学校では、科学がいかに素晴らしいか、世の中の事象を解き明かしてきたかを学ばされてきました。たしかに、今の社会は、それら科学の産物、文明の利器によって、便利になったし、多くの物質的な豊かさを獲得することができるようになりました。これは事実です。しかし、子供たちに対して、今の科学で分かっていることを教えると同時に、科学によって解明できていないことがいかに多いかについても併せて教えるべきではないかとも思います。
最新の科学では、宇宙の質量の90~95%がダークマターという未知なる物質で占められていると言います。科学の最先端の現場では、鋭意研究が進められているといいますが、要するに、今の私たちが住んでいる世界は、何でできているのかすら、未だほとんどわかっていないということです。
また、物理学においては、粒子を粒ではなくひもであると考える超ひも理論というものが存在します。ブレーンと呼ばれる様々な次元の超空間が10次元のなかに存在するとされており、これによると、私たちが認知できている3次元よりさらに高次元の世界があることになるのだそうです。謎だらけの宇宙を既存の理論で説明するのは、非常に難しかったのですが、この超ひも理論によって、これまでになく簡単に宇宙を記述できるようになるらしいのです。しかし、私たちは3次元の世界にいるため、この理論を裏付けるための観測や認識ができず、この理論は証明されるにいたっていません。ただ要は、この世の中は、科学でひも解いても、分からないことだらけ。いや正確に言えば、科学をもってして、世の中がいかに分からないかが、判明しているとも言えます。
こうして考えると、そもそも科学で解明できないことの方が多い、分かっていないことの方が多いということを受け入れることが、我々のあるべき姿ではないかと思うのです。
科学が万能であるかのように、子供たちに信じ込ませるようなことは、決してすべきではありません。何故ならば、そのような教育の結果、分からないこと、不思議な事象に対する子供たちの旺盛な好奇心は奪われることになるからです。いや、このことは子供だけに留まりません。大人も謙虚に、今の科学の限界を受け入れ、未知の事象や不思議な現象について、これを事実として受け入れる度量を持つべきでしょう。
このことは、今の常識を疑うことにもつながります。
相対性理論によって、3次元の世界は見事に説明できている、と言う人がいます。その意味で、相対性理論の正誤を論じるのは意味がない、とまで言う人もいます。
2次元の世界がうまく説明できている理論は、間違いなく正しい理論です。しかし、それがすべてではありません。3次元もあるということを説明できていないことは、その理論の限界であり、そのことは、素直に認めなければならないはずなのです。
そもそも、分からないことだらけのなかで、3次元までしかないということを決め付けることのほうが不自然であり非合理です。
繰り返しですが、世の中、分からないことだらけ。
テレパシー、超能力、錬金術、霊魂、意識、精神・・・。「常識的」にありえないことは、本当にありえないと言い切れるのでしょうか。人間は、このまま3次元の世界観に基づいた唯物論のなかに生き続けるのでしょうか。
私は、もっと他の次元があった方が自然であり、合理的であると考えます。そのことで、新しい次の世界が開けていくように思うのです。