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GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

引越し

2009-10-01 23:33:08 | 交通
荷物を先に送った後、昼過ぎにバイクでロンスエンに向かいました。サイゴンからロンスエンまではカオラン経由、サデック経由、カントー経由の三通りの行き方があり、たぶん一番早いのはサデック経由のようでロンスエン行きのマイリン・バスなどはこのルートを行きます。去年は一度カントー経由でバイクで行ったことがあります。この二つのルートはどちらもビンロンに向かうミートゥアン橋を渡るのでフェリーに乗るのは一回で済みます。

カオラン経由だとフェリーに二度乗らねばならねばならず気乗りしないルートですが、周りのベトナム人にバイクで走るには一番安全だからと言われ、バイクで行くこと自体大ブーイングでしたから、その忠告には素直に従うことにしました。それに去年、ミートゥアン橋の入り口やカントーに向かう道路に交通警官が手ぐすね引いて待ち構えてたのを思い出しました。

110ccのカブ型バイクで200km以上も走るなどというのは自分も日本では絶対にないことですから、ベトナム人が止めろと言うのは当然のことです。しかしベトナム人運転手にわが身の運命を託すよりストレスは少なく、止まりたい時に止まれる自由のほうが解放感もあります。

とは言え、この時期問題なのは雨。雨雲の流れは速く、どれだけ晴れていれも10分後のことは分かりません。1時間以上走れば集中力も衰えるだろうからとミトーの手前で道路沿いのカフェに寄りました。スピードを落とすと何軒かはオネェさんが手招きするような店もあり、そういう所は目的に反するので避けたつもりでしたが立ち寄ったカフェでコーヒーを頼むと「部屋に入って休んで行かない」?と誘われました。後々の参考のため料金を聞く、などという気にもなれないほどの雰囲気で、慌ててコーヒーの支払いをすると2万ドンもボッタくられました。

その後国道一号線で二度雨宿りにカフェに立ち寄り、省境近くのカイベーでは何時まで待っても降り止まず5時を過ぎてだいぶ暗くなってしまいました。知り合いのベトナム人が心配して電話を掛けてきてきょうはカオランで一泊するほうが安全だとのこと。カオランから先の暗い道をバイクで行けば強盗被害も少なくないからだそうです。

雨の日は交通警官も検問に立たないから強盗も仕事を休むだろう、などとも思いましたが、カオランに着くと雨も上がり、カオランの町にはまだ一度も泊まったことがなかったので泊まってみることにしました。

旅行客の事故

2009-03-22 23:39:55 | 交通
一昨年12月にバイクのヘルメット着用が法制化され、昨年の交通事故死亡者数が数十%減少したとのことでしたが、それでも新聞を開けばバイクの死亡事故の記事は相変わらず少なくありません。特に最近は下水道等の道路工事が事故の誘因ともなっているようです。

毎日バイクに乗っているベトナム人と比べれば、外国人観光客の事故など取るに足らないリスクのようにも思ってましたが、今月はロシア人観光客のバスが転落事故で10人が死亡したのに続き、昨21日朝はカントーのフローティング・マーケット観光の舟が衝突事故で沈没、10名が救助されたものの2名が死亡。
http://www.tienphong.vn/Tianyon/Index.aspx?ArticleID=155891&ChannelID=2

13日晩には24名のロシア人観光客を乗せたバスが転落し、ロシア人9名とベトナム人通訳1名の10名が死亡。ブレーキの故障が原因のようです。ベトナム人運転手は怪我で済んだようですから、シートベルトを着けてれば死者数は減っていたように思えます。

事故はダラットからニャチャンに向かう途中の国道28号線ダイニン峠を下っている時に発生。夜の山中ですから救出には時間が掛かったようで、山中で運ばれている負傷者の写真は昼間に写されたものですから一晩そのまま放置されていたことになります。
http://www.tuoitre.com.vn/Tianyon/Index.aspx?ArticleID=306126&ChannelID=3

