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GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

ラオスのバッタとトカゲと花

2012-10-19 22:24:23 | 旅行

昨日はラオスからカンボジアとの国境を越え、日が暮れてしまったのでクラチェに一泊し、きょうの夕方プノンペンに戻りました。画像はたまたまガソリンタンクの給油口の上に止まっていたバッタ。

湿地に群生していました。場所は北緯14度5分13.5秒、東経105度52分11.7秒とGPSデータにあるのでコーン島に渡るフェリーを探してる途中の風景です。

116号道路の脇に咲いていた花

ワットプーで見たトカゲ。ベトナムでも見掛けたことのあるトカゲですが、膨らませた顎の色がベトナムで見たものはオレンジ色だったような。

カンボジアのケップで見たスイレンは赤い花だったので、この白い色は印象的でした。ここでも水連より蓮を多く見ましたが、蓮はこの時期枯れかかったものが多く、カンボジアのものと変わらない印象でした。


パクセからアタプー

2012-10-17 23:25:24 | 旅行

パクセで一泊し、朝8時過ぎにチェックアウトして銀行へ。新市場近くのACLEDA銀行のATMでは昨日と同じで引き出すことができず、店内に入って尋ねてみました。
「カードがVISA扱いのためにラオスのACLEDAでは使えません」。VISAの付いてないキャッシュカードであれば使用できるのだけど、との説明には理解できないものが残りましたが食い下がってどうにかなるものでもなさそうです。

このVISAデビットはカンボジア国内のみ、と説明を受けているので尚更不可解。諦めてベトナムの銀行カードのVISA扱いで引き出すことにしました。4%手数料を覚悟して。カンボジアのACLEDAカード引出しの際は、リエルでもUSドルでも可能ですが、ラオスは当然ながらKIPのみなので100万KIP(125US)引き出しました。

          

現金の次に必要なのは3Gのシムカード。言葉が通じない上に方向音痴を自覚しているので見知らぬ土地ではグーグル・アースに頼るため必須アイテムです。

ガソリンを入れ、さあ走るぞ、と気合いが入った直後に白バイに停止させられ出鼻を挫かれました。書類の提示を求められただけで、免許証やパスポートの提示は要求もされませんでした。
30分も走ると気温が下がったようでかなり寒くなりました。ジャンバーを取り出して着ようとバイクを止めると、日差しが強くて頭部は照りつける暑さでした。「800m先に滝」の看板を見たので左折して立ち寄りました。ホテルやコーヒーの木もあるリゾート施設になっているところでした。その後も滝の看板は幾つも見ましたが、コーンパペンの滝を見ればればもう十分という気分。

                    

PAKSONGの町でUNITELの店を見つけたので立ち寄りました。携帯で3Gを使いたいと言ってみましたが、何やら微妙な雰囲気。携帯は電源を切っておかなかったのバッテリー切れでコンセントに繋いで設定して貰いました。しかし、Mobile networkは「Disconnected」状態のまま。SIMカード10万KIP、チャージ10万KIPで計200円が無駄になってしまいますが、仕方ありません。音声通話は出来るからまぁ良いか、と諦めました。

          

PAKSONGの町を抜けると道路はSEKONG方向とATTAPU方向に分岐しています。目指すアタプーは直進とかすかに読み取れるので直進しました。どちらも舗装路のことだし。

道路に行先の表示石柱がないのが気になっていましたが、舗装路はいつの間にか終わり、土や砂利の道に変わっていました。

                    

コーヒープランテーションもあるこの地域がBOLOVEN高原ということのようです。

          

12時頃に食堂を見付けたのでバイクを止めて店に入ったのですが、その途端に食べる気が失せてしまい、問いかける言葉も知らないのでそのまま店を出てしまいました。道にコーヒーを干してところを見ると小規模なコーヒー栽培農家も少なくないようです。

分岐点があり、直進の道路には「Not Entry」の看板があったので右方向に進みました。コンパスを確認すると南へ進んでいました。手持ちの50万分の1地図では東に直進なのですが。すると道路は山の中を進むことになり、するともう曲がりくねるばかりなので進行方向は確認できません。

