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DREAM/ING 111

私の中の「ま、いいか」なブラック&ホワイトホール

ネットについて考える★mixi(ミクシィ)について考える

2006-10-14 | ブログについて考える
ミクシィのアカウント 「いきなり削除」で大混乱
ミクシィ(mixi)の自分のページ(アカウント)が警告もなしに、いきなり削除された。こんなカキコミがネット上に氾濫している。削除された側は何が原因かわからず、「魔女狩りを始めたわけですな」などいう見方も出て、大混乱になっている。削除数は相当な数になっていると見られ、当の「mixi」内にも『mixiさん!ユーザの声を聴いて!』と、削除理由を問いかけるコミュもできている。

このところ、ミクシィ関連のマイナス情報が立て続けに露出しています。
今回(悪夢のような)個人情報漏洩事件※がやり玉にあがっていますが
今までもミクシィでは多くの個人情報漏洩があったと思います。

ミクシィが上場する時、事業展望の見えなさ加減に、それでも超高値がついてしまうマネー・ゲームな世界に、ちょっと唸ってしまいましたが、一番の資産である参加者をないがしいろにする行為が、事業展開に影響しないはずがない、と思います。

mixi勉強会参加者が考える株式会社ミクシィの強み、弱みとは

個人情報を本名登録推奨したうえ、足跡追跡機能やコミュニティ機能、レビュー機能等、強力な出会い系(アダルトサイト的ではなく、ポジティブな意味で使っております)機能を売りにしてるのなら、そうした個人情報関係の人間関係のトラブル回避ノウハウの徹底は、超前提だと思うのですが・・・。

視点変わりますが、オークションサービスの、ビッダーズがヤフーに迫る勢いで成長したのは、手数料含めた後発マーケティングの実践が最大メリットでしたが、規約の整備やトラブル対応力の高さも大きかったと思います。(当時多くのオークション参加者がヤフーと比較して評価していましたし、ネット&オークション初心者やサラリーマンの参加者が圧倒的に多かったと思います。。)
今はかなり機械化されてしまったようですが、当初は評価の高い参加者から積極的にトラブル情報を聴取していました(経験あり)。また対応メールも個別対応で、手書き感覚のものも多く、場合によっては許可を得たうえで、担当者から電話がかかってくることもあったようです。
もちろん単純比較はできませんし、オークションはお金が絡むので詐欺行為等犯罪要素も高い。ただ、数字的にみる限り、本腰をいれてやろうと思えばできないことではないと思います。

ミクシィ参加者:500万人(増加傾向)
ビッダーズ総出品数:2,268,556品

会員を増やしたいのか、安全なSNSを売りにしたいのか・・・
残念ながら、招待制度によるふるいわけがすでに機能疲労している現段階で、
&ネカマチェックもできない状態で、安全性を売りにするのは無謀かと。
ただし、株価の裏付け=市場期待がその顧客ボリューム(と勘違いされているもの)にあるのなら、烏合の衆含めて受け入れざるを得ない。
必然的にセキュリティやトラブル対策のためにお金をかけざるをえない。
メディアリテラシーも率先して行っていくべきポジションなのでは。
それは規約をもとにした一方的な削除ではないと思います。

この自己矛盾をどう解消していくのか、
危機的状況をビジネスチャンスに変えられるのか・・・
ある種の選民対策が、ユーザー含めたステークホルダーに
最終的にどう評価されるのか、しばらく動向を見守りたいです。

参考:
ミクシィ500万人 「ネカマだらけ」説

関連記事:
ネットについて考える★ネット人口の増加=トラブルの増加?



※個人的にこの事件のことを記事にする度に、かえって風説流布に加担してる
カストリ雑誌感覚になってしまう・・・そして、実際にそうかもしれません。
どうしても個人情報に触れるし、今回はまったく事件性には関係のない第三者が巻き込まれているだけに・・・。
なんだかねー、最近記事を読んでいて、女性週刊誌系&ウワサ系情報のたまり場か、と思う時があります。私の記事もそうですが・・・(大汗;。
リアルではゼッタイ読まないのに、なんで反応しちゃうかなぁ<ジブン

誰にも誰かを裁く権利はないし、正当な理由や根拠なしに批判・非難はできない(法的にも社会的にも世間的にも)。
せいぜい私見を述べる程度。
すべて限られた情報源に基づく、狭い世間での個人的見解にすぎない。
本名ではない安全性の隠れみのを纏って声高に世直しを叫ぶ、
それはある時は、非常に有効&有用なポジティブリンクも生み出すが
あくまでソースの質を見極めないと、下手をしたら誤った情報操作の
片棒を担ぐことになる・・・
すべての記事やコメントは、書く自由・権利と同時に、自己責任を負うことを
常に心しておきたい、と何度でも改めて思います。
・・・情報ソースを見極めて、勘違いしないようにしなくては。(自戒)

※※「邪魅の雫」の影響大きい。恐るべし京極堂。伝説と世間話、社会と世間・・・人間の情報受信スキルの脆弱さ、思い知りました。
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ネットについて考える★ネット人口の増加=トラブルの増加?

2006-10-10 | ブログについて考える
Ken様から記事ご紹介いただきました。
mixiの安全神話の根拠のなさが非常にわかりやすくまとまっているので、TOPに追記させていただきます。
あげられている事例は最近のもので、画像流出によって1人の若い女性の人生を狂わせたものもあります。
でも誰にでも起りうることだと考えたほうがいいと思います。

mixiは初心者にネットを勘違いさせる「ゆとり教育」(釣堀.net)


ブログが、というかネット空間が世界に向けて開かれた存在であることを、忘れてしまうブロガーはまだまだ多いようですね。
コメント欄でも、たとえばブログ主とone to oneな書き込みに見えても、メンバー制等のクローズドブログサービス等を利用するのでない限り、ROMは通常行為であり、常に見えない第三者が存在している。
逆にいえば、そのオープン性・参加の自在性=まったく見知らぬ第三者とつながれることがブログ・コミュニケーションの魅力だともいえると思います。
そうでなければスタンドアローンなPCで日記他のログ保管レベルで充分な筈だから。

個人ブログで「悪口」 それはもう危険なのだ

ウイニートラブルで、mixiの個人情報流出が止まらず、株価も大暴落しているようですが、危機意識が低すぎるのは明白かなぁ、と思います。ネットはリアル空間ではない分、情報流出経路も範囲も広大で、トラブルが起るまではなかなか自覚できない。そのブラックボックス性を自分都合のみで解釈し、自分の価値観だけで対応しようとするのはムリがある。


一方で、トラブルになりやすい環境や状況に対し、たとえば参加者が指摘する、という行為がなかなか馴染まない(アドバイスや指摘がアダになるケースも多々ありますね)。これは日本人の「いわなくてもわかる(わかってほしい)あうん的」同質化コミュニケーション志向も影響しているのかも。
ただ、対象が世界となると、それはあまりにも井の中の蛙方式かと・・・。
(と、まったく他人事ではなく、私自身も要注意なわけですが)

ネットでのモラル、リテラシーの必要性も様々な場面で叫ばれていますが、なぜか「ネットだから」と、意識がリアルよりも低くなる大人も多いのに驚くこともあります。リアルでは決して口にすることはない単語や表現を記事やコメントに書いてしまう・・・それは確かに個人の自由ではありますが、ネットにつなげた瞬間からそこは「個」の空間ではなく、世間と社会の中にいる、すべての行為は自己責任が伴うものであることには常に自覚が必要だと思います。(自戒と自覚をこめて)

今回は企業や組織(学校含む)にとっての、ネット・リスクマネジメントの新たな認識と整備を求める内容となりました。派遣社員やバイト、パート、一時的な雇用含めて、ネットでの従業員教育が早急に求められますね。

自己防衛を考えるのなら、最低限でも
・個人が特定される可能性のある記載は極力載せない(エリア、勤務先等含むプロフィール情報、写真など)。
・お店情報・商品名等、具体名を出す場合は、書き方に注意をする。
・曖昧な表現・誤解を呼びやすい表現は避ける。
・第三者がみて、理不尽さや不合理さ、また不愉快を感じる可能性のある文章は、書き方に注意をする。
・トラブルがおこった場合を想定し、対策をこころがける(クレーム処理ノウハウ等)

が必要かと思います。

何度も記事にしていますが、記事を書くうえで基本姿勢として、
「情報は自分が思ったままには伝わらない・伝わりにくい」「(特に情報環境が異なる場合)そうそう簡単には理解しあえない・してもらえない」ことを前提としてふまえておくことが必要かな、と思います。(これは「相手を信頼・信用していない」からではなく、人間という認識主体の構造上の特性として)
関連記事:
ブログについて考える★書く、ということ。
ブログについて考える★ブログのトラブルについて



ちょっとブログ含めたネットトラブルで、私自身が得た・見た・経験したものをまとめてみました。

●祭り/炎上
個人/企業によって炎上の原因や内容は異なりますが、ブログ閉鎖やSNS退会に追い込まれるケースが多いようです。
個人の場合は、結果的に個人情報流出につながるケースもあるようです。

・「身銭切れ」心臓移植希望の女児支援HP、中傷相次ぐ

・ドコモPR用「SNS」 10日で「炎上」

炎上ブログより
・植草一秀氏を応援するブログ
・乙武洋匡オフィシャルサイト
・岩手県内にある大学の元水泳部員の男子学生による皮膚病患者中傷&不来方祭BBS
・上村愛子オフィシャルブログ

