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GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

反則金20万ドン

2010-04-02 15:53:56 | 交通
国道一号線のサイゴンからティエンザン省ミートゥアン橋の間では毎回3箇所ほど交通警官が取り締まりをしてる姿があります。今までは運良く通り抜けて来ましたが、きょうは遂にタイミングが合ってしまい、警棒を振られて呼び止められてしまいました。

たまたま眼鏡を掛けずにゴーグルを使ったので警官の姿に気付いた時は既に手遅れ。無免許運転ではない安心感からか「危険予測」判断項目から「交通取締り」を除外して走ってしまいました。

3車線の国道で二輪車は外側の車線を通行しなければなりません。しかしトラックやバスが外側の車線を塞いで停止していることも少なくはなく、交通警官が取り締まりをしてない場合、四輪車の通行が少なければ多くのバイクが一つ内側の車線を走ります。二輪車50km/h制限の区間ではその方が安全のように思えることもあるし。

以前はタンソニャット空港近くでもしばしばこの取締りを見たことがあります。まだ路上を牛車が通る頃のハノイでは自転車に乗っていてこの車線通行違反で1万ドンの反則金を払ったこともありました。

しかし、今回の反則金はその20倍。インフレの昂進の故でしょうか。白線を20センチばかり越えていたことは自覚してましたから諦めるしかありません。それでも英語で受け答えして誤魔化そうなどと無駄な抵抗を続けたところ、警官は「本当にベトナム語分からないの?だったら一緒に署まで来てもらうよ。それまでここで待っててねー。バイクも預かることになるし」などと脅しをかけて来ました。

パスポートを渡すとカンボジアのビザが最後に貼ってあるのを見て「カンボジア人か」?と問われました。パスポートの表紙に印刷されたJAPANの文字よりも彼には僕の日焼けした顔の色の印象の方が重要だったのでしょう。

無理もありません。このところバイクに乗り続けてるため日焼けは一層深みを増し、日本人の知り合いには「まるでベトナム人のセーオム(バイクタクシー運転手)そっくりだ」と言われてます。先日、シャワーを浴び、照明を消した後で鏡を覗いたら顔が見えません。身体は鏡にちゃんと映っているのに首から上は黒くて識別できず、慌ててもう一度電気を点けて鏡を覗いてしまいました。

道路を見ると外側の斜線を大胆に越えて走るバイクは少なくありません。僕の場合はわずかでしたが、大胆に越え、しかもスピード違反も明らかなバイクが走り抜けて行きます。この手の不条理に今更腹を立てることもないわけですが、しぶしぶ20万ドンの反則金を払うと財布の中はだいぶ寂しくなってしまいました。20万ドンは、サイゴンーロンスエン往復のガソリン代とほぼ同額です。何か美味しいものが食べられt金額。

反則金を払い終えると、調書へのサインも何もなく、領収証らしき1枚5万ドンと記載されたクーポン券状のものを4枚渡されました。違反内容への反則者の同意がなくてもお金だけ貰えば良いってことのようです。それでも執拗に違反書類のコピーは何故貰えないのか、と食い下がるとムッとした顔で領収証へ担当者名のサインを始めました。

その間5分程度だったでしょうか。二人の交通警官は再び走行中のバイクを呼びとめる作業に戻りました。立て続けに2台。2台とも女性の二人乗りです。しかも明らかに車線を越えてはいません。内側に寄っているだけなのにー。とは思いつつ、ここで口出ししてもどうにもなりそうはありません。

20万ドンはひょっとして外国人だからボラれたのか?とも思い、職場のベトナム人に聞いてみると、そうでもなさそうでした。20万ドンの持ち合わせがなければバイクを押収されてしまうそうです。

免許書き換え手続き

2010-03-09 10:45:06 | 交通
運転免許の書き換え手続きは思いのほかスムーズでした。

①ホーチミン市交通局のサイトから運転免許書き換え申請書をダウンロードして記入
②上記申込書の署名を領事館で記入し、署名証明を取得
③公証役場で、上記申込書を持って日本免許の翻訳の依頼、パスポート・ビザをコピーし公証印を貰う
④252Ly Chinh Thang交通局事務所にこれら書類を提出

