goo blog サービス終了のお知らせ 

GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

ディンアン河口

2010-05-23 23:58:50 | 旅行
金曜日は、日が暮れる頃にディンアン (Định An)の町に着きました。町と呼ぶには余りにも小さく、果たして泊まるところがあるのだろうか、と心細い思いで探してると「この先200mにnhà nghỉ」との看板を見つけ道を折れました。が、200m走ってもそれらしき建物はなく、更400mほどのところにまだ建って間もない2階建ての建物がありました。エアコン付きの部屋が一泊12万ドンとのことで、そこそこ清潔そうにも思えたので、其処に泊まることにしました。
受付では、パスポートがないので運転免許証を代用して切り抜けました。

部屋は全部で20室あり、他の宿泊客の姿も見えました。しかし部屋に入ると床にはヤモリのフンが散乱。慌てて宿の人がホウキを持って掃き出しましたが、ベッドの上やトイレの中の糞はそのまま。トイレにはヤモリの死骸も横たわってました。

シャワーを浴び夕食に外に出ると既に外は真っ暗。灯りが少ないので7時過ぎとは思えぬ雰囲気で、その時間に食事らしきものを取れる適当な店は一軒だけでした。店には他の客の姿はなく、店のオバサンも嘆くほどの蚊のためにしばし箸を休めながらの食事。何故か各テーブルの上には天井から水の入ったビニール袋が垂れ下がっていました。

「これは何ですか」?と聞いてみると「水」との答え、「何の為ですか」?と聞くと、何だかよく聞き取れず分かりません。日本で暮らしていた時、隣の家のオバサンが水を入れたペットボトルを並べ、「猫の侵入対策」とか言ってましたが、少なくともこの水袋、蚊避け対策になってないことだけは確かです。

田舎の小さな町で大人の姿は早々と家の中に消えても若い人々はカフェやビリヤードに集まっていました。宿に戻る途中でコーヒーを飲みに寄ったものの、カラオケの騒音と蚊の攻撃に耐えられず早々に退散しました。

翌土・日はチャビン省内を回りフェリーでベンチェ省かソクチャン省へ渡ってみようか、などとも思っていたところ、朝まだ目が覚めぬ頃に携帯メールの着信音があり、VISAの更新ができているとの知らせ。旅行は切り上げてサイゴンに向かうことにしました。

宿の近くに人だかりが見えたので行ってみると其処は船着場。河口近くのメコン河(後河)の流れが見えました。バイクも乗せている姿がありましたが、フェリーというよりは普通の小舟で、少し大きめのバイクを載せるのは迷惑そうな感じです。朝食の麺を食べる人々に混ざってコーヒーを飲み、次回もう一度この地を訪れるつもりでその場を後にしました。


メコン河の出口

2010-05-21 23:01:04 | 旅行
先週依頼したVISAの延長が出来上がっている筈なので(昨日20日が期限切れ)、きょうは仕事を休みサイゴンまで受け取りに行くつもりでした。が、来るはずの連絡は今朝になっても来ず、携帯メールで問い合わせると「まだ」との返事。と、いうことはもしかしてきょうから不法滞在?と慌てなければならないところですが、事情も分からず手元にパスポートもないわけでどうにもなりません。

昨夜はベトナム語の文章を読んでいてちょっと目を閉じて考えようとしたところ、そのまま歯も磨かず、シャワーも浴びず、洗濯も途中のままで眠ってしまいました。ところが運悪く、朝になって水道の蛇口を回しても水が出ません。VISAが出来てないのにサイゴンに行っても仕方ないことだし、部屋は断水・停電。

机の上にチャヴィン(Tra Vinh)の地図があったので、チャヴィンまでバイクで出掛けることにしました。前日の激しい夕立の後で空気は爽やか。空の青さと雲の形もこの時期ならではのものです。Bam Congフェリーの上から見るメコン河は先週にも増して鮮やかで、今度こそは緑色のメコン河を写してみせる、とカメラを取り出し、液晶画面を覗くと「カードを入れてください」の表示。メモリーカードを外したまま置いてきてしまったようです。

フェリーを渡ってからサデックを通りヴィンロンまでは50kmほど。ヴィンロンの町に出る手間にチャヴィン方向に分岐する国道がありました。国道沿いには水田が広がり、水田の奥くにはバナナやヤシの木が見えます。稲は30cmほどに伸び、一面の緑の中を走り続けると、VISAの延長のことなど気にもならなくなりました。

