絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

豆知識 凱旋門

2009-09-25 | いろいろ
エッフェル塔が作られたのは、パリの万国博覧会の時だとお話ししました。
それは、フランス革命から100年後の1889年だったそうです。

フランス革命100年祭というのでしょうか?


その時、日本からのモニュメントが大人気で、その後、ジャポニズムということが興ります。ゴッホもモネもマネも日本を扱った絵を描いています。
背景に浮世絵があったり、モネは奥さんに着物を着させて絵を描いたり、団扇を壁に並べたりして絵を描きました。ゴーギャンは、浮世絵の構図を利用して自分の絵に取り入れました。ゴッホは直接広重の絵を油絵で模写しています。


この年から、スペインでは、バルセロナのサクラダファミリアが作られ始めました。聖家族教会です。これは、未だに作り続けられています。教会建築というのは、何百年もかけて作られるということは、珍しいことではありませんが、この教会はまだ半分も行ってないので、これから100年以上作り続けられるそうです。

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パリに行くと、凱旋門がありますが、この凱旋門はナポレオンが命じて作られました。高さは50メートルです。ローマのコロッセオの話をしたときに、大体同じ高さだと言いました。ナポレオンは作るように命じましたが、生きてその下を潜ることはできませんでした。亡くなってから棺でその下を通ったそうです。

ナポレオンのお墓は、アンバリッドという建物の中にあります。
そこは、凱旋門から東にシャンゼリゼ通りがありますが、その道を歩いて行くと、右にセーヌ川の橋があって、その橋の奥に金色に輝く建物があります。そこがアンバリッドです。

凱旋門には、リュードという彫刻家が作った、レリーフがあります。それは、ラマルセイエーズというもので、フランスの国歌と題名が同じですが、マルセイユから凱旋してくる兵士たちの様子が彫られているようです。

シャンゼリゼから見ると、右側のレリーフです。左側には、ナポレオンのレリーフがあります。

凱旋門の周りは、円形の道があって、信号のない交差点というのでしょうか、そこからは、12本も道が出ています。まるで時計の数字のようですね。しかし、回り方は時計とは反対回りです。


観光客は、凱旋門に昇れますが、まずは、その円形の道を渡らなければなりません。しかし、横断歩道はないので、地下に通路があって、それを潜って凱旋門の下に出ます。足の悪い人は、エレベーターで昇れますが、元気な人はらせん階段で上ります。
内部の最上階は土産物屋さんになっていますが、屋上には、更に階段があるので、車いすの人では、屋上に出られません。

屋上に上ると、シャンゼリゼ通りの方向には、はるかルーブル美術館まで見えます。パリの街は8階建てに制限されているので、建物の高さが統一されていて、きれいです。そのため遠くまで見渡せるのです。

セーヌの流れの端にエッフェル塔が建っています。やはり、作ったときは異様な感じがしたでしょうね。

このパリの中で、飛び出しているのは、そのエッフェル塔とモンパルナスタワーとコンコルドラファイエットというホテルです。なぜ、その建物は8階より高くなっているのか、許可が出たのか、理由をつかんでいません。ご存知の方がいたら教えてほしいです。

パリの外側に一周することのできる高速道路がありますが、その外側は高い建物が許されているので、高いビルの集団があります。

シャンゼリゼ通りの反対側、すなわち西側にははるか遠くに新凱旋門があります。それは、近代的なビルですが、ビルとビルが上だけ横につながったような形をしています。

また、パリには、丘が一つだけありますが、モンマルトルの丘と言われています。それが、北東に見えます。その話は、また後で。

パリへ行ったら、凱旋門に上って見るといいですよ。
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