テト休み明けだったせいか、どの窓口も大した混雑もありませんでした。
領事館では、「運転免許抜粋証明」申請書というのがあったので、念のためと思い、それも頼んで取得してみました。日本の運転免許の英訳でしたが、今回の書き換えでは不必要でした。

パスポート・コピーの公証印も、コピーのオバサンが「全頁コピーしなければ駄目なのよ、知らないのアンタ・・・」って乗りで他国のビザの欄やら出入国スタンプのページもコピーしましたが、窓口では「これだけで結構」とパスポートの氏名顔写真のページと有効期限内のビザページ以外は返却されました。

お役所に限らず日本と比べれば不親切な社会なので手続きに戸惑うことは少なくありません。交通局の事務所からして少々奥まっているので見過ごしてしまいました。二階に上がって行ってどの窓口に提出すれば良いのかも分からずに尋ねると「ちゃんと番号引かなきゃ駄目じゃない」とオバサンに怒られてしまいました。

公証役場の発券器は翻訳依頼の時は不必要なのか、券を持って待っていても番号は呼ばれなかったのですが。

クソ婆、発券器は何処にあるんだよ・・・って顔でムカつくと、別の窓口の職員が笑いながら「ドアの外にありますから」ととりなしてくれました。ピチピチのジーンズに白のブラウスを着た若い女性でした。目にはマスカラを付けて化粧も万全。こういう公務員もいるものなのかと少々信じられない気分でした。

聞きたいことも聞けなくさせられる窓口の担当者ばかりの中で、聞かなくても良いことまでも聞きたくなるタイプでした。「これで大丈夫です。一週間後に受け取れますから」と言われ、それ以上不必要なことは尋ねませんでしたが。

日本の二輪免許

2010-03-08 15:30:29 | 交通
ちょうど今年の2月が免許の更新時期だったので、更新後にベトナム免許に書き換えれば5年間の有効期限が付くためこの時期に書き換え、その前に自動二輪も免許も日本で取っておこう、などと安易に考えたのが間違いでした。

教習場の受講料と日程だけ都合が付けば問題ないだろう、との思いは早々に打ち砕かれました。まずは最初に倒れた400ccのバイクを引き起こすテストでわが身の力の無さを実感。今更後には引けぬと何とか起こしましたが腰への負担はかなりのもの。

さらに適正試験なるクレペリンテストのようなものを受けさせられ、反射神経やらなんやらの結果はDやEばかり。風邪を引いていて著しく集中力を欠く状態ではあったのですが、自分でも言い訳にしか聞こえません。早い話が身体の老化に伴う運動能力の低下は自覚以上に進んでいるのだと思い知らされました。

日本でバイクにはもう乗らないだろうと考えてた理由の一つが、18歳の時に踵を骨折して足首が十分に曲がらず、そのため右ステップに足を乗せるとブレーキを踏んだ状態になり少々不便だということでした。教習所では当然ながらこれが問題とされ度々注意されてしまいます。

身体的に無理なことをしなければならないというのは精神的にも負担となり、注意力や記憶力も減退に拍車。一本橋では落ち続け、「年配の方はバランス感覚が悪くなるんですよねー」などと教官に言われる始末。スラロームでは二度もバイクを倒し、しかも自力では引き起こせませんでした。

バイクに乗ってるベトナム人全員をこの教習所に連れて来たら何人が卒検に合格するんだ?などと思いつつ、中林君が言っていたバイクに乗るっていうのは「作法があるんだよ」との言葉を思いました。「作法」という言葉はもう自分の中では死語に近いものでしたが、教習所とは「作法」を学ぶところだと納得。しかし、その作法がなかなか覚えられません。箸の使い方などもそうですが、子供の頃に覚えてしまえば何でもないことが、歳をとってから直そうとしてもなかなか上手くいきません。

