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マズローが目指した最高の欲求段階 -自己実現の彼方へ-

2006年06月11日 | パラダイム・シフト



 欲求5段階の最上段



 アメリカの心理学者アブラハム・マズローが唱えた欲求段階説

 人間の欲求は、生理的欲求、安全の欲求、愛情と所属の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求という順に発現し、下位の欲求が満たされると、上位の欲求の充足を目指すという説です。

 マズローは晩年に、その欲求5段階の最上段へさらにもう一段階付け加えようとしていたことが、彼の周囲にいた人の証言によって明らかになっています。



 共同体の発展



 その6段目の新たな欲求とは、「共同体 (コミュニティ) 発展欲求」。

 すなわち、組織や企業、地域社会、国家、そして地球全体など、自分が所属するコミュニティ全体の発展を望む欲求です。

 「自己実現欲求」の次に来るステップとして彼は、自己実現した個人が、自らが所属する共同体全体の発展を希求するだろうと述べました。

 しかし、マズロー博士の晩年である1960年代当時は、米ソの冷戦下にありました。

 そのため、共同体発展欲求を付け加えることによって共産主義者のレッテルを貼られることを恐れて、原案の5段階のままにしておいたといわれています。



 共同体発展欲求の意義



 ここで、是非とも理解しなければならないのは、この「共同体発展欲求」の意義。

 個々人の欲求を超越した"より大きな欲求の存在"に対して、私達は無自覚ではいられないということです。

 下表は、上述の内容も含めた諸説を整理したもの。こうして並べて見ると、自己実現欲求の上に更なるステージが存在することを理解できます。


          


 すなわち、人間の発達・成長過程は、最初に「組織や集団への依存」を経験し、次に「個人としての自立・独立や自己実現」へと進みます。

 そして、それが達成できたあとに再度、「共同体という集団や他者との結びつき」へと回帰するように進んでいくのです。

 ここで最も興味深いのは、共同体発展欲求へと到達する前に、独立・自己実現という個人主義的な欲求がまず満たされなければならないという点。

 これは今後、組織と個人の新しい関係を模索していく上で、大変意味深い観点かと思われます。




 編集後記



 「温かな人の輪の中からもう旅立つ時なんだろう」(STREET LIFE / GLAY)

 依存欲求から成長欲求に移行するのは、温かい湯船につかっているとのぼせて湯船からあがりたくなることに通じるものがあるような気がします。

 つまり、人間には自分自身として成長して自分自身として認められると、世の中への奉仕に価値を見出していく性質が備わっているといえます。

 つまり、「人間は地球環境を良くするために生まれてくる」とも考えられます。


 


【欲求段階の不一致】

 「自分にしてほしいことを他人にもしなさい」という教えを聞くことがあります。

 しかしそれは、その人が到達している欲求段階によって「してほしいこと」は異なるため、絶対的な教えではないといえます。

 なぜなら、承認欲求や愛情欲求が満たされて、より上位の欲求段階に生きている人は、周囲からの愛情や承認を求めていないからです。

 お腹がいっぱいになっている人にたくさんの食べ物をあげても、迷惑になるだけなのです。

 世の中には、関係性にそぐわない場違いな愛情を求めてきて、それが得られないとわかるととたんに拒絶の態度をとる「ゼロ-ヒャク」な人がいます。

 俗にいう、“べったり”か“拒絶”かの二通りの接し方しかできない人で、これも欲求段階の特性によるものだと思われます。

 恋人でも親友でも母親でもない相手に、絶対的で永遠かつ、最上級の愛情を求める行為自体おかしいのですが、それを自己認識できなくなっているといえます。


【世の中の発展と共同体発展欲求】

 共同体発展欲求の存在は、自分自身として成長し自分自身として世の中に認められたスポーツ選手や映画スターが、ボランティアや環境活動などに精力的に取り組む姿からも予測できます。

 ダビデや曹操孟徳、織田信長といった才能ある個人主義者に、世の中の発展のために尽力する行いが見られたのも、共同体発展欲求によるものといえるのではないでしょうか――。




【出典】「ORICOM」「日本総研」「ガイアックス」「ひとの欲求段階」「動機の段階説
    「マズローの欲求の5段階説

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