次第に険しい個所が増え、時折前方から来る四駆車とすれ違いました。少なくてもバスが通れる道でないことは明らかで、道を間違えたことに気付いたものの再び山道を登るのも面倒。それでも送電線が引かれているので何れは何処かの幹線道路に出る筈と思うことにしました。3年前にベトナムのコンツムからバスで来た時に見た風景とはかなり異なるものでした。

                    

山の中腹から湧き出る水が道の傾斜に流れ出ているのが一番恐怖でした。12年前フエの山を越えた時と同じような雰囲気(今はすっかり舗装されています)。何れはこの道もバスが通れるようになるのでしょうけど、今は石がゴロゴロしてたり泥濘んでたり。に足をついて靴はすっかり泥だらけ。

          

傾斜がなだらかになり、民家が見え始めると少し安心しました。しかしライフルを持った人間とすれ違った時は息を飲む思いでした。2度目はバイクの後部座席に座った子供でしたが。軍事用のライフルではないようですが、空気銃でもない様子。

遂に舗装路にでることが出来、アタプーまで50kmとの表示が見えました。3時前にはアタプー県の県都アタプーに着く筈。安心した途端に今度は眠気に耐えねばならないことに。ちょっとコーヒー飲んで休む、などという店もなく、草むらで身体を横たえたい欲求が起きるものの牛の糞が背中にベットリの妄想も。

                    

幹線道路に出ると水力発電所がありました。グーグル・アースで確認するとこの付近の標高900mのところに湖がありますした。道路は標高100m程度のところを走っています。

アタプーの町にはまったく見覚えがありませんでした。ベトナムの田舎の行政都市と同じで目に入るのは地方官庁の建物と銀行程度。碁盤の目のように道路は造られ、街灯も取り付けられているのに人々の生活が感じられない町です。バイクの修理店などはベトナム語の表記もあるのでベトナム人も少なくはない様子。

          

少々料金が高くてもゆったり出来るホテルでWifi繋いで道路の確認をしたい、との思いは無理だと諦め、最初に見つけた看板のホテルに泊まることにしました。一泊80,000KIP(800円)でWifiなしのエアコン付き。夜中には蚊が耳元にやって来て二度起こされてしまいました。


コーンパペンの滝

2012-10-16 23:26:41 | 旅行

Nakasangからまた少し南に下り、昨日立ち寄ったコーンパペン(Khone Phapheng)の滝を見ることに。昨日とは違いゲートには係員が居て入場券30,000KIP(300円)、バイクの駐車料5,000KIPを支払ました。展望台があり、ここからはメコン河が流れ落ちる様子がはっきりとわかります。

 

落差は大きくありませんが、流石にメコン河の滝という迫力は十分。岩波新書の「ベトナム民族小史」にかつてフランスの探検隊が雲南との通商路を求めてメコン河を遡り、滝があって断念した・・・と書かれていました。その滝がこれなのでしょうか?メコン河ルートを断念してベトナムに向かったわけですから、この滝がなかったらベトナム近代史も違ったものであったのかも。

 

観光客相手に写真を売る子供たちが10数人居ました。あまり商売熱心ではありません。男の子たちは商売道具を置いて川遊びに夢中でした。「コーンパペン・ハイモック・メナムコン」という発音を教えて貰いました。ラオス語発音でメコン河を「メナムコン」と言うようです。メコンの語源でしょうか?