一本橋をクリアーできるようになるとスラロームが駄目になり、急制動のスピードを上げろと言われれば次の一本橋でバランスを崩しと、幾つものことを同時に習得することが出来ず、更にまるで記憶力障害であるかのように卒業検定のコースが覚えられません。練習中にはコースが分からず迷った瞬間右側通行してしまい、教官に注意されました。

何で今更二輪免許を取ろうなどと思い付いたのかと自分自身を呪う惨めな日々でしたが、第一段階で3時間超過したものの卒検は運良く一回でクリアーできました。

HCM市交通局

2010-03-08 15:15:55 | 交通
土曜日の午前中、ホーチミン市の交通局に行き、ベトナムの運転免許を受け取って来ました。ベトナムの運転免許に書き換えて貰ったのはこれで二度目です。前回はもう10年以上も前のことで、発行はドンナイ省。当時はVISAの期限内、したがって6ヶ月毎に更新しなければならなかった頃のことで、結局一回も更新することなく失効していました。

その上、自動車運転免許のみでバイクは運転できなかったわけですが、しかしこの失効自動車免許を見せて何度か交通警官の取締りを逃れたことがありました。有効期限とか運転許可内容とかを確認しなかったので、まぁ、そのおおらかさに助けられたわけです。

一時期、取締りが厳しくなり、免許書を持ってないとバイクを没収するようになった時には、試験を受けて免許を取ろうと試みてLy Thu Trongの交通局の事務所に行って書類を取り揃えたりもしたのですが、あちこちの事務所に足を運ばせられ、それぞれ言うことが異なったり窓口の横柄な態度に腹を立てたりして結局挫折してしまいました。

その後、HCM市内ではバイクの取り締まりには大体の予想がつくようになり、ここ数年は呼び止められることもなく来たのですが、しかし他の省を走るとなると何が起こるかは予想できません。交通警官がトラックに没収バイクを積んでいるところなどを目撃した時などは冷や汗ものです。

それでベトナムでバイクの免許をとるか、日本でバイクの免許をとって書き換える(今は日本の免許の有効期限内が期限になったので)かのどっちにするか迷い、どうせなら日本でバイクの免許をとればラオスやカンボジアでも乗れるのだから(国際免許の有効国)、日本の免許の方が価値がありそうだし、手間を掛けるに値するような気になりました。

日本の自動二輪免許は一度まだ大型とかの区分のない頃に持っていたのですが、とうの昔に失効させてしまいました。16歳の誕生日が過ぎて直ぐに善塔君に誘われて授業をサボり、府中の試験場に行って二度目で合格しました。当時は今では信じられないほど簡単な試験でしたから(実技試験はスクーターで、受験者の一人は、アクセルとブレーキの区別も分からず足ブレーキをアクセルと思い踏み続けて発進しようと頑張ってました。それを見て善塔君と二人で大笑いしたことを覚えてます)、有り難味もなく失効させてしまった、と言うか、さほどバイクが好きだったわけでもないので、車の免許を取ってからは気にもしませんでした。

今更普通二輪の教習所に通うのも大いなる無駄とも思えますが、無理・ムラ・無駄こそわが人生。


ロンスエン・バスターミナル移転

2010-03-03 19:52:25 | 交通
少しの間、といっても5週間ほどになりますが、ロンスエンを離れて再び戻ってみると何がしかの変化に「あれっ」と思うことが少なくありません。

サイゴンからのマイリンバスは今まではBenh xe Long Xuyen(ロンスエン・バスターミナル)に着いていたのですが、今回はその手前にあるマイリン社の車庫に着きました。少々不思議に被思ってロンスエン・バスターミナルを見ると見事に空っぽ。元々が更地のようなものですが。入り口にはドイツ資本のスーパーマーケット、「METRO」の看板が立ってました。

1kmほどカントー方向に国道を進むと交差点にバスターミナル方向を示す看板があり、そこを右折し更に1kmほど行ったところに新しいバスターミナルらしき区域がありました。看板は立っているもののバスターミナルと呼べるような体裁ではなく、殆どのバスが路上駐車状態。何処がどう整地されてバスターミナルになるのか、或いは一時的な仮設ターミナルなのか・・・という感じです。
バスターミナルは中心部より少し離れた地点に移転したようです。