シートベルトと浮き袋を着けてれば・・・ベトナム観光旅行での気の緩みが命取りという気がします。

NH0931便

2008-05-12 04:28:50 | 交通
二週間振りにサイゴンに戻りました。日本に帰ってあれもこれもと考えていたことは、いつもながらその半分ほどしか果たせず仕舞い。成田までの高速バスはちょうど良い時間のものがなく、出発時刻の3時間以上も前に空港に着いてしまいました。持て余す筈の時間は、会うつもりで会えなかった友人に電話を掛け捲っている内にいつしか過ぎ、テレフォンカードや百円玉も使い果たすことに。

タンソニャット空港での待ち時間では缶コーラが3ドルもして腹を立てていましたが、成田の自販機飲料は外と変わらぬ値段。しかしNTTの公衆電話料金はベトナムより割高のようです。

47番ゲートに着くと全日空NH0931便は出発時間が遅れるとのアナウス。機内のトイレが故障したそうです。変更時刻を過ぎてもトイレの故障は直らず、結局2つのトイレが使えないままでの出発でサイゴン着は30分遅れの11時30分。GW後で乗客数も少なかったためかトイレ故障は大した問題にはなりませんでした。

一晩寝て起きれば再びベトナムの日常生活なのでしょうけど、今はまだ日本とは異質の世界に舞い戻ったばかりの違和感に包まれています。



第2カントー橋

2008-04-17 01:35:59 | 交通
先週、何年か振りでカントーのフェリーで渡りました。カントー橋の工事も再開されたと聞きましたが、フェリーの上からは少し距離があり、様子は分かりません。昨年9月26日の崩落事故から既に半年以上が経過し、それでも事故調査委員会の最終報告は提出されていません。工事が再開された以上事故原因なり問題点は解明された上でのこと、と思うのですが、それが公表されないのは何故なのでしょう。それが日越政府間の政治的決着の内容というものなのか、などと思うと気分が沈みます。

この橋から河を40kmほど遡った地点に第2カントー橋を作る計画だそうです。ビンロンからサデックを通り、アンザン省ロンスエン手前のトットノットに至る高速道路に連結する橋だそうです。大きな中州があるため橋の長さはカントー橋以上かも知れません。メコン河の中洲の多くは自動車が通れる道路がなく、サイゴンから車で行く時は不便を感じます。また、同時にこの中州では水産養殖が多く営まれてもいて、池の中の魚は耐え難い密度であるに違いなくても、広々とした地上の空間は人間には長閑です。不便さはあっても自動車の通らない空間は、何処かゆったりとした気にさせてくれます。自動車とTVと携帯電話、それにバイクもなかったら仕事をするには困りますが、温泉に浸かったような解放感があることは間違いなさそう。

道路が整備され、橋が完成することの経済的効果は疑うべくもありません。農産物の輸送コストは農民の収入にも直結する問題です。しかし事故の犠牲者にとっては話は別。設計上のミスがあったのか、下請け業者の手抜き工事によるものなのか、あるいは別の原因なのか。これから更に幾つもの橋が建設されるというのに事故原因が究明されぬままで済まされる問題ではありません。大成建設の役員の処分だとか、外務省による「カントー橋崩落事故再発防止検討会議」の開催で日本側の責任が果たされたものとは思えません。

ビンロンやロンスエンの街ではスーパーや銀行の新しい建物に驚きました。ビンロンのコープマートはサイゴンの店舗より大きく、かつての鶴ヶ島のダイエーほどの敷地面積。15年前に初めてビンロンを訪れた時の記憶からは想像できない光景です。鶴ヶ島のダイエーは消滅し、ビンロンのスーパーには夜の8時を過ぎても人の群れ。経済成長を上回る物価上昇で購買力が落ちてる、というのも全体としては確かなのでしょうけど、にも拘らず購買力を持った層が急増しているわけで、北部の農村部の地方都市とも異なる印象でした。