Wikipediaより
・記者ブログ炎上事件
・エアロバキバキ事件
・きんもーっ☆事件
・江ノ電バス事件
・ソニー宣伝ブログ事件
・経済産業省部長事件

●個人情報流出 ※多発しています。

・Winny (ウィニー)による漏洩問題
・企業・組織からの個人情報の流出
・mixiでの個人情報流出
画像(エロ画像含む)、実名・住所・勤務先等々

●メールトラブル
・ウイルス感染
・個人情報流出
・送信ミス
・コミュニケーショントラブル 等

●ネットオークショントラブル
・詐欺(出品者・落札者共)
・出品条件を読まない・自己解釈した落札/出品条件を曖昧化・落札後条件づけ等の取り引き条件変更。
・子どものIT教育感覚での参加/子どもによる落札ミスとキャンセル
 ヤフーオークションで子どもが勝手に高額落をし親がキャンセル。この親の場合、しばらく落札通知を無視していたようで、トラブルは大きくなりました。保護者である自分の責任が自覚できていない例。

こういうケースはブログやサイトでも初心者問題と絡んで多発していそうです。
他にも詐欺を含め、ネットオークションは決して安全地帯ではない自覚が必要です。
(※私は5年前に一度ヤフオクで詐欺にあっています。当時、警察の対応が本当に遅くて、また先方のIT知識のなさに参りました・・・。今は少しは改善されたのかなぁ・・・)



上記は目立った動きですが、プロフィール含む個人差、知識・経験やボキャブラリの違い他、様々な情報差・感覚・認識差が、コミュニケーションの行き違いを生み出し、もめ事になってしまうケースも多いと思います。これは交流領域(エリア、年齢等)が広く、リアルより対象にアプローチしやすく、かつ文字情報基本で交流するネット空間では、リアル以上に起りやすいのではないかと思います。

そして、ブロガー間では個人的な対立のつもりでも、経緯を見ている第三者が介入し、一気に問題が大きくなるケースも増えています。善意の応援コメントのつもりが書き方の不備から他者を巻き込むトラブルに発展し、ブロガー自体に問題がないにも関わらずブログ閉鎖にいたるケースなどもあるようです。

開かれた空間だからこそ、web2.0的知識集約というか、公平な介入・ジャッジメントも期待できますが、コメント対応に疲弊し、ブログ継続へのモチベーションを保てなくなる場合もまた多いようです。

よくよく考えればこのgooブログでも、新規ブログは増加し続けている。これは他のブログや今後企業の本格参入が見込まれるSNSサービスでも同じでしょう。つまり、ネットの若葉マークがどんどん参入している状態。そのうえ一般的に人口が増えれば、価値観もその分多岐化し、トラブルは起りやすくなる。様々なリテラシー啓蒙系ブログも増加してはいますが、そうしたものが一番必要なターゲットにはなかなかアクセスしがたい部分もあるように思います。
このあたりの新人対策は、以前から書いていますが、ブログサービス主体自体が、もっと意識していくべき部分だとも思います(ネットやブログの危険性をうたわなさすぎ)。

その他の関連記事:
テイスト・オブ・ハニー (炎上に関する記事紹介)

ブログについて考える★「炎上」はリアル飛び火が一番問題では?

ネットについて考える★YOU TUBE極楽・山本事件×亀田騒動に見る「祭り」の構造

ブログについて考える★記事vs.コメント
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文字の力学/ことばのちから・2

2006-09-21 | ブログについて考える
ブログを回っていて、偶然、お二人のブロガーが
言葉に関する記事を書かれていました。
とても印象に残ったので、
紹介させていただきます。

言葉のたいせつさ (体の地図づくり~踊るためのあれこれ~ )

attitude様はバレエを教えておられる、とても美しく素敵な女性ブロガー。
深く豊かな感性で言葉を紡がれる方だと思います。
生徒さんもごらんになっていらっしゃるブログなので、
部外者としてROMが圧倒的に多いのですが、
言葉に向きあう記事が多く、心に残る一言も多いので
仕事に迷うとこっそりお邪魔することの多いブログでもあります。

ショックな言葉 (京女のハマリゴト)
※コメント欄も注目です!

よくご参加くださっている京女。様(いつもありがとうございます!)。
プロの(美人♪)ライターである京女。様の書かれる言葉は、
風景を切り取っても、生活を切り取っても、それが映像のように
活き活きと息づいているのが本当に素晴らしい。
この記事は今、問題になっている言葉の暴力を、お子様視点もふまえて
書かれていて、子育て中の方にはぜひ読んでいただきたい内容です。

=================================

最近、炎上問題等でブログにおける言葉の暴力についても
ずっと考え続けていたのですが、
こうしてきちんと「言葉」に向きあうのは、とても大切なことだと思います。

私自身は、言葉を使う仕事をしながら、
いわゆる汚い言葉も文字通りヤバい言葉も使ってしまう雑食・悪食。
でも、言葉の大切さは身にしみて感じています。

以前、水の結晶が言葉に反応する、という記事を書きましたが
動物でも植物でも、キレイな言葉は嬉しいし
悲しい言葉や怒りのこもった言葉は、
やはり同じようにつらく悲しく感じると思います。

ブログで飛び交う言葉も様々。
匿名性や閉鎖性が生み出す、心のない言葉も増えています。
マイナスな言葉・一時的・感情的な言葉は、
思ってもみないネガティブリンクを引き起こす場合もある。
ネットで一度リリースした言葉は、自分では取り戻せず
永久にネットワールドに残っていくから、本当に注意してもしたりないかも。

何が相手の傷になるかはわからない場合もあるけれど、
絶対に傷つけるのがわかっている定型の言葉(「死ね」とか)は、
使う前にもう一度、自分に問いかけた方がいいかな、と思います。
使った瞬間に確信犯な悪意が発動するので。
(誰かを傷つける言葉は必ず自分を傷つける人間の主観的脳構造。
 それを「呪い」といいます。その反対が「祝い」。)

ただ、あんまり考えすぎて、語るのをやめちゃうのはまたもったいないので
できればポジティブリンクでやっていければいいですね。
&独り言でも、記事にして発信した段階で、それはメッセージになることを
心してブログ参加していきたいと思います。
まだまだ力足らずだけど、こうして皆様の記事と、
言葉と出会えることそのものが言葉の力だと思う。

このブログには、今までたくさんのかたにご参加いただき、
本当に素晴らしいコメントが宝物のようにちりばめられていて
そのままDREAM/ING111の財産となっています。

中にはコメントに眠らせておくにはもったいなさすぎる
記事として通用する内容も多々あります。
また時間をかけて、そうしたコメントも取り上げていければいいなぁ、と
思っています。

最近、(自分的には)独り言が多いですが、
またみんなでわいわいできる企画もやっていきたい、と思っています。
コメント交流は常に私のエネルギーの素であり、糧でもあり
記事によってはメインディッシュです。

私は、
キャッチボールがしてみたいです、
あなたと

(BY夏美さん『結婚できない男』最終回予告編より)

コメント交流もキャッチボールだと思います。
いいキャッチボールできるといいな、あなたと♪





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文字の力学/ことばのちから 

2006-09-15 | ブログについて考える
■仕事人としての「言葉の力」

私のように、「マーケティング・プランナー」という
ある種の思いや願いを集約して、クライアント向けに整え、
ビジネス視点に翻訳する仕事を長年していると、
言葉に関して麻痺してくる部分がある。

“こう書けば、こう動かせる(こう動く)”暗黙のライティングルール。
最近はコーチング人気にはじまった「人のモチベーションコントロール」が、コールドリーディングというけっこうヤバめなノウハウにまで落とし込まれていて、個人的には好きではないのですが・・・。
ガチガチなノウハウには「私」が介在する余地がない。持論ですが、すべてのツールはユニバーサルデザイン・デフォであると同時に、個々人のクセを吸収できるセミカスタムメイドであるべきだと思います。それは表現ノウハウにおいても。

いわゆる定石としての企画書の書き方があり、説得(攻略)方法がある。
後は相手によって、それをどうアレンジして、相手仕様に変えるか。
ここでこう展開して、こう落とそう・・・。
クライアントもまた「こうきたか」「うちのこと(僕のこと)をよくわかってるなコイツ」という心理的かけひきの中で、接点(事業的・資金的・人材的・タイミング的)を作っていく。

企画書は文字で書いて、プレゼンで言葉化する。
上記視点から、できるだけ相手に染み透る表現を選ぶが、
後に残ることを考えれば、
基本的には「企画書のみが独立して理解されること」が最優先される。

『プレゼンと企画書は別フェーズだから、
プレゼンは企画書を見ずに行え』というのが
代理店で叩き込まれた手法だが、
私自身はけっこう企画書の「書」にこだわるプランナーだと思う。
そして、そういう部分を評価していただいて、お仕事を頂戴できている、と自負している。

ただ、「言いたいこと」は自分としては正しくても、
それを言うための手管自体にかかる時間と手間が
「思い」を劣化させることもある。
また、何度も調整しているうちに
妥協せざるをえないのも、仕事の言葉の宿命だと思う。
(とても残念で力不足を痛感するけれど)


■ブログにおいての私の「言葉のちから」

思いをすぐに「言葉」に変えられる、
そしてそれを、そのままの形で受け止めてくれる方々がいる。
ブログは私にとっては、一種のリハビリだったんだな、
と、今になって気づきました。
文字と言葉。
ブログに書かれる様々な表現はやはり言葉だと思う。

mixiでクライアントにコメントをつけたり、
情報交換をする毎日の中で摩耗した私の言葉が
最近暴走気味に溢れだしています。
(3つもブログ作って、パニックになってますが;でも楽しい♪)


■私の「ことばのちから」

けっこう自分としては凄い決断かも、だけど
もしかしたら、お仕事を長期休養するかも。
出産直前まで企画書を書き、出産後も入院していた息子を見舞う以外は
企画書を書いていた(これは現実逃避があったかも)私、
大学卒業してからずっとなにかしら仕事をしてきた私としては
んとに画期的なことなんですが。

心が疲れた状態では、世の中をよくする提案はできないから。
私はマーケティングで世の中をよくしよう、と思ってずっと仕事してきたし、
できると信じています。
(原発とカードローンの仕事を断り続けてきたのも、自分が×を
出したものは仕事にはできないから)

だからこそ、心の栄養補給が必要かも。
贅沢な願いですが、死ぬまでこの仕事を続けたいので。

うーん、こんなことここに書いたらヤバイかな?

