16日の夜から23日までの一週間が慌しく過ぎ去りました。
その間に財布を二度も落としてしまいましたから、集中力とか精神のバランスとかも危険水域近くに達していたのかも知れません。6年ほど前、携帯電話を2台立て続けになくしたのも日本からの来客を迎えた時でしたから、日本モードと現地モードが入り混じった時に神経回路が誤動作するのかも知れません。
APEC会議の直後であることと日本の週末近くの祭日が重なり、サイゴンのホテルは満室でした。22日に予定された葬儀は日本からの来客者を待つために23日に延期され、しかしサイゴンツーリスト系のホテルは23日朝にチェックアウトしなければならず、この朝、ホテルを移動してから葬儀に参列することにしました。前日にホテルやレンタカーの手配と葬儀日程等を決め、8時チェックアウト、8時半出発、9時病院霊安室着の予定でしたが、23日の朝、目を覚ますと既に8時3分前。昨年の暮れに朝5時発の出張時には睡眠時間2・3時間でも身体がちゃんと反応していたのに、今回は肝心なところで自分がポカミスをやらかしてしまいました。
朝の交通渋滞を考えれば、8時半の出発時間にも間に合いそうもありません。9時霊安室集合は、領事館と出入国管理事務所の決定時間のため少々冷や汗が出ました。バイクを途中で止めて電話を入れる時間も惜む思いですが、交通警官に見つかってしまったら更に再び30分の時間ロスです。H君がこの日はブンタオに出張のためNに手伝いを依頼してありましたから、Nに電話を入れ、レタントン通りのホテルに着くレンタカーを待って、直ぐリートゥーチョン通りのホテルに回すよう頼みました。
どうにか車は病院の霊安室に5分ほどの遅刻で済みました。既に寝台に乗せられて横たわるDさんの姿がありました。領事に言われて一昨日届けた服が着せられ、口紅が塗られてました。首には検死のための傷もそれとわかるほどです。お坊さんがお経を唱えた後、頑丈で立派な棺に移されました。霊柩車は街で見かけるような派手なものではなく、普通のバンを改造したものでした。
市郊外、Binh Chanhにある火葬場までは40分ほどで着きました。想像したよりも都市化の進んだ住宅密集地でした。再びお坊さんがお経を上げるましたが、坊さんの履いている樹脂製サンダルが目に止まり、何故か結婚式場の神父のような安っぽさを感じてしまいました。現実を超越した威厳とかを期待したいのに、そんなものを期待するのは日本であったとしてもそもそも初めから無理な話なのでしょうか。
11月も下旬だというのに日差しは痛いほど強く、寝坊したために水分も取らずに煙草を吸い続けて喉がカラカラでした。遺骨の引き取りは2時とのことなので一度市内に戻ることになりました。16日までの予定では、昨日と一昨日はホイアンのビーチリゾートでのんびり過ごすはずでした。Dさんが倒れた後でもそれが可能であるかのように思っていました。19日にICUに見舞った時も看護婦さんは「血圧は安定してます」と答え、3日続いた容態は暫らく変化しないだろうと思っていました。
その間に財布を二度も落としてしまいましたから、集中力とか精神のバランスとかも危険水域近くに達していたのかも知れません。6年ほど前、携帯電話を2台立て続けになくしたのも日本からの来客を迎えた時でしたから、日本モードと現地モードが入り混じった時に神経回路が誤動作するのかも知れません。
APEC会議の直後であることと日本の週末近くの祭日が重なり、サイゴンのホテルは満室でした。22日に予定された葬儀は日本からの来客者を待つために23日に延期され、しかしサイゴンツーリスト系のホテルは23日朝にチェックアウトしなければならず、この朝、ホテルを移動してから葬儀に参列することにしました。前日にホテルやレンタカーの手配と葬儀日程等を決め、8時チェックアウト、8時半出発、9時病院霊安室着の予定でしたが、23日の朝、目を覚ますと既に8時3分前。昨年の暮れに朝5時発の出張時には睡眠時間2・3時間でも身体がちゃんと反応していたのに、今回は肝心なところで自分がポカミスをやらかしてしまいました。
朝の交通渋滞を考えれば、8時半の出発時間にも間に合いそうもありません。9時霊安室集合は、領事館と出入国管理事務所の決定時間のため少々冷や汗が出ました。バイクを途中で止めて電話を入れる時間も惜む思いですが、交通警官に見つかってしまったら更に再び30分の時間ロスです。H君がこの日はブンタオに出張のためNに手伝いを依頼してありましたから、Nに電話を入れ、レタントン通りのホテルに着くレンタカーを待って、直ぐリートゥーチョン通りのホテルに回すよう頼みました。
どうにか車は病院の霊安室に5分ほどの遅刻で済みました。既に寝台に乗せられて横たわるDさんの姿がありました。領事に言われて一昨日届けた服が着せられ、口紅が塗られてました。首には検死のための傷もそれとわかるほどです。お坊さんがお経を唱えた後、頑丈で立派な棺に移されました。霊柩車は街で見かけるような派手なものではなく、普通のバンを改造したものでした。
市郊外、Binh Chanhにある火葬場までは40分ほどで着きました。想像したよりも都市化の進んだ住宅密集地でした。再びお坊さんがお経を上げるましたが、坊さんの履いている樹脂製サンダルが目に止まり、何故か結婚式場の神父のような安っぽさを感じてしまいました。現実を超越した威厳とかを期待したいのに、そんなものを期待するのは日本であったとしてもそもそも初めから無理な話なのでしょうか。
11月も下旬だというのに日差しは痛いほど強く、寝坊したために水分も取らずに煙草を吸い続けて喉がカラカラでした。遺骨の引き取りは2時とのことなので一度市内に戻ることになりました。16日までの予定では、昨日と一昨日はホイアンのビーチリゾートでのんびり過ごすはずでした。Dさんが倒れた後でもそれが可能であるかのように思っていました。19日にICUに見舞った時も看護婦さんは「血圧は安定してます」と答え、3日続いた容態は暫らく変化しないだろうと思っていました。
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