を楽しめますように。

毎度のことながら異論・反論、歓迎いたします。
場合によってはこちらも姿勢をただして、
真摯に反論させていただきますが
人に反論されることに慣れておられない方はご注意ください。
非常識と当方が判断する方法論で来られた場合は
スパムとして削除します。
また記事には関係のない誹謗中傷も削除します。
ご了解ください。


熟女について考え、「サウンドロップ」について考え、
好きなアニメについて考え、好きな音楽について考え
人間について考え、ブログについて考える・・・
それがブロガー「なるもにあ」ってことで。
コメント (4)
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キャプテンの一言★人の粗探ししてる暇があったら・・・

2007-03-29 | ブログについて考える

Yo-ho!
Boys!be ambitious♪


[コラム] 直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ


ブログの7不思議:
他人を貶め揶揄するだけを目的としたネガな記事やコメントを書く人たち。

(本論をはずれて足をひっぱる野党のごとく)情報価値ゼロだし。
私みたいな単純ブロガーは対応エネルギー(ホスピタリティ含むw)だけ無駄に消費しちゃうし。

なんかねー、他人を貶めたりけなしたり上げ足とったり罵ったりバカにしたり蔑んだり非難するの大好き♪隙あらば(自分が参加できる余地=粗を見かけたら)ぜひ割り込みたい、という自分の性格の「歪み」を意識してるとしたらちょっと好きかも、
だけど
自分(だけ)が正しいと、本気で勘違いしてるとかなり痛いかも。

視野が狭ければ狭いほど、知識がなければないほど、経験がなければないほど、
他者批判はしやすい。価値観が狭いほど独善・唯我独尊になれるから。
だから未成年者にそういう傾向が多いのは、しかたがないかなぁ、とは思う。

が、他人を貶めてる間があれば、自分が上がれよ、といつも思う。
でもって、コミュニケーションのつもりなら、相手が理解できる言葉で
きちんと反論なり議論してほしいよ、と思います。

基本的に誰かの記事やコメントをマイナス扱いで糧にしないと自己発信できない、って、結局・完全に相手依存だし、二次(以下)的寄生的行為でしかなくて、それってもしかして貶めてる内容以下の尻馬行為なんじゃないの?とか思っちゃいます。

あ、もしそういう自虐的行為が「目的」ならごめんなさい。
私には理解しがたいけど、広いネット界・ありかもしれません。

できましたら、他者をネガな糧とせず、自力での自我形成、がむばってほしいです。
あ、あとできましたら言葉使いも、相手(私)が理解しやすい表現をがむばってほしいです。
相手(私)に何かを伝えたくて&わかってほしくて書いてるんじゃない、コメント欄での大声な独り言の可能性もあるけど。できれば独り言は自ブログで1人でお願いできれば助かります。

追記:
いやがらせだと自覚してるから匿名なんでしょうけど、
らしくないよね。
暇つぶしにしても、もう少し歯ごたえあるコメントください。
こっちがマジで医療制度勉強しよう、と思えるくらいの。
・・・ただのいやがらせにそれを求めるなってか?w

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著作権★そして、名誉棄損・侮辱罪へ・・・

2007-03-24 | ブログについて考える
毎度のことながらどこからが著作権になるのでしょう。

槙原「証拠出せ」松本零士氏訴える(日刊スポーツ) - goo ニュース
シンガー・ソングライター槙原敬之(37)が「『銀河鉄道999』のセリフを無断で使用された」と槙原を非難した漫画家松本零士氏(69)に対し、盗作の証拠提出を求める訴えを東京地裁に起こしていることが22日、分かった。証拠がない場合、2200万円の損害賠償も求めており、第1回口頭弁論が今月末に予定されている。
槙原と松本氏の盗作問題が、法廷闘争に持ち込まれた。槙原はこのほど、松本氏に盗作した証拠の提出を求める「著作権侵害不存在確認等請求」の訴えを東京地裁に提出した。証拠が示されなかった場合、仕事上のダメージを受けたとして、2200万円の損害賠償を求めるとしている。来週、第1回口頭弁論が予定されている。槙原の所属事務所は「代理人に任せているのでコメントできない」と話している。