            

一番大きな中州、DONE KHONに渡るフェリー乗り場を探して13号線を北上しました。標識があったので折れてみましたが、中国企業が橋梁建設を行っている工事現場に出てしまい、フェリーがあるような雰囲気でないので諦め、更に北上し、県都パクセ方向へ。

 

道の両側に広がる田圃は稲穂が実って黄色や茶色だったり、まだ緑色のだったり、また稲刈りが終わった所もチラホラ。大きな杵をつく姿を見てバイクを止め見学させて貰いました。

道路は次第に交通量が増えるものの信号はなく、舗装状態も良好でした。

          


チャムパサックの朝

2012-10-16 22:04:36 | 旅行

前日は寝不足だったことも手伝って10時間もぐっすりと眠り、爽快な朝でした。13ドルのホテルはWifiや冷蔵庫もなく、ベトナムより物価の高さを感じますが、敷地だけはさすがにラオス、と思わせる広さでした。朝食を求めてKhinakの市場に行ってみました。

 

50万分の1の地図しか持っていないので、携帯で3Gに繋ごうと思いUNITELのオフィスを探しました。ベトナムのVittelがラオスで営業している通信会社です。たぶんカンボジアのMetFoneと同じサービスを提供しているのではないか、と思います。

               

日曜日のためかオフィスは閉まってました。携帯通信各社の広告はやたら多く、ETLとは最近日本でも導入されたばかりの4Gのことかと驚きましたが、どうやら通信会社名のようです。

市場には見慣れないものが多くありました。樹皮の付いたままの木片は、どうやら食するもののようです。「ほら、こうやって食べるのよ」てな具合にこの女性が口を開いて見せてくれました。が、シャッターを押したのが一瞬遅かったようです。

 

煙草もどっさりと量り売り。コメと共にコメ糠も売られていました。

メコン河沿いに南下してNakasangまで戻ってみました。4,000も(?)ある中州の島を巡るメコン河クルージングの発着所です。観光バスの団体客やバックパッカーの姿もありました。

                 

バイクを乗せて島に渡るような舟は見当たらず、クルージングだけのようでした。

 

行く時に出会った荷車を押す親子、犬も4匹ほど同行してました。30分ほど経過して戻る時に再び会いました。

 


クメール正月明けのプノンペン

2012-04-19 16:28:15 | 旅行
カレンダーでは今週月曜日で正月休みは終わることになっています。それでも正月明け3日目のきょうも道路の交通量は少なめ、スーパーも閑散としてのんびりとした雰囲気が続いてます。

かつて旧正月明けに日本からサイゴンに戻った時なども、わずか一週間位で随分と気温が上がってしまったかのように感じる暑さでしたが、4月のクメール正月を挟んだ前後はそれ以上の気温変化があるようで、とにかく暑くて堪りません。

ベトナムでも飲食店などはテト明けに価格改定=値上げが通例でしたが、ここでも一食3,500リエルだったものが4,000リエルに。

昨年6月には1ドル=4,200リエルほどだったものの、きょう見た町の両替屋の看板は1ドルを換えても4,000を切る価格になっており、ドン通貨安の続くベトナム生活に慣れた身にはちょっと驚きです。

ベトナム同様、正月休みを海外で過ごす人々が増えるという記事がプノンペンポストにありました。


「故郷だけが休日を過ごす場所ではない」

このクメール正月は、カンボジアでは伝統が壊されているかのように感じられる。故郷に帰らず寧ろ国を離れ海外で過ごす人々が増えている。

旅行代理店では、神聖視されていた家族との再会の場である休暇期間中の海外旅行の増加傾向を指摘している。

正月にカンポートやバッタンバンにバスで帰る代わりに、今やカンボジア人は飛行機でマレーシア、シンガポール、あるいは香港にすら行っている。

「カンボジア人の旅行好きは、大型連休の時だけに限ったことではなく、週末ですらそうだ」。プノンペンにあるスカイ・キング・トラベルのMuth Sam Ol社長は今週、こう語っている。

グループ旅行は30人から40人ほどだ、と彼は言う。

他の旅行代理店は、旅行者の増大を指摘する。

KOトラベルの営業Chhay Rachhunは、10のグループがアセアンへの旅行を今月の連休に予約した、と語った。

旅行省の統計によれば、カンボジア人の海外への旅行者は2011年に70万9,600人に上った。

これは2010年の50万4,990人から41%の増大である。

統計では、同じ傾向が1月にも見られ、7万1,540人がその月に外国を訪れており、前年比で50%増加している。

カンボジア旅行代理店協会のAng Kin Eangは、アセアンメンバーとしてのカンボジア人はビザ免除が適用されるため旅行がし易くなっている、と語っている。

また、カンボジア人が外国でお金を支出する一方、旅行者はしばしば貴重な知識とスキルを獲得することにもなっている、とも語る。

PTMトラベルのKov Vannakによれば、それでも新進の国内旅行地はカンボジア人旅行客を十分に惹きつけている。

「この国は訪れるべき新しい観光地があるため、多くのカンボジア人は国内旅行に興味を持っている」。

http://www.phnompenhpost.com/index.php/2012041255587/Business/home-not-only-stop-for-holidays.html

