破滅型の人間が好きである。
自分には破滅する勇気も覚悟もないから憧れる。
破滅型の人間には常人にはない
深い悲しみに彩られた透徹した目があるような気がする。
長谷川利行の展覧会に出かけた。
初日とあって府中市美術館は混みあっていた。
彼の作品をこれだけまとめて観るのは初めてだった。
長谷川利行は京都出身の洋画家である。
二科展で樗牛賞を受賞するなどの腕達者な天才画家だったが
酒におぼれて友人知人から借金を繰り返し
木賃宿や簡易宿泊所などを転々する貧乏と絶望の日々だった。
日暮里の薄汚い四畳半のアパートに万年床。
布団の上に石炭箱を置いてひたすら好きな絵だけを描き続けた。
浅草の貧民街、裏通り、カフェー、ガスタンク・・・
スケッチブックと絵具を手に
来る日も来る日も都内をほっつき歩く放浪画家だった。
時には強引に絵を売りつけて
その日の酒代にかえることもあったと言う。
最初に彼の絵を見たのはこの「機関車庫」だった。
激しい衝撃を受けた記憶がある。
その鮮烈な色彩と躍動的な筆致が全面を覆っていて
子供の頃に見た機関車庫が蘇った。
当時、田端に住んでいた「寅さん」こと故・渥美清さんも
この絵が大好きだったと言う。
二科展で樗牛賞を受賞した「タンク街道」。
当時、日暮里や田端界隈にはこうしたガスタンクが多く
通称「タンク街道」と呼ばれたらしい。
長谷川利行がとりわけ好んで描いたモチーフである。
私はこの「せんろ道」が大好きだ。
なんと悲しみに彩られた深い絵だろうか。
長谷川利行はこうした沿線風景を数多く描いている。
彼が果たして「破滅型」の人間だったかどうか
私にはすぐには判断出来かねるが
わずかな酒代のためにこんな素晴らしい絵を描けるなんて
天才だったことだけは確かだ。
行方不明だった代表作「カフェ・パウリスク」が
とあるお宅の倉庫で数年前に発見された。
当時、新宿や神田にあったカフェーのチェーンだが
長谷川利行もよく立ち寄ったらしい。
ご主人が「開運!なんでも鑑定団」に鑑定を依頼したところ
なんと1800万の値がついたと言う。
うーん、もうちょっと長生きしていればなあ・・・〈笑〉
自画像である。
我が強く酒が入るとすぐ喧嘩をする人だったらしい。
酔うと「死にたい、殺してくれ!」が口癖で
道端で大の字になって暴れることもあり
友人・知己の手を焼かせたと言う。
奇行の人であった。
写真と見比べて欲しい。
結局、長谷川利行は最後は行き倒れ同然で発見され
板橋の東京市養育園に運び込まれ
まだ49歳の若さで胃がんで亡くなった。
柳行李いっぱいの作品群も
規則によりすべて焼却処分になったと言う。
美術館の外は気持ちのいい風だった。
不遇な画家の展覧会にこれだけ多くの人が集うなんて
我がことのように嬉しい日だった。
最初に彼の個展が開催されたのはもう何年前だったか。
熊谷守一、東山魁夷、中曽根康弘・・・
錚々たる発起人・推薦人の名前に交り
今は亡き渥美清さんの名前もあったと言う。
破滅型人間の画家は多くの人に愛された画家でもあった。