途中、二度ほど雨に濡れ、道路沿いの店で休みました。雨が降っても陽は差したままなので道路は直ぐに乾きました。昼過ぎにはチャヴィンの町に着き、市場の周りで昼食をどうしようかとウロウロしているとパンを売ってたオバサンが、こちらの気を察したかの如く「このパンに肉を挟もうか」?と声を掛けて来ました。パンか麺類であれば胃への負担が少ないようで食べた後で痛むことがありません。

チャヴィンには何度か来たことがありますが、バイクで来たのはこれが初めて。地図はあるものの殆ど用をなさない地図です。チャヴィンはメコン河の支流に挟まれた省で2つの河口が南シナ海に注いでいます。

先日はメコン河の入り口を見たので、今回は出口を見てみよう、などとも思い、河沿いの道を探しましたが地図にはありません。仕方なく、とりあえずは南端に位置するDuyen Haiの町まで行き、そこできょうは一泊してみようかと思いました。

3年前だったかにも一度来たことのある町ですが、相変わらずの感じでここに泊まる気にはなれません。Hotelと名の付くものが一軒、Nha Nghiが2軒ありましたが。チャヴィンの町まで引き返しても50kmちょっと。1時間半もあれば戻れるので日が暮れる前後には着ける距離です。そう思って走り出したものの途中で気が変わり、Tra Cu方向と書かれた道を行ってみることにしました。

たぶん地図では省道914号と記されてる道だと思います。幹線道路でないためか自動車を一台も見ることがありませんでした。道沿いの家々も多くはニッパヤシで葺かれたもので何処か長閑な印象です。水田の稲穂は見えず、養殖池や休耕田が目立ちます。このTra Cu県では少数民族のクメールが人口の60%を占めているとのことです。

子供達がサッカーをして遊ぶ姿が見えたのでバイクを止め、田圃に下りてみました。ベトナム語で話しかけられたのでベトナム語で答えていると余りにも下手糞なベトナム語だったからか「オジサン、ハノイの人でしょ」と問われ「いいえ、外国の人です」とへんてこな答えを返してしまいました。「この辺は何もないよ。Dinh Anまで行かないと。この先のDinh Anには魚の・・・(?)があるから」と教えてくれたので、そこまで行ってみようと思いました。

サッカーに参加するように誘われましたが、苦笑しつつそれは断り、歩き始めると彼らは再びサッカーボールを蹴り始めべトナム後ではない言葉を交わし合っていました。






Vi Thanh 砂糖黍畑

2010-05-04 13:44:49 | 旅行
日曜日は一日中走り回っても結局砂糖黍畑は見つけられませんでした。一日中と言っても走行距離は120kmほど。限られた道を走ってもメコンデルタを知ることはできそうもなく、やはりボートに乗って縦横無尽に張り巡らされた水路を行くべきのようです。しかし、宝くじに当たってボートを一台買ったとしてもディーゼルエンジンの音は騒々しいし、速度もせいぜい20km/hほどでしかなく、長距離走行には向かないようです。

Long Myの町からも南に下ってみましたが所々に養殖池があり魚が飛び跳ねているのが他の景色とは異なる程度でした。この町で昨年11月に来た時に公園でcheを食べたのを思い出し、また食べたくなったので寄ってみました。木陰でcheを食べてると、昼過ぎの気温とは思えぬ涼しさでした。売店のオネイさんは昨年のことを覚えていたようで他の客に「この人、子供の物乞いが来て、パンを買うので5000ドン頂戴、というとバックからパンを取り出してそれを上げてたのよ、」などと面白がって喋っていました。

砂糖黍畑は見ることができなかったわけですが、田園風景にそこそこ癒され、それ以上に暑さに疲れ果てて日曜日が終わりました。

月曜の朝ホテルをチェックアウトし、市場近くの店で卵焼きサンドとコーヒーの朝食をとってからキエンザン方向からロンスエンに帰ることにしました。

カントー製糖工場の先に左折する道があり、製糖工場の近くには砂糖黍畑があるはず、と思いその道を進んでみました。すると10分も走らない内に道沿いに砂糖黍が植えられているのが見えました。

バイクを止め、じっくりと観察。砂糖黍は既に2mを超える高さに成長してますが、まだ幹は青く、町で売られているような紫色にはなっていませんでした。畑に足を踏み入れると、畑というよりは田圃のようで、池のようになった太い水路が畑部分を取り囲んでいます。植わっている土の部分は水面より一段高くなっているわけですが、水路の水の多さは、これほどまでに砂糖黍は水を必要とするものなのかと驚くほどでした。