7号線でコンポンチャム

2012-01-13 23:20:08 | 旅行

コンポンチャム州に来ています。コンポンチャムの州都コンポンチャムまではプノンペンから124kmほど。日帰りできる距離ですが、この州の面積は広く9,799km²。ベトナムのメコンデルタで一番大きな省のキエンザン省とアンザン省を足した面積で、人口は168万人で210万を越えるアンザン省以下です。

東西に横長の面積を持つコンポンチャム州の東部へ行く前にコンポンチャムの町で1泊することにしました。先週走った国道8号に比べると国道6号と7号は背の高い街路樹が多く道路沿いの店も多いのでどことなく安心できました。もっともこの木々も田圃を吹き抜けてくる風を遮る効果は感じられませんでした。

知り合いのカンボジア人に「コンポンチャムに行く」と告げると「Kizona Bridgeのあるところだよ」とのこと。「きぞなとは何ぞや?」と聞き返すと日本語だそうで「橋を作った日本人技術者の名前らしい」との説明でした。



7号線の道路標識にも「KIZONA BURIDGE」と記されていました。昨夜ネットで検索したところ、日本のODAで建設された橋で「絆橋」だとわかったのですが、標識が「KIZONA」になっているので彼が間違えたのも仕方のないことと思えました。



すると次の標識には「KISANA」との表記。ZU→ZO→SOと変化しています。



橋の近くのロータリーにはモニュメントが建てられており、それにはしっかり「Spien KIZUNA」と刻まれていました。ぼくにはどうにも発音できないクメール語の音が多いわけですが、クメール語発音には「ZU」の音がないのかも知れません。



宿を探してウロチョロしていると蓮のある沼で人々の歓声が聞こえました。土手を下りて見るとドジョウか何かを獲っているようでした。子供よりも大人の方が興奮して叫び声を上げています。近づいて収穫物を目にしたかったのですが、泥の中に足を踏み入れるのには躊躇してしまい、実際何を捕まえていたのかは不明。



官庁街の一角に学校がありました。「リセ プレハ シーハヌーク」と書かれていました。リセと書かれていても生徒達は皆私服なので高校なのかどうかはわかりません。ネットで検索するとベトナム語のサイトに「ポルポトが通った学校」であると記されていました。今もLYCCEというフランス語が残っているとは意外でした。



「きずな橋」の上から大きな中州に架かる竹の橋が見えたので行ってみました。バイクどころか自動車も渡っています。バイクで満中を走っている場合は良いのですがすれ違う時に端に寄ると少々恐怖感がありました。



中州に渡って田畑の風景を眺めて来ました。アンザン省の国境近くのメコン河の中州とも景色は似ていますが、もっとのんびりした雰囲気でした。子供たちも犬も牛や馬も。

畦で小さく区切られた田圃でおばさんが緑豆を摘んでいました。アンザン省で見た時も緑豆は田圃に植えられていましたが。挨拶をして写真を撮っていると、クメール語を話せると勘違いされ「こっちのは良くないよ、あそこのが良いから」と教えてくれました。確かに写真を撮った緑豆はどうも貧弱でした。