でも書きたい。(笑

好きな本を好きなだけ読んで
好きな場所に好きな時に行って
好きな人と好きなだけ語り合いたい。
今は時間&空間の制約が大きすぎるから・・・。
(今の状況も、自営業っすから、
なにもかも好きでやっていることだけど;;)

これが私自身を動かす私の今の「ことば」の力。

※漢字は集約する、ひらがなは拡散する。
 そんな印象。文字の力学。


あ、長期休暇するのはお仕事だけで
ブログ、というかネットは極めたいと思ってます。
それが次の仕事の糧だからさー。
(えへ?お仕事は私の一部だから)

てか・・・マーケティング・ブログを
本腰いれて作ろうかなぁ。
営業兼ねて♪<オイ!

さて、都合の悪い記事を削除しないルールを課して
ブログ開設以来、トラブルの記録も公平に公開してきた私ですが
さすがに、たまにものすごい自己嫌悪に陥ります。
で、こんなに自由に書いてると、きっと「あー、んなこと書かなきゃよかったかなー」もあると思われ。

で、自戒。

沈黙は金。


追記:
■ブログとメール

前々から思っていて自分では実践していることで、数名のブロガーの方には、お話したこともある持論ですが、ブログではできれば、メールはご法度かなぁ、と。特にコミュニティそのものや他ブロガーに関するトラブルは、できるだけブログで解決したほうがいいと思います。※緊急事態等の特別な場合をのぞきます。
ブラックボックスは少ない方が、コミュニティ交流には支障がでないので。
(ここでいうコミュニティは常連ブロガーの参加率の高さによる、密度高い交流を指します)

メールはオープンなブログワールドで「影」を作りやすい気がします。
「裏表」は人間のデフォで、相手への配慮も含まれるとは思いますが、
根拠の希薄な悪意や個人攻撃は、
過剰防衛としか思えなくて私は拒絶反応を起します。

あとメールってONE TO ONEの関係になるから、親密度が増す錯覚が起きやすい。
「信頼してくれてる」「頼られてる」とか思い込むと、相手の意図以上に頑張ったりして私のような暴走系の場合、かえって相手の計算外だったりで、トラブルのもとにもなりやすい。

言うほうも「メールだから」と安心して、モラルハザードが起りやすい気がする。本当はそこまで思ってなくても、つい大げさに書いてしまう相手へのサービス精神というのもあるらしい。人間心理は難しいです。
でも一度送信した言葉は永久に残る。
場合によっては「そういうことは聞きたくない」という拒絶も重要だと思います。あなたにとって少しでも相手との関係維持を願う気持ち、つきあう価値(打算的に聞こえるでしょうが、あえてこの表現)がある場合は。

ブログはオープン空間なので、たとえ見た目がONE TO ONEでも、必ず誰かが見ている。心ある参加者がいれば、間違いは正される率がメールよりは高いと思います。(行きすぎて炎上するのは、かなり違いますが)。
そして、積み重なったコメント交流こそ、ログという形式をとるブログならではの
「関係」の記録でもあると思います。




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ブログについて考える★私とブログのわけがあってなさそうなつきあい方

2006-09-14 | ブログについて考える
1年間ブログをやってきて、他の方の記事等で、こういう記事を書けば、こういう反応がある、という大体のトーン(味付け方)がわかってきて・・・。
で、コメントいただけるのがものすごく嬉しいし、自分の思考活性にもなるので、段々そういう記事ばかりになってきていたのですが、やりたいこととと書きたいことが時間的・スキル的にうまく噛みあわなくなってきたのが1周年前後。で、更新ストップして一応仕切り直して。で、1ヶ月たって、また気持ちが変化している自分がいます。

そういう自分の気持ちも含めて、こうして言葉に残せるという状況を、自分として獲得できたというのは、ある意味、かなり自由度が増したんだねー、と、我ながら感心したり(感心するとこなのかどうか、という疑問はさておき<おくな!)。
すごく楽になってきたというか。
コメントは、私のブログの糧ですが、そこに求める「私というブロガーの他者への存在価値」みたいな意識が希薄になってきて、もう一度書きたいことを書く・書けるモードになってきたというか。(表現スキルはさておき<またか!)このあたり、最初に戻るというよりはスパイラルアップしたイメージで。

それって「いい悪い」ではなく、単純にそういう時期なんだろうなぁ、と思います。

なんというか、記事・コメント・レス・ROM、ありとあらゆるものから情報&交流エネルギーはもらえる。そういう変換効率がよくなってきたのかも。
自分だけでなく、他者への関わり方を含めた気持ちの変化が綴られていくのが、今は面白い・・・。これもまたコミュニケーションの記録なのかもしれません。

んなこといちいち考えてブログしてる方って、そんなにおられない(・・・おられます?w)と思うので
読まれた方は戯言としてお聞き流しくださいね?
私はどうも情報力というか「思考」化大好き野郎で(思考化の定義も曖昧っすが)、自分の考えもこうして一度外において(文字化して)、もう一度飲みこんで咀嚼しないと、自分のものにならない、んとに効率悪いヤツ何だナー・・・と。嫌いじゃないけど(オイ!

DREAM/ING666は、疲れた時にきて、好きな映像をみて、リラックスしたり元気になったりするブログにしたいなぁ、と思って立ち上げました。
で、毎日入り浸って、にやにや・うっとりしていますぅ~♪<きモイ!
いきなり立ち上げたブログですが、多分ずっと作りたかったブログでもあります。
同じ趣味の方がふらっと参加してくださって、私へ、というよりは自分のために、コメントを残してくださったら最高に嬉しい。一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

たまに1人でぐだぐだやってますが、ブログに書けることは、実は全てではなく、書くという行為の中で、新しく発想したり・自然治癒したり・ベクトル転換したり・思考変化したり、起る科学反応の、ある時点での記録にすぎない、とも思います。

書く、というアクションはある種の観察行為であり思考停止行為でもある。

コメント交流は、そこで止まった思考の科学反応を、再度別の形で別の媒介が入ってリスタートするのが、ドキドキ・わくわくと面白い。
レスで自分でも思ってもみなかった反応が出た時、私ってこんなこと考えてたのか、と思ったり、あぁ本当に書きたかったのはこっちだ、という思いになるのは、記事以上にコメント欄だったりします。
これは他の方の記事を読んで書かせていただくコメントでも、同じ部分があるけれど、自ブログの方がより落ち着いて考えられる自我フィールドだと思います。

今もってコメント交流はブログのコアの価値だと思います。

ただ、今しばらく形式的なコメント重視記事から離れて、自分と向きあう期間で遊んでいたいかな、と。

不思議なもので1年前のブログを見ると、やはり思考深耕型の記事がこの時期に多い(そういうブログやブロガーに出会えたことも大きいですが)。そして冬から春にかけてたくさんの参加型記事を書いています。またそういう流れになっていくのかな、と今は自分でも自分の行動を半分わくわくと、半分ドキドキと、意識したりしなかったり(どっちだよ)。

うーん、ブログって、書くことって、面白い!!!
仕事の(mixiにかけられた)呪縛からやっと自由になってきたのかも(ヨワヨワ;

小学生の時、アスランと世の中や人間について語り合った私を、
思い出す、というか近くに感じる。

お帰りなさい、私♪
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ブログについて考える★「炎上」はリアル飛び火が一番問題では?

2006-09-04 | ブログについて考える
ネットイナゴ含む最近の書き込み傾向について考え続けておりまして
激貴重なご意見もいただいて、ますますはまってるわけですが。


ネット時代の新潮流――CGMとは(6)
なぜ起こる? 「炎上」の力学

情報リテラシー系の記事で「炎上」の考察です。こういう記事がいちおうのマスメディア(『ITメディア』がマスかどうかは微妙ですが;)で取り上げられるのは、情報ソース(判断ソース)としていいことだと思います。
が、中味を読んでみるとまだまだ認識が甘い気もします。
以下、青文字は記事抜粋です。

私は炎上を、度合いに応じて3つに分けて名づけています。(1)炎上した結果、再び元の状況に戻る「小火」、(2)コメントやトラックバックを閉じ、一方的に情報配信するだけの「1.0型メディア」となってしまう「半焼」、(3)管理人が耐えられなくなり閉鎖してしまう「全焼(または焼け落ちる)」です。

ネットでの炎上はネット空間だけで終らず
リアルに飛び火し、炎上対象ブログの実生活まで炎上させてしまう
場合があります。(退社や転居にまで追い込む)
全焼どころか類焼、そうなるとブログ閉鎖では済みません。
それが一番深刻なんだと思うんだけど・・・。
企業に関して言えば、製品ボイコットとか、該当社員のクビ切りとか。

炎上と混同されやすい現象として「荒らし」があります。これはサイトの運営を妨害するだけの目的のもので、私の定義では、炎上により発生する反対意見や批判的な意見とは異なるものです。

