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GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

カフェ・プカー

2014-03-05 21:09:00 | 生活

昼過ぎの暑さに怯み、先日はじめて立ち寄ったカフェで再び涼むことにしました。外国人向けのカフェなのでコーヒー一杯1.5ドル。ローカル・カフェの3倍の値段ですが、のんびり時を過ごすには打って付けです。もっとも借家の裏庭にテーブルと椅子を置いて自分でコーヒーを入れたコーヒーを飲んでも同じようなものかも知れません。しかし、野外に置くテーブルと椅子を準備するのも面倒。

Cafe Phka は、プカーと煙草を吹かすという意味ではなくクメール語で「花」を意味するそうです。屋外の席に座り客も少ないので、灰皿は置いてありませんでしたがプカプカと吸い続けました。庭に小川が流れているところがわが借家との最大の違いで、澄んだ清流とは言えませんがせせらぎを聞きながら蝶が舞う姿を見ることが出来ます。遣って来る野鳥も家とほぼ同じで、この辺ではRed-whiskered Bulbulを見ない日がありません。

      

小川の向こう岸で枯葉を踏む音が聞こえ、見るとリスでした。ミルクフルーツやカシューの木も見えます。庭には実を着けたヤシの木やジャックフルーツの木があり、50㎝ほどの巨大な実を着けたジャックフルーツの木の木陰に座りました。蝉の鳴き声も久しぶりに聞きました。

    

 小川もカフェの庭も子供たちの遊び場のようでした。

    

子供たちが引き上げた後に野鳥が来て行水。この鳥もこの辺には多く、南部のカンダール州でも見たことがあります。

    

別の女の子たちが来て水遊び。店の人に何か言われて小川から上がりました。

    

静かになった小川に川トンボが来て、綺麗な緑色の羽根を輝かせていました。子供たちも川で泳いでいたことだし、と思い出して今日ははじめてお湯を沸かさずに行水することにしました。夕方5時を過ぎても気温は30℃を越えていましたが、やはり最初は冷たく感じます。汗をかいたわけではありませんが、埃を毎日落とさないと何処か落ち着きません。


2月の電気料金

2014-02-27 23:56:36 | 生活

1月23日から2月23日までの電気料金の請求が届いたので払って来ました。この期間は外泊したのは一日だけ。したがってほぼ毎日電気を使用したわけですが、使用電力は11kWhで請求金額14,300リエル(3.6ドル)。プノンペンでのアパートでは毎月30から40ドルの料金を大家から請求されて払っていたので、その僅か10分の1でしかありません。冷蔵庫、エアコン、TVがないのでその分使用量が少なくようで、照明以外には井戸水を汲み上げるポンプとミキサー、電動ドリル、PCと携帯の充電に使うだけです。ガス代はカセットコンロの充填が3週間で4本分5,000リエルだったので月換算すると1.8ドル。冷蔵庫がない代わりに氷を買っていてこれが月に11.3ドル。光熱費の合計は月16.7ドルということになり、大半が氷代。

本当に11kWhしか使っていないのか疑問にも感じていますが、この程度の使用量ならソーラー発電でも十分のような気がして来ます。76号線沿いの木にソーラーパネルの広告があり、180ドルと書かれてました。

サエンモノロムの町には冷蔵庫や洗濯機を売る店がなく、コンポンチャム辺りまで行かないとそれなりの製品は買えないようです。買ったとしても問題は配達・運搬。食生活の充実のためには冷蔵庫が不可欠と思ってはいるものの思うだけで月日が過ぎています。

そんな折、シンガポールの知人がモンドルキリに遊びに来るということで電話があり、何かプノンペンから買って行くものはあるかと聞かれましたが、急なことだったので「じゃあ、冷蔵庫買って持って来て」とは言えず、「とりあえず何も必要ない」と答えてしまいました。昨日、彼がプノンペンに着いてから再び電話を貰い、同じことを聞かれたので、「ベーコン」を頼みました。どうも市場で売っている肉を買う気になれず、しかし肉を少し使いたいと思うことはしばしば。プノンペンではベーコンを買っていたことを思い出して頼んだわけです。

