GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

記憶の喪失

2008-12-04 02:00:52 | 生活
何を自分の仕事の課題とするのか、をあれこれ考えながら、しかし何をするにもベトナム語か英語でしか資料を揃えられないのがやはり煩わしく、これという仕事をするでもなく一日が過ぎていきます。

こういう時は、日本に帰って日本語環境で仕事をすればオレは今の三倍の能力を発揮できるに違いない、などという気にもなるわけですが、たぶんそれは自己保存的な気休めなのでしょう。日本食なら何でも美味しい、などと思えるのもベトナムでの生活環境の故でしかなく、日本に帰れば毎日の食事に感動し続けることもなくなるわけだし。ベトナム料理でも美味しいものがあるように、日本語で日本人と会話したとて通じない相手にはまったく内容が通じないわけで、ベトナム語でベトナム人と会話してても不自由さを感じさせない相手も皆無ではありません。

ベトナム人の忘れっぽい性質にはしばしば泣かされます。自分に都合の悪いことは忘れた振りをしているのだろうか?などと疑ってしまったりもするのですが。それでいて仕事がらみの数字などには驚くほどの記憶力を発揮しています。直接仕事に関係がなくても数字に強いのがベトナム人の特徴なのでは、と思うことも少なくありません。一般的に数字への拘りが強い社会という印象というか、何でも金額に換算して理解する、価値を推し量るみたいなところもあります。

日頃お付き合いしてる人々が20~30才も年下ですから計算や記憶を掌る脳細胞も若々しく、こちらのニコチン・タールがべっとり付着した血管とは比べ物にならないとも言えそうです。

言語の切り替えだけでなく、ベトナムモードと日本モードというのが自分の中にあり、日本から友人が来たりすると何処か自分が日本人モードに切り替わっていることに気付きます。そういう時は何故か注意力が散漫になり、財布を無くしたり携帯電話を紛失したりしてしまいます。そのモードの切り替えの時に記憶機能の一部が損なわれるかのようでもあります。

きょうも仕事の最中に一時日本人モードに切り替わる瞬間があったり、日本へ電話して話したりした後で事務所を出たところ、バイクを駐輪場のどの位置に停めたのかが思い出せません。地下まで降りてから「否、きょうは地上だった」と思いなおして地上に出ると「ここに置いたのはきのうだ」と思い出し、再び地下へ。しかし地下に降りてもどの辺に停めたのか分らず、思い出そうとしても一昨日の記憶なのか今朝の記憶なのか、あるいは先週のことだったのか、記憶にタグが付いていません。

子供の頃に祖父に同じ話を何度も聞かされたことを思い出しました。「ミツビシに居たときに泥棒が・・・・」。自分も祖父の世界に一歩近づいてしまったのでしょうか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