炎上とアラシを分けていますが、炎上してるうちに
アラシを呼び込む場合もあり、単純に区分はできないかと・・・。
(個人定義だと明記されておられるので、問題はないですが)

反対意見や批判的な意見は、あくまでも貴重な意見であり、妨害ではありません。それを勘違いして荒らしと決め付け、切り捨ててしまうことは、ブログやSNSの目的である情報発信を放棄するに等しいことであり、さらなる炎上を生むか、受信者から見放され、誰も見ない個人的な秘密の日記のようなものになり果てるでしょう。

や、「反対意見や批判的な意見は、あくまでも貴重な意見であり、妨害ではありません。」には部分的には賛成もしますが、これは個人差もあるだろうし、ブロガーの自由裁量だろうなぁ、と思います。切り捨てる自由も、ブログ閉鎖する自由もあるわけで(当然、不評をかう覚悟は必要でしょうが)。
で、個人的には「誰も見ない個人的な秘密の日記」もありだと思います。

無数のコメントを全体的にとらえて一つの総意を汲み取り「みんなの意見は案外正しい」的な感覚で真しに受け止め、正しいと思うことは貫き、間違ったことは謝罪する誠実な態度が重要だと思います。

は賛成。ただ「無数のコメントを全体的にとらえて一つの総意を汲み取り」はけっこう難易度高いとは思いますが。また、中には総意扱いを嫌う参加者もいるかと思いますが。

炎上しないための心得
●どんなブログでも、きっと誰かが見ていると意識する
●誤りがあったらすぐに謝罪
●やらせをしない
●都合が悪いことを削除しない


ものすっごい基本中の基本だけど、わかっていない方もいるかも、だから
こういう情報も必要なんでしょうね。
4番目は私も心得にしています。
ある種の証拠隠滅のような記事やブログ削除に関しては、個人的には反対です。
ただ、中には粘着系のアラシもいるようなのでケースバイケースですが。

炎上とまともな議論(定義に個人差あるでしょうが)は私は別物だと思うので、
この記事に賛同はしかねます。

参加者の反論や別意見を含むコメントはものすごく重要だと思うし、議論を重ねることでの相互理解化はネットでもリアルでもコミュニケーションの第一義だと思いますが、それはあくまで、相手の思考が見え相手にも向きあう姿勢があってのこと。

たとえば炎上でなくても、向きあう姿勢がない相手を相手にすることは(ややこしいな、おい)なかなか難しいと思います。
で、ほとんどのケースでは、んな暇や手間かけるよりは、「次行こう!」の方が広大なネット空間では有効だと思う。

で、炎上の場合はそうそう簡単に「次行こう!」にならない、
ということを、
下手したらリアル閉鎖もありえることを心しておくべき
かと思います。

てか、このあたり、もっときちんとしたデータと、それに基づき、また今後起りうるトラブル予測も含めて体系化された「炎上&アラシ対策集」はマジで必要だと思います(個人的にも欲しい!)。

=================================

さて、ちょっと本論からはずれますが、「ブログの閉鎖」について。

まず前提としてですが、ブログ閉鎖そのものはブログのあり方の1つであり
移転含めて、決してマイナスなものではない、ということは
押さえさせていただきます。
また基本はブログ主の自由意志と自己責任だと思います。
だから上記記事の「閉鎖は絶対してはいけない」というトーンには反対します。

以下、トラブルによる「ブログの閉鎖」についてです。

「ブログの閉鎖」はブログ考察系ブログでよくとりあげられるテーマですし、閉鎖での加害者・被害者問題(どっちがどっちか)も掘り下げた考察・議論がなされてます。
一般的にブログを閉鎖する場合は、ブログ主に閉鎖理由があり、それを明記して周辺理解を得てから閉鎖されると思いますが、トラブルの場合はそれがない場合も多い。
多くのパターンがブログ主がトラブルに耐えきれず(炎上含みます)、閉鎖するパターンが多いと思います。
特殊なケースですが、有名ブログを閉鎖させるのが好きな「閉鎖マニア」や、自ブログ閉鎖で相手ブロガーにダメージを与える(周辺批判を煽ったり、同情を誘導し、相手ブログの閉鎖を誘う等)のを狙うというマニアもいるらしいので要注意です(そういう、他者を動かす快感ってのは理解はできますが・・・。てか先日来考察を続けているネットのダークな「快感」って、実は突き詰めればそれに尽きるのかも?※要考察)。
関係を作ってはそれを壊す一種の「閉鎖癖」というのもあるらしいです(村上春樹のひっこし癖にも近いような・・・)。

個人的には、閉鎖に限らず、ブログのトラブルって全体論ではなかなか語り尽くせない、と思います。
結局、それまでの情報交流や向きあい方を含む、ブロガー同士の関係性が重要なんじゃないのかな。きちんと向きあっていれば、1つや2つのトラブルで壊滅的な状況にはならないし、周囲を含めた自浄機能や関係修復機能が発動すると思います。
もし大きな問題になるとしたら、もともとの関係性にムリや嘘があったのか、そこまで重要な関係ではなかったということでしょう。
※これはリアルも同じだと思いますが、顔がみえず、虚偽含めて交流しやすいネットでより多く起りうる、と思います。「ブログにそこまでの誠実さや真摯さをはじめから期待しない」という方も多く、個人差の大きな部分だとは思いますが、私は「(自覚の有無とレベルはあるにしろ)人間関係への期待ゼロでブログ参加してるブロガーはいない」と思っています。

いずれにしても、ネットも「人間社会」である以上、ブログの閉鎖は個人の自由とはいえ、閉鎖責任は生じると思います(運営&管理責任の一環として)。そしてこちらは感情論もはいりますが、周辺への事前説明がない場合、後に残される参加ブロガー達(すべてが敵対する場合を除き)が存在する、ということには一応の配慮が必要だと思います。
今までたくさんの閉鎖(疑似閉鎖・更新停止)を見てきて、少なくても自分が閉鎖する時は気をつけたいと思っています。

で、炎上の多くは、そうした関係性がない場合に起っているように思います。

「ブログ閉鎖」はこれまでも何度かとりあげており、皆様からも体験談等非常に貴重なご意見や情報をご提供いただいております。リテラシー的観点も含めて、一度体系的に記事化したいテーマです。
追加情報含めて、皆様のご意見・ご感想お待ちしています。
いつものことですが、反論も歓迎いたします。
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ネットについて考える★「世界」のゲーム化・1

2006-09-03 | ブログについて考える
■リアルのゲーム化

このところ、zippa-zappa様<とのコミュニケーション考察での
コメント交換で、いろいろと思考刺激を受け続けております。
まとまりがないのですが、でも残しておかないと流れてしまいそうなので、
現時点で思ったことを思うままにログ化しておきたいと思います。

大幅に編集していますので、zippa-zappa様の主旨とは異なるかもしれません。
興味のある方は元記事をご参照くださいませ。
なお記事とコメント・レスを同等扱いとしております。
(zippa-zappa様、問題あればおっしゃってくださいね?)

・・・と、こういう好都合主義な再編記事そのものもゲーム化を進める要素なわけですが・・・。
=================================

「戦争」についての考察メモ

N :最近のネットの意見って、
ゴーストの希薄な、並列化された義体のように思えることがある。
けっこう情報密度高くて、多角的考察に見えても結局ソースが1つだったり。

Z:ネットでの議論を見ていると、情報レベルで論破していくというのが多い気がします。
「論破」することが目的の情報収集合戦にも思える。
本当は、靖国とか、戦争とかどうでもよくて、議論して勝ったと思える快感が欲しいだけなんじゃないかと。

N :うーん、これは非常に鋭いですね。
一種の「情報ゲーム」ですね。
それ自体はいい面も持ってるのでしょうが、
そこに人間の本質的な快感欲求(残虐性含む)が絡むと
様相が変わるような気がします。


密度と凄さ

Z:情報は凄いんだけれど、なんか知性というか、情報を統合して、抽象化した思考が感じられなかったり。

N:きっと絵で言えばCG的には凄いけど、それって、8割まではPC任せだよね、みたいな・・・。
はてなやグーグルがますます知識共有化&自動編集効率を高めていく時、知識のレプリカをいくつも見ることになるのかな、と思います。

Z:素材を切って貼るのではなく、どろどろに溶かして、固めて、形を作って、削って、また溶かして…という作業が必要だろうなと。
単なる、ブロック遊びより、粘土遊びの方が面白い。

映画論から三段跳び

Z:同じ映画を観ることはできない。
こういう趣旨のことを、以前から、押井守が、言っている。
たとえ、映画館で同じ映画を並んで観ていても、認識として現れている映画は、全く違うものだろう。
また、一人の人間に着目しても、1度目と2度目では、異なるだろう。
(中略)
結局、全ての、広い意味での情報は、変容しながら流通している。

N:人間という認知機関はその不完全な再現性ゆえに
「個」としての意味をもつ、逆説的な場合もあるのかも。
というか、これってまさに人間が1代限りの生と引換えに
遺伝子のバリエーションを選んだのと同じ一緒のフラクタクル構造
みたいに思えました。



上記を思考ソースとして、以下、なるもにあ私見。

本来、人間は差違を持って生まれるように遺伝子自体に仕組まれ
無限の可能性を試すべく、決定づけられており、
いくら外部記憶装置がネットワーク化されている、といっても
最終的に認知するのが、個人のスタンドアローンな脳内消化で
ある限り、すべての情報もまたスタンドアローンであり、
「全ての、広い意味での情報は、変容しながら流通している。」
はずなのですが。