冷蔵庫がないからたくさんは要らないと言ったわけですが、3時過ぎにモンドルキに着くと車のトランクにはベーコンの他にハム。キッコーマン醤油にキムチ。果物。韓国製とタイ製のインスタントラーメンをカートンで積んでありました。「もしもし」と「おいしい」以外の日本語を知らないにしては随分と貧乏日本人の生活は解っているのだと感激。日本から持って来た食材もだいぶ少なくなって来た時だけに助かります。


季節の変わり目

2014-02-07 22:05:46 | 生活

立春を過ぎ、サエンモノロムは強風も止み穏やかな天気になりました。朝5時はまだ星空が広がっていますが、昨日の朝は朝もやがかかり草にも露が残って埃を鎮め湿った空気でした。木の葉は風に揺らいでも、上空の雲は動いていません。朝からTシャツ一枚で過ごせるようになり、洗濯物も減りそうです。

土埃や寒さ対策のため障子紙で目張りしたり、日本で買ったカーテンを取り付けたものの今からは暑さ対策をどうするかの季節となってしまいました。カーテンを日本で買ったことがなく、想像以上に値段が張るのに驚いて結局買ったのは遮光用と保温用の裏地カーテン。ビニール製の防寒カーテンは土埃対策にも好都合と思ったわけですが、今になると日差しを浴びて部屋の温度を上昇させる効果が抜群でることに気付きました。

    

この家を借りた時に家具らしきものは2m×1.92m、高さ66㎝の大きな木製ベッド一つだけ。やたら重くて10cm動かすのも容易ではない代物です。90㎝幅のシングルサイズのマットレスを買うつもりが店には売っておらず、仕方なく120㎝幅のものを買ってベッドに乗せました。残り72㎝の空いたスペースを机代わりに使っています。蚊帳も熱帯生活の必需品と思って取り付けましたが、蚊はまだ然程多くはなく、面倒なので使わずにいます。

慣れない田舎生活は季節の変化への対応に戸惑いながらも季節の変化を知ることの喜びもまたあるようです。自然に囲まれた生活であるからなのでしょうが、歳を取ったからと言うべきかもしれません。たぶん20代の頃、トロツキーの「亡命日記」を読んでいて「花が咲き、小鳥がさえずり・・・人生は素晴らしい・・・」とかの文章があり、暗殺される直前のメキシコで何でそんな心境になれるのかが不思議に思えました。人生が素晴らしいなどと感じられるのは人生が終わりに近づいていることの証明なのかも知れないと最近は思っています。

立春を前にした今週のはじめ、メールでベトナムでお世話になった久保田さんが亡くなったことを知りました。知り合ったのは2010年頃で日本の生協関係者から小栗さんを紹介され、その席でサイゴンには久保田さんという人がいるから一度訪ねてみるように、と紹介されたのが切っ掛けでした。それから14年になります。昨年はプノンペンにも度々来ていたようですが、何かと面倒なのでカンボジアでは連絡を取らず仕舞でした。

彼は高校生の時に60年安保を迎え、68年の新宿騒乱で機動隊に殴られて歯を折られ、以降は歯のない生活を送って来たのだとか。この14年間、彼は年齢を重ねるに従って幼児化して行くようにも見えましたが、今に至るもベトナムで知り合った多くの知人が久保田さんを通してであったことは確かです。博識をひけらかしたかと思うと時にはとんでもない大嘘を吐いて平然としているところなどはかつての新左翼経験による体質であったのかもしれません。

ベトナムでは水産関係の仕事に携わっていたので遺骨の一部は海に散骨するとの話でした。遺された人間の考えなのでしょうけど、それが良いと思います。ある意味、サイゴンという都会が彼の晩年の人生を飲み込んでしまった、という気がしないでもありません。大海に解き放たれた久保田さんともう一度会ってみたいものです。


マンゴーの葉を食む牛

2014-01-29 22:02:42 | 生活

電気を引いてからは次第に夜更かしするようになってしまい、これは拙いと思い立って昨夜は早めに寝ました。お蔭で今朝はまだ暗いうちに目覚め空が明るくなりだしたのは5時半。室内の気温は17度でしたが、それ以降8時頃まで下がり続けていました。それでも明くなると暖かくなったような気になり、近所を散歩してみることにしました。

