絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

日曜の朝

2009-09-27 | 日記
日曜日の朝です。なかまちにいます。

日曜日の朝と言うと、大沢親分のスポーツを見て、あっぱれと喝!を聞くのがいつものことです。
そして、毎週日曜日に絵を勉強にくるN君と父が天気が良ければ写生に出かけていくため、私は先に出かけます。私の車を退かさないと父の車が出せないのです。

私の父は、元中学の美術の教師で、今は、85歳になりますが、画家としては現役です。父は絵を描くのが速いので、一日で8号程度は仕上げてしまいます。

このN君は、子供のときからずっと絵を習っていて、今はもう30歳くらいになるのに、欠かさず日曜になるとやってきて、父と一緒に絵を描きに出かけます。
ほとんど休んだことがありません。すごいことです。

私は、父と一緒に絵を描きに行くことは、ほとんどありませんから、父のことはこのN君の方がよく知っているでしょう。絵の話し相手としては、私の方が存在が遠いでしょう。

私は、描けば描けますが、よく構図を研究しないとなかなか描きださないのですが、父やN君は、その時の感覚で、その場の印象を大事にしているので、どんどん絵ができてしまいます。

父やN君を見ていると、私ももっと描かなければならないなあと思います。




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嬉しいメール

2009-09-26 | 日記
今日は、うれしいメールをいただきました。

丁度、水彩の風景画の講習会をやっている時でしたが、私のピカソがライバルを読んでいただいて、感激してくださったという方からでした。
栃木県にお住まいの私と同年代の方でした。

お子さんが、高校受験で、ネットで調べていた時に、ピカソがライバルに気づいて、本を注文されたそうで、本が来るまでが待ち遠しかったということと、読んでみて、こんな高校があるということやこんな美術部があるということに、驚かれたという内容でした。また、その内、私がブログを書いていることがわかったということで、メールをいただいたのです。

私は、最近、ブログを書いてもコメントがほとんどないので、反応がないのはさびしいなあと思っていたものですから、とても嬉しくなりました。有難うございます。


少し、前には、ニューヨークに住む日本人の方から、メールをいただいて、その人は、児玉出身の方でしたが、知れば知るほど私と縁が深いので驚きました。

私が、麓原会や古川先生のことを書いたので、メールをくださったのですが、古川先生のお嬢さんからピアノを習っていたそうで、ということは私はそのピアノの音を聴いていたことになるのです。
なにせ、私の家は古川先生の家の隣ですから。
また、その方は、小学校時代に油絵を習っていて、本庄まで通っていたそうですが、そこの先生が亡くなってしまって、それと同時かどうか、やめてしまったそうですが、その後、私がその塾を引き継いで、二年間教えに行っていたのです。
すれ違いで、会わなかったことになります。

その後、その方は、多摩美大を出られて、今は、ニューヨークで、テキスタイルデザインの仕事をされているというのですから、驚きです。

とにかく、ニューヨークでも、私のブログを見てもらえるのだと、知って、驚いています。
もう、学校で教えることはできそうもないので、このネットを通じて世界中の人に、美術の話題でお話ができたらうれしいなあと思います。

ぜひ、何か感想などありましたら、コメントなり、メールなり頂けたら嬉しく思います。何か、質問があるとまた、書く意欲がわいてきますので、ぜひ、お願いします。
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水彩の風景画講習会

2009-09-26 | 絵画指導
今日は、水彩の風景画講習会がありました。
上の絵は、今日私が描いた参考例です。

夏休みに子供向けデッサン講習会を、頼まれて行いましたが、その大人バージョンを頼まれたのです。やはりデッサンかなと思ったら、今度は水彩でやってくれますかと言われて、何でもいいですよと引き受けました。

参加者は、子どもの時より少なくて、今日は7名でした。次回は、10月6日にやりますが、それは、参加希望が10名だそうです。

私は、水彩の風景画という本を出しているので、じゃあ、それを使ったものをやりましょうということになり、実施しました。
  

できたら、三枚やってみようかなと思いましたが、やってみたら結構みなさん時間がかかって、結局、一枚でした。
作品をご紹介します。


この塗り絵から始める水彩の風景画は、単なる塗り絵ではなく、水彩画の色塗りの練習になるので、色塗りのやり方を学ぶという体験になりました。

絵の勉強には、模写という方法もありますが、直接この絵はどのように描いたのかを描いた本人から学ぶということで、秘伝を教えるというような感じですね。私のやることを真似してやってみてくださいという講習会でした。だから、みんなほとんど同じ物が出来ました。

このような体験で、描き方を覚えて、次は家に帰ってから自分でやってみてくださいという形の勉強でした。時間があれば、もっといろいろやれますが、今回はこれだけで終わりです。

これは、DVDにもなっているので、見たい人は、見てください。
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凱旋門からルーブルまで