その隣にはパイナップル畑があり、こちらも周囲を水に囲まれています。そしてその隣には田圃が広がっていました。焼け付くような熱帯の太陽と無数の水路、それがこの地の豊かな農業を作り出している、ということなんでしょうけど。

田圃の向こう側の林の上には白い見事な積乱雲が見えました。この綺麗な形の雲が鮮やかに見えるのはこの季節ならではです。


ニッパヤシの家

2010-05-03 23:51:57 | 旅行
Vi Thanhに着いた日は特に暑く感じられ、直ぐに砂糖黍畑を探しに出掛ける気力も失われて、ホテルの部屋でシャワーを浴び、水をたら腹飲んでエアコンと扇風機の風に当たっているうちに眠ってしまいました。夕方涼しくなってから外出し、国道沿いに位置するカントー製糖工場は直ぐにわかりましたが、砂糖黍畑はまるで見当がつきません。

地図には製糖工場の近くで国道61号線のバイパスの分岐があることになってしますが、実際にはそんな道路はなく、予定道路のようです。だいぶ薄暗くなって来たので、この当てにならない地図に頼るよりは、翌日一日時間もあることだからゆっくり省内を気ままに回ってみよう、ということにしました。

砂糖黍を作るより米を作った方が収入になるらしく、したがって米作に適さない場所に砂糖黍畑はある筈だから、カントー市の近くよりはバクリュウ省に近い南方向ではないか、と思って、翌日は南方向へ走ってみることにしました。

しかし、夥しい水路の数に比べ道路は悲しいほど限られた本数しかありません。南に向かう省道らしき道路は地図では3本だけ。しかも2本は途中で途切れてます。Nang Mauの町を右折する道路を行ってみることにしました。

道は次第に閑散とした地域に入って行きましたが、木立の向こう側に見えるのは主に水田で、ニッパヤシに覆われた薄暗い林の中を進んでも砂糖黍は見えません。細い道が幾つか分岐するようになり、折れてみようかとも思いましたが、帰りに迷うだけなのでひたすら水路沿いに直進しました。

しかし景色は変わらず、諦めて鳥の鳴声を聞き澄ましたり、蓮の葉の上に乗ったアヒル(?)の雛を眺めたり、その場を楽しむことにしました。橋の上からビデオを撮っていると、近くの家から「こっち来て水でも飲んで行けや」ってな声を掛けてもらったので、お邪魔して来ました。

木の柱はしっかりしてましたが、壁や屋根はニッパヤシで葺かれていて、床は土間。家の中には大きな籾摺り機が設置してありました。この機械は現役ですか?と聞きたくなるような風情がありました。「人に頼まれた時だけ動かすんだ」そうで、この日は稼動してませんでした。籾米がビッシリとはち切れんばかりに詰まった袋が何個も積み重ねて置いてありましたが。

6歳ぐらいの男の子と年頃の娘さんとご夫婦の4人家族でしたが、その上にもう1人子供があり、町で働いてるそうです。お嬢さんはとてもチャーミングでしたが、カメラを向けると逃げ出してしまい折角の器量を収めることはできませんでした。

その代わりに帰り際、猫がトカゲを捕まえてきて楽しませてくれました。工場の庭にいるトカゲと同じ種類のものでした。このトカゲ、走る姿が、かつて80年代だったかTVコマーシャルで見たエリマキトカゲに似ています。それだけに猫に食べられてしまうのは可愛そう、と思ってしまったわけですが、猫には猫の立場もあるだろうし。

子供の頃は素手で何度もトカゲを捕まえたことがあるので、猫にしてみればトカゲを捕まえることなど簡単であるに違いありません。食べるために捕まえたのか、それとも自慢するために家に持ち帰ったのかは知りませんが、全員が注目する中、突然トカゲが逃げ出しました。そして再度捕獲し、すると仔犬が寄ってきてパフォーマンスに参加しました。

向かいの家では二人の子供のお母さんがニッパヤシの葉を編んでいました。編むというより、ビニール紐を細く裂いた糸で葉を縫う作業です。この近所では何軒もが同じ作業をしていました。この葉は何年位持つものなのか尋ねてみたのですが、話はかみ合わず、一方的にペラペラ喋り捲られました。日本人なのでベトナム語は良く聞き取れないんですが・・・と言うと、「でも良いわよ、妹の亭主が台湾人なんだけと全然ベトナム語が分からないからって何時も母がこぼしてるんだから・・・」てな具合。