家が増えつつあるとは言え林や畑の多い丘陵地のため、今になっても地形や道がよく分かりません。まだ歩いたことのない道に折れたところ、隣家の畑に出てしまいました。隣のご主人は相変わらずのTシャツ・短パンに素足でビーチサンダル姿で畑に立っていました。青年3人が畑の小ネギを間引いてました。

     

前回この畑に来たのは1か月以上前になります。その時に見た小ネギは1kg10,000リエルで出荷されたようです。畑の傍に植えられた果樹の葉にはわが家の庭にある果樹のように土埃を被っていることはありませんでした。

    

水牛の散歩に遭遇。大きな糞をアスファルトの道に落としながら悠然と歩いてました。「蒼穹の昴」に出てくる糞拾いを思い出し、これを拾って果樹の肥料にしようか、とも一瞬思いましたが糞入れの籠がありません。

クラクションを何度も鳴らして水牛を道路脇に追いやった乗用車が慎重に水牛の糞を跨いで走り去りました。「KTV」と書かれた看板がこの辺でも少なくありません。カラオケ店のことなのですが、朝から大音量で音楽を流しています。JICAの援助で電気が引かれなければこの騒音も聞かなくて済んだし、仏教寺院やイスラム・モスクのスピーカーから流れるお経の如き騒音とも無縁だった筈、と思ってしまいました。

   

道端にはジャックフルーツの木が目立ちましたが、一軒の家の庭にはカシューの木がありました。バイクで毎日通っている道なのに今日まで気づきませんでした。標高の低いスヌウルのカシューと違って、ここではまだ一つの実も生っていません。

   

「カンボジア先住民製品の店」との看板がある家の庭に大きな牛が繋がれてました。何度か中に入って見ましたが何も製品は置かれていませんでした。この大きな牛は南部で見る品種です。先住民が飼っている牛とは異なるのですが・・・。木の葉を食んでいました。たぶんマンゴーの葉ではないかと思いましたが、まだ見分けられる果樹は少ないのであてにはなりません。


きょうも停電

2014-01-28 21:08:15 | 生活

「留守にする時は井戸のポンプを家の中に仕舞わないと盗まれる」との大家さんの忠告を無視して2週間ちょっと家を空けましたがポンプは無事でした。しかし先週の日曜日、ポンプを回して井戸水を汲み上げていると途中でストップ。センサーが付いていて自動で止まる、などという代物ではないのでトラブル発生です。井戸を除くとポンプが水面上に見えました。乾期で暫く雨が降らないため水位が下がったようです。ロープを伸ばしてポンプを水の中に下ろし、再び電源を入れても何故か汲み上げません。

早々と中国製ノーブランドのポンプが故障したのかと思いポンプを井戸から引き揚げました。こらが結構面倒な作業です。ポンプを吊るしているロープと同時に電気コ―ドとホースを一緒に引き上げねばならずホースがよじれると水が汲み上がりません。井戸からポンプを出して電源を入れてみました。しかしモーターは回らず仕舞い。家の中に戻り、ブレーカーを見るとパイロットランプが消えていました。ポンプを引き上げている途中で停電になったようです。

その後も夕方の入浴時に停電があり、今週日曜日の昼間も停電。そして今日は入浴後に再び停電です。一度、入浴時に頭を洗ってる最中に停電した時は焦りました。バケツ2つとタライ1つを用意しそれぞれに熱めのお湯と水を入れておいてお湯の温度を水を入れて調整しつつ使うわけですが、何処にバケツがあるのかもわからず寒さに震えました。隣の家では日が落ちる前に水浴びしているようです。明るいうちならば気温も高いので寒くなさそうとはわかっているものの夕食後に入浴するという習慣から抜けきれません。

