絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ゴーギャン

2009-09-13 | 美術
今夜は、ゴーギャンの番組があります。
NHK教育の夜10時からです。1時間半の番組で、ゴーギャンがなぜタヒチに行ったのか、なぜあのような絵を描いたのかについて、いろいろ説明があるようです。

私も、その辺りは詳しくないので、楽しみにしています。

 「我々は、どこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか」

という絵があります。

哲学的テーマですね。
私も絵を描きながら常に考えています。

宇宙は、無から誕生したのか?時空というものは、プラスマイナスを繰り返しているのか、しかし、現代の宇宙理論では、ほとんど無と言っていい空間の中から、ビッグバンという膨張によって、誕生したということになっています。

時間が始まって、空間が作られて、それから、物質というものが作られたという流れです。しかも綺麗に作られれば、反物質と反応して、作られなかったはずの物質が、歪みのために、物質だけが残ったとされています。だから、星も我々も存在するようになったと。

これが、私が掴んでいる我々の正体です。

なぜ、ビッグバンが起こったのか、なぜ、歪みが生じたのか、その辺は私は理解していません。それとも、反物質が膨張が早くて外に飛び出している分だけ、物質が取り残されているかもしれません。

ゴーギャンの言葉は、その宇宙のどのくらいの時期を考えているのか?その当時の宇宙解釈は、全く違っていたでしょう。
私は、現代の宇宙論から考えると、宇宙は我々の宇宙だけではないと言われますから、人間は死んだら別の宇宙に現れるかもしれないなどと考えています。

また、時間の通りに進むかどうかも分かりませんね。生命の神秘と考えれば、我々の想像を超えた状態があるかもしれません。そうであるならば、時間の逆行もあるかもしれません。

ゴーギャンは、どこまで考えてこの言葉を残したのでしょうか。そう考えてみるのも少し、興味深いです。


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文化祭

2009-09-13 | 美術部情報
今日は、本庄第一高校の文化祭です。

昨日、たまたま学校へ電話をして知りました。
卒業生の皆さん、時間があったら見に行ってください。
私は、持病があるので、人ごみに行けません。糖尿がある人は新型インフルエンザにかかると、重症になる恐れがあると聞いているので、人ごみに入れないのです。
残念です。

文化祭というと、机を積んで幕を張って、壁面を作ったことを思い出します。
それが大きな仕事で、二泊の合宿をして準備したものでした。
しかし、終わると一気に片付けて、一抹の寂しさを感じたりしました。

文化祭は、コンクールではないので、やればいいという気持ちもありますが、美術部の展示はやはりメインでなければならず、毎年来ていただく大人の人達には、一番の注目になっていました。そして、昨年と比べて今年はと批評されるので、やはりいい加減にはできないものでした。

8階に文化の灯をともせを合言葉に、文化部の活性化を図った時期もありました。
運動部ばかりが注目されて、とかく文化部は軽く見られる傾向があった中、美術部がそれを跳ね返してやろうという気持ちで取り組みました。

また、その当時は、私の考えに賛同してくれる若い先生たちがいて、一緒に盛り上げてくれました。だから、8階建てに、様々な展示がなされて賑やかでした。

8階の窓には、それぞれの展示案内が張られ、体育館前には大きな展示案内が立てられ、会場は一方通行にして、見ないと次に行けないように作られ、全てを見て周ると、飴などの賞品がもらえるようにしたりしました。

また、前庭ステージが作られ、ダンス部や吹奏楽部が演奏したりしましたが、その背景を美術部が担当しました。ベニヤ板で20枚くらいの大きい絵を描いて、ステージの背景にしました。なかなかの見応えがありました。

また、前庭の模擬店では、味噌おでんを売り、展示会場では、紙粘土で作った人形などを売って、合わせて20万円くらいの売上を出しました。

部員が60人以上いましたから、凄いことができました。

展示会場の外では、来た人が勝手に描ける落書きコーナーを作ったり、時には似顔絵を描いてやることもやりました。

思いだすと、いろいろなことがありました。
卒業生は、懐かしく思いだすことでしょう。

終わったら、使う前より綺麗にして、その教室を返しました。美術部に使ってもらうと、後が綺麗でいいなと言われるようにしたつもりでした。







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19世紀の美術

2009-09-13 | 美術
19世紀の美術は、印象派が出て来た時ですから、分かりやすいですが、印象派までに覚えて置くと良いものが、4つあります。

それをお話しします。

1、新古典主義
   これは、ダビッドとアングルを覚えてください。

2、ロマン主義
   ドラクロワとジェリコです。

3、写実主義
   クールベです。

4、バルビゾン派
   ミレー、コロー、ルソー(テオドールルソー)です。 

そして、印象派になります。

ーーーーーーーーーー
私はこのようにまとめました。

新古典主義のダビッドは、ナポレオンの戴冠でお話ししましたね。
それ以外の絵を思いだせますか?
ローマを話したときの、サビニの女たち、息子の死体が運び込まれるブルータスの絵です。このように古代ローマの絵を描いたことで、知られています。
そのほかの有名な絵では、「ホラティウス兄弟の誓い」「サルダナパールの死」という絵もあります。