同じメコンデルタの省の中でもこのニッパヤシの家の生活と町の暮らしとではまるで別世界です。この落差は一体何なのでしょうか。農村の美徳が失われ、それとは断絶したところに成立しているベトナムの都市って感じもします。

この家は、ここに越して来て10年だそうで、籾摺り屋一家はまだ2年だそうです。農村への人口流入がメコンデルタでは今でも可能な社会ということかも知れません。

メコンの砂糖黍畑

2010-05-02 20:09:00 | 旅行
90年代まではベトナムの最大の砂糖黍生産地はメコンデルタでしたが、今はたぶんその半分位の作付け面積です。北中部のゲアン省やタインホア省などはその反対にこの10年間に急増。生産量も逆転してしまいました。

作付け面積が減ったとは言え、他の作物同様に単位面積当たりの収穫量はメコンデルタが圧倒してます。もっとも今年は、昨年の砂糖価格高騰を受けて、メコンデルタでもカユプチの林や果樹園を砂糖黍畑に変えている所が多い、などとも聞き、メコンデルタの砂糖黍畑を一度見ておこうと出掛けることにしました。

メコンデルタの砂糖黍生産地はハウザン省が最大です。先週もヴィータンの町には行ったので今回は違う道を通って行くことにしました。連休中なので国道は交通量も多そうだし、田園風景を眺めながら省道や農道を走ることにしました。

カントー市のO Monからキエンザン省のGiong Riengに抜けVi Thanhに至るルートが地図を見るとありそうでした。三叉路で迷っていたりすると、やはり連休中のためかホーチミン市のナンバーを付けたバイクが同じように地元の人に道を聞いていました。

地図を見ながら知らない道を走るということはないようで、迷ったら人に聞くのがここでは当たり前のことのようです。何故そうするのかを余り考えたことはありませんが、今回ようやく解りました。地図が当てにならないからです。

地図ではO Monから水路沿いにGiong Riengまで一本の線が引かれてるだけですが、実際は分岐する道が何本もあるわけです。今更ながらのことですが、今回も何時しか舗装路が砂利道に変わり、そして民家の軒先みたいな小道を走ることになり、したがって壊れかけたボロボロ橋を何本も渡ることになりました。要注意なのは県境というか省の境で、キエンザン省に入って暫くすると田圃道になり、遂に歩いてしか渡れない橋に出てしまいました。慌てて左に曲がる農道に折れたところ行き止まりで目の前は田圃。

気付くと水路の反対側にはバイクの通る道がありました。仕方なく引き返し、暫くするとバイクを一台乗せられるような手漕ぎの小舟があったので頼んで水路を渡ってもらいました。これまたどうしようもない悪路でしたが20km/hほどでは走れました。

やっとのことで初めての町Giong Riengに着きました。ところが何処か見覚えがあります。市場の近くでパンを買いコーヒーを飲んでると、昨年の「コメ祭り」でVi Thanhに行く時に寄った場所だと気付きました。その時は国道61号線を走ったつもりだったのですが。

Vi Thanhの町に着くと直ぐにハウザン省とキエンザン省の地図を買いました。キエンザン省の地図にはGiong RiengからVi Thanhへの道、今走って来た省道すら記載されていませんでした。

カマウからカントーへ

2010-04-20 19:02:24 | 旅行
カマウから1号線をバクリュウへは東方向。朝の太陽が進行方向の正面にあるので逆光となり、風景を楽しむという具合ではありませんでした。道路は63号と違って道幅も広く、センターラインもあって大型バス2台が80km/hのスピードでもすれ違うことができ、またバイク車線も余裕があります。ティエンザン省などと比べれば車の台数はまだまだ少なく、快適です。

しかし、町を通る時は多くは道路を横切る水路があり、その橋は悉く付け替え工事の最中でした。そのため細い仮設の橋を片側通行で渡らねばならず、四輪車はかなりの時間そこで待たされることもあるようです。

1時間半ほどでバクリュウの町に着きました。町の中に入り朝食とコーヒーを、と思ったのですが、適当な店が見当たらず、しばらくウロウロしてました。WiFiの看板が出てるカフェに入ってみたものの「今は壊れてて使えません」とのこと。結局、持ってきたノートPCは使えわず仕舞い。滅多に来ることもない町ですから、何ならここで一泊して明日の朝帰っても・・・との思いもありましたが、事前に何も調べて来なかったので行きたい場所もなく、また長居をする気が起きる何ものもありませんでした。