と、書いてる間に電気が復旧しました。モンドルキ州サエンモノロム市の電力はJICAの無償援助によって2008年から初めて24時間の電力供給が可能となったそうで、その辺の事情は日本語で読むことができました。電力供給のお蔭で観光も増え、また国内からの移住者も増えたのだとか。2012年の1月からはベトナムからの電力供給が開始され、電力公社の人から聞いた話ではベトナムからの供給が電力需要の7割を占めているとのことなのでここ1年余りの間に随分と使用量が増えたようです。

25日に請求書が届き納付期限は2月3日まで。土日を除くと6日間しかありません。2011年段階で1,795世帯中電力契約は1,444世帯だそうです。口座振替での納付ができないため、少なくても1日平均240人、1時間30人が料金納付に訪れる筈なのですが・・・。

今回の電力使用量は6kWh、料金は7,800リエル(約200円)でした。この月は半分以下しかここに居なかったせいもありますが、それにしても何かの間違いではないかと思える少なさ。冷蔵庫と洗濯機がないお蔭でしょうか?或は頻発する停電のためなのでしょうか?


薪割り

2014-01-24 22:08:10 | 生活

国道沿いのカシューの木を眺めていると道路の向かい側で子供が薪割りをしているのが見えました。仕事に夢中でズボンがずれ下がって半ケツ状態。近づくと人の気配を察してかズボンは引き上げられました。庭先での薪割り仕事はしばしば目にします。子供や女性の姿が多いようで、頼まれもしないのにお節介にも手伝ったりすることも度々。この時も庭のカシューやアボカドを見せて貰っていたのですが、流石に子供では無理だろうと思える大きな株に斧を振り上げた時には代わって斧を握りました。

14年前、ベトナムの中部フエで半年ばかり暮らした時、郊外では薪が主要な燃料として家庭で使われてるのを見て驚いたことがあります。「まだ薪を燃やしてるんだ・・・」と思ってしまい、小学生低学年の頃に薪での風呂焚きをさせられたことを思い出しました。前近代的遺物を見る思いだったのですが、その時は勿論14年後に自分が薪で湯を沸かす生活を送るようになるなどとは想像も出来ませんでした。今や薪ストーブなどは化石燃料を使わないという意味でエコロジカルなトレンディーの趣さえあるようです。

そのような信条で薪を使っているわけではなく、できることならぷのプロパンガスボンベでガスコンロを使いたいわけですが、ガスコンロを置く台を調達できずにいるためです。

    

家の台所スペースは、40ドルで電動ドリルを買って水を使えるように配管し、ステンレス流しも買いました。が、それを設置する台がここでは売ってません。取り敢えず塩ビパイプを切って組立ました。主に燃料はカセットボンベ。ベトナム同様に人々はカセットにガスを再充填して使っています。韓国製のカセットボンベが1個1ドルで売られており、4個ばかり買いました。思いがけなく早く使い終わってしまい、5回目にはボンベを振って確認したところガスが半分ほどしか入っていません。どのボンベも同様で、文句を言うと「わかったわかった」とばかり充填してくれました。

    

再充填料は一本につき2,000リエル(0.5ドル)。この町の多くの家ではガスボンベやカセットコンロに薪や炭も併用して使っているようです。


二週間振りのモンドルキリ

2014-01-16 23:28:50 | 生活

寒い日本からカンボジアに戻りました。今までは毎年冬に日本に帰ると風邪を引いてしまっていたわけですが、今回は胃痛と痔。どちらもカンボジアを発つ前の発症でしたが、胃痛は正月三が日を過ぎるまで収まらず折角のお節料理も恨めしく眺めるだけ。それでも「ガストール」と「ボラギノール」のお蔭でか日本を離れる前にはどちらも回復した様子。

14日の早朝に寒い日本の家を出たためスーツケースに入りきれなかった衣服も重ね着して来たのですが、プノンペンはTシャツ姿の気温。行きの預け荷物は15㎏しかなかったのに帰りのスーツケースは26.5㎏もあり、空港のカウンターで「3キロ分スーツケースから出して手荷物にしてください」と言われてしまい、折角詰め込んだスーツケースを再び開けることに。超過料金を払うよりはまだ救われた思いがしないでもありません。