もう一人の有名な画家は、アングルです。
オルセー美術館に行くと、入ってすぐ階段を下りて右の部屋に「泉」があります。女性が裸で水瓶を肩まで持ち上げて、その甕から水が流れ落ちている絵です。
私は、アングルの代表作をあげろと言われたら、この絵をあげたいのですが、何を見ても、そのように書いてある本がありません。なんでだろうと不思議に思っていたら、これは、アングルの弟子が仕上げたからだとわかりました。
アングルが一人で描き上げた絵ではないので代表作にならないのです。少し残念な気持ちです。
そのほかの絵では、「トルコ風呂」が有名ですが、ギリシャ神話を扱った絵も印象的です。私は、オイディプスとスフィンクスの絵が印象に残ります。
これは、スフィンクスが旅人に問題を出して、答えられないと旅人を食べるという話で、それを退治にオイディプスが行くのですが、オイディプスが正解を出すと、スフィンクスは、自殺してしまうという話です。おかしな話ですが、そのようになっています。
絵は、オイディプスにスフィンクスが飛びついて答えを待っている状態で、ギリシャのスフィンクスは女性ですから胸が裸です。それがとても印象的です。
そうだ、もう一つ話題作がありました。
それは、「グランドオダリスク」です。
これを忘れてはいけないという絵でした。


この絵は、背中が極端に長くなっていて、よく見ると形がおかしいです。しかし、このポーズでは、この方が自然な感じかしますから、不思議です。私はデフォルメという言葉を説明するときに、この絵を使います。

実際とは形が違うけれど、この方が良いと思われる場合、わざと違って描く。それをデフォルメと言う。

アングルは、いくつかこのようなことをやっているので、調べてみるといいでしょう。これは、セザンヌのチョッキを着た少年の絵を思いだします。多視点ということをアングルも考えていたかもしれません。

次は、ロマン主義です。

これは、遅れて来たフランス革命だといわれました。
代表的な絵は、ドラクロアの民衆を率いる自由の女神でしょう。


これは、誰もが見たことがあると思います。世界史の教科書には必ず出て来ますね。私はこれがフランス革命の象徴的な絵だと思っていました。しかし、よく調べると、これはその後の7月革命の絵だそうです。みなさんご存知でしたか。

フランスの国旗を持って、上半身裸の女性が描かれているので、印象的ですね。

ドラクロアは、サロンで、カンスタブルの干し草車という絵を見たとき、衝撃を受けて、自分の絵(キオス島の虐殺)の空を描き直したという話が残っています。
これが、カンスタブルの干し草車です。


そのため、ドラクロアとカンスタブルが同じ時代の人だと覚えています。

もう一人、ジェリコーですが、実はドラクロアよりも先輩です。それは、テーマが同じものがありますが、ドラクロアはジェリコーの絵を参考に描いたと言っているからです。

そのジェリコーの絵は、難破船の絵でした。メデューズ号の筏という絵です。


ドラクロアの民衆を率いる自由の女神も大きい絵ですが、それよりも大きいです。
ルーブル美術館の同じ部屋にありますから、比べられるのです。実は、ナポレオンの戴冠もその近くにあります。モナリザコースで行くとこの三点は途中の目玉ですね。
メデューズ号が難破して、人々は筏に乗り救助を待ちますが、筏が小さくてその筏に150人もの人が群がりました。しかし、救助はなかなか来なくて、最後に生き残ったのは、15人だったと言われています。最後は空腹に耐えかねて、死んだ人の肉を食べたという話です。

長くなったので、写実主義とバルビゾン派は、簡単に話します。
写実主義は、クールベで、自分以外は画家ではないと言ったと紹介しました。
「画家のアトリエ」と「オルナンの埋葬」が有名ですが、どちらもオルセー美術館にあります。入って、中央まで行き、左側にありますが、この二点は向かい合って展示されています。
これが、画家のアトリエです。


なぜ、写実主義と言われるかと言うと、その絵に描かれている人たちがみんな実在する人たちだからです。クールベは自分は見えるものしか描かないと言いました。

だから、女神を描いてほしいと頼まれた時、「描くからここへ連れて来てくれ」と答えたそうです。このエピソードは面白いでしょ。

バルビゾン派は、落ち穂拾いのミレー、ミレーを助けたコロー、アンリルソーと間違わないようにと話したテオドールルソーの三人を覚えて置くと良いでしょう。
パリから100キロくらい離れた所にバルビゾン村というところがあって、そこで自然を写生した画家たちのことです。

  印象派までの19世紀は、以上の4つを頭に入れておくとよいと思います。

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