バクリュウの町から1号線は一度北に進み、しばらくしてから東北に向かってソクチャンに向かいます。デルタ南部のこの当たりの風景はメコン河周辺の田んぼと異なり、この時期、まだ水が引かれていませんでした。日本なら11月に見る田んぼ風景でしょうか。その頃の空気の冷たさを思い出しますが、カンカン照りでクソ暑い干上がった田んぼには情緒など感じられません。

ソクチャンの町に入る前の国道で交通警官に呼び止められました。スピードも車線走行も問題ないのに。ムッとして「何か違反した?意味もなく止めるなよー」と若い警官に文句を付けました。自分に落ち度がないのでこの時ばかりは強気。ロンスエンの町では毎日、また毎週末に省内の国道を走っても一度も呼び止められたことはありません。目的もなく取り締まりをするわけではないので優良ドライバーは大丈夫。以前キエンザン省の道路でも止められましたが、田舎の若い警察官は気まぐれで止めるので勘弁です。

見ると白バイはヤマハの750CC。ロンスエンではホンダのCB250だというのに。ソクチャンの警察にはそんなに予算があるのでしょうか。それともヤマハが寄付したものかは知りません。「いいからバイクを降りろ。登録証と免許証を出して」などと若い警官は威張ったままなので、登録証と免許証、自賠責保険証もセットで渡しました。すると「この免許証は四輪車用だ」などと得意そうに反撃して来ました。ベトナムでは四輪車免許は有効期限があり、二輪免許は期限がないため通常別々になっているからです。「免許証の見方も分からずに警官やってるの?ここにA1って書いてあるじゃない」。ソクチャンでは外国免許証を書き換える外国人は皆無なのかも。

少々気分を害されたので、ソクチャンの町には入らず、1号線をそのままカントー方向に進みました。この道には見覚えがありました。ソクチャンにある水産工場に何度か行ったことがありました。ソクチャンを抜けるとホウザン省に入ります。ガーバイの町で休憩し昼食を取りました。ガーバイ(Ngã Bảy)は七差路の意味ですが、数えてみると道は5本しか確認できませんでした。一本の細い道に折れ市場を抜けると水路沿いに店が並んでました。多くの道が交わる場所というのは元々が水路が交わる場所だったようです。

折角ホウザン省に来たのでサトウキビ畑を見に行こうかと迷いました。しかし昼時の日差しの強さに負け、「どうせ、来週もカントーまで来るわけだから」と先延ばしに。

カントーの市街に入る手前にはヴィンロン方向に分岐する標識があり、新しい道路が出来ていました。カントー橋に通じる道路のようです。朝早くカマウを出たため2時過ぎにロンスエンに無事帰ってくることが出来ました。2日間で走行距離は500kmちょっと。ガソリン代と一泊料金で計2,000円ほどの出費でした。

ウーミンからカマウ市へ

2010-04-20 15:21:37 | 旅行
アンザン省ロンスエンからキエンザン省を抜けてカマウ省まで来たので、帰りには国道1号線でバクリリュウ、ソクチャン、ホウザン省を通りカントー市経由で帰るとメコン河後江以西の7省・市をすべて通ることになります。カントー橋開前のこの時期、まだ後江で隔てられたままの土地をこのルートで走ってみようかと思いました。

そのためには先ず、カマウ市まで行かねばなりません。カマウ市はカマウ省の省都。したがって省の何処からでもカマウ市に至る道がある筈と走ってみたものの水路に沿って作られた道はくねって方向も分からず、気が付くと来た道を再びキエンザン方向に向かってました。地図にない道を探して森の中を迷子になるよりはその方が安心と諦め、63号線まで戻ることにしました。

地図を見ても水路は夥しい本数が流れています。この辺だけに限らずメコンデルタ全体がそうなのでしょうけど。それに引き換え道路が少ないのは、交通手段もまた水路を使う生活だからのようです。小舟のある生活というのにも少々憧れるものがあります。

カマウ市に向かう63号線は、地図では太く赤い線で印刷されていますが、その分岐点は南から戻ると市場の混雑の中を抜けるため分かり難いものでした。

カマウの地も17世紀の末にカンボジアのカンポート、ハーティエン、ラックザーと共にマック・キュウさんによって開拓されたと書かれてましたが、今のカマウ市だけがタイ湾沿いの海岸には位置しておらず、タイ湾沿岸と南シナ海沿岸に挟まれた中間の内陸にあります。何故なのでしょう?他のメコンデルタの都市は、殆どがメコン河沿いか海岸沿いなのに。

アンザン省の水路沿いの道は水路の水面よりもかなり高い位置に道路がありますが、この辺では道路の位置が高くなく、その分水路の水面が寄り身近で和むものがあります。雨期のメコン河の氾濫の影響がこの辺ではないからなのでしょう。