プノンペンで買い物をしたため脱いだ衣服を含めて荷物は更に増えてモンドルキリへのバスに乗りました。モンドルキリからは33,000リエルだった運賃が、プノンペンからモンドルキリへは何故か50,000リエル。理解しがたい運賃設定に料金表を見せて貰ってから支払いました。それでも帰りの座席は満杯で窮屈でした。プノンペンを8時30分発、サエンモノロムに着いたのは夕方6時を過ぎ、重いスーツケースを引きずって歩いてるうちに真っ暗になってしまいました。下り坂が多いから楽だと思っていたのは大間違いで道路の舗装状態が悪いためかなりの重労働となり、40分間ひたすら耐えることに。

留守にしていた二週間の間に部屋の中は土埃が積もっていました。板の継ぎ目から吹き込む細かい赤土。たぶんこの間、雨は降らなかったようです。

今日の朝になり、戻って来たのを喜んで出迎えてくれたのは隣の猫と仔犬だけ。猫はいつの間にかテーブルの上に置いたパンの袋を持ち出して食べていました。仔犬は驚くほど大きくなり、猫を追い掛けるようになっていました。

まだ蕾だったワックス・アップルは花が咲いていました。12月29日はこんな状態でした。

      

裏庭にある名前を知らない木の花は実が生っていました。

      

アボカドは花が残りわずかとなり、実の成長が目立っていました。まだ食べるまでには4・5ヶ月掛かるようですが。

    

モンドルキリに向かうバスの窓からはマンゴーの実やカシューの小さな実を見ることができました。わずか二週間と思っていたものが、二週間も過ぎてしまったと感じる一日です。


サエンモノロムの薬局

2013-12-28 22:28:49 | 生活

昨日の夕方、風の吹く中をパンを買いにバイクを走らせるとお尻に違和感がありました。洗車したのでシートが濡れてるような感じでもあり、とにかく腰を浮かせてバイクを走らせました。パン屋に着きズボンを確認すると濡れてはいません。それでも腰をシートに着けるのが躊躇われました。家戻って違和感の原因が判りました。まさかの痔。

その前日はカオ・ネック地区まで往復200kmほど山道の悪路も走ったせいなのか、或はこの寒さのせいかも知れません。スマホに表示される最低気温は下がり続けてきょうは14度。朝、布団から出たくない日々が続いています。それに洋式便座ではなくしゃがみ込みタイプだということも一因かと。痔は15年ほど前にもベトナムで一度経験しました。うつ伏せになって眠ってしまい、その間天井から吊るされた扇風機でお尻を冷やしてしまったのが直接の原因でした。日越辞典片手に薬局に行き軟膏を買ったりお湯でお尻を温めた記憶があります。

日本へ帰る大晦日の便に乗るために30日の朝、プノンペン行きのバスに乗るつもりでしたが、プノンペンで行われている縫製労働者のストライキが気になり、明日の朝プノンペンに向かおうかとも迷いました。野党救国党のフンセン首相の退陣や総選挙のやり直しを求めるデモは先週10万人を超える規模だったとか。この運動に縫製労働者の最低賃金を求めるストライキが合流しつつあるのだそうです。タイほどシリアスな状況ではない、との声も聞きますが、果たしてそうなのかどうか・・・。かつてフンセンの人民党に対抗するカンボジアの野党は王党派のフンシンペック党でした。と、いうか1993年の総選挙では第一党。それが現在では議席を失うまでに凋落し、今年の総選挙では「人権党」と「サムレンシー党」が合同した「救国党」が「反腐敗、格差是正」掲げ改選前の議席を倍増する大躍進を遂げました。

縫製労働者の組合は最低賃金160ドルを要求してストライキを呼びかけ、これに対し業界団体の縫製業協会は26日からの工場閉鎖を傘下各工場に通達しています。日経新聞には「700工場が操業一時停止」との見出しで伝えていますが・・・。プノンペンポスト紙によると27日に労働組合6団体と労働省との会談が持たれたものの進展なく、30日の月曜日に労働組合と縫製業協会との会談が予定されているとのことです。これが大きな分岐点になるかも。