2009-09-26 | 美術
昨日は、凱旋門辺りをお話しました。

今日は、凱旋門から歩いてみましょう。
ーーーーー
凱旋門から12本の道が出ていることは、お話しました。
その東側に伸びる道が有名なシャンゼリゼ通りです。
歌にも「オーーシャンゼリゼ」と歌われていますので、ご存知の方も多いですよね。その道は、凱旋門から歩くと、だらだらとした下り坂です。だから、歩きやすいです。
右側の歩道を歩いて行くと、ルイビトンのお店があります。左側にはリドディナーショウが見られるお店があります。
更に歩いて行くと、右側に美術館が二つ出て来ます。グランパレとプチパレと言われています。1900年のパリ万国博覧会の会場になった建物です。

そこを過ぎた辺りに、セーヌ川の橋が見えてきて、その奥にアンバリッドが見えます。ドームの形をして金色に光っているので、目立ちます。そこがナポレオンのお墓があるところです。その東にはロダン美術館があります。

セーヌ川は、凱旋門からシャンゼリゼを歩いていると、右側から近づいてくるように見えます。シャンゼリゼ通りを約2キロ歩くと、広場に出ます。
そこは、今は、コンコルド広場と言われていますが、以前は革命広場と言われました。フランス革命のときに、ルイ16世やマリーアントワネットがギロチンにかけられたところです。

広場の中央には、オベリスクが立っていて、かっこいい感じです。このオベリスクは、エジプトのルクソールから持ってきました。ナポレオン3世がエジプトに行った時、お土産にもらってきたと言われています。

この広場は、かなり広いので、オベリスクのある部分を中心にして、グルッと一周できる道ができています。
方角的には、広場の北西の隅で、ルイ16世がギロチンにかけられたそうです。
マリーアントワネットは、東の門の近くだったそうです。

その東の門とは、いまは、チュルリー公園になっています。私の感覚では、その公園はルーブルの庭という感じがするのですが、どうでしょうか。

ーーーーーーー
その公園の右隅に、オランジュリーがあります。凱旋門からルーブルを見る方向で、眺めると右隅です。公園の入り口の門から東を向いて右側です。
くどいですね。

そのオランジュリーにモネの睡蓮があります。
元々は、オレンジの温室だったそうですよ。だから、オランジュリーと言うのだそうです。その一階に、二部屋の壁いっぱいに睡蓮があるのです。これは見事ですよ。ここへ行ったらぜひ立ち寄ってもらいたいですね。

ーーーーーー
ちょっと、休憩。
今日は、水彩の風景画講習会があったので、中断しました。
ーーーーーー
続きを書きます。

私は、今お話している行程を、生徒6人と一緒に歩きました。
女子生徒ばかり6人を連れて行ってきたのです。

オランジュリーは、モネが描いた睡蓮を飾るのにふさわしい場所でした。当時は外光が入る部屋だったからです。今は、二階建になってしまい、電気の光で見ているので、モネが知ったら怒るでしょうね。

まず、入口は西側で、すなわちコンコルド広場側からで、入ると直ぐに両サイドに螺旋階段があります。そこは吹き抜けになっていて、上がりきると、グルッと一周バルコニーが歩けるようになっています。そして、その壁には、一回りスーチンの絵が飾ってあります。

スーチンは、かなり自由な絵を描きましたよ。ゴッホより激しいかもしれません。
エコールドパリの画家だと言われます。
また、二階の部屋に入ると、ルノアールの部屋、セザンヌの部屋と言ってもいいくらいのたくさんの絵があり、その後は、アンリルソーやピカソまであります。

二階が終わって、下に降りると、モネの睡蓮が二部屋、私の印象では楕円形の部屋が二つあって、二つとも睡蓮が壁一面につながって飾ってあります。静かなひとときが過ごせます。モネとの会話の時間です。神秘的な光の中で、ソファに座り、静かに過ごせます。

出口は、また二階に上がり、入口の螺旋階段を降りるようになっています。

ーーーー
外に出ると、気持の良い木々の緑を感じました。
中央の門は金色をしています。その門からルーブルに向かって歩くと、池にぶつかります。そこに座ってのんびり空を見上げました。生徒たちも同じように座りました。
私は「おい、なんでこの椅子はこんなに空を見るようにできているのかな?」と言いました。ふんぞり返るという感じなのです。

池の端には、鳥が飛んできます。私たちがいてもあまり関係ないような感じで、鳥が池のまわりに止まっています。池にはアヒルがいました。
池に写る木々を見ていると、いい気持ちなのです。つい、うとうとと眠ってしまいそうでした。

その公園を歩いて行くと、中にメリーゴーランドがありました。これは、移動ができるらしく、公園の中にあると、いい感じです。

我々は、公園の中央ではなく、右端の高い部分を歩いてみました。セーヌ川を見下ろしながらです。その反対側には、オルセー美術館があるのです。チュルリー公園の反対は丁度オルセーなのです。