道路沿いでは、黄色い果物が売られていました。マクワ瓜のような色ですが丸い形なので違う果物のようにも思えます。人気のない土手で用を足してると足元にもこの果物の食べ賭けが捨てられてました。高価な果物ではないようです。

暗くなる前にカマウ市に着く前にでも宿泊するつもりでしたが、ノートPCを持って来てるのでせめてWiFiの使えるホテルと思ってしまい、しかし道路沿いの建物はそんな環境は望めそうにないものばかり。そうこうするうちに日が暮れてしまい、やっとホテルもありそうな町らしき場所に着いたと安心したところが何か雰囲気が変。Vinh Thuanという町ですが、明かりが点いておらず停電の様子。カマウまで50kmの標識に躊躇いながらもそのまま走ることにしました。

この63号線、国道だと思うのですが、趣は農道。バイクを追い抜きながら走って来るトラックの対向車とすれ違う際には何度か路肩に落とされました。オマケにライトを上向きにしたままの車も少なくなく、その都度目は眩み怒ってました。カマウ市に着いたのは8時を過ぎた頃。大そう立派な行政都市でロンスエン以上。街中の道路も広々だし。63号線の貧弱さとはあまりにも対照的です。大きな公園の向かいに建つミニホテルに入りました。WiFiの表示が入り口にありました。

一泊18万ドン。エレベータは無く4階の部屋でしたがエアコンをつけても部屋の熱気は直ぐには収まらず、堪らず外に出てしばらく甘いものを食べながら涼むことにしました。ミニホテルの従業員はとてもフレンドリーではありましたが、WiFiはネットワークに繋がっても受信できず、それに水色の化繊の枕カバーがどうもしっくりしません。部屋は広いのに。

ヘトヘトに疲れてしまい、ベットに横たわるとそのままシャワーを浴びることなく歯も磨かずで10時前に眠ってしまいました。お陰で翌朝は6時に目覚め、シャワーを浴びて早々にチェックアウト。国道1号線をバクリュウ方向へ走りました。

ウーミンの森

2010-04-18 19:03:06 | 旅行
土曜日の朝、目覚めて電気蚊取り線香のスイッチを消そうとするとパイロットランプが点灯しておらず、冷蔵庫を開けてもランプは消えていました。雨期の始まる前の4月は電力不足で停電が多いとは聞いてましたが、ここの敷地内にあるゼネレーターは何の為なのか恨めしい。

顔を洗おうとして水道の蛇口を回すと水も出ず、停電の上に断水。髭も剃らずにパソコンを持っててカフェに行くとカフェも停電でWiFiが使えません。土日の朝は客が多くて落ち着かず、早々に部屋に戻ってみたもののエアコンどころか扇風機も使えない状態で汗ばむばかり。洗濯するどころかトイレの水も流せないのはやり切れません。パソコンと着替えをリュックに詰めて停電の町ロンスエンを脱出することにしました。

暑い時は森林浴が一番、と先週知ったので、メコンデルタの森の代名詞であるウーミン(U Minh)の森方向に行ってみることにしました。キエンザン省とカマウ省にまたがる湿地帯の森です。塩分を多く含む水路のため農耕に適さず開発から取り残された森だったそうですが、それでも1975年の戦争終結以降の10年で急激に森林面積が喪失し、植林が行われるようになった、などとも何かで読んような気がします。

戦争中は解放戦線の解放区があったとも聞いてますが、知ってるのはその程度。地図を見るとラックザー方向に走り、国道61号に出てこれを少し南下するとカマウ方向に進む道との分岐がある筈です。

が、地図をうろ覚えで、何処で昼飯を食べようかとの思いが優先して通り過ぎてしまい、途中で気付いて引き返しました。すると直ぐにまたまたクラッチレバーのボルトが抜け、ナットが落ちてクラッチが使えずエンスト。ボルトを入れ直し、指で押さえながら走って近くの修理屋さんに立ち寄ったところ、誰も居ないのでネットを一つ頂いて自分で取り付けました。見ると店の親父さんはハンモッグで昼寝の最中。眠りを妨げるのも悪いかとそのまま立ち去りました。