最近のネットコミュニケーションの傾向である
●情報の即時共有化・思考の並列化
●PC任せの二次以降情報の(見た目)多角的な自動編集・コピペカルチャー

が、コミュニケーション空間そのものを虚構化させ、ゲーム化させ、
結果的に一種のディベート感覚の勝ち負け重視の「快感」志向に陥ってる、
もしくは細部の区分にこだわりすぎている
という感じが強まっているように感じます。
ネットイナゴにいたっては、議論ではなく、記念コメ状態だったり。

自分で思考しているように見えて、その実、
情報ソース次第でどうにでも扇動される・・・。
もしくは自ら「情報ゾンビ」となってわざと操られる・・・。

自己埋没ゲームを楽しむ、同じ言葉を操るネット部族。
「魂は細部に宿る」のか?それではまるで「ヒトガタ」のようだ。

すでに全ての思考が&現象がゲーム化しつつある。
マルチエンディングではあるが、あらかじめ結果が書き込まれたゲーム。

マスコミも個人も思考停止して慣性の法則で動いているように見える。
エッシャーの関係性のように裏表でつながりながら・・・・。
お互いイニシアチブを取っているつもりだろうが、
お互いのしっぽを喰らいあってつながっているヘビのように
そこでは変化の予兆も進化の可能性も見ることはできない。

世界が自らの情報の重力で内側に沈みはじめたら
全てが加速的にブラックホール化していくのだろうか。



こういう文章もまた思考ゲームにすぎないわけで。
そうした全般的なゲーム化が悪いのかどうか・・・。
それもまたコミュニケーションのある種の進化と変容と
いうべきなのかもしれませんが。

でも、「私」たちが個々に相手のしっぽをくわえるのではなく、
情報をゴクゴクと飲み込んで、精一杯咀嚼して、
こうして自分の言葉にして語り続けるしか、思考の形はないという気もする。
私の場合は特に、「見える化」する作業が意味を持つと思っています。
それも他者視線を意識した環境で。

★SEEDS
・「見える化」は誰のための作業なのか?
・脳内思考も言葉を使う以上自分という相手を必要とする。独り言系の情報も参加型の情報も、受け手にとって刺激があれば、その区分けに意味はない。
・語る相手と語り方。
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ブログについて考える★記事vs.コメント・補足

2006-08-08 | ブログについて考える
ネットについて考える★YOU TUBE極楽・山本事件×亀田騒動に見る「祭り」の構造

ネットについて考える★記事vs.コメント

上記2つの記事に関連して、いつも軽妙かつ熟考されたブログ考察を発信しておられ、
勉強させていただいているBLOG STATIONのKen様から下記ご意見をいただきました。

レスを書いているうちに長くなり、また丁度、自分の記事の言葉足らずなところを
補足・加筆できる機会だと思いますので、記事にさせていただきます。

====================================
記事とコメントについて
「ブログの記事はどんな意見を書いても良いが、コメント欄はそうではない」というのが、なるもにあさんの論旨だとしたら、僕は無条件に賛同することができません。
物事に対する自分の意見を書けば、それに対する批判、反対意見が書かれる場合もあります。自分の考えをウェブ上に公表する場合は、そういった覚悟が必要だと思うのです。
生半可な知識に基づいた意見を迂闊に公表すれば、「反対意見」だけでなく、書いた人物に対する非難が集中することも多いわけですが、コメント欄・トラックバック欄を開放したまま、ブログを運営している以上、それも仕方のないことです。有名人ブログであれば、尚更、そういう問題に対するリスク管理が必要なのではないでしょうか。
また、そのことと、匿名コメントによる「炎上」問題は、区別して考えるべきだと思います。
====================================


1. 記事について

>自分の考えをウェブ上に公表する場合は、そういった覚悟が必要だと思うのです。
同感です。
書きたいことを書く上で、「覚悟」や「リスク管理」は必要だと思います。
※同感です、というのもけっこう安易な表現かもしれませんね。
 「一致度の正しさ」を測定できないので。
 ちょっと「あなたと同じ考えだ、という気持ちを伝えたい」的な表現かもしれません。
言いたかったことは、ken様と同じ(つもり)なのですが、私の表現が不足しており、伝えきれないまま、記事を進めてしまったようで申し訳ありません。

>いざという時、訴訟等も含めて自己責任さえとれれば。
という部分で、「覚悟」や「リスク管理」の必要性を示唆したつもりでした。
ブロガーによってはアラシが平気な方もおられるのですが、
アラシ(もしくはそれに準ずる、本人にとっては想定外のできごと)がイヤな場合は(大半はイヤでしょうが)、それを回避する方法をとるべきだと思います。

「書きたいことを書く」とは矛盾する形になりますが、たとえば「書きたいことを我慢する」も方法としてはありだと思います。トラブル回避含めた個人のブログ運営スキルによって、「書きたいことを好きなように書く」の「好きなように」のさじ加減というか、解釈幅があると思います。

「ブログのポジティブ・フィードバックとネガティブ・フィードバック」という形で
ブログで書くことの影響を考え、読み手を意識することについてもずっと考えていますが、
1年たって、少なくても私の場合は、荒らされる危険性も了解したうえで「エゴでいい」という結論に達しました。
ただ、また考え方が変わることもあると思います。


2.コメントについて

ここからはコメント参加についての私の意見ですが。

「記事はエゴでいい」でもコメント欄は?
これは今、考察しているテーマです。

・ブログのコメント欄のイニシアチブは誰にあるのか
・ブログの参加ルールのイニシアチブ(ブログ全体の情報リテラシーレベルでのマナーから、ブロガー個人のローカルルールまで)は誰にあるのか


ローカルルールに賛同できるヒトがそのブログに参加するのが、暗黙の了解だとして、
オープンブログでアクセス制限等かけないで記事展開している限り、
ローカルルールを了解できない・しないヒトも参加できる、
というのをブログ主&参加者(コミュニティ形成者含む)は理解しておかなければならない。
という、そのあたりの入れ子構造が、(卵・鶏的に)多くのトラブルを生んでいる気がします。

うまく伝えられてますでしょうか?(汗;

現時点では、個人的には記事を書くサイドが覚悟を要されるように、コメントを書くサイドも自覚と責任が必要だと思っています。
コメント欄開放=無法地帯扱い、という構図は理解していますが「コメント開放してるからアラシてもいい」にはならないと思うので。

ただ「アラシ」という行為については、定義にもばらつきがあり、場合によっては異論や反論を含めた議論まで「アラシ扱い」するブロガーもおられるようなので、「炎上」とともに、もう少し考えて私なりに考察を深めたい部分です。


3.炎上について

>匿名コメントによる「炎上」問題は、区別して考えるべきだと思います。

そうですね。「炎上」についても、「アラシ」とともに、また別途考察を重ねたいと思います。
ブログのダークサイドだと思うので。
そしてダークサイドには必ず可能性も秘められているはずなので。

今回、流れで2つの記事を書いたのですが、確かに「炎上」というのはトラブルの中でも特異なものだと思います。
ただ、コメント制限や会員制等の手段をとらない限り、どんなブログでも炎上する可能性は持っている。

ブログの最適環境はヒトによって大きく差があると思います。
だから、アラシ歓迎な超無法地帯ブログもアリかもしれません。

個人的には、デイリーな「警察」「お医者さん」等の基本生活インフラレベルで、システムとヒトの両方から、めざしていくべきガイドラインみたいなものが、共通認識化されるといいな、と思います。
ブログの若葉マーク、シルバーシートの必要性の有無も含めて、「炎上しない・させない」ブログ環境について、また考えていきたい部分です。



と、この記事を書きつつ思ったこと。

・・・なんだか、あんまりそういうことばかり考えてると
町内会の青少年対策本部みたいで、
ブログがつまらなくなる可能性もあるんだけど・・・<オイオイ


Ken様のコメントで、頂戴したアドバイスを私なりに消化してみました。
うまく消化しきれてないかもしれませんが、記事に再度向きあい、考えを整理する機会をいただけたこと、深く感謝いたします。
コメント交流は私にはものすごく重要な活性剤であり、思考の酸素水(?)です。


関連記事:
前はどういう表現をしていたか、振り返ってみました。ブログで記事を書くことの意味(自覚・責任の必要性)とトラブルについて考えた記事です。つたない思考考察ですが、これらの積み重ねと若干の変化を経て、現在に至っています。
・・・まぁ、あんまり言ってることは大きくは変わってないかも。

自分のふりかえり用のメモとして、参考記載させていただきます。
※黒背景デフォで文字指定してたから読みにくいことこのうえなし;

ブログについて考える 1:ブログの『個』性

ブログについて考える★ブログのトラブルについて

ブログについて考える ★有効なアラシ対策って? (再編版)

ブログについて考える★ブログコメントにおける「私」の多元性
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ブログについて考える★記事vs.コメント

2006-08-06 | ブログについて考える
昨日アップした記事の、あまりにもタイムリーな事例が話題になっています。
まさにこれがモラルハザードだってば。

上村愛子オフィシャルブログ


亀田試合をみて「よかった」という記事
by aiko-uemura129 | 2006-08-02 21:55 |
Trackback(27) | Comments(1464)

翌日の謝罪記事
# by aiko-uemura129 | 2006-08-03 17:06 |
Trackback(30) | Comments(1582)


いわゆる炎上状態。

彼女が自分の感想を自分のブログで記事にする。
それが「おかしい」という前提でコメント参加するのがまずおかしい、と思う。
コメンテイターは自分の感想を好き勝手書き込んで「おかしく」ないのか?