なので、30日にはプノンペンで一日過ごすために明日の朝のバスに乗ろう・・・と思ったわけですが、今ちょっとバスに座って8時間も揺られるのは辛そう。とにかく昼食に行った帰りに薬局で軟膏を買うことにしました。「痔の軟膏薬」をグーグル翻訳で調べた英語を2・3度反芻して覚えました。後、必要なのはお尻を温めるために七輪でお湯を沸かすこと。幸い枯れ枝や枯れ葉は沢山あるので集めて燃やし易い長さに切りました。すると外台所の余りの汚さが気になり片づけることに。

      

灰や土埃の下に床タイルが敷かれていることに初めて気付きました。しかし家を建てた時に余ったタイルの破片を敷いただけで数が足りてません。どうせならこの際買い足して敷こう、と決意。昼飯に行くと既に「痔」の英単語を忘れていることに気付きました。覚えたつもりがつもりだけ。バイクに乗るのが苦痛なので家に戻って再びPCを開く気にもなれずにいるとスマホを持っていることに気付き、初めてスマホで翻訳機能を試すことに。何とカンボジア語に訳すことも可能でした。

カンボジア語と言ってもアルファベット表記なのでカンボジア人には判り難いようで、市場近くで3軒の薬局では「ここには軟膏はありません」と断られ、最後に病院の向かいにある薬局へ。ここでもカンボジア語の翻訳結果では「ない」と断られましたが、ここが最後と諦め切れずに英語翻訳の結果を見せると棚から軟膏を取り出してくれました。インド製で30g入り7ドル。

家に戻りルーペで箱の印刷内容を読み、7ドルのシールを剥がすと下には6,500d(0.3ドル)とのベトナム価格と思われるシールがありました。更にもう一枚印字のないシールが貼ってあるので剥がしてみると使用期限の印字。2014年6月となっていたのでまだ使用期間内です。が、何故隠すのでしょう?7ドルは高過ぎだけど0.3ドルは安過ぎに思え、ネットで検索してみました。インドHimalaya社のPilex0.45ルピー(0.72ドル)が定価でした。

ベトナムでもそうでしたが、多くの薬局では症状を訴えると風邪でも胃痛でも5・6種類の薬を3回分または3日分位出されます。先日も隣家の人が見覚えのある胃薬を含む数種類の薬を飲んでいたので聞いたところ、「頭痛」とのことでした。頭痛薬を飲むと胃が荒れるからでしょうか?飲み薬のバラ売りだと何種類も買わされ、軟膏だと10倍の値段で売るってことなのか、などとと疑ってしまいました。

その後で建材屋を回り床タイルの値段を聞くと30㎝×30㎝が一枚6ドルとのこと。ベトナムで売っているような安い煉瓦タイルは何処にもありませんでした。

当然ながらと言うべきか、一度軟膏を塗ったくらいでは症状は改善せず、明日のプノンペン行きは断念。軟膏代で一泊分の宿泊費も消えてしまったし。月曜朝発のバス・チケットを買いました。33,000リエル(8.25ドル)でした。


電力料金の支払い

2013-12-25 21:04:43 | 生活

一人生活のため不在時には電力会社の請求書を受け取れないかも知れない、ということで請求書は大家さんの家に届けて貰うようにしました。期限内に支払わないと直ぐに電気を止められるのだとか。その請求書を持って大家さんが午前中訪れました。きょうの朝、届いたそうです。

請求書は英文も列記してあるので大体のことは判りました。何と消費量4(kWh)で請求金額は5,200リエル(130円)でした。今月4日から使い始め、6日間は不在だったとは言え少な過ぎ。見ると使用期間が12月18日から23日となっています。2週間分が欠落していることになります。5日分を6倍して一ヵ月分とすると780円。冷蔵庫や洗濯機もないのでそんなところかも。とは言え、東京電力と違って基本料金というのがありませんが、32.5円/kwhというのは東電より高めの料金。月50kWh使ったとすると65,000リエル(1,625円)ですが、東電の従料電灯B契約だと1,589円で済みます。