マッキーの反撃に松本氏「裁判で立証」(スポーツニッポン) - goo ニュース
松本氏側は「裁判で立証していきますので経過を見ていただきたい」としている。槇原が作詞、作曲したケミストリーの「約束の場所」の歌詞の一部が「銀河…」のセリフを無断使用したとして、昨秋、松本氏が槇原に謝罪を要求。槇原は「汚名を着せられた」と完全否定していた。



「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」by槙原
「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」by松本零士


時間、夢、裏切る・・・この組みあわせは、別に特に
ものすごくオリジナリティがあるわけではない。
どこかの誰かが松本氏以前に書いていてもおかしくない。

また、槙原氏が「銀河鉄道999」をもし無意識で読んでいたとして
そのうえ、このセリフも無意識で読んでいたとして・・・
で、盗用するつもりはなく、自分の歌詞として思いついたとして・・・
それでも盗作になるのでしょうか?

&盗作の証拠提出ってどうやるんだろう???

こういうのってけっこうお互いの良心・良識・常識×利害関係
という気がします。
今回、さほど利害関係には関わらない、と思ったのだけど、
精神的ダメージ、ということは名誉棄損系ですねー。
ネット含めて個人的中傷に対し、犯罪行為として取り締まりが
厳しくなってきている昨今、
根拠や証拠のない訴えや糾弾は、リターンの大きい爆弾になりました。

名誉棄損と著作権侵害・・・
どちらもネットトラブルの重要課題でもある。
どちらにしても、相手を糾弾したり訴えるのなら、当然ながら
証拠による証明が必要だけど、
ブログやサイトのトラブルとは違って、画像証拠等も
残っていないだろうし、何が決め手になるのかなぁ・・・???

槙原君も時間がたってから、思い切った報復にでたというか・・・
今まで悩んでいたのでしょうか・・・。

決着のゆくえ、どうなるか、ちょっとしばしヤジ馬(オイ!)しちゃいます。


批判や非難、誹謗・中傷は個人ブロガーでも起りうるトラブルだと思います。
軽口のつもりがセクハラと受け取られたり、
意見を批判と取られたり、またその逆も。
リアルより幅広い層と出会えるだけに
プロフィールや、常識・知識・意識・認識の違いが起す
コミュニケーションのすれ違いは日常茶飯事だともいえます。
リアルより気軽に世界発信できるうえに、ログは削除しても再現性があるだけに
得に個人を対象にマイナスな内容を発信する場合は、慎重さ×熟考(常識・良識・知識他)が重要ですね。
上記のズレによって、泥沼化しやすいネットトラブルで
万が一トラブったら、できれば第三者の客観的な意見を聞くのがよいかと思います。
&すべての経緯の画像保管は必至です。

誹謗・中傷・個人情報の流布

名誉棄損と侮辱罪の違い

ネット社会の情報リスク:「ネットでの誹謗・中傷への対応」(その1)


関連:
著作権★誰がなにをもってどこまでをオリジナルとするのか?のお話

著作権関係過去記事:
著作権を考える・その3★どうなる、You Tube/ING
ニコニコ動画★あなたなら4000円の「壷」を買いますか?
YouTube vs. ニコニコ
著作権を考える・その2★漫画で読む「ドラえもん最終回」
著作権を考える・その1★「すごいぜ!JASRAC伝説」
どうなる?ようつべ;
著作権を考える(プレ)★YouTubeの可能性と危うさ
web2.0考察メモ★著作権フリー「ウィキメディア・コモンズ」
NEWS★スプー騒動が語るもの:web.2.0的過渡期
NEWS★YouTubeは生き残るか
NEWS★ライブドアのブログ閲覧・ログイン障害
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ブログについて考える★ネットの距離感

2007-03-16 | ブログについて考える
非言語コミュニケーションで有名なホールの「個人空間」概念。

●密接距離(0~約45cm)(intimate distance)
実際に相手に接触する距離や、相手の体温・におい・息の音等を感じることのできる距離、手で相手の体のどこにでも触れることのできる距離が含まれ、人間と人間が密接な関係にある時の距離帯であると言われている。

●個体距離(45cm~120cm)(personal distance)
立ち話、立食パーティーでの歓談、テーブルを囲んでの家族の食事、小さな会議机を 囲んでの議論、バスを待つ時の人の列などにおいて人間と人間が自然にとる間(距離)であり、私的な間合いとも呼ばれている。