毎年テト休み明けに日本から戻ると近所のカフェの女の子が替わってしまっていたりもするわけですが、今回もここロンスエンのカフェでも同じ。夕食をとる食堂も大半のウェートレスが見知らぬ顔になっていました。

今年もビンユン省の工業団地では200の工場で労働者不足との記事があり、テト休みで帰省したまま戻らぬ労働者が少なくないようです。あるいはサイゴンのカフェにしても地方からの出稼ぎ者が多いのでテト明けに顔ぶれが変わるのはわかりますが、メコンデルタの地方都市でも事情は同じ、ということみたいです。

虫の大量発生はまだ続き、昨日からは堪らず蚊帳を吊ってますが、蚊帳の中で長時間過ごすのも面倒です。蚊帳越しに見るTVは不鮮明だし、ベトナム語や英語の音声を聞き取るには外国語聴解能力が及びません。

ここのケーブルTVはサイゴンよりチャンネル数が少なく、前回11月に部屋を離れてた時はブルームバーグのチャンネルが消滅していてガッカリでしたが、今回はNHKBSが無くなっていました。英語音声しか聴けないNHKの国際放送など目障り耳障りなだけ、と思っていたわけですが。




無料高速道路

2010-02-26 00:36:40 | 交通
旧正月休みが終わって今日で4日目。サイゴンの気温に慣れるというよりは、暑さがジワジワと疲労を蓄積しているような感じです。
今回は日本で4週間ばかり過ごしましたが、いつものようにベトナムから成田に着いた時は然程寒さを感じることはなく、しかし日を重ねるにつれ寒さが堪えるようになりました。ここの今の暑さも苦になるほどのものではないのに、身体の細胞がまだ熱帯モードに切り替われずにいるみたいです。

サイゴンには3・4日の滞在でロンスエンに戻るつもりでしたが、免許証の書き換え手続きなどもあり、後3・4日は掛かりそうです。

一昨日はティエンザン省にベトナム初の開通したばかりの高速道路に乗って行って来ました。バイクは通れないので新聞記事も気に留めませんでしが、実際通ってみると高速道路区間は30分ほどでミトーまでここから1時間ほどで着き、便利になったことには間違いありません。現在は仮運行だとかで高速料金も今年中は無料だとか。というか料金所もまだ出来ていませんでした。

国道1Aから高速道路に入るアプローチ部分が結構長く、この区間はバイクも通行可です。国道1AのBinh Chan付近の混雑を避けられるだけでもストレスは解消されそうです。車は概ね100~120km/hの速度で流れてました。速度規制の表示もまだ立ってません。高速道路の入り口と出口がどの地点なのかは料金所もないので分かり難いのですが、交通警官が3・4人で椅子に腰掛けていた所がたぶんそうなのだと思います。

ティエンザンの出口からは連結した新しい一般道が左右に分岐し、左に進むとチュンルン・ロータリーの手前、Mekongレストラン近くの国道1Aに出ます。ミートゥアン橋方向に進む場合は右方向に分岐するとチュンルン・ロータリーを通らずに国道1Aに合流することができます。

Ben xe mien Tayからロンスエンに帰るバスもたぶん30分~1時間ほどは短縮されそうです。





ベトナム再入国

2010-01-10 17:41:27 | 交通
カンボジアには4泊しただけでキャッサバ・チップ買い付けの仕事が終わらないうちに一人だけ先に帰ることにしました。胃の調子も良くないことだし。来るときに頼んだバイクタクシーのドライバーに電話をして迎えに来てもらうことにしました。20分ほどで迎えに来たのでその付近に住居があるようです。しかし、彼が親に電話してる時はベトナム語でしたから両親の一方がベトナム人なのかも。

滞在中に知り合った若い女性は祖父母の一人がベトナム人で親の一人がタイ人だと言ってました。もっともベトナム人の知り合いでも祖父が中国人という話は身近なところでも数限りなく聞いた話しです。