おばさんの息子らしき少年が鎌を持っていたので稲刈りかと思い近づくと草取りでした。刈り取った草を牛か馬の餌にするようです。



歩き難い畦道をふらふらしながら歩き稲刈りをしている姿の所まで行ってみました。刈った稲はその場に置いたままにしてあります。乾いた田圃の土の上で干している様子。





この中州の農作業の風景は何百年も変わらぬままなのかも知れません。



聴こえるのは風の音と鳥の鳴き声だけでした。



砂地を馬が走りまわっていました。馬車を引く時と違って思いっきりのびのびと躍動していました。長い紐を引きずってはいましたが。




プレハビヒア寺院観光

2011-08-29 23:27:32 | 旅行
           
<Temple visits slow after clash>

それはそうだろう、実弾が飛び交っていたのだから・・・と思いながら記事を読みました。避難民が国境地帯に戻ったというニュースを読んだのも7月だったかと思います。

と言うより、プレハビヒア寺院の観光が可能になっていたということの方が驚きでした。日本大使館のサイトから「外務省海外安全情報」を探すと4月22日付の「注意喚起」のページに「本情報は2011年08月29日現在有効です。」との記載もまだあります。

http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcspotinfo.asp?infocode=2011C161

プノンペン・ポストの記事によれば、今年7月までの訪問者は昨年比15.5%減少したが、それでも7月以降徐々に増えつつあり、7月は7,369名の旅行者が寺院を訪れた(2010年7月は8,726名)とのこと。

州の観光局は、「タイとの協力-全分野、とりわけ旅行分野での-をインラック新政権に期待している」。



カンボジアの旅行代理店は二国間の旅行業の協力を強化するためにタイのパートナー会社とプレハシハヌヌーク州で会議を開催することになっており、会議にはカンボジアの28社の代表とタイの69社が参加予定だそうです。

一方バンテアイミンチェイ州の国境ゲートでは今年着実に訪問者が増加し、7月末までに34,503名の外国人が国境を通過し、昨年同時期に比べ21%の増加。

http://www.phnompenhpost.com/index.php/2011082651273/Business/temple-visits-slow-after-clash.html

一昨年だったか、タイを訪問した際に「だって、あの寺はタイ側からしか行けないんだぜ、カンボジアからの道はないんだから・・・」との話を聞きました。確かに地図を見るとカンボジアからの道は整備されていないようです。途中で車を降りてバイクにでも乗らないと。

それでも昨年7月は一日平均290名ほどが訪れた計算になるので行き易くはなっているようです。
90年代の初めにベトナム中部、ミーソン遺跡を灌木をかき分けながら訪れた時よりは安全かも知れません。





ヴィンチュゥン村

2010-06-08 00:24:07 | 旅行
アンフー県を流れるメコン河(後江)に大きな中州があり、省道を折れて渡る橋が一つありました。県には12の行政村があり、この島全体がヴィンチュゥン(Vĩnh Trường)村です。河によって周りを囲われ、河沿いに道があり、道の両側に高床式の民家が並んでいました。

静かな土地を用のない余所者が風変わりなバイクでトロトロ走っていると、ただそれだけで恥ずかしくなるほどの視線を浴びてしまいました。しかしお陰様と言うか何と言うか、ベトナム暮らしで羞恥心なるものに囚われることも少なくなった昨今です。

庭先で竿の先に鎌を付け、木の上のMậnの実を採っている姿がありました。味が薄く美味しさはイマイチですが値段が安く、食べる機会も多い果物です。南部ではMậnと呼ばれてますが北部やフエでは違う名だとか。英語で「マラッカ・アップル」と呼ばれている果物の種類のようです。

中学生くらいの女の子がシートを広げて落ちてくるMậnの実を受け止めようとしてますが、シートに弾んで土の上に落ちてしまうものが少なくありません。プロコンコの飼料袋を切り開いて繋ぎ合わせたシートでした。「シートじゃなくてネットを使った方が良いんじゃない」などと余計な口出しはしませんでしたが、20年ほど前だったか、越生で梅の実を同じように落としていた光景を思い出しました。

庭には大きなジャックフルーツが実った木やバナナなども植えられ、薪も綺麗に積み上げられていて、他の家と比べ遥かに手入れが行き届き、気持ちの休まる庭でした。一度はこういう家に民泊してみたいものです。床はカンボジアで見る家のようには高くなく、この辺でよく見るように庭の地面から床の上までがコンクリートのスロープになっています。