●社会距離(120cm~360cm)(social distance)
オフィスの机に座った人間と人間の距離(前後左右)、会議机に座った人間と人間の距離など、主に仕事の場においてよく見かける距離ビジネスの話など個人的でない要件はこの社会距離で行われる傾向があることが知られている。

●公衆距離(360cm以上)(public distance)
演説や講演を聴いたりする時の距離で、通常、相手の顔の全体・姿等は知覚できるが、実物よりもかなり小さく見える。声の性状は伝達できるが、相手の顔の細かな表情等のことばならざることばは殆ど伝達することは難しいことが知られている。


参考:IT Express 非言語コミュニケーション(3)

仕事でもよく新人研修等で活用する、対面コミュニケーションの基本ですねー。
効能含めて、関心がある方はリンク先にて詳細情報をお読みいただくとして。

ネットでは、アクセスするかしないか、が基本であり、意識をしてアクセスした時点で実は「社会距離」レベルに飛び込んでるのではないか、と思うのです。ようするに「公衆距離」というのはアクセスしない状態でしかないのではないか。
そして、記事を読み、コメントをする行為は面識がないにも関わらず、ある意味一方的な「個体距離」を形成する。
反面、ネットという空間をはさんでの行為なので一部アダルト系を除き、「密接距離」はどんなに気持ちが近い関係になっても存在しない(・・・バーチャル恋愛がよく理解できていないので、可能なのかもしれませんがちょっと不勉強ということで・・・)。

このリアルとは異なる、コミュニケーションステップの狭さ(と匿名性)が、独特の人間関係と感情を形成するのかな、と・・・。や、リアルでも起りうることなのだけど、ネットでは関係形成速度が圧倒的に早い(崩壊速度も早い)気がします(個人差はありますが)。
一期一会・・・実は、広大なネットで出会う奇跡は、広大なネットだからこそ機会増加しデイリーに起りうることだともいえる。
そして、検索エンジンはそうした出会いを加速的に便利にしてくれています。ネットは基本的に情報(人を含む)との出会い系以外なにものでもない。ただし、玉石混交の中で、本当に「私」にとって意味のある出会いになるかどうか、は、記事・コメントレベル合わせて、情報との出会いが多い分だけ、相互に試される機会はまたリアルよりも多いように感じます。

と、考える一方で、実はネットそのものが永遠に「公衆距離」である、とも考えられる(実体が確かめられない限り)。一時期話題になったネットオカマ含め、いくらでも「なりすまし」可能なバーチャル世界。年齢も性別も職業もねつ造可能。リアルでは不可能ないくつものキャラクターの使い分け、ペルソナ(こちらはリアルでも可能ですね)の遊び場でもあるように思います。

なんでいきなりこんなこと書いてるのか、自分でもよくわからないのですが(コラ!
今、試行的に閉鎖ブログをリニュアル整備していて、そこで記事を書くことと「111」で書くことの違いみたいなものを、自分なりに基本ルール化しようと考えていて、記事での距離感みたいな感触に至ったわけですね。

でも、こうして書いてみて、書いている主体である私自身がすでに自分との向きあい方において、温度差がある時点で、距離感なんてまさに記事や相手によって千差万別で、実は意味があるようでいて、まったく無意味なのかも、と思ってきました。
あは?

3次元的なcmで表しうる肉体的距離がないことの意味は限りなく大きい気もするのですが。基本はすべて情報でできている人間を分解していったら、そのあたりもけっこう簡単にクリアできてしまうのかもしれません。
心理的・もしくは情報的距離、というべきものについては、まだまだ思考を重ねる必要がありそうです。
なんというか、ブログカテによるタイプ別ではなく、情報傾向別(?)人種、みたいなブロガーのカテゴライズ=プロトタイプ化が可能なのかな、なんて考えてるのだけど。既出の情報でよいものがありましたら教えてくださいませね、皆様。


うーん。ブログ・コミュニケーション、まだまだ奥が深い(私には)。

試行中な思考(シャレではありませぬ)にて、このままログ化します。

追記:
記事リンク・多謝!
ネットの距離感(のんべんだらり)
コメント (12)
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ブログについて考える★ブログとは