カンボジアのバイクタクシーの多くはフルフェイスのヘルメットを着用していました。ベトナムでは500円以下の安物が多いのに。今、自分で使ってるヘルメットは風圧で直ぐアミダ被り状態になってしまい、常々日本からヘルメットを買って帰ろうなどと思っていますが、日本のヘルメットの価格は信じられないほど高いものです。バイクタクシーの給油中に近くの店でヘルメットの値段を聞いてみました。一番高価なフルフェイスが13ドルだとか。日本では130ドルのフルフェイスすら見つけられそうもなく安くても300~400ドルしそうですが。日本がデフレとは言うもののまだまだ物価下落の余地はあるような気がして来ました。

見知らぬ初めての場所に行くのに行きの道程の時間と帰りに感じる時間とには随分と違いがあるものですが、今回もカンボジア国境もでの帰り道は呆気ないほど早く着いてしまいました。

カンボジアの出国手続きのためにパスポートを提出すると管理官が「ベトナムのビザが失効してますが・・・」との思いがけないご忠告。否、そんな筈は・・・と思ってビザのシールを見ると仰る通り「het gia tri」の赤いスタンプが押してあり、一瞬呆然。カンボジアの管理官は、私は出国スタンプを押しても構いませんが、ベトナムのマルチビザが失効してるということは再入国できないのではないでしょうか」との親切なお言葉を丁寧な英語で下さいました。

選択肢は2つ、今からプノンペンに行ってベトナムビザを再取得してプノンペンから再入国する-日数と費用が掛かるけど-か、ここのゲートのベトナム出入国管理官と交渉する-失敗したらより面倒かも-のどちらかです。数10m先にバイクが置いてあるに、と思い後者を選択してしまいました。「ベトナム側の管理官が間違ってスタンプを押したものですから、大丈夫、私が話して解決できる問題です」などと答えてカンボジアを出国しました。

ベトナム側の入国窓口に着くと怒りを抑えきれず、「何で誰がこの失効のスタンプ押したんだ?これはマルチビザだ。ちゃんとそう書いてあるだろう。一回出国しても失効しなんだぜ。そんなことも知らずに仕事してるわけ?国際出入国事務所ってかいてあるじゃないか。出国できて入国できないなら出入国とは呼ばないんだから」と捲くし立てました。

担当者がいないのでちょっと待ってくれ、と言われたので「じゃ、あその店で水を飲んでまってるから」とゲート通過の許可を得て一安心。預けたバイクもちゃんと置いてありました。暫くすると私服姿の男がパスポートを持って来ました。入国カードへの記入はどうするのか、と訊くと「ここでは入国カードは置いてない」とのことで出国の際に提出した出入国カードを返してくれました。パスポートを見ると「失効」のスタンプの上に「huy」(訂正、破棄)とのスタンプが押してあり、入国スタンプもあったので、たぶん次の出国の際も何とかなりそうです。

カンボジアの管理官も人によりけりとは思いますが、余りにもベトナム側とは対照的な立派で親切な対応に驚きました。それに引き換えベトナムのローカル公務員-仕事ができれば中央へ行くかビジネスの世界に転進してるわけだから当然だよ-とのHieu君の言葉を思い出しました。



バイクで国境越え

2010-01-04 19:19:14 | 交通
バイクで国境を越えカンボジアに行けるという話に半信半疑ながら大晦日の朝、ドンタップ省のHong Nguを経由しDinh Ba 国境出入国ゲートに向かいました。ベトナム人3人と共に4人で2台のバイクとの話には断固として抵抗し、オレのバイクは後部シートのステップがないから二人乗りは無理だし、危ないから嫌だ、と主張し続けたのですが、結局それには返事せず、朝になって電話があり、一人が国道沿いで待っているので拾ってくれとのことでなし崩し的に二人乗りで向かうことになりました。

朝からこの騙され方に気分は悪く、しかも一緒に居るだけでも疲れる人間と身体を密着させてバイクに乗るわけですから堪りません。しかし、これも仕事の内。遊びではないので、じゃぁオレは行かない、などと子供じみたことを言う訳にもいきません。渋々不愉快な思いながらも足掛けステップのない後部座席に気を使い、出来るだけ前に座ったりもしていたのですが、相手は時間の経過と共に図々しくなってグイグイと前に持たれ掛かって来ます。若くて美しい女性の胸が背中に当たるのなら兎も角、話すのも勘弁と思う男の股間が尻に押し付けられる感触は堪りません。また「このバイクのホーンは何処」?などと話しかけて来たので、聞き取れない振りで無視すると手を伸ばしてホーンをピーピー鳴らしました。