いつ頃建てられた家なのか、何代前から此処に住んでいるのか等々聞いてみたいことは沢山ありましたが、上手く伝わらず途中で諦めました。

暫く走るとスカーフを被ったチャム人が住む一角があり、家の造りがやや雰囲気を異にしたものもありました。近くには然程古くないイスラム・モスクが建っていました。島には仏教やカオダイ教の寺もありました。が、この村に高校はありません。人口約20万のアンフー県全体で高校は4校です。

市場はとても小さな建物はありましたが、夕方近くだったためか、店は一軒もなく、オバサン達が床のコンクリートの上で平べったい豆のようなものを選別してました。小学校に上がる前のような幼い子供が水牛を連れてました。一体この子は何歳なのだろう?と思い、バイクから降りてその場を離れカメラを回してると、サッカーをしていた男達がいつの間にか停めて置いたバイクに群がり、ブレーキを握ったりバイクに跨ったりしてる姿が見えました。

カフェに停めたバイクにバイクに店の女の子が跨っても笑って見てられますが、見知らぬ男たちに勝手にバイクに触られると面白くありません。何故なんでしょう?








市場のねずみ

2010-06-07 11:51:06 | 旅行
先週に引き続きまたアンフー県に行って来ました。日曜日の朝、早く起きられたらキエンザン省のハーティエンにとも思いましたが、日帰りすると疲れそうな距離なので。

アンフーでは先週一泊するつもりで宿に寄ってはみたものの部屋を見て気が変わり、泊まりませんでした。田圃を見渡る位置にあるNha Nghiで外観はそこそこでしたが、部屋は想像してたのと大違いでまるで収容施設。エアコン付きで12万ドンの料金でしたが、たとえ12万ドン貰ったとしても泊まるのは勘弁の部屋でした。Go Vapなら15万ドンでそこそこ快適な部屋に泊まれるのに。

今回もまた午前中にチャウドックの手前で雨。西側の空に雨雲が広がり東側は青空が見えていましたが、それから5分も経たないうちに強い風が吹き、前方の道路が濡れているのが見えました。生憎カフェもなく、ガソリンスタンドに入りました。

今までは250km走る毎に10万ドン分のガソリンを入れてましたが、先週ガソリン価格が500ドン/L値下げになったためと、50km/h以上のスピードを出さなくなったせいで300kmほど走れるようになりました。火気厳禁のスタンドでタバコを吸うことも出来ず、雨宿りをして暇を持て余していると道路工事用の車両が止めてあるのが目に入りました。

建設機械の多くが日本製の中古だということは知ってましたが、この車両には「NIIGATA」の文字。もしかすると「新潟鉄工」?とかつて浦和にあった工場を思い出しました。何時頃倒産したのかも今は覚えてませんが。1970年代の埼玉にあった多くの工場が今は姿を消してしまったようです。中古の建設機械はベトナムに運ばれても工場そのものがベトナムに移転されたということは滅多になさそうです。

先週は行けなかったヴィンホイドン(Vĩnh Hội Đông)国境口を探しました。ここも川を挟んで対岸がカンボジアです。アンフー県の中心地Thị trấn An Phúから3~4km、チャウドック川を下ってチャウドックの町まで12~3kmの位置にあります。

このヴィンホイドン国境口は昨年11月に国家国境口に格上げされたばかり。カンボジア側はタケオのKompong Krosang国境口です。上流と右岸がカンボジア、下流と左岸がベトナムという位置にあり(たぶん)、北から流れるPhú Hội川が合流する地点でもある複雑な地形のため何処が国境線なのかは分かり難いものがありました。

税関の建物があったので、その付近だと思うのですが、入国管理事務所は見当たらず、川に下りて渡し舟の船着場を見ても行き先は何だか分かりませんでした。

バイクを駐輪屋さんに預け町を歩いて見ました。が、町はとても狭く、市場も小さくて国境の町という雰囲気はありませんでした。田圃ねずみを売っているのを見たのは初めてでしたのでカメラを回しました。思いのほか大きなねずみでした。ドブネズミと同種のなかどうかは知りません。陽当たりと籠のせいで上手く映らず、角度を変えたりしていると近くに居た子供が面白がってモニターを指で突っつきに来ました。子犬や子猫と変わらぬ習性というか、同様の無邪気さとかわいらしさでした。