2007-01-09 | ブログについて考える
誰かが誰かを元気づけて

その誰かが誰かに手を貸していて

その誰かが誰かに声をかけて

その誰かが誰かを微笑ませて

その誰かが誰かと一緒に悩み

その誰かが誰かと真剣に意見交換し

その誰かがまた他の誰かを元気づけている・・・

そんな形のエネルギー&コミュニケーション交流&循環&交換空間。
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ブログについて考える★モラルハザード

2006-12-25 | ブログについて考える
Moral Hazard

もともとは保険用語ですが、ここでは「1人だとできないのに、多くが参加する=保険がかかることで、危機意識がはずれ、暴走する」という「数の麻痺」の意味で活用しています。

このブログでは、もう初期から何度も何度も書いていますので、理解してくださってる方もおられるかと思いますが、モラルハザードはブログという個人メディアで一番顕著な問題だと思っています。
そして非常に頻繁に起る現象でもある。
なによりも個人のリアルな責任を希薄化させがちな、匿名性が大きな原因ですが
その根底には「いい人症候群(嫌われたくない症候群)」と「共依存」がある。

今まで、明らかに過ちをおかしているブロガーの過ちを指摘せず、「あなたの味方(理解者、友達、仲間)だ」「あなたは悪くない」「不幸な事故だ」等その場の勢いやノリでプラス対応をしてしまう、そのことでまた拡大するブログコミュニティのトラブルを多数見てきました。
最近、問題になっている「転載問題」にも、善意の罠ともいうべきモラルハザードを感じます。
参考:mixiでまたチェーン日記 善意が混乱招く


問題を起したブロガーの多くは、そうした他者コメントには感謝しながらも、最終的にはきちんと自分で解決し、改善していく場合が一般的です(トラブルの是非を問わない場合は、あえて記事にしない・トラブルに言及しないケースも多いかも)が、共依存型ブロガーだと、反省(たとえばブログ休止・停止、極端な場合は問題解決を放棄した形での閉鎖※←非常に多いのが特徴です)という形を取りながら、同情や共感を喚起する書き方をするため、周りはついつい「そんなことはない」「あなたは悪くない」という対応をしがちです。
こういう励まし、共感、同感そのものは、コメント交流では非常に重要な思いやりや心配り要素でもあると思っています。そして、まともなブロガーだと、そういう応援コメントをうけたうえで、きちんと内省や反省もできる。

共依存型ブロガーは「あなたは悪くない」と言って欲しいだけなので、絶対に反省はしません。「私は間違っていない(いなかった)」という自信を強めます。

個々人は意識せずに気軽な気持ちで“みんなと同じように”書いたコメントでしょうが、問題ブロガーの中では「○○さんが味方してくれた」「□□さんがこういった」と、完全にコメント者1人1人を自分の対応の賛同者として、自分がやったマイナス行為への正当性を高めます。そして自分の価値観の共有者・支持者として、同志、仲間といった感覚を強める。
(中には、そう思われたい共依存型の方もおられるので、そこはマイナスな“持ちつ・持たれつ”はあるのかもしれませんが。)

上記はモラルハザードの結果です。
トラブル時の変な偏った内部結束もモラルハザードに含まれると考えます。

モラルハザードで一番深刻なのは、複数が行動することで
「あ、○○さんもそう書いてる。だったらこれくらいいいか」という
ちょっとした参加意識のつもりで、
自分が書く内容の影響や意味を真剣に検討せずに書き込みを行うこと。
いわゆる自己責任の無意識な放棄です。
励ましはプラス行為に思えるため、余計に「参加しておこう」と
思いがちですが、「他にも参加者がいるから」が基準の場合、
本質をみない右へ倣えなコメントをしがちで、モラルハザードを起しがちです。
トラブル時の安易なエールは薬ではなく毒です。
励ます行為って、場合によっては(&相手によっては)確実に「助長」である自覚は持っていて欲しい。
「優しい人」「いい人」「友達思いの方」に多いだけに、
そのあたりのさじ加減ってとても難しい気もしますが・・・。
少なくても、相手のやった行為の是非を押さえたうえで、それとは別に
励ますことはできると思います。