カマウ方向に分岐する63号線に折れて直進すると、地図には記載のないフェリー乗り場に着きました。船も大きくなく、自動車も数台載るのでバイクのスペースは狭くく窮屈でした。向こう岸も直ぐ近くに見えるのでバイクに跨ったままヘルメットも外さずにいると船は反対岸ではなく水路を右手に進みました。「あれーこれは一体何処に向かっているのだ」?と不安にもなりましたが、決まった行く先があるわけでもないので諦めました。後で確認すると、水路の向こう側にもう一本大きな水路があり、最初の水路を暫く右方向に進んでから「水路と水路を繋ぐ水路」を行き、それから大きな水路を渡ったようです。時間は30分ほど掛かりました。

フェリーを降りると後はひたすら南に伸びる水路沿いの道を走るだけ。途中で人気のないカフェのハンモッグに横たわり、水路の上を渡る涼しい風に吹かれ、店番をしながら音楽のノートを書き写している7年生の女の子と少し話ました。地図を見せて現在地を尋ねるとカマウ市方向に分岐する道は既に通り越し、真っ直ぐ進めばウーミンの森方向だと教えられました。

進行方向に雨雲が見え、風も冷たくなって来ました。が、幸い直接降られることはありませんでした。しかし何時しか舗装路が終わり、凸凹道に変わってしまいました。行き止まりの道なのかと不安にもありましたが、そのまま4kmほど進むと幅は狭いながらもコンクリートの道に続き、カユプチの林の中を走ってました。切り出した細い木材を水路の舟に運ぶ姿もあります。犬や鶏が道路を横切るのを避けながらバイクを走らせました。犬は危険を感じると方向を変えて引き返すので却って危なかったり、鶏は一羽が飛び出すとその後を次々と何羽もが後に続いて突進するのでこれまた要注意でした。

道路には標識があり、「〇〇まで2km」とか町の名が記されてはいますが、その名が手持ちの地図にはなく、地図にある地名は見ることがありません。道が二手に分岐した時にはお手上げでした。大雑把には東に進めばタイ湾、カマウ市は西方向ですから取りあえず西を選びました。すると運悪く一箇所でコンクリートの橋が建設中で未完成。その脇にカユプチの細い材木を束ねた壊れかけの橋があるだけです。バイクを止め恐る恐る橋の上を歩いてみると細い木なので軋み揺れます。雨の後で木も濡れてるし、釘の頭も何本も浮いていました。ここで無理したらろくな事になりません。落ちたら最後、バイクは引き上げられないし、「ファイト一発」なんて体力もないわけですから。

バイクの向きを変えてる最中に向こう側からバイクが来ました。地元の人のようで子供も乗せた三人乗りです。躊躇無く、足は下に二・三度着けながらも渡って来ました。「他人ができることを自分が出来ないわけがない」などというつまらぬ意地が湧き起りました。再び向きを変え、教習所で習った「障害物走行」はこの日のためなのだ、とばかり半クラッチでエンジンを強めに噴かし、その音に鼓舞さらながら一気に渡りました。

カユプチの森で森林浴

2010-04-10 21:37:35 | 旅行
息を大きく吸い込むと左胸が少し痛むので、これは心臓ではなく肺の痛みなのかも知れないと思うようになりました。排気ガスの充満するサイゴンの街で長く暮らし、何処かずーっと呼吸を浅くする癖が付いてしまい、深呼吸など忘れてしまったいたような気もしないではありません。少しずつ恐る恐る息を深く吸い込みながら、どうせならもっと空気の綺麗な所で思い切り深呼吸してみよう、と思いました。

アンザン省ティンビエン県に自然公園があることはベトナムフォトジャーナルを読んで知ってましたが、まだ行ったことはありません。
www.vietnampictorial.com/Internet/ja-JP/49/130/111/19364/3/2009/Page=3/Default.aspx

その近くまでは行っている筈ですが、この新聞の記事にも観光地図にも行き方の記載がないのでグーグル・アースで探し、座標をメモしてGPSを持って出掛けました。

ロンスエンから2時間ほどで公園の入り口に着きました。公園入り口の大きな看板があり、200m先と書いてありますが、矢印方向は幅10mほどの水路の向こう側なのに橋がありません。「エー、まったく何考えてるんだよベトナムの公務員!」と相変わらずの台詞が口を出てしまいました。

腹立ち紛れに画像で証拠を残しておこう、とビデオを回していると舟が遣って来るのが見えました。下を覗くとバイクでもどうにか降りられるような急な通路があり、聞くとこの舟で公園側に渡るのだそうです。橋が無ければ渡し舟がある、というのがここでの常識なんでしょうけど、その旨を告げる看板もなく、危うく引き返してしまうところでした。