自分の価値観を語るのはいいけれど、他者ブログでのコメントならマナーやルールがあると(私は)思う。
それまでにコミュニケートしたことのない初見ブロガー(今回は相手が著名人なので、ブラウン管効果=自分が知ってるから一方的に知りあい感覚になってしまう、が多少あったとしても)のところに、土足で踏み込んで一方的に自分の意見(?)を吐き捨てるようにぶつけて・・・
その行為にコミュニケーションとして何の意味&価値があるんだろう?
(恣意行為?ストレス発散??)

自分の意見を言いたいのなら記事にしてTBすればいい(そうしているブロガーもいるわけですが・・・記事チェイスしていないので、内容はわからないけど、ブロガーらしい対応だと思います)。
反論や意見を含めて、まともに彼女とコミュニケートしたいのなら、方法が間違っていると思う。

最初は、愛子さんへの迎合含めた、同感コメント。
で、徐々に増える反論。
一部「いろんな意見がある」という(私からすれば)まっとうなコメント。
で、ある時から一気に増える罵倒コメント・・・・・・←これがイヤ!
他のコメントで勢いつけて書いたような内容もある。

たった1つの記事で彼女の功績まで全否定って・・・絶対おかしいって。
(そういうブロガーが増えてるのもコワイ。個人の自由だといえばそれまでですが。
「関係」がまともに蓄積&フィードバックできないのって、一種のゲーム脳なんじゃないか、と穿ってしまう。)

で、そういうのが大好物な(アラシ)確信犯やこの機に応じたアンチ派のバッシングは別として、それに便乗orノセられてる(無意識含めて)ブロガーが多数いると思う。
ファンだったのにガッカリしたとか、書くのはまぁ自由だけど、
他にそういうコメントがまったくなくても書き込めるのか?それを切実に知りたい。

・・・個人で勝負しろよ。てか、個々は個人で勝負してるつもりなのかなぁ?

で、次の段階ではコメンテイター同士がバトルになる。
で、ごていねいにブログ閉鎖を示唆するコメントもある。
こうなってくると、ブログがリアル空間よりも閉鎖的な、一方向の、一部のネット慣れした輩の価値観や方法に縛られた「金太郎飴な世界」のようで、一気につまらなく感じられてしまう。

で、これもまた騒動として記録されることでしょう。
で、くいつくマスコミが出てくるのかもしれない。
で、ネットからリアルに伝播するのかも・・・すでにしてるのかも。

今回、モラルハザードと同様に、ある種のブロガーな人々の
集団コメントのパワー・ハラスメントを感じてしまった。

私見ですけど。
全部が全部自分と同じ価値観って、ありえないし、つまらんやん。
・・・や、もちろんアラシだって、価値観の1つかもしれないんだけど、
どうしてみんな判で押したように、同じような言葉遣いの同じような反応になってくのーーーーー???
せめて反論にも個性をだそうよーーーー。


とかいいつつ・・・私もいつまでも食いついてるよなー・・・・。反省。

・・・これもまた数あるブロガーの価値観の1つにすぎませんが。


思考メモ:
コメントに過剰反応してしまう・・・。それは結局、炎上の構造と同じだと思う。
で、ブログのコメント欄に、その傾向を誘発する要素がある、それはわかる。
それがなんなのかを見極めたい(構造なのか、ヒトなのか・・・)。

そして、ブログというツールが、ヒトの闘争心をかきたてるのであれば、
ブログは最終的にはそれが原因で衰退するしかないと思う(クリアしない限り)。

知る、だから反応する。
・・・結局、webの秩序(?)の一環として、炎上も「あり」なのかなぁ。



モラルハザード
もともとは保険用語ですが、ここでは「1人だとできないのに、多くが参加する=保険がかかることで、危機意識がはずれ、暴走する」という意味で活用しています。

ブログについて考える★記事vs.コメント・補足
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ネットについて考える★YOU TUBE極楽・山本事件×亀田騒動に見る「祭り」の構造

2006-08-05 | ブログについて考える
YouTubeで起きた悲しいできごと
YouTube関連の記事が再びアクセストップとなった先週、YouTubeにアップされた映像をめぐり、2ちゃんねらーが海外のYouTubeユーザーを中傷する、という事件が起きてしまった。

経緯はこうだ。日本語を聞き取れない一部の外国人が、不祥事関連の映像のコメント欄に、「Jap」など差別表現を交えて「英語で話せ!」などと英語で書き込んでいた。これを見た米国の男性が「そんな差別表現はやめなさい」と英語で語る顔出しビデオを作成、YouTubeで公開した。
しかし、英語を聞き取れない一部の2ちゃんねらーがビデオを見て「この米国人が、日本人をJapと中傷している」と勘違い。彼のビデオに中傷的なコメントを立て続けに書き込んでいった。
この様子を見た、日本に留学中の米国人の女の子が「争いはやめてほしい」と語る日本語ビデオを作成してYouTubeに公開。だが彼女に彼氏がいると知った一部の2ちゃんねらーが嫉妬?し、彼女のビデオにも中傷を浴びせかけた。傷ついた彼女は、Web上アップしていた、日本での思い出を書いた日記や写真などを、非公開にしてしまった。


youtubeで「JAP言うな!」と怒る善良なアメリカ人に、勘違いした"一部の"にちゃんねらーが攻撃を仕掛けた事件に関する詳細調査ファイル

「YouTubeで起きた悲しいできごと」・・・
(間違った)他者情報に反応して、どんどんコメント参入して、恐ろしい勢いで加速をつけて盛り上がっていく。
その有り様を空恐ろしく感じながら読んだわけですが・・・
この構図と、亀田興毅の世界タイトル獲得判定騒動の展開は
すごく似てるように思う。

一言で言って、お祭り騒ぎ。
他者の記事やコメントに反応して、試合をまともに観てない層&にわかボクシングファン層まで参加して、亀田擁護派と亀田バッシング派に分かれて争っていて、そこにTBSバッシング派が入って、
そこに私のようなそうした構図疑問(orバッシング)派が・・・

と、騒動が形を変えて伝播していく。

(ちなみにITmediaによると、「YouTube極楽とんぼ騒動」自体が
5年前のある事件に似てるらしい。
YouTube極楽とんぼ騒動で思い出した、5年前のあの事件


・・・なんか、今回の件、全部にシナリオがあって
TBSが悪者になることまで想定内だったとしても驚かないかも。
今ごろ、局は「してやったり」なのかも。

亀田戦、視聴率は42% TBSに抗議電話殺到
関東地区の瞬間最高視聴率は、亀田選手の判定勝ちが決まった直後の午後9時47-48分の52・9%。関西地区は52・1%を記録した。

もしかしたら、こういう局内部反逆(??)の動きも想定内だったり・・・。
勝谷誠彦の××な日々。
勝谷誠彦
完全なTVおかかえ痛罵キャラのようだし。

=================================

一連の構造って祭り好きな日本の伝統をネットで再現してるのかな?

という私も神輿をかつぐヒトをみてるわけでしっかりチェイスしてるわけで、
やばいヒトの褌フェチ野郎と紙一重なわけですが。(・・・そのものではないことを願う)
いや、元々格闘技は完全守備範囲外で、今回も試合にも結果にもほとんど興味がなかったんだけど(全然見てないし)、ニュースの多さ&ブログ内どこにいっても出会う記事の多さと、コメント展開の活発さに興味がわきました。

ちょっとわき道にそれますが(って実はこれが今回の本論)
最近、メインブログの更新をお休みしている間に考えたブログ持論に、
「ブログの記事はエゴでいい」というのがあります。
お金をもらってるプロのジャーナリストは別として、
ブログは自分の思考置き場だから、基本は何を書いてもいい。
で、反社会的な内容であれば、バッシングをウケることにはなるけど、
いざという時、訴訟等も含めて自己責任さえとれれば。
(もちろんバリエーションとして、参加者にすべてを委ね、第三者に全開放されたブログでもいい訳です・・・本人がそれを自覚して作ってる限り。)

で、気になってるのは、やっぱりコメント欄。

社会問題提起系の(場合によっては過激な)記事に(過激に)反応する層・・・。
自分のブログでは一切そういう論調や志向&思考の見える記事を書かず、
ただそういうコメントには必ず参加する層・・・。

・・・本当にそれはあなたの「個人」の意見なのか?
記事に誘発されたあなたの本音なのか?

それともコメント欄のその場なお祭りなノリなのか?
参加することそのものに意義があるのかな?