ベンチェのフェリー

2008-04-12 21:18:40 | 交通
木・金曜日の二日間、仕事でメコンデルタのベンチェ、ミトー、ビンロン、トットノット、ロンスエンに行って来ました。先週は電池切れで写せなかったラクミュウ橋も今回はフェリーの上からどうにか。完成は予定より遅れるそうですが、この橋が完成すればミトーから10分程度でベンチェの街に着くことができるようになります。そして何よりも建設中のGiao LongとAn Hiepの二つの工業団地の利便性を高めることが期待されているのかも知れません。

この写真で見る限り大して長い橋にも見えませんが、左側(ベンチェ方面)には二つの島(中洲)があるためで、ここの前江(Sông Tiền)の河幅はかなりのもので、後江(Sông Hậu)のカントー橋部分と同等かそれ以上ではないか、と先週Kさんが話してました。

晴れ渡って日差しは強いのですが、河を渡る風に吹かれて水面を眺めるのは気分が良いものです。四百年ほど前にはこの河を日本の朱印船がカンボジアへと向かい、或いはジャワからオランダ船がJapanse Revierと記された地図を見ながら航行した河だ-との感慨も湧いて来るのは未だ開発が進んでいない景色だからなのでしょう。新幹線で関が原を通過しても別にどうもありませんでしたから。

フェリーを待つ時間は長くありません。何台ものフェリーが次々に到着するからで、それだけに橋が完成した後にこのフェリーがどうなるのか?などとも思ってしまいます。Kさんは「また別の場所へ行くんだよ。このフェリーだってデンマークから来たんだから」とのこと。なるほど言われたようにフェリーの船体には「VIỆT-ĐAN」の文字が記され、ベトナムとデンマークの国旗も画かれてました。

経済発展の度合いに応じて、車の通行量が増えればフェリーが必要とされるわけで、世界経済の発展が未開発地域を次々と飲み込んで行くに従いフェリーにも次の活躍の場が提供されるとのことのようです。

HCM市渋滞地点TOP10

2007-10-01 21:11:39 | 交通
きょうから新人二人が同時に来てしまい、一日中付きっ切りの対応。ちょと目を離すと遊び始めるので気が抜けません。放置してればそれが当然とばかりにエスカレートすること間違いなし。同じことを二度・三度言わねばならないので中身はなくてもあっという間に5時になってしまいました。帰り際には先月8日ほど働いたオバサンが給料を取りに来て「土曜日の半日出勤も一日分として計算して支払うべき」とクレームを付けられまた一悶着。「途中で辞めた方は労働時間で計算します。不満ならこの金額を受け取らずにお帰りなっても結構です」とこちらも捨て台詞。

頭に血が上り、あれこれ整理して気が落ち着くと既に7時を過ぎ、この時間ならグエン・キエム通りも空き始めた頃かと久しぶりに大通りで帰ろうとすると、既にその手前で大渋滞。慌てて知らない路地を曲がりました。ところが今日は何処も交差点は至るところバスとバイクが溢れていました。月初めと月曜日が重なったせいでしょうか。

そう言えば、市内の十大渋滞地点マップがTuổi Trẻ紙に載ってました。

1. An Sươngロータリー
2. Âu Cơ三叉路-Cách mạng tháng Tám通り,Cách mạng tháng Tám交差点-Tân Kỳ Tân Quý通りからTân Kỳ Tân Quý三叉路-Cộng Hòa通り
3. Cách mạng tháng Tám通りからCông trường Dân Chủ六差路,Võ Văn Tần交差点, Nguyễn Thị Minh Khai通り,Phù Đổng Thiên Vương通り,Phạm Ngũ Lão交差点, Trần Hưng Đạo通り
4. Nguyễn Thị Minh Khai-Cao Thắng-Nguyễn Thiện Thuật-Điện Biên Phủ の各通り
5. Nguyễn Oanh-Phan Văn Trị,chuồng chó五差路,Hoàng Minh Giám–Nguyễn Kiệm
6. Phan Đăng Lưu 通りBà Chiểu 市場からPhú Nhuận交差点, Hoàng Văn Thụ通りからHồ Văn Huê通りまで
7. Trục đường Lý Thường Kiệt với các điểm kẹt ở khu vực chợ Tân Bình, ngã ba Thành Thái,ngã tư Tô Hiến Thành-Lữ Gia
8. Cây GõロータリーからPhú Lâmロータリー
9. Hàng Xanhロータリーに至るXô Viết Nghệ Tĩnh, Đinh Bộ Lĩnh通り
10. チョロン地区