途中で昼食を取り、その時に「ベトナム人はバイクで通過できても外国人は無理じゃないの?ベトナム人はカンボジア入国に1万ドン払うだけのビザ免除だけど外国人は20ドル払ってビザを取らなければならないんだから。このバイクをカンボジアに持ち込めなかったらどうする訳?4人乗りは無理でしょ」と訊いてみたのですが、「大丈夫、大丈夫、外国人も1万ドンだから。行けば分かるよ」とのお返事。

毎度ながらベトナム人の「大丈夫」「問題ない」との軽々な返答ほど恐ろしいものはありません。これで何度泣かされたことか。それ以上何を言っても無駄というか話を続ける気にもなれませんでした。

Dinh Ba 出入国ゲートは以前サイゴンからの帰りに道に迷ってウロチョロした直ぐ近くで付近の景色には見覚えがありました。どうやら最近出来た国境ゲートらしく周辺の土地は整備中で新しい出入国事務所らしき建物も出来上がってはいるものの未だ使われてなく、ベトナム側の出入国管理手続きは、写真の小屋で行われてました。

他の2人と合流し、4人でパスポートを揃えて出国手続きのために係官に提出したところ、やはり色の違うパスポートは見たこともないようで首を傾げています。が、直接僕に話したり聞いたりすることなく同行のベトナム人と話すのみ。それで結局外国人のバイク持ち出しは不可という結果になりました。

「何でオレのバイクだと言ったんだよ、このボケ。ベトナム人のだと言えば通れたのに」と日本語で罵ってから、もう一度ベトナム人のバイクだと言って交渉してくれ、と頼んでみましたが、日本語で怒鳴ったのが悪かったのか、あっさりと諦めてしまい、バイクはここに置いて行くことになりました。

その間、幾人もの人々が国境の両側から行き来してましたが、パスポートを提示してる人は無く、IDカードを提示したり何も提示せずに通っていました。カンボジア側から来るバイクにはどちらの国のナンバーを付けてないものもあります。

ベトナム側のゲートを抜け橋を渡るとカンボジアの入国手続き。ここにはちゃんとビザの発行窓口と入国審査窓口があり、ビザ代+写真代=25ドルを払ってやれやれ、と思ったところが入国審査の係官が「期限が1月1日」とスタンプされてることに気付きました。「1ヶ月の観光ビザです」と言われて印字を確認しなかった自分の落ち度でもあるわけですが。こちらは同行のべトナム人の誰かが一緒にキャッサバの買い付けに行く、などと喋らないかと気を揉んでいたので(ビジネスビザだと5ドルアップ)見落としていました。が、修正ペンで白く塗りその上からもう一度31日のスタンプを押して貰って無事カンボジアに入国できました。




ロンアン省

2009-12-14 17:53:58 | 交通
HCM市の西と接するメコンデルタのロンアン省は国道1号線で通過することは度々であっても立ち寄ることは滅多にありませんでした。Ben LucとTan Anの町を流れる東西二つのVam Co川も水系をメコン河とは異にし、地質学的にはメコンデルタとよぶには相応しくない-などということを何処かで読んだ記憶もあり、何処となく興味の対象外でした。

土曜日にバイクの修理のためにサイゴンに行き、日曜日の昼前に発ってロンスエンに帰る途中、殺風景な国道一号線を前日と同じように走るのは面白くない、などと思い立ちロンアン省のタンアンで右に折れ、田園風景の中を行くことにしました。

出掛ける時は今回は寄り道をしないつもりだったので、カメラも地図も持たずに来たことを少々悔やみました。確かタンアンを右折し、真っ直ぐ西に進めばドンタップ省のカオラン市周辺に出るはずだったような。国道一号線はHCM市からティエンザン省まで南西に進むのでアンザン省方向へ行くには少し遠回りになり、地図の上に真すぐ西に直線を引けばチャウドック辺りに着くことができます。