本来、社会問題系記事へのコメントは、記事を理解し評価しうる同等以上の
情報量と思考力・分析力がなければ書けないと思います。
でも、ブログの場合、コミュニティタイプの同感コメントは案外ノリでも書けてしまう。

いや、それもまたコメントの「他者承認性」「コミュニティ参加意識」「同調性」などなどのなせる効能だとは思うわけですが。
&プラス面もあるとは思うのですが。

今回のYOU TUBE極楽・山本事件×亀田騒動のような、
あまりにも情報の元ソースからかけはなれた部分での
コメントの盛り上がりにはイエロー・シグナルがともってしまう。

石を投げた本人を見ず、軌跡も見ず、飛んでる石の一瞬で全てを語る。
情報の範囲もベクトルも見ずに、安易にコンビニエントに、点で判断する。
自分にとってわかりやすい言葉にだけ反応する。
足元を確かめずに平気に簡単に行動に移す。
・・・一旦ネット空間にリリースされたらリセットは困難なのに。

なんというか、戦争に突入していく時に
簡単に思考操作され、命を差しだすことをよしとする空気を作った・・・
それと同じ、一種のヤバイにおいを感じてしまう。
(おおげさすぎる?・・・まぁ、ブログ主と殉死する覚悟はないでしょうが・・・)


本来、祭りは神事でハレのアクション。それがケになる時って
やっぱり一種の思考かく乱であり、なにかが狂った暴走状態だと思う。
火事場見物もあるのかな?
でもって、ネットの場合、こうしたコメント欄が形成する、安易な祭り構造を制したメディアの勝ち、って感じもする。
一種の烏合の衆・活用法。


うーん・・・。

私個人の見解として、社会派記事においては、自分で記事にできるほどの情報も自覚も持っていない場合は、コメント参加は注意すべき、と心得ます。
・・・って、結局これって、以前から書いてる、コミュニティ型コメントでの自己責任の自覚って話なのかも(モラルハザードに関わる部分)。


追記:
・・・今、思ったのですが、自分のブログではアラシとかがこわいから書けないけど、他のブロガーの記事なら&同じ意見が並んでたらコメントしやすい、という心理も少しはあるのかな?それなら理解はしやすいけど。
あとはブログ主への絶対的信頼や同一視・一体感志向もあるのかも(これがモラルハザードの最大原因なわけですが)。
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置き土産・1:ブログについて考える★ブログに期待するもの

2006-08-01 | ブログについて考える
お休みの間に、ブログ考のまとめを作成する予定です。
最終的には、ブログの可能性を考えるのが目的なのですが
まさにドックイヤーなネットワールド、
考察スタート時から、また随分ブログ環境も変化してきました。

そして、毎日多くの初心者が誕生し、そのプロフィール幅も広がる一方。

mixiに代表されるSNSへの新規参入も活発です。(・・・こっちはさほど期待できない気もするのですが・・・って仕事でレポ済みだったり。・・・改善策を求められてたり・・・;;)

その分、可能性の幅もまた広がっていると思います。
(一方でブログ経験、情報、知識差は拡大するばかりかも・・・)

すっごく個人的な希望や、細かな改善案から
壮大な夢とロマン(と金勘定w)広がるweb2.0ワールドまで・・・

いろいろな立場からのいろいろな可能性があると思います。

で、その可能性につながるものとして
以下の質問にお答えください。
===============================

・いつもどおりご参加いただける質問のみでけっこうです。

・コメントでも記事TBでも大歓迎です。

・今までお答えいただいたコメントや、他者コメントと重複する内容でも
 まったく問題ありません。
 ある意味、そういう重なりが情報密度だと考えています。

・関連情報や参考記事のご紹介もよろしくお願いいたします。

===============================
1.あなたが今後ご自分のブログで具体的にやりたいこと・やってみたいことはなんですか?
・「今まで通り」とか「継続しつづけること」という方は、今まで通りの内容を少し具体的に説明していただけると嬉しいです。
・具体的にイメージしている事例ブログがある場合はご紹介ください。

2.あなたがご自分のブログで不満に感じていること(対自分・対他者)、改善したいことがあれば教えてください。

3.あなたが「ブログ」に期待していることは何ですか?自ブログ、他者ブログ、ブログ全体、自由にお答えください。

4.半年以上続けておられるブロガーで、具体的な内容変化があった場合は、どういう変化かを教えてください。

5.あなたが今、注目しているブログがあればご紹介ください(3つ以内)。できれば簡単な注目ポイントのご説明もお願いいたします。

6.その他、ブログに関する要望や悩みがあれば自由にお書きください。


===============================
参考キーワード:
・記事
・コメント
・レス
・TB
・リンク
・ブックマーク
・テンプレ
・写真
・更新
・閉鎖
・リニューアル
・複数ブログ
・複数参加ブログ
・ホームページ


この記事にいただいたコメントは、コメントそのものが重要なので、ブログ主のバイヤスがかからないように、レスはいたしませんが、全部確実に読ませていただき、ブログ考への参考とさせていただきます。
引用させていただく場合もありますので、ご了承くださいませ。
場合によっては個別もしくは全体に追加質問をさせていただくことがあります。

今回もどうぞよろしくお願いいたします!!!
コメント (6)
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ブログについて考える★コメントおよびレスについての質問

2006-07-17 | ブログについて考える
差し支えないレベルでけっこうですので
お答えいただけるものだけご参加いただけたら幸いです。
(特に急ぎませんのでお時間ある時にご参加くださいませ。)

質問A

1あなたはコメントをもらったら必ずレスをしますか?

2.レスをしない場合がある、もしくはレスをしないと決めている方は、その理由とレス基準を教えてください。

質問B

1.あなたが相手ブログでコメントをする場合、コメント基準やルール等気をつけていること等がありますか?

2.相手ブログでコメントをした時、相手のレスや自ブログへのコメント返しの有無は気になりますか?

3上記と関連して、コメントをしてもまったく反応がない場合、どうしますか?(何回まではトライする、など)またレスはあってもコメント返しがない場合、どう考えますか?

4.いつもコメント参加されていた相手から、コメントをもらえなくなったことはありますか?その時どう感じましたか?&どうしましたか?(例えば相手がブログお休みだった等、ケースバイケースだと思いますが、気になったものがあれば、というレベルでお答えくださいませ)

5.いつもコメントをしていた相手に、コメントをしなくなったことはありますか?その理由はなんですか?

質問C

1.あなたにとってコメントとはなんですか?(自分がする場合、もらう場合、合わせてお答えください)

2.他に、コメント全般であなたが気になることがあれば教えてください。



不明点はお気軽にご質問ください。

どうぞよろしくお願いいたします。
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ブログについて考える★コメント対応と義理コメントについて

2006-07-06 | ブログについて考える
1.嫌いな人との距離間

いつもコメント参加してくださる夢様の記事で、気になっていたものです。

嫌いな人との距離間

で、ずっとコメントをしたかったのですが、機会を逃しちゃいました。
でもずっと考えていたので「レスを」と思ったのですが、超長くなったので記事に切り替えます。

この記事は基本はリアルでの話かな、と思うのですが、ネットでもありえますよね。

リアルではキライな人、苦手な人とは、やはり自然と距離をおくことになるかな、と思います。
少なくても、(この年になれば、よほどでなければ)外見だけでいきなりキライにはならないでしょうから、まず「キライ」と自覚するくらいの関係にあるわけで(なにかトラブルがあったとか、意見が合わなかったとか)、それって経験則からくる相乗関係だとも思います。だからお互いに距離を置いたほうが、しあわせなおつきあいができると思うし、特に利害関係等がないのであれば、無理に近づく必要はないかな、と。
たとえば相手が学校の担任とかだと、葛藤が生じるし、それなりに「我慢」「バトル」含めて手をうたねばならないわけですが・・・。
無理して新規開拓(え?)するよりは、気の合う仲間と一緒に過ごすほうがメリットは大きい。それはお互いに。

で、ブログの場合&私の場合、過去記事やプロフィール、コメント対応等をチェックして、「この人、いいな」と思わなければコメントを残さないので、基本が「好き」から入ることになります。
で、よほどのことがなければ、キライにはならない。ブログの関係はリアルほど物理的負荷がかからないし、コメントのバランス等で距離感を自覚的にコントロールしやすいからだと思います。

ただ、この(本人的には)バランスがとれてるつもりのコメントが、
クセモノだったりもする。


2.コメント対応の変化による好き嫌いの意思表示

リアルでもブログでも「自分は好きだけど、相手には嫌われてる(とまでいかなくても関心がもたれていない)」という場合もあると思います。それは要注意ですね。
自覚症状がない場合が多いと思うので、本当に気をつけたい・・・。
リアルでは、上記の相互の経験則で、お互い自然と距離を置くと思うのですが、問題はブログ。かえって見えにくいかもしれない。

特にブログの場合、コミュニケーションの進度が早い分、コメント交流しているうちに「キライ」「イヤ」になるケースはリアルよりかえって多いのかな、とも思います。
幸い、私からキライになった人は、いまのところ皆無ですが。

で、「あなたの記事のここがイヤ」「その意見には賛同できない」とわかって反論するのはよいと思います。それはかえってコメント交流を活発化することが多い。
問題は、コメント交流がもはやできない(したくない)状態。

最近、「コメントをしない」ということの意味とか、考えています。(初期にも悩みましたがw)明確な(もしくは無意識での?)意思表示も含まれると思うので・・・。

相手からのコメントが少なくなった。
忙しいから、興味のある記事がないから、・・・そういうのは大体、相手ブログにいけばわかるし、コメント対応そのものが誰にでも平等な場合が多い(そのブロガーなりのコメント基準が見える)ので、特に心配はしません。
最近は「自分からはコメント回りはしない」「レスも必ずはしない」と言うスタイルのブロガーに出会うことも多くなりました。
「コメントレスは必ずする必要があるか?」は複数のブログ考察系記事のテーマにもなっています。

以下、私の場合ですが、コメント対応の変化で、たまに「ん?嫌われちゃったのかな?」と感じることはある。
以前、あるブロガーからのコメントが少なくなった時、パニックになって、ご迷惑をおかけしたことがあるのですが(その節は済みませんでした、zippa-zappa様♪)、思えばそういう行為自体もメチャクチャエゴやん、というわけで、今ではそうそうはパニックにはなりません♪(当然だ?