カユプチ(Cajuput)の木はベトナム語では「cày tràm」で度々見聞きする木です。建築現場などて見るヒョロヒョロした材木とか杭とかもこの木だと思います。日本ではその葉から作られるカユプチ・オイルが有名のようですが。

カユプチ・オイルに効用があるならカユプチの森で呼吸するだけでも健康的な気になりひたすら深呼吸を続けました。すると昨日まで感じた胸の痛みがまるでありません。偶々そういうタイミングだったのかも知れないわけですが。

森は四方を田圃に囲まれた845ヘクタールの面積。歩いて一回りするには広過ぎます。外周を水路で囲われ、ボートや原動機付きボートで回ってる人もいました。水路に沿った遊歩道以外は立ち入り禁止の様子で、時折釣り糸を垂れている人を見かける程度で訪れる人も少なく静かです。

その分、野鳥の鳴声や魚が跳ねて水面を叩く音が響き渡っていました。カユプチの葉は竹の葉を大きくしたような形状で夥しい枯れ葉が地面を埋めています。この熱帯では枯れ葉は腐葉土とはならず、堅く固まった土の上に乗ってるだけなので、急な土手を降り、水面に近付こうとすると枯れ葉と共に足元が滑り落ちてビックリ。上るのはもっと大変でした。

森の中は思っていた以上に涼しく、何時間でも飽きずに過ごせそうでしたが、2時間半ほど過ぎて昼になり、腹が減って来ました。弁当の用意には思い至りませんでした。次回は雨期にもう一度弁当を用意して来るつもりです。




Kep海岸を泳ぐ犬

2010-03-22 09:29:09 | 旅行
火曜日の朝、無断欠勤を二日も続けてしまったので今日中にはベトナムに戻らねば、とは思いつつ前日は400km走って流石に疲れ、早起きするつもりがホテルを出たのは8時を過ぎてました。事故でも起こせば諸関係に迷惑も掛けるだろうし、カンボジアから職場へ電話するつもりで1月に使ったカンボジアの携帯、メットフォンに3ドル分の料金をチャージしたにも拘わらず、結局掛けた電話は日本へ。どっちみち国際電話だから料金は同じようなものだろうし、と思ったわけではありませんが、ベトナム語を話すのが面倒でした。

帰りもまた埃に満ちた同じ道を通る気にはなれず、Kep海岸方向に進む16号線を行くことにしました。地図を見るとこの道路がプノンペンとシアヌークビルを繋ぐ線路に沿っています。何故だかこの狭いKep(Kaeb)周辺は州境の線で囲まれ、カンポート州には属してないようです。Kepの岬から15kmほど海岸線を東に進めばハーティエンの国境に出ますが、道路は海岸線を走ってはいないようでした。
地図にあるハーティエンの出入国ゲートに向かう道を行ってもタケオに戻るより遥かに近い距離です。

16号からKep海岸までは5kmほどしか離れてないので立ち寄ってみました。昨日もそうでしたが、道を歩く子供達が時折楽しそうに手を振ります。乗ってるバイクが外国人っぽく見えるせいかも知れません。プノンペンナンバーをつけた同じようなデュアルパーパス型の日本製バイクに乗った欧米人は少なくありません。排気量やエンジン音はかなりの違いがありますが。

子供たちが手を振る姿を見て何処か遠い記憶を呼び起こされたような気になりました。ベトナムではこのバイクに乗っててもベトナム人としか見られないわけだし、自分が子供の頃に同じように手を振った記憶なのかなどとも思ってみましたが、具体的な記憶は何も蘇りません。ただ何かが懐かしく感じられました。

海岸近くには別荘が立ち並んでいました。多くは朽ち果ててフランス植民地時代のもののようです。幾つかは新しく現代風に立て替えられ、あるいは建設中でした。Guest Houseの看板もあり、プノンペンからのキャピタル・ツアーのバスも止まってました。

シアヌークビルで見た海岸やベトナムのハーティエンの海岸ではあまり感じることのなかった安らぎが此処にはありました。海岸でイカの串焼きを一つ買って食べ、子供達が漁船から飛び込む姿を眺めてました。一匹の犬が砂浜に来たので口笛を吹いて呼んでみましたが、まったく無視され、犬はそのまま海の中へ進み泳ぎ始めました。

16号に戻り再びタケオ方向に走るとハーティエン国境方向に向かう道との分岐の標識があり、心を動かされながらもそのルートは次回にすることにしました。ロンスエンからハーティエンまでは120kmほどありますが、それでもサイゴンまで行くことを考えれば半分程度。次回はハーティエンの国境越えを試みるつもりです。