実際にそんな道はないわけですが、県道や農道を走ってそれに近い道があるのではないか、とりあえず西に進めば良い訳だし、寄り道、回り道こそわが人生、てな気にもなりました。

タンアンの交差点から国道62号を2・30kmほど走ると車の通行量も少なくなり、道の両側には田圃の他に林も多く池なども見え始めました。日曜のためか釣竿を背負ってバイクを走らせる人も少なくありません。農業に適さない不毛の土地、そのお陰で静かな自然が残されている、ということでもあるようです。

しかし、乾期に入ったこの時期、道路の舗装事情が悪いので砂埃が酷いの何の。四輪の対向車とすれ違うと視界は10メートル以下、というか目を開いているのも苦痛な状態になります。二輪車の埃と比べるとタイヤが2つ増えただけとは思えない舞い方です。要するにタイヤの太さ、設置面積が何倍もあるからなのかも。この道路事情を見る限り他のメコンデルタの省よりも土木予算が不足しているか、或いは道路工事を一斉に始めたために至るところ埃まみれということなのかも。


Vi Thanh コメ祭り

2009-11-29 19:33:07 | 交通
28日から来月2日までの間、Hau Giang省の省都Vi Thanhでコメ・フェスティバルが開催されているのでこの土日に行って来ました。
http://www.saigon-gpdaily.com.vn/Culture_Art/2009/9/74335/

Hau Giang省は5年前にカントー省がカントー市とHau Giang省に分割かれて生まれた新しい省で、手持ちの2003年版のメコンデルタ地図にはまだ記されていません。Vi Thanhまでは、ここロンスエンからはカントー市経由で約120kmほど。またバムコン-ラックザー運河に沿ったまっすぐの国道を走りキエンザン省のラックザーを経由しても殆ど同じ距離です。

カントーの街周辺の道路は詳しくないし迷ってウロウロして交通警官に呼び止められたりしたら面倒なので、今回はラックザー経由のルートで行ってみることにしました。

最近は無免許運転がばれるとバイクを没収されるようになったので、毎日それなりにスリルを味わいながら走ってるわけですが、要は目立たぬように車間距離を取ることに心がけています。

HCM市からメコンデルタの漁港ラックザーに向かう車はVam Congフェリーを渡りこの国道80号を通るようで、HCM市のナンバーを付けたランドクルーザーやトラックなどがバイクを蹴散らすように直線道路を走るので、それはそれで不愉快な思いもさせられます。しかし同時にそうして車がスピードを上げているということはその周辺で交通取締りはしてないということでもあるようです。

ところが、キエンザン省に入り交通量も減りスピードも出せないところに交通警官が二人立っていました。前には女子高校生の自転車が一台走ってました。勿論スピードは40km/h以下で呼び止められるとは思っていなかったところ、警官の一人がおもむろに警防を上げて止まるように示しました。前後を見ると他にバイクはなく、止められたのは間違いなくこの自分。

運転は目立たなくてもバイクが目立ったようです。今月から中国製のKTM150、車輪が大きくシートの高いオフロード用に乗っています。街中でも走ってるだけで他のバイクにジロジロ見られたり、走りながら声を掛けられたりもするほどですから、交通警官の注意を引いてしまったとしても不思議はありません。

幸い近くにバイク没収用の小型トラックは止まってないのを確認して心を落ち着かせました。何しろ目的地Vi Thahまではまだ半分以上あるし、戻るにも50km以上ある地点です。「ハイ、書類を出して・・・」てな意味のことを若い警官に言われ、ゆっくりと手袋を外しヘルメットを脱いで、「What? I can't speak Vietnamese ・・・」ととぼけるより他に術がありませんでした。もっともベトナム語で喋ったところで相手が聞き取ってくれたかどうかは疑問ですが。

すると若い警官はもう一人の警官を振り向き、何も言わず持っていた警棒でそのまま行くように示しました。