絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

画家のエピソード5

2009-09-22 | 美術
1、ミケランジェロに最後の審判を命じたのは、クレメンス7世かパウロ3世か?
  正解は、どちらも正解です。
  クレメンス7世が命じて、フィレンツェにいたミケランジェロは仕事を片付けて、準備をしてローマに来たのは、一年後だったのです。しかし、ローマに到着したすぐ後にクレメンス7世が死んでしまいました。それで、描かなくてよくなったとほっとしていたら、次に法王になったパウロ3世が同じ命令を出したため、描くことになったのです。
だから、どちらも正解です。

2、ジョットは、画家になる前は、羊飼いの少年でした。
  先生は、チマブーエです。当時は偉い画家の先生でした。そのチマブーエ先生が旅をしていて通りかかったところに、ジョット少年がいて、絵が上手だと話したら、絵をみてくれて、これはものになりそうだと感じたので、弟子にしたという話です。

3、ジョットの有名な絵は、ベネチアの近くにパドバという町がありますが、そこのスクロベーニ礼拝堂というところにあります。フレスコ画で、特にユダの接吻とマギの礼拝が有名です。

4、マザッチョの貢の銭という絵は、カルミネ教会のブランカッチ礼拝堂にありますが、異時同画として有名です。その絵のキリストの顔は、マザッチョではなく、その反対側の壁に絵を描いていたマゾリーノが描いたと言われています。
重要な部分は先生が描くということが、一般的でしたが、この場合は先生ではなく先輩ですね。

5、ミケランジェロは、サンピエトロ大聖堂のクーポラを設計しましたが、完成を見ることはできませんでした。亡くなってから60年後くらいに完成したようです。残念ですね。

6、パッツィ家陰謀事件で、ジュリアーノを殺した犯人たちが捕まって、死刑になりましたが、建物の上から突き落とされて、首つり状態になりました。それを、レオナルドは見ていて、下からスケッチをしたそうです。
誰もが目を背けたくなる光景を目にして、それをデッサンするという神経が恐ろしいと、友達はレオナルドの異常さを感じたそうです。

7、ゴッホは、ゴーギャンに「君の絵は冷たい、感情がない、感情のない絵は絵じゃない」と言ったそうです。それに対して、ゴーギャンは「ゴッホは感情に溺れている、感情に溺れては絵は描けない」と言い返したそうです。

8、ゴッホは、自分からおかしいと感じて、精神病院に行きました。そこで、隣の部屋から大声でわめく患者の声を聞きました。或る朝、ふと気がつくと、のどが腫れあがり食べ物が一週間も食べられない状態になっていました。それで、自分も同じようだったのだと気がついたそうです。

9、モジリアニは、彫刻も作っていましたが、気に入らないと言っては、川にそれを投げ捨てたそうです。結核の治療で転地療養していたのですが、ある時期は自暴自棄になって、麻薬をやっていたことがあったそうです。

10、モジリアニは、イタリア出身ですが、パリで絵を描きました。
   イタリアから、ずっと持っていたのは、ボッチチェリーのビーナスの誕生の写真だったそうです。そういえば、人物画のポーズでなんとなく似ているものがありますね。
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下絵の完成

2009-09-22 | 絵画指導
先日のアドバイスを受けて、下絵を完成させてきました。

私が言ったことについて、ほとんど全て解決してきました。

素晴らしいと思います。

左上の植木鉢の丸み、左下のポットの丸み、人形の腕、人形の立体感、後ろの布の端、右下の鉢の丸み、人形の左の布の縞模様の遠近など、全て解決しました。

前回言わなかったことで、その後、私が気がついたことは、一番右の植木鉢が右に傾いていることです。それを少し直した方がいいかなと思いました。それで、今回話しました。もうほとんど言うことはないので、色塗りに入ってくださいと話しました。
この絵は、50号ですが、もう一つ、群馬の森を描いた10号の絵も持ってきて見せてくれました。
それが、これです。




