15年ほど前にベトナムで日本円から現地通過に両替した時のレートは100円が10,000ドンほどだったと思います。それ以降経済成長に伴うインフレでベトナム・ドンは徐々に減価しながらも確か10年前のアジア通貨危機の時はこちらの東京三菱銀行で日本円に両替すると1万ドンが100円を切ったこともありました。
それが、きょうは100円が19,200ドン。1ドルが88円を割る状況ですから覚悟はしてましたが、テト休みに日本に帰ろうとする気も失せてしまいそうなレートです。こちらでの今の生活費が家賃込みで平均月500ドル。日本への往復航空運賃だけで2ヵ月分の生活費なのは仕方ないとしても日本滞在期間中の交通費やら食費等はベトナム物価の何倍になることやら。
タクシー料金はこちらで9,000ドン/km=47円、ランチが2.5万ドン=130円、煙草8.500ドン=44円、コーヒー16,000ドン=83円と計算しても日本で同じペースで生活すると10倍近くの出費になりかねません。サイゴンの生活も昨年比30%ほどの物価上昇とは言え、円高日本の前には・・・。1970年前後の日本の物価水準=初任給3~4万円の頃だったかも知れません。物価水準としては40年ほど前の世界に生きているということになるわけで、したがって今の円高日本に帰ることは40年振りに出所した人と同様の戸惑いがあるとしても不思議ではないのかも。
40年前の当時の日本は仕事を見つける難しさがない時代だったように思います。ラーメン一杯50円だった高校生の頃の休日のアルバイトは日給1000円ほどでした。今のベトナムの通貨に換算すると19万2千ドン。1枚5000ドンの宝くじを1日に384枚売りさばいて得る収入ですから平均的な売り上げ100枚の3.8倍でちょっと無理。そう考えると当時の日本は随分と豊かだったように感じます。
日本のニュースを見るにつけ、この40年間日本は一体何をしてきたのだろうか、と思ってしまうことが少なくありません。経済格差の拡大を伴う今のベトナムの経済発展はそれ故犯罪数も増大させているわけですが、それでも日本の社会ニュースのように「あぁ情けない」と感じることはなく、残酷であっても何処か納得できるものがあります。きょうの「労働者」紙の三面記事には、「U40の売春、床屋で」というのがありました。記事には34,35才とあるのに見出しはU40。日刊ゲンダイの乗りですが、要するに賞味期限切れとの意味合いでU40と表現してるようです。
それが、きょうは100円が19,200ドン。1ドルが88円を割る状況ですから覚悟はしてましたが、テト休みに日本に帰ろうとする気も失せてしまいそうなレートです。こちらでの今の生活費が家賃込みで平均月500ドル。日本への往復航空運賃だけで2ヵ月分の生活費なのは仕方ないとしても日本滞在期間中の交通費やら食費等はベトナム物価の何倍になることやら。
タクシー料金はこちらで9,000ドン/km=47円、ランチが2.5万ドン=130円、煙草8.500ドン=44円、コーヒー16,000ドン=83円と計算しても日本で同じペースで生活すると10倍近くの出費になりかねません。サイゴンの生活も昨年比30%ほどの物価上昇とは言え、円高日本の前には・・・。1970年前後の日本の物価水準=初任給3~4万円の頃だったかも知れません。物価水準としては40年ほど前の世界に生きているということになるわけで、したがって今の円高日本に帰ることは40年振りに出所した人と同様の戸惑いがあるとしても不思議ではないのかも。
40年前の当時の日本は仕事を見つける難しさがない時代だったように思います。ラーメン一杯50円だった高校生の頃の休日のアルバイトは日給1000円ほどでした。今のベトナムの通貨に換算すると19万2千ドン。1枚5000ドンの宝くじを1日に384枚売りさばいて得る収入ですから平均的な売り上げ100枚の3.8倍でちょっと無理。そう考えると当時の日本は随分と豊かだったように感じます。
日本のニュースを見るにつけ、この40年間日本は一体何をしてきたのだろうか、と思ってしまうことが少なくありません。経済格差の拡大を伴う今のベトナムの経済発展はそれ故犯罪数も増大させているわけですが、それでも日本の社会ニュースのように「あぁ情けない」と感じることはなく、残酷であっても何処か納得できるものがあります。きょうの「労働者」紙の三面記事には、「U40の売春、床屋で」というのがありました。記事には34,35才とあるのに見出しはU40。日刊ゲンダイの乗りですが、要するに賞味期限切れとの意味合いでU40と表現してるようです。
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