以前、あるブロガーが友達(少々共依存気味)のやった過ちに対し、「~という行為は残念だった。ここはこうマイナスだった。~したらよかったね。」というトーンのコメントを書いていて、しっかりと友達を思う気持ちも感じられ、素敵だな、と思いました。(私は口調がキツイのでそのあたりはまだまだ勉強しなくては、です)

それを押さえないと、結果的にそのブロガーは本気で反省することができなくなり
同じミスを何度でも繰り返すことになる。
「自分はみんなに正しいと言ってもらった」という自信があるから
場合によってはエスカレートさえしてしまう。
共依存型ブロガーはそれを狙ってやるので確信犯ですが。

記事はもちろん、コメントやレスの1つ1つに
常に自覚的であり、書き込む以上は自己責任を持つこと。
特にコメントやレスは相手や別の参加者への影響を考えて書くこと。
トラブル時に、他のブロガーの様子をうかがってから
対象者を励ますコメントを書き込む傾向の強い方は
一度ご自分のモラルハザード傾向を疑って見てもいいかも。

問題ブロガーが何度でも問題を起すのは
そうした安易なコメント参加をするブロガーにも大きな責任がある
と私は思っています。厳しいかもしれないですし
そこまで考えたら、コメントなんて怖くて書けないという
意見もあるとは承知していますが。
コミュニケーション・トラブル時は要注意です。
関わるのなら、中途半端に見守っていないで
トラブルそのものに本気で関わるのが誠意ではないのかな、
と私は考えるのだけど・・・なんか間違ってるかなぁ?

正直言いまして「熱すぎる!」というご指摘は頂戴しております;
「そこまでブログに真剣な交流を求めない」
「軽くつきあいたい」という声が多いのも知っています。
で、私見ですが、そういう方はきっとトラブルブロガーと
つきあわないんじゃないか、とも思うわけで、
それならそれでいいんじゃないか、と思います。

私自身は以前、そうしたモラルハザードのど真ん中に介入し、
コメント参加者批判をした経験があります。
・・・やり方がまずかったので反省も多々ありますが
(特にその時、私を心配してくれていたブロガーには
多大な迷惑をかけました。)
最終的に複数のコメント参加者が反省され、一部は自覚的に行動され、
トラブル自体はよい方向に解決したと思っています。
ただ、中にはその時に現実逃避して、自らの安易なコメントの責任を一切とらず、
そのため相変わらず安易な「善意のコメント」を悪気なくしつづけて、
無自覚に問題解決を妨げ続けるモラルハザード促進型ブロガーもいる。

私はそういう逃げやすく学ばないブロガーが
きっと個人的に一番嫌いなんですねぇ・・・・・てへっ。
はい、これが今、私自身が一番悩んでいる、私の最大の欠点です。
相手がいい(少なくても悪気のない)ブロガーなのがわかっているのに、
私の心が狭くてその安易さ・自覚のなさを認められない、という・・・
うん、いつかは克服して
そういう相手の思いも受け入れられるブロガーを目指したいと思います。

メリットもデメリットもブログ単位でブロガー個々人にリターンされる、
ネットでのリスクマネジメントの常識であり
共依存やモラルハザード、しいてはモラルハラスメントの罠を
見抜く重要なポイントだと思います。

トラブル時にコメントする際は、特に参加責任を自覚して、安易に迎合した内容を書かず、自分の個人の意見としてコメント参加していきたいと思っています。

あ、これってエールや励ましを否定しているのでは決してなく
あくまでブログトラブル時の
共依存型ブロガー対策としてお考えくださいませ。
相手のことを考えた正しいエールって、そういうものだとも思います



いつものように質問、疑問、異論、反論、歓迎いたします。
共依存とモラルハザードは私のブログ研究課題でもあるので、
こういう考え方もある、という情報補強もよろしくお願いいたします。

関連:
ブログについて考える★共依存
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ブログについて考える★あなたはどのタイプ?