わが通勤路もしっかり5番目に掲げられています。事務所は5と7の間に位置しますのでタクシーを使わねばならない時が特に要注意。バイクや自転車なら裏道もそこそこ熟知しましたが(サイゴンの生活で身に着けた唯一誇れることかも)、車は一方通行の規制が増え続けてるので時間の計算ができません。

ホーチミン市では渋滞対策として教育局が学校の時差登校を申請中だとか。幼稚園、小学校、中学校、高校の始業時間をそれぞれずらすようです。ビンユン省の奥の方へ工場を移転させたK君も渋滞を避けるためにわざわざ始業時間を早めたわけですが、毎日5時前に家を出ることになり、早寝早起きの生活のようす。思い切ってこちらも始業時間を1時間ほど早めてみようか、などとも思いつつあります。

カントー橋

2007-09-27 01:48:36 | 交通
トンレサップ川と合流したメコン川はプノンペンで再び二つに別れてベトナム領内を流れます。サイゴンから見た呼び名なのでしょうか、手前の川がTiền Giang(前江)で後ろがHâu Giang(後江)という名です。したがってベトナムではこの二本の川がメコン川であり、どちらが本流か支流かという認識ではありません。中国では「江」は揚子江、「河」は黄河を意味する固有名詞だそうですが、この川を前江、後江と名付けたのはサイゴンの華僑だったのではないかと勝手に想像しています。

ティエンザンにはビンロンの手前に大きなミートゥァン橋が2000年に完成しました。映画「ラマン」に出てくるビンロンの渡しの代わりです。全長1.535,2 m。建設費の66%はオーストラリアの政府援助でした。そして、今回建設中に崩落したカントーはホウザンに架かる橋で全長はミートゥァン橋の倍近くあります。

ミートゥァン橋が完成した直後、知り合いのベトナム人が誇らしげにこの橋の完成を語っていました。長さが1.5kmもありベトナムで最長。日本で一番長い橋は何mあるのか?と訊かれましたが「多分もっと長い橋があると思うけど・・・」と多少戸惑いました。東京タワーの333mしか建造物の高さや長さの記憶がありません。高層ビルの高さや、新幹線やジェット機の速度が日本でも盛んに取上げられた時代もあったわけですが。

そういった意味では、このカントー橋の完成はメコンデルタ新時代の象徴になるはずでした。しかしこのような事故が起きてしまった以上、何処かに無理があったことは確かです。本当に必要な橋だったのでしょうか。完成すればカントー市とその先のメコンデルタ各省に行くのに30分以上時間が短縮されることになります。その30分が決定的な意味を持つとは思えません。

フェリーがなくなってしまえば、ラマンの主人公が華僑青年と出会うこともできません。ドンタップ省のサデックを訪れる観光客は多くはありませんが、以前日本語ガイドをしていたロアンさんが困っていました。「ラマンの映画を観てサデックに行きたいという日本人がいるけど、あそこに行っても何も見るものないし」。経済的な効率性は知りませんが、一度車を降りフェリーの上で過ごす時間は無意味なものは思えません。車の中からとはまったく違う風景を眺めることができます。フランス人少女や華僑のお金持ちだけでなく、鬱陶しい物売りや物乞いとの出会いもあります。橋を渡るようになればどんな物語が生まれるというのでしょう。

カントー橋建設中に崩落

2007-09-26 20:10:44 | 交通
 事業主体は大成建設、鹿島建設、新日本製鉄の日本企業3社。ホーチミン市の南西約170キロメートルに位置するカントー市とビンロン省を隔てていたメコン川支流(ハウ川)に約2700メートルの橋を新設するプロジェクトで、2008年12月の完成を目指していた。
 政府関係者によると、建設中の橋げたが支柱から外れて川に落下。事故当時、橋の上下に200人を超えるベトナム人の建設作業員がいたといい、今も現地の救急隊が生存者の救出を続けている。(日経ネット18:43)

