まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

六十八歳の原点

2021年07月28日 | 日記
本棚の奥を整理していたら
埃まみれになった懐かしい文庫本が出て来た。
へえ、こんなところに・・・
と思いつつパラパラとページを繰っていると
遠い青春時代が否応なく蘇って来た。


高野悦子の「二十歳の原点」を覚えておられるだろうか。
かつて大学紛争はなやかなりし時代に
奥浩平の「青春の墓標」とともにベストセラーとなり
若者たちのバイブルのように読まれた一冊だ。
栃木県の那須に生まれた彼女は
県立宇都宮女子高から京都の立命館大学文学部に進学。
史学科の学生として憧れの京都で青春をすごす。
5年後に、まさか自分が同じ大学に進むとは思わなかったが
おそらくその親近感から買い求めた一冊だったと思う。



彼女自身の日記形式で綴られた本だけに
日々の息遣いかや苦悩ぶりが手に取るように伝わって来る。
学業とアルバイトに追われながらも
大学紛争という当時の社会情勢と真摯に向き合う姿は
じつに健気で痛々しいような印象さえ受ける。
高校時代は生徒会長もつとめただけに
問題意識は高く文中に収められた幾編もの詩も素晴らしい。
しかし、そんな多感な女性だからこそ孤独も深く
時代に翻弄されながらしだいに絶望に追いつめられていく。


昭和46年6月24日未明。
高野悦子は鉄道自殺で不帰の人となる。
文庫本の奥付にはこんな一文がある。
独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。
考えてみれば私も同じようなものではないか。
家庭があっても人間は独りだし
いたずらに年を重ねてみても人間は未熟のままだし
それは私の六十八歳の原点なんだと思う。


てのひら返し

2021年07月28日 | 日記
いつものお弁当&新聞タイム。
マスコミは今やオリンピック関連の記事一色だが
一面の見出しはやはりこれだろうと思う。
注目されていた広島の「黒い雨」訴訟に関して
国はついに上告を断念した。


井伏鱒二氏の「黒い雨」を読んだのは高校生の時だった。
確か夏休みの課題図書になっていたと記憶する。
原爆投下直後に降る黒い雨については
この小説を通じて初めて知って慄然とする思いだった。
その後、今村昌平監督の映画も観て
今は亡きスーちゃん(田中好子)の演技に胸打たれた。
この訴訟では黒い雨が降った地域の特定が大きな争点だったが
裁判を長引かせて世論の反発を受けるより
被爆高齢者たちの救済を優先するという政治決断だった。
菅総理お得意の朝令暮改、まさに「てのひら返し」の英断(?)で
最悪の支持率回復と選挙の人気取りなのだろう。
それでも上告断念はやはりよかったと思う。

それにしても「てのひら返し」が過ぎないか。
あれほどオリンビックは中止か再延期が主流だったのに
いざ始まって見ればどこもかしこも「たのひら返し」のバカ騒ぎ。
とくにマスコミ報道の節操のなさには
マスコミ出身の私ですら情けなくて呆れ果ててしまう。
スポーツ感動秘話にはもうウンザリである。
昨夜もマンションのあちこちの部屋から大歓声が響いて
何ごとかと家人と顔を見合わせてしまった。
国民もマスコミも政治も「てのひら返し」のオンパレード。
オリンピック中継はもう見ないと決めた。