そして、オルセーが終わった位置で公園も終わり、ルーブルになります。

だから、ルーブル美術館とオルセー美術館は、セーヌ川を挟んで、東西にスライドした位置にあるわけです。

ーーーーー
我々が行ったのは、春休みでしたが、もう半袖の人がたくさんいました。
ヨーロッパ人は、肌を見せたがるのかなと思いました。

ルーブルは、書いていくときりもなくありますので、入るまでを書きます。
中央の庭に、ガラスのピラミッドがありました。
これも、作るときには、エッフェル塔と同じように賛否両論あったそうです。
伝統的な建物に、こんな近代的なものを作って良いのかという意見です。しかし、実行されました。それまでのルーブルは、入口が三か所あり、分かりにくくて、出口へどうやって行けばよいのか、迷う人がたくさんいたのだそうです。それを解決しようという試みで、ここを中央入口にしたようです。

ここを中心にして、右側がモナリザコースのあるドノン、中央がシュリー、左がリシュリューです。

分かりやすくなりました。

入口は、それぞれ一つ上の階になっていますが、入った場所からそのまま左に行くと、逆さピラミッドがあります。そこも一つの出入口です。
その途中の両サイドにお土産屋さんがあります。画集や、ポスターなど美術関係のグッズがたくさん揃っています。

右の隅には、喫茶コーナーがあって、疲れたらそこで休みます。

凱旋門からシャンゼリゼ通り、コンコルド広場、オランジュリー、チュルリー公園、ルーブル美術館と歩いて来ました。

セーヌのほとりのコンクリーの塀に腰かけて、休んだ時の気持ちよさを思い出します。また、行きたいなあと思いました。

もう、あのメンバーであの気持で行くことはできません。行ってきて良かったと思います。



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豆知識 凱旋門

2009-09-25 | いろいろ
エッフェル塔が作られたのは、パリの万国博覧会の時だとお話ししました。
それは、フランス革命から100年後の1889年だったそうです。

フランス革命100年祭というのでしょうか?


その時、日本からのモニュメントが大人気で、その後、ジャポニズムということが興ります。ゴッホもモネもマネも日本を扱った絵を描いています。
背景に浮世絵があったり、モネは奥さんに着物を着させて絵を描いたり、団扇を壁に並べたりして絵を描きました。ゴーギャンは、浮世絵の構図を利用して自分の絵に取り入れました。ゴッホは直接広重の絵を油絵で模写しています。


この年から、スペインでは、バルセロナのサクラダファミリアが作られ始めました。聖家族教会です。これは、未だに作り続けられています。教会建築というのは、何百年もかけて作られるということは、珍しいことではありませんが、この教会はまだ半分も行ってないので、これから100年以上作り続けられるそうです。

ーーーーーーー
パリに行くと、凱旋門がありますが、この凱旋門はナポレオンが命じて作られました。高さは50メートルです。ローマのコロッセオの話をしたときに、大体同じ高さだと言いました。ナポレオンは作るように命じましたが、生きてその下を潜ることはできませんでした。亡くなってから棺でその下を通ったそうです。

ナポレオンのお墓は、アンバリッドという建物の中にあります。
そこは、凱旋門から東にシャンゼリゼ通りがありますが、その道を歩いて行くと、右にセーヌ川の橋があって、その橋の奥に金色に輝く建物があります。そこがアンバリッドです。

凱旋門には、リュードという彫刻家が作った、レリーフがあります。それは、ラマルセイエーズというもので、フランスの国歌と題名が同じですが、マルセイユから凱旋してくる兵士たちの様子が彫られているようです。

シャンゼリゼから見ると、右側のレリーフです。左側には、ナポレオンのレリーフがあります。

凱旋門の周りは、円形の道があって、信号のない交差点というのでしょうか、そこからは、12本も道が出ています。まるで時計の数字のようですね。しかし、回り方は時計とは反対回りです。


観光客は、凱旋門に昇れますが、まずは、その円形の道を渡らなければなりません。しかし、横断歩道はないので、地下に通路があって、それを潜って凱旋門の下に出ます。足の悪い人は、エレベーターで昇れますが、元気な人はらせん階段で上ります。
内部の最上階は土産物屋さんになっていますが、屋上には、更に階段があるので、車いすの人では、屋上に出られません。

屋上に上ると、シャンゼリゼ通りの方向には、はるかルーブル美術館まで見えます。パリの街は8階建てに制限されているので、建物の高さが統一されていて、きれいです。そのため遠くまで見渡せるのです。

セーヌの流れの端にエッフェル塔が建っています。やはり、作ったときは異様な感じがしたでしょうね。

このパリの中で、飛び出しているのは、そのエッフェル塔とモンパルナスタワーとコンコルドラファイエットというホテルです。なぜ、その建物は8階より高くなっているのか、許可が出たのか、理由をつかんでいません。ご存知の方がいたら教えてほしいです。

パリの外側に一周することのできる高速道路がありますが、その外側は高い建物が許されているので、高いビルの集団があります。

シャンゼリゼ通りの反対側、すなわち西側にははるか遠くに新凱旋門があります。それは、近代的なビルですが、ビルとビルが上だけ横につながったような形をしています。

また、パリには、丘が一つだけありますが、モンマルトルの丘と言われています。それが、北東に見えます。その話は、また後で。

パリへ行ったら、凱旋門に上って見るといいですよ。
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