トゥイ・チェ紙電子版によれば死者52名、負傷者97名が確認されたとのこと。VTV1のTVニュースのビデオクリップが貼り付けてあります。
http://www.tuoitre.com.vn/Tianyon/Index.aspx?ArticleID=221576&ChannelID=3
この映像を見ると先月中国での橋崩落同様の惨憺たるものです。

日経新聞のサイトで初めて知ったのですが、その時点では朝日も毎日にも報道されておらず、また「現時点で日本人の被害情報は無い」と書かれているのには複雑な思い。責任の所在は建設主体にあるわけでしょうから、日本のゼネコンの大失態で命を落としたのはベトナム人だけということになります。ベトナムで起きた事故であるとは言え、日本政府の開発援助であり、日本企業が請け負った工事であるわけですから報道の姿勢としては日本の問題として捉えられるべきものなのでは、と思うわけですが、きょうの東証市場ではこの3社共に株価を上げている始末。


ニャチャン

2007-06-10 02:17:22 | 交通
月曜の晩もハノイに泊り、火曜日の午後便でサイゴンに戻ることにしました。しかし水曜日の朝はニャチャンに行かねばならないでその航空券もハノイで買わねば間に合わないことに気付きました。ニャチャンは初めて訪問する顧客でもあり、H君に同行を頼んでおいたので、安心してすっかり忘れていました。現金は底を着き、カードで買うしかないのでVN航空のオフィスまで行かねばなりません。代理店でクレジットカードを使えば3%の手数料を取られるのだとか。ニャチャンにどれだけ滞在するかも行ってみなければわからないので片道の航空券だけ買いました。

ニャチャンへの午前便は6時と7時発の2便あり、迷わず7時発の便に決めました。それでも5時半には起きねばなりません。朝6時に空港でH君と待ち合わせました。ところが、6時25分を過ぎてもH君の姿はなく、慌てて一人だけ先にチェックインを済ますとH君も走って空港に入って来ました。ああ、これで一安心、と思ったのもつかの間。チェックインは無事に通ったものの、泥棒に入られ、財布の中に入れていたIDカードも盗まれたH君が使ったのは期限切れのパスポートで、運悪く手荷物検査のゲートで問題にされてしまいました。

ニャチャンへ空路で行ったこともなく、自分では何の準備もしていませんでした。こちらも不自由なベトナム語でどう取り繕うかは頭が痛いところですが、先方は更に困ること間違いなしです。H君は「後からバスで行くから」と言ってくれましたが、それではニャチャンに一泊せねばなりません。月末の処理は未だ何もしないままですから、これ以上事務所を空けることはできません。

初めてカムラン空港に降りました。ニャチャン市内までは4・50kmあるようです。ハノイのノイバイ空港よりも市内へは遠い距離です。海岸沿いの国道一号線を北上することになるわけで、遊びに来たのであればカムラン湾の景色も楽しめたのでしょうけど、そんな気分ではありませんでした。客先は市の北方にあり、空港からのバス代とタクシー代でサイゴンからニャチャンまでのバス代ほど掛かってしまいましった。北部の蒸し暑さを思うとここの空気は爽やかでした。日差しは強烈ですが、じっとりした湿気はなく、風が吹き抜けていました。

執拗な「泊まっていけ」との誘いに閉口しつつ、長居したところで仕事の進展は望めないので深夜バスでサイゴンに戻ることにしました。北部で散々バスに乗った後でもあり、いい加減バスは勘弁との思いでしたが、韓国製の大型バスは思いの他快適で、450kmの距離を殆ど眠って過ごすことができました。起きていれば無理な追越を繰り返す運転にストレス溜めざるを得なかったのでしょうけど。東部バスターミナルに着いたのは未だ暗い4時前でした。