風景画は、しばらくやってないのですが、それでも静物画をやりながら学んでいるようで、急に良くなってきました。これが、面白いところです。以前はこんなに風景は描けなかったように思うのですが。こっそり勉強していたのでしょうか。

1、左下の三つの植え込みの形が似すぎていて、気になります。
2、右側の棒のような形の植え込みも単調です。
3、照明の後ろの森の形が、富士山の形で丁度照明の柱で突き上げられたような位置にあるのが、気になります。
4、森の下の木が、やや同じ太さで、同じ間隔なのが気になります。

これらのことを注意して直すとよいでしょう。


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美術の必要性5

2009-09-22 | 美術
なぜ、美術を学ぶ必要があるのかという問いを生徒から発せられたら、先生はどう答えるのかと思いながら、ここまで、書いてきました。

その答えを考えていたら、答えはたくさんあるなあと思いました。

今日は、表現ということから考えてみます。

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他の教科と比べると、美術は表現ということが大きな割合を占めると思います。
他の教科が、受身であることが多いのに対して、美術は半分以上が自分から発する能動的な表現です。

その表現ということはどういうことかと考えれみると、いろいろな分野に通じることがわかります。

原理的に考えてみると、表現とは、表現したい何かがあるわけです。
それを、絵画の場合、私は内的ビジョンと言っていますが、一般的にはコンセプトと言っているようです。

まず、そのコンセプトがあって、それをどのように人に伝えるか?それが、表現であると。

ーーーー
これは、以前語ったことがあります。
ただ、自分だけのためにする絵画表現の場合でも、自分がその絵を見る人でもあると言いました。そう考えたら、絵画表現は見る人を意識してするものなのです。

「なぜ描くのか」と問えば、「見える形にしたいから」です。
もし、頭の中で分かっているだけで満足なら描かなくても良いのですが、描かないとわからないから描くと考えれば、やはり見える形にしたいからでしょう。

また、「描くのが楽しいから」というのは、描く感触が気持ちいいということもありますが、それが見える形になることが楽しいのではないでしょうか。

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絵画表現とは、あるコンセプトがあって、それを見える形にしたいから描く。

これで、良いでしょうか?

あるコンセプトとは、花が綺麗だなあとか、夕焼けが綺麗だなあという見て感動したその瞬間の印象かもしれません。人間を見つめて、感じるその人の人間性かもしれません。愛着のある静物の場合もあります。伝えたい歴史の場面やドラマの一場面の場合もあります。人間の感情の場合もあるでしょう。

とにかく、そのようなものを色と形を使って表現する。それが絵画です。

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それは、違う方法なら、言葉にして、音にして、伝えることもあるでしょう。
言い換えると、文学や音楽です。総合的には演劇や映画です。
そう考えたら、絵画表現というのは、それらに通じるものでもあるわけです。

絵画をしっかりと意識して、勉強すると、そのようなことになります。

単なる、記録写真の代わりくらいにしかとらえなければ、大した意味をなさないですが、あるコンセプトを伝える手段であると考えると、このように大きな意味がでてくるのです。

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では、そのコンセプトをどのように表現するかということで、頭を働かせると、それは、その人の表現力をみがくことになるでしょう。

具体的には、何を使って表現するか?それをどのような大きさで、どのように配置して、どのような色を使って、バランスを考えて、リズムを考えて、調和を考えて、どこを強調して、余分なものを省いて、必要なものを追加してとなるわけです。
私が、絵を指導する場合に考えている、構図のこと、足し算引き算、主役脇役の設定などがそれに当たります。

絵をきちんと学ぶと、そういう構成力が学べるのです。それは、仕事では、企画力にあたるでしょう。創意工夫ということでもあると思います。

ーーーーーーー

そう考えてみると、とても重要なことが美術で学べると思いませんか?

果たして、美術の先生たちはそこまで考えて授業を組み立てているでしょうか?

または、一つの教材を扱うときに、そういうことまで言及しているでしょうか。
私は、ただ絵を描かせるというだけでなく、そういうことまで含めて扱えば、美術で学ぶことはとても多いと思うのです。

今日は、この辺で。









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