契約時にACLEDA銀行の口座振替で料金を支払いたい、と言うと「それはプノンペンだけで、ここでは窓口まで支払いに来るように」とのことでした。昼飯の帰りに電力会社に立ち寄ると、午後の窓口は2時からだそうで一度家に戻ることに。3時過ぎに再び訪れると客の姿は一人もなく、料金収納担当の女性は愛想よく対応してくれました。電力会社までは家からバイクで片道4kmほど。もう少し郊外に住んでいたら電力料金を支払に行くのも一苦労です。

きょうは、三度目の井戸水の汲み上げをポンプで行いました。1,000Lタンクの水は今の生活では一週間ほど使うことができます。約20分間ポンプを回すとタンクは満杯になります。蓋を開けてタンクを覗いたり、タンクに注ぎ込む音を聞きながら満タンを確認するのが面倒ではありますが、ロープでバケツを引き上げることを思えば至って楽ちん。

    

隣の家の井戸はディーゼルエンジンのポンプを使っています。夕方になるとディーゼルエンジンの音が聞こえて来ます。此処では家を建てる時にその場で製材をするようです。熱帯の固くて重い材木を削る光景を度々目にします。たぶん買って来た木材は反っていたり寸法がバラバラだったりするからのようです。その製材作業にもディーゼルエンジンが使われていることが少なくありません。家が完成してから電気を引くわけだから当然なのでしょうけど。ディーゼルで発電した電力を使うよりディーゼルエンジンの動力を回転力としてポンプや製材機に使う方が効率的なのかも知れません。


財布を忘れて昼飯食べた

2013-12-24 21:14:41 | 生活

時間はあっても掃除、洗濯、入浴は面倒臭い。掃除機、洗濯機、温水器などは長い人類の歴史から見ればほんのついさっき出現したもので、人類の生物学的進化においては無視し得るような微細な時間しか経っていません。よって、そんなものが無くても十分生きて行ける筈なのですが、一度覚えた便利さに囚われの身となってしまったようです。

昨日は七輪で小枝を燃やしてお湯を沸かして身体を洗ったので、きょうは洗濯日。そして明日は掃除。このローテーションを何とか心掛けているものの朝の気温の低さにビビりました。水が冷たそう。昼を過ぎれば気温も上がるだろう、と後送りして昼食に行きました。プノンペンでも食べていた淡水魚の煮魚に大豆と生姜を混ぜてある料理を注文。並べてある鍋の蓋を開けて「これ」!と指差すだけですが。何故かきょうは、その料理の中にエビの小さな尻尾が入ってました。エビの身はなく尻尾だけ。食べてみると天ぷらのようでした。

いつものように食堂の猫の頭を小突き、話しかけていると見知らぬ客が一斉に振り向きました。此処では犬や猫はペットというより家畜に近い扱いですから聞き慣れぬ外国語で猫に話しかけるのは異様な光景だったのかも。やや気まずい思いで席を立ち、財布を取り出そうとすると、無い。

この食堂はいつもオバサンと娘が注文を聞いてテーブルに運んでくれます。日曜日に夕食をここで食べた時、珍しく高校生の娘がテーブルでノートを開いて物理?だかのお勉強をしてました。が、よく見ると他人のノートを書き写してるだけ。傍にいる猫は彼女が席を離れる度にノートの上に座ってしまい、その都度叱られていましたが、まったく意に介さずの様子。

「鍵を部屋に忘れました」のクメール語はテキストの例文で覚えたこともありましたが、「財布を忘れた」は例文にもなく、仕方なく高校生の娘に英語でその旨を謝りました。ベトナムでも何度かは経験したことがあってもカンボジアでは今回が初めて。初めて入った店でなかったのがまだ幸いと言うべきかも。

隣家の猫は毎日のように家に何かを物色しに来ます。空き家であった間に此処も行動範囲にしたようです。自分では飼えないのでこの猫にネズミ対策などお願いできれば・・と期待しています。最近気付いたわけですが、小柄で可愛い猫は皆メス。オスは大きくて不細工なのは何故でしょう?

    

隣家の仔犬は一匹だけ懐いて遊びに来てます。これもメスでした。同じとき生まれたオスと一緒に来ます。しかし、オス犬は2m以内に近づいてはくれません。顔は見分けが付かないほど似ているのに。