ただ、記事参加コメントは相手のこのブログへの関心バロメーターではある、と思います。
コメントをいただく機会が減れば、こちらからのコメントも減っていくことにはなる。相手に迷惑はかけたくないし、無理をさせるおつきあいはしたくないので・・・と、私は考えるのですが・・・。
(こちらに先方への関心がある限りROMは続けます。)
相手からのコメントが減っても、明白な拒絶がない限り、コメントしたい記事があればガンガンやっちゃっていいのかな?とも思う。・・・難しいところです。

私自身は、やはり相手の記事に興味がもてなかったり、コメント対応等で疑問符がつき、反論の余地もない場合は、足は遠ざかってしまう傾向はあります。そういう場合はそれ以前に相手からの対応が変わる場合が多いのですが・・・。

なんてことを書くと、出てくるのが次の問題。


3.義理コメントについて

義理コメントについては、ずっと参加してくださってる方はご存知だと思いますが、このブログのかなり初期から、気になっていることです。
丁度、ブログ閉鎖理由の上位に「義理によるコメント巡回疲れ」があげられたこともあり、何度か形を変えて記事にもしています。

「義理」の定義もまた個々人で違うと思います。以前「義理というのも一種の愛情だし必要な潤滑油だ」という意見があって、なるほど、とも思いました。(この意見を知ってから、コメント巡回サークルっぽい印象が強かった閉鎖的なコミュニティに対する見方も、随分ポジティブになりました。)

で、私の場合は、義理=「せっかくコメントくださってるから=コメントしないと悪いから」という、相手への消極的な気持ちです。

このブログの場合は、コメント交換ができるかどうかが、ブログ交流の基本ではありますが、義理になるのは絶対に避けたい。それが難しいなぁ、と最近感じています。(あ、ここでいうコメント交流は自ブログ以外も含みます。)

ただ、コメント内容をみれば本当にコメントしたくてしてくださってるか、なんとなくしてくださってるかは少しはわかる。(これは相手ブログでのレスもそうです。他の方へのコメントとのトーン比較がしやすいので、余計にわかりやすいかも)

コミュニティ感覚での義理ではなく、本当にコメントしたくてしあえる関係・・・
それが理想だけど、相手があってのことだからそうはうまくはいかない。

私自身、コメントレスで、義理要素がまったくないのか?と問われれば、少し自信はなくなるかも・・・。
ただ、今コメント交換させていただいてる方は、全員、記事参加が楽しくて、またコメント応酬が楽しくてさせていただいてますです♪

うーん、義理についてはやっぱりまとめきれないなぁ。

んなことを気にすること事態が、問題なのかもしれません。
でも気になっちゃうんだもん!(結局エゴですな


いつものことですが、ご意見、反論等大歓迎です!
「私はこう思う」等ありましたらどしどしご参加くださいませ。
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著作権を考える(プレ)★YouTubeの可能性と危うさ

2006-06-17 | ブログについて考える
YouTubeからアニメが消えた?

YouTube存続の危機でしょうか?

まぁアニメはズレや画像の粗さがかえって欲求不満になって
私なんかはつい正規にレンタルしてしまうので、
YouTubeはいい撒き餌だと思うのですが・・・。


前々から著作権考察記事を書こうと思っておりまして
資料収集してる最中だったわけですが
んとにネット速度は早い・・・(そのうえ私が遅い;;

YouTubeの可能性と危うさ
が関連記事のまとめページとなっています。
(こういうのはマジ助かりますねー。)

一連の記事の中で、興味深かったのは

[WSJ] YouTubeやGoogle Videoに、レコード業界はどう出る? (1/2)

広告収入が増えたら、音楽業界はこの問題にさらに注目してくるだろうと一部では予想されている。

ネット企業が儲けるのが我慢ならん、ということなら
金のガチョウを共有化すればいいじゃん、と思うのですが・・・
長年「商用音楽ビデオの海賊版や、今なおまん延するオンライン音楽ファイル共有などの問」と戦ってきた側としては、一切のコピーものを認めるわけにはいかないでしょうね。

YouTubeサイドは、現状は、2ちゃんや多くのブログ運営サイドと同じく、あくまで場所貸しであり、違法行為は利用者責任で削除要求があれば削除する、という方針のようで
「ビデオサイトが削除要求に従っていれば、既存法の下では、裁判所がサービスを停止させるのは難しいだろう」と法律事務所Clifford Chanceの弁護士で知財部門国際責任者のダニエル・ハリス氏は語る。

Webがプライベートコンテンツとパブリックコンテンツの境界を曖昧にしたこと
これが現状のブログを含む、ネット著作権問題の要にあります。
そしてすべての個人活動をチェックし、制限をかけるのは不可能に近い。・・・
だからこそ、それを削除するチェス発想より、自らのビジネスチャンスに変える
将棋発想が必要だと思います。

またYouTubeでユーザー・イニシアチブな新しい広告方法も検討されはじめたようです。
「優れたビデオ映像のバックグラウンドミュージックに上質のリミックスが流れていたら、(レコード会社にとって)いい宣伝になるのではないかという疑問は多数上がっている」とYahoo!のソーシャルメディア担当ジェネラルマネジャー、ジェイソン・ゼイジャック氏は指摘する。

音楽業界の一部関係者は今回は主義を変えて、訴訟の脅しをかける前に事業提携を結ぼうとしている。Warner MusicとVivendi Universal傘下のUMGはYouTubeなどのサイトと、自社の楽曲が流れたときに表示された広告からの売り上げを分け合うなどさまざまな可能性を模索している。


重複しちゃいますが、個人的には上記がwin/win/winの関係で現状ベストだと思います。著作権のルールも設定された時とは、環境が激変しています。すべてのルールがそうであるように、システム疲労が露呈しはじめたのなら、それは現実に即した運用の見直しの時期にきてるんだと思います。
個人マーケティングがこれだけ叫ばれて、音楽業界もその神輿をかつぎながら、自分に不利な部分だけを切り捨てる・・・それではもう絶対に生き残れない。それがweb2.0的「つむぐ」世界。そしてどんなに太くて強靱でも、表糸だけではweb空間は紡げない。

なんというか・・・ズル渡りが多発する道路は、横断歩道をつくるべきだし、ズル渡りが多発する横断歩道は信号システムを見直すべきだと思います。(・・・変な例えでスミマセン;自分的にはわかりやすいんだけど;;)


考察は続きます(予定)。が、とりあえず今回はここまで。
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ブログについて考える★ブログのデザイン・カスタマイズについて

2006-06-01 | ブログについて考える
今回、ゼットン様の1周年企画プレゼントに参加して
オリジナルテンプレを頂戴しました。いかがでしょーか?
カッコいいよね?

黒背景デフォなので、それにも対応するように作ってくださったのですが
写真的に白の方がイメージ通りなので、
しばらくこのテンプレで行きたいと思います。COOLだし。
過去記事で読みにくい字色は反転してお読み下さいませー。

で、CSS って面白そうー。もっといろいろいじってみたいなー、
って思ってるところに

ブログデザインソフト『ブログデザイナー』

・100項目以上のCSS変更・設定がこのソフトで可能!
・本ソフトウェアではCSSの知識は全く不要!
・107項目のスタイルシートに対応!
・「最初からデザインする」と「部分的に変更する」両方に対応


ほぉー。で3990円(税込み)・・・
なら、試しに買ってみてもいいかも?とちょっとココロが動く。

で、詳しく読んでみると・・・
●100万以上のユーザー数を誇り、ブログのカスタマイズ機能に優れた無料ブログ
 「livedoor blog」のみ対応。
 livedoor blog及びlivedoor blogユーザーさん応援ソフトです。
●※MAC OS非対応


はい?あ、そうですか・・・。
・・・私に早くMAC BOOKを買え!と?・・・
(どこにもんなこと書いてない&大体livedoorとちゃうやん;)


てか、実は、こういう内容って、ブログ運営サイドが今後用意すべき
必須サービスだよね、って考えてたのですが・・・

カフェテリア型で自由度高いCSSが自動生成される、っていうサービス、gooがやんないかなー。(超他力本願;)
や、中には全部自分で入力するところにカスタマイズの醍醐味が、とおっしゃる
スキル高いブロガーもおられるとは承知しておりますが・・・

ところで裏ブログ・・・というかセカンドブログの『学校問題をブログる』はFC2 ですが、ここは個人が制作したテンプレを、共有サービス化できるシステムで、ものすごく多彩なテンプレが楽しめます。
で、本当にテンプレ1つとっても奥が深いなぁーって感心してしまう。製作者の制作ポイントなんて読んでても、よく考え込まれてるものが多いんです(勉強になるぉ!)。

今のブログは既製服の着せ替え感覚。
着せ替え感覚自体も楽しいのですが、
ブログはこれから、ますます世界に1つだけのオーダーメイド的
セルフカスタマイズド的世界に進んでいくんだろうなぁー。

これからはネットの賞品とかで
「有名デザイナーによるオリジナルテンプレプレゼント」とか
ありそうですね!

でも時間がなかったり、面倒なのはいいや、というブロガーも
おられるでしょうから、簡単モードとの二極化もあり、
って感じできちんと対応していってほしいです。
あ、高齢者ブロガー向けテンプレなんてどうでしょう?
(字が大きい、目に優しい、等)

あ、そうそう、私はテンプレ検索方法をデザイン別以外で増やして欲しい
このブログは通常は黒バックメインなんですが、いちいち探すのタイヘンだから、
背景色、とか記事のフォントサイズ、とかででも検索・絞り込みできたら助かります・・・。

あと時計とかカウンター等のアクセサリー関係も増やして欲しいっすー

・・・ってキリがないですね?

でも、こゆこと考えてるとすっごく楽しいなぁーっ♪

WEB2.0本格稼働時代、ブログでもっともっと遊びたいです!

皆様も「こんなブログサービスがあったらいいな」があったら
教えて下さいねー!
コメント (18)
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