2006-12-24 | ブログについて考える
「情報発信」「熱烈読者」……ブロガーの6タイプ

ブロガーの行動を(1)ブログを更新する、(2)他人のブログを閲覧する、(3)他人のブログの記事にコメントを書く・トラックバックを張る──の3要素で定義し、それぞれの行動を行う頻度などから分類。現在の国内のブロガー数約1000万人のうち、各タイプに属する人数も推定した。

・アルファブロガー──3要素とも頻度が高い。Webによる情報の収集発信・コミュニケーションを非常に重視(71万人)

・情報発信ブロガー──更新と閲覧が高頻度。ブログを純粋に情報発信のツールに位置付けている(97万人)

・自己完結ブロガー──更新が高頻度。日記として、情報蓄積ツールとしてブログを活用(53万人)

・情報探求ブロガー──閲覧とコメント・トラックバックが高頻度。意志決定の際にWeb上の情報を探し、コメントも書き込んで情報の真偽性を問うタイプ(40万人)

・熱烈読者ブロガー──閲覧が高頻度。ブログを情報メディアとして重視しているが、ブログの各機能は使いこなせていない(258万人)

・駆け出しブロガー──3要素とも頻度が低い。一般的なネットユーザーであり、ライトユーザーが多いが、熱烈読者になる可能性も(481万人)



私は基本的には情報交流型をめざしてるわけですが、
それってアルファブロガーになるのかな?
どうもアルファブロガーという言い回しが大げさな気がしますが。

以前、仕事で私自身もブロガータイプをカテゴライズしたことがあり、
軸的には似てるナー、と思いつつ。
個人としては、そこに時間変動をクロスしてほしいかなぁ、と。
1人のブロガーでも、タイミングでタイプは変わる。
また相手によって、立場が入れ替わる場合もある。
一種のブログ格でのペルソナと同じですよね。

それにしても
予測によると、ブログ・SNS市場は高成長が続き、同市場は2011年度に1706億円、2006年度の7.6倍に成長するという
って・・・金の卵を産みそうで産まないweb2.0に、なんとか卵を産ませようと、あの手・この手だなぁ・・・なんて思いながら、仕事のネタにしてる私って<お前って;

ちょうど昨日、TVで3Dオンライン空間『セカンドライフ』についての、バーチャルビジネス特集をしていましたが、住居関連で入居費20万円+月額3万5千円って、すでに金額では、従来のバーチャルレベルを超えてる。日産やSONYもすでに参入していて、なんか虎視眈々な感じですが・・・。

セカンドライフ公式サイト
セカンドライフ


確かにネットで見たり、知ったりして、購入まで至るものはある。でもそれは雑誌や新聞やTVでも率的にはさほど変わらないように思う。有名ブロガーの口コミも、それ自体がビジネス化してきたら、雑誌のタイアップ記事みたいで、購入まではいかない。

どちらかといえば、おつきあいが長くなって、趣味等合うとわかっているブロガーの情報が一番ささる。これはリアルな友達口コミと同じ感覚。ただ、ブログでは範囲や関心項目がぐっと広がる。情報リーチが長いわけですね。ビジネス勝機があるとしたらここなのでしょうが(ロングテールともなにげに絡んで)、ビジネス臭を嫌うブロガーのバリアをどう破るかが難易度高い。
実際、自分をターゲットシュミレーションしても、ブロガーのビジネス誘導は難しいだろうな、と思います。・・・だからこそトライする値打ちもあるわけですが。個人的には参加メリットの設定と利益還元率・分配率(※利益とは金銭面だけではなく、モチベーション等精神的な要素も含めて)が手がかりな気がするのですが・・・。

もう1つの手がかりは情報発信方法。
人間って、誰か(何か)の裏情報(と思われるもの)を知った方が相手に親近感を覚えやすい。例えばいつもとは違う(ように見える)表情や、悩み事等のネガティブ情報を語られると、その人をよりわかったような気になってしまう、という面白い特性がある。
私はそれを一種の人間関係におけるキュビズム的理解だと思ってるのですが、別にどちらもそのヒトなんだけど、もともと自分が理解しやすい像で相手をフィックスしておきながら、それ以外を知ることで全体把握できた気がするわけですね。分割理解とでもいうべき?
で、ブログはまさに分割理解促進メディアだと思うわけです。

・・・なんかよくわからん文章だなぁ、と思いながらも強引に進めます。(オイ

ようするに、ブログでは、1つの情報をドカンと出すより、理解しやすい形にかえてパズルのように提供し、受け手の中で受け手自身が組み立てられる形にする方が、親近感を持って受け入れられる、と思うわけです。
その際、受け手が理解しやすい形の設定が一番重要になる。今までとは異なる、情報受信力別ターゲティングが必要だと思うのだけど。