対岸はカンボジア

2010-05-30 23:23:58 | 旅行
チャウドックのCon Tien 橋で後江の支流を渡ってアンフー県に行きました。一度もフェリーに乗らずに済みますが、この橋を渡るのに行きは只で帰りに3000ドン徴収されます。ここもTan Chauと同様に川を渡るとすぐにイスラム・モスクが目に入りました。

ベトナム語版のウィキペディア「アンザン省」に省出身の著名人が記載されており、アンフー出身者としてトロツキスト、タトゥタオ(Tạ Thu Thâu)の名があります。1906年5月5日ロンスエン省アンフー総タンビン村の貧窮した子沢山の第四子として生まれ、父は大工兼漢方薬業(nghề bốc thuốc)。

それから100年を経過した今日も農業が主産業のこの地では、貧困が語られ続けています。たぶん雨期の始まりによるメコン河の水位の上昇によって6月から農地の多くが冠水してしまうからのようです。

省道956号を北に進むと30分ほどでメコン河沿いの町ロンビン(Long Bình)に着きました。狭い路地の突き当たりにはカンボジアとの国境口、Cửa khẩu Khánh Bìnhの看板が見えます。河沿いのロンビン市場を歩くとカンボジア通過リエルを束にしてショーケースに飾っている両替商の店も数軒あり、国境の町の雰囲気を感じます。それでも、この商売は一応非合法なのか、ビデオカメラを向けると店のオバサンは「撮るな」とばかり慌てて手を振りました。

このロンビンは、アンフー県ではたった二つしかない町(Thị trấn)の一つですが、町を回るのに10分も掛からないほどの小さなものです。国境を越えて来たベトナム人を待ち構え、金をふんだくる装置としてカンボジアではカジノがありますが、ベトナム側のそれに相当するものは「ビール・カラオケ」と書かれたやや怪しげな店のようでした。

この町は、ちょうどメコン河に注ぐ水路との接点にあり、国境口もこの水路沿いです。水路の向こう側がカンボジア領で両側共に小船に荷物の上げ下ろしをしている姿が見えます。水路に下りて見ると、カンボジアから来た果物を荷揚げしていました。ダンボールに詰められたマンゴスチンなどです。その場にトマトや苦瓜なども袋詰めにしてありましたが、これらの野菜はカンボジアへ運ばれるものだそうです。

果物の入ったダンボールに貼られたシールを読むと、生産国はタイと書かれていました。以前はベトナムでもマンゴスチンは高価な果物でしたが、先日コープマートで2万5千ドン/1kgで売られていて中国製のリンゴより遥かに安いのに驚きました。ここから運ばれたものなのかも知れません。

アンフー県にはこのカンビン国境口のほかにもう一つビンホイドン国境口があります。二つとも国家国境口(Cửa khẩu Quốc gia)で国際国境口ではないので、規定では第3国人の越境は出来ないことになっています。実際には特例とか柔軟な運用があるようで、そうでないとチャウドックから舟でカンボジアへのツアーなどもできないわけです。アンフー県にはこの国家国境口の他に輔国境口(cửa khẩu phụ)と規定されるものが幾つもあるとのことです。

水路の幅は対岸のカンボジアの家が掛ける音楽が聞き取れる距離です。洗い物をしてる女性の年令を判別できるほどではありませんが。

アンフー県ではこのカンボジアとの経済交流を経済建設の重要な柱にして行くとの方針を持っているようです。既に県内で生産される野菜の10%はカンボジアへ輸出され、輸出用に作付け品目も変更されているのだとか。昨年2009年のアンフー県のカンボジアとの輸出入金額は150百万ドル(140億円)。

この国境を流れる水路沿いにバイクを走らせてみることにしました。