TT (Lâm Đồng) - Tin từ ga xe lửa Đà Lạt cho biết Công ty cổ phần Vận tải đường sắt Hà Nội vừa thỏa thuận đầu tư 800 triệu đồng phục chế bốn toa xe lửa cổ để đưa vào phục vụ tuyến du lịch đường sắt Đà Lạt - Tháp Chàm ngay trong quí 2-2008.
ダ・ラット駅からの情報によれば、ハノイ鉄道株式会社は800百万ドン(約500万円)を投じて4両の蒸気機関車を復活させ、今年第2四半期にダ・ラットータップ・チャム間の旅行客を乗せて運行する。
とのことのようで、「日本製」と書いてあったので、その昔、仏印進駐の際に日本軍が残して行ったものなのか・・・などと早合点をしてしまったのですが、日本に眠っている蒸気機関車を買い付ける話なのかも知れません。1936年から製作が開始された蒸気機関車と書いてあるのでD51のことなのでしょう。新聞に載った写真はダ・ラット駅に展示されている日本のSLのようですが、どうやって運ばれて来たものなのでしょうか?
三菱重工が製作するジェット旅客機をVN航空が購入する話と比べると金額も格段の違い。多分投資に対する収益率も期待できそうもないような気がします。ベトナム人がSLに郷愁を感じるとは考え難いし、日本のSLファンがダ・ラットにわざわざ来るとも思えません。ニン・トゥアン省ファンランのタップ・チャムへの観光客は多少増えるでしょうけど。
一度ダ・ラットからタップ・チャムまでバイクで下ったことがありました。標高1500m近くの高原から海までの高低差ですからバイクで下るのは楽でしたが、登りとなると蒸気機関車では黒煙を吐きながらゼイゼイ、ノロノロなのでは?ホンゲイ炭=無煙炭が燃料に使われるかどうかも記事には書いてありません。
以前、タップ・チャムの高校へ試験の採点に出掛けたことがあります。早朝サイゴンを発ち、深夜サイゴンに戻りました。レンタカー代だけでも大赤字の仕事でしたが、まだ若い校長先生が実に接し易い人で、珍しくまるで古い友人と話をしているような楽しさを感じました。
ニン・トゥアン省は少数民族が多く住む貧しい省で、採点に出向いた高校も採点結果はやや目を覆うほどのもので、校長先生も頭を掻きながら照れ笑いの連続。中・高併設の学校ですが、日本の中高一貫進学校との意味合いはなく、単に学校建設の予算がないから同じ校舎で間に合わせている、ということのようです。
これからはそういう仕事に託けて高校を訪問することもなくなるのわけで、少々寂しい気もして来ます。と、いうことは、この6年間採算の取れない仕事を続けて来て決して嫌な事ばかりではなかった、ということかも知れません。今はまだその心境からは程遠いものがありますが、時が経てば、もう一度会いたいと思うベトナム人も少なくないような気がします。
ダ・ラット駅からの情報によれば、ハノイ鉄道株式会社は800百万ドン(約500万円)を投じて4両の蒸気機関車を復活させ、今年第2四半期にダ・ラットータップ・チャム間の旅行客を乗せて運行する。
とのことのようで、「日本製」と書いてあったので、その昔、仏印進駐の際に日本軍が残して行ったものなのか・・・などと早合点をしてしまったのですが、日本に眠っている蒸気機関車を買い付ける話なのかも知れません。1936年から製作が開始された蒸気機関車と書いてあるのでD51のことなのでしょう。新聞に載った写真はダ・ラット駅に展示されている日本のSLのようですが、どうやって運ばれて来たものなのでしょうか?
三菱重工が製作するジェット旅客機をVN航空が購入する話と比べると金額も格段の違い。多分投資に対する収益率も期待できそうもないような気がします。ベトナム人がSLに郷愁を感じるとは考え難いし、日本のSLファンがダ・ラットにわざわざ来るとも思えません。ニン・トゥアン省ファンランのタップ・チャムへの観光客は多少増えるでしょうけど。
一度ダ・ラットからタップ・チャムまでバイクで下ったことがありました。標高1500m近くの高原から海までの高低差ですからバイクで下るのは楽でしたが、登りとなると蒸気機関車では黒煙を吐きながらゼイゼイ、ノロノロなのでは?ホンゲイ炭=無煙炭が燃料に使われるかどうかも記事には書いてありません。
以前、タップ・チャムの高校へ試験の採点に出掛けたことがあります。早朝サイゴンを発ち、深夜サイゴンに戻りました。レンタカー代だけでも大赤字の仕事でしたが、まだ若い校長先生が実に接し易い人で、珍しくまるで古い友人と話をしているような楽しさを感じました。
ニン・トゥアン省は少数民族が多く住む貧しい省で、採点に出向いた高校も採点結果はやや目を覆うほどのもので、校長先生も頭を掻きながら照れ笑いの連続。中・高併設の学校ですが、日本の中高一貫進学校との意味合いはなく、単に学校建設の予算がないから同じ校舎で間に合わせている、ということのようです。
これからはそういう仕事に託けて高校を訪問することもなくなるのわけで、少々寂しい気もして来ます。と、いうことは、この6年間採算の取れない仕事を続けて来て決して嫌な事ばかりではなかった、ということかも知れません。今はまだその心境からは程遠いものがありますが、時が経てば、もう一度会いたいと思うベトナム人も少なくないような気がします。
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