国会議員選挙

2007-05-23 01:39:50 | 交通
20日の日曜日は国会議員選挙の投票日でした。翌日の新聞には投票率は全国で99%以上だとか。メコンデルタのビンロン省では100%というまったく異常な数字です。かつて工場で棚卸をしたら誤差が0で「まさか」と思いましたが、たぶんそれと同様で、要求された数字に合わせなければならない事情があるようです。ハノイからサイゴンに戻る際のノイバイ空港で一時間半ほどの待ち時間。TVからは投票のニュースが延々と映し出されていました。日本の戦争中の大政翼賛選挙をも凌ぐ投票率と演出というべきものなのでしょうか。

今まで投票日の光景を目にした記憶はありません。喧騒のサイゴンでは投票騒ぎも特に目立つものではなそうです。それに比べホアビンの町ではスピーカーから流れる声が喧しく、投票場もやたらと多く設置されていました。町中に国旗が飾られているのはこの投票日のためのものなのか、それとも前日のホーおじさんの誕生日を祝ったものなのでしょうか。どの投票場にも黒っぽいYシャツにネクタイを締め帽子を被った中年男性の姿がありました。地区の世話役という雰囲気です。手に白い紙を持った人々が歩いて投票場へ向かっていました。近所の結婚式に参列するかのような服装のご婦人も目立ちます。

12時にホテルのチェックアウトを済ませたもののハノイ8時発の便にはまだまだ時間があります。前日のバイクタクシーのオジサンが居たらまた何処かへ頼もうかとも思いましたが、日曜日のためかバイクタクシーの姿はありません。朝市で賑わっていた道路も昼を過ぎるとすっかり片付けられていました。気温は然程高くないのに湿度があるようで、歩くと汗で全身がぐっしょりします。路地の食堂に入り「ご飯」と声を掛けると、「1万ドン、それとも1.5万ドン?」と訊かれので迷わず1万ドンのセットを頼みました。おかずの種類と量はまったく問題ないのですが、味がどうも食欲を誘いません。1万ドンも払ってこんな食事では、とてもここでは生活できそうもありません。食材は豊富なのに何が足りないのでしょう。

少し早めにハノイに戻るバスに乗りました。15分に1本ほどの頻度で走っています。方向が逆になると見える景色も異なり、来る時は気付かなかったゴルフ場が見えました。ハノイから40kmほどの距離だと思います。椰子の木が植えられ、電線も走っているので初めはゴルフ場とは思いませんでしたが、キャディーさんの制服やらプレーする人々の姿も見えます。ハノイからの距離を考えればそこにゴルフ場があってもおかしくはない、とも言えるわけですが、自分がゴルフとは無縁なせいか「こんなもの必要ないだろう。他に金の使い道もあるわけだし・・・」というのが率直な感想。

ハ・ドンのバスターミナルに着くと、暫くハノイ方向へ歩くことにしました。10年前にこの辺には何度か来たことがあります。当時は所々建物が途切れ、長閑な雰囲気もありましたが、今やハノイの街との境にも気付かぬほど賑やかになっています。久しぶりに蝉の鳴き声を聞きました。サイゴンの生活では滅多に聞きません。道端ではライチが売れていました。10年前なら迷わず買ってしまったのでしょうけど、近年はサイゴンでも安く売られるようになってしまい、その分有り難味を感じなくなってしまいました。

路線バスを乗り継ぎ、空港へと向かいました。ナムタンロンから空港へ行く7番のバスに乗り込むといつもと変わらぬ混雑で、車内の後方へと進むと何故か学生らしき女の子に「オジサン座ってください」と声を掛けられました。日頃ベトナム女性の悪口を言い続け、書き続けてる身としては赤面する思いでした。こんなことがある筈がない事態です。そしてまた「席を譲られるほどオレの外見は年老いているのか」と愕然。「いいえ、結構です」と断ったものの、彼女は立ち上がってしまい、座らなければ、彼女にも気まずい思いをさせることになってしまいます。それ以上車内が混むこともなく、彼女も途中から近くの席に座れるようになったので、少々心の負担は軽くなりましたが、彼女の方ではそんな中年日本人の心理など思いも寄らぬことに違いありません。