まぁ、この文章自体が全然分割理解促進になっていない、
という事実はさておき<オイオイ

人間の認識構造ってやっぱり面白い!また考えたいと思います。
エゴ確信犯記事にて失礼いたしましたぁー。

追記:私の人間認識の基点は、内面情報よりむしろ、前面にでた「美的感覚」と「バランス感覚」と「好奇心」を重視する傾向にある、と、これは自己分析。
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ブログについて考える★共依存

2006-12-23 | ブログについて考える
共依存
共依存の特徴 
●自らを犠牲にして他人を助けたり、世話したりする
●他人の行動、感情、考え方・状況・結果を変えようとコントロールする
●何か身の回りに問題や危機が起こっていないと空虚になる
●依存心が強く、一人でやっていけるという自信がない
●考え方、視野がせまい。社会・地域・自然などへの関心・貢献が薄い
●現実をしっかり見つめようとしない
●「No」と言えない。「私」を中心に話せない
●他人とのバウンダリー(境界)がはっきりしていない
●自分の身体から出るメッセージに気がつかない。感情の適切な表現ができない
●怒りに問題がある
●静かに時を待つ、ということを知らない
●罪の意識によくおそわれる
●物事が極端。ほどほどに、ができない
●過去の間違いから学ぶことができない
●被害者意識にとりつかれている
●自己の確立ができていない


以前から何度かとりあげ、
また正式に記事にしたいと思っていますが、
ブロガーにもあてはまる傾向です。

よくも悪くも過剰なコメント対応や、
他人を巻き込む行動が多いブロガーは共依存傾向が強い場合があります。
共依存の場合は、通常の見え方は「ものすごく他人思いで、
悩みの相談等親身になってくれる、面倒見のいい人」で、
トラブルにならない限り、本性はでないので発見が遅れがちです。
(トラブル時は過剰&異常行動が多いのでそこで判断できます。)
激しく落込んだり、攻撃的になったり、
メチャクチャ明るく振る舞ったり、と不安定で極端ですが
心の病なので本人にもどうしようもありません。
自覚がない場合も多いです。

主婦のキッチンドランカーのアルコール依存にも似て、
自意識過剰や自分が正当に評価されていない、等の
不安・不満回避が原因ともされています。
常に誰かに必要とされ、注目されていたいため、
例えば極端にマイナスにでると、
相手を無視したり、傷つけることで
相手の関心を得ようとするケースも含まれるようです。
常に周囲を意識した行動がメインで、
第三者への呼びかけ等、同情を誘う記載が多いのも特徴です。

ブロガーの場合、
他者コントロールがうまくいかなかった時の反応に
見事な共通項があるのですが
そういうことを含め、非常に興味深いです。

以前、仕事で児童虐待関係のシンポジウム企画に参加し
多くの専門家とお話をさせていただく機会がありました。
(河合隼雄先生をメインパネラーのお一人としてお招きしたのですが、
とても興味深いお話を聞かせていただきました。)
今でもその時のご縁で、メンバーの方に仕事関係のトラブルなど
いろいろと相談に乗っていただくことがあります。
(最近ではいじめ関係でも情報交換しています。)

時々ブログトラブルについても話がでるのですが
丁度、共依存については、最近話題にしていました。
リアルでもネットでもかなり増えているようですね。

人間って、本当に自分が見えていない、
存在だということがよくわかります。

気をつけなくては、ですね。

追記:
私自身も上記メンバーから共依存傾向を指摘されております;
親しき中にも礼儀あり
君子の交わりは淡きこと水のごとし・・・
まぁ君子ってのはありえないですが;
ちょうどいい、鬱陶しがられない、負担にならない
適度な距離感で、おつきあいしていけるよう
鋭意努力していきたいと思います。

追記2:
共依存を疑った時は、必ず信頼できる客観的立場の
第三者に相談をしてみてくださいね。



いつものように質問、疑問、異論、反論、歓迎いたします。
共依存とモラルハザードは私のブログ研究課題でもあるので、
こういう考え方もある、という情報補強もよろしくお願いいたします。



コメント (15)
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