授業中に挙手をさせる機会はたくさんあります。でも、この挙手の扱い方を間違えると、子どもは挙手しなくなることがあります。人前で話をすることが苦手な子になるのも、この間違った挙手をし続けた結果かもしれません。
例えば、算数の授業の際、課題に対して自分の考えをまとめる時間を取り、自分のノートに考えを書かせたあとに言葉かけをしたとします。
「わかった子は、手を挙げてください。」と子どもに言葉をかけるのと、「自分の考えが書けた子は、手を挙げてください。」と子どもに言葉をかけるのでは、挙手率が変わります。
自分の考えを話すには、次の条件が整っていなければなりません。
1 考えがある程度まとまっている。
2 考えた事に自信がある。
3 話し方がわかっている。
4 みんなの前で話ができる。
ノートに自分の考えが書けるということは、自分の考えがある程度まとまっていることを表しています。
この状態を問うのが、「自分の考えが書けた子」という言葉かけになります。
「わかった」というのは、書いた考えが「わかったこと」という自分の判断がなされた結果になります。
ですから、「自分の考えたことが、あっているのか、間違っているのかわからない。」という判断をした子どもは、挙手することはできません。
「わかった子」と先生に質問されて手を挙げる子は、それなりに自分の考えに自信がある子になります。
ですから、自信のない子どもは、挙手できないため、挙手率が下がることになります。
そして、わかった子の中から教師が指名し、発言させるとなると、その時点でまた、挙手率が下がります。
つまり、みんなの前で話をしなければならないということは、話し方がわかっていて、みんなの前で話ができる子になっていなければならないからです。
うまく話ができないと感じている子やみんなの前で話をすることに抵抗がある子は挙手できなくなります。
そのため、ますます挙手率が下がります。
「わかった子」を挙手させ、指名している体験が重なると、この4つの内容がすべてそろっている子だけで授業が進むことになります。
いつも同じ子ばかりが挙手している状況があるとすれば、子どもの問題ではなく、この言葉かけを教師がし続けたために、挙手できない子どもになったと考えることができます。
そして、挙手した子どもだけで、授業が進むとなると、挙手しなければ指名されることがないという安心感を子どもに与えてしまうことになります。
こうなったら、ますます子どもは、挙手しなくなります。
真剣に授業に向かう子どもに育てるためには、ある程度の緊張感が必要です。(「真剣」とは本物の剣を使って戦うという意味ですから、まさに一つ間違うと切られてしまう危険があるという言葉のとおりです。)
自分の考えが間違っている、不安がある子どもたちが、堂々と挙手することができるためには、「わかった子」という言葉かけでは無理があります。
中には「間違えることが勉強なんだ。」「学校は間違えるところだ。」などと少しでも安心して挙手ができるように話す教師もいます。
でも、根本的に「自分の考えは間違っている。」「不安がある。」という問題を解決したことにはなりません。
もともと自分が考えたことに間違いはあるのでしょうか。
考えたことと課題の正解と重ねた時に合っているかどうかを心配しているだけで、考えたこと自体はすごく自然な事で、自分の体験や経験して作りあげられた内容ですから、間違ではないはずです。
どの子も、考えを生み出した時には、自分の体験や経験に基づいて精一杯力を発揮して、作り出した考えです。体験や経験の違いから、違いが生まれただけです。
ですから、この「自分で考えた」ということに自信と誇りをもたせることができたら、間違いや不安を解消することができます。
授業が学ぶところであり、今の自分からさらに伸びようとするためにみんなで支え合っていくという考え方をもちながら、「自分で考えた」事の素晴らしさをみんなで認め合うそんな学級作りが挙手率を上げることになります。
ですから、「自分の考えを書けた子」という言葉かけが重要になります。
挙手した子どもに「素晴らしい。よく頑張ったね。一人で精一杯考えたね。」と子どもたちを褒めてやりたいと願う気持ちをもちたいと思います。
もし、書けていない子がいれば、支援をしようという構えがあるから、この言葉をかけるのです。決して正解を求めるのではなく、子どもたちが考えた個々の考えを生かすためにまず一人一人に自分の考えをもたせたいという気持ちが、この言葉かけになります。
「聞いて学べばよい」という考えを教師がもっていると、挙手率は下がります。「どの子も挙手させたい」と考えている教師だけが挙手率を上げることができます。
どの言葉かけを選ぶかは、教師次第です。教師の子ども理解の違いが選ぶ言葉を作り出します。
その言葉を選ぶ背景には、教師の挙手の扱い方に関わる考え方の違いがあります。
挙手を子どもの意見を聞くための道具とするか、子どもの理解の程度を探る道具とするかという違いです。
意見を聞くための道具というならば、4つの内容をクリアし、意見を言いやすい状況を作り出す必要があります。そうでなければ、どの子からも意見を聞くことはできません。一部のできる子どもだけの授業になります。
さて、あなたは、挙手をどのように扱っているのでしょう。
例えば、算数の授業の際、課題に対して自分の考えをまとめる時間を取り、自分のノートに考えを書かせたあとに言葉かけをしたとします。
「わかった子は、手を挙げてください。」と子どもに言葉をかけるのと、「自分の考えが書けた子は、手を挙げてください。」と子どもに言葉をかけるのでは、挙手率が変わります。
自分の考えを話すには、次の条件が整っていなければなりません。
1 考えがある程度まとまっている。
2 考えた事に自信がある。
3 話し方がわかっている。
4 みんなの前で話ができる。
ノートに自分の考えが書けるということは、自分の考えがある程度まとまっていることを表しています。
この状態を問うのが、「自分の考えが書けた子」という言葉かけになります。
「わかった」というのは、書いた考えが「わかったこと」という自分の判断がなされた結果になります。
ですから、「自分の考えたことが、あっているのか、間違っているのかわからない。」という判断をした子どもは、挙手することはできません。
「わかった子」と先生に質問されて手を挙げる子は、それなりに自分の考えに自信がある子になります。
ですから、自信のない子どもは、挙手できないため、挙手率が下がることになります。
そして、わかった子の中から教師が指名し、発言させるとなると、その時点でまた、挙手率が下がります。
つまり、みんなの前で話をしなければならないということは、話し方がわかっていて、みんなの前で話ができる子になっていなければならないからです。
うまく話ができないと感じている子やみんなの前で話をすることに抵抗がある子は挙手できなくなります。
そのため、ますます挙手率が下がります。
「わかった子」を挙手させ、指名している体験が重なると、この4つの内容がすべてそろっている子だけで授業が進むことになります。
いつも同じ子ばかりが挙手している状況があるとすれば、子どもの問題ではなく、この言葉かけを教師がし続けたために、挙手できない子どもになったと考えることができます。
そして、挙手した子どもだけで、授業が進むとなると、挙手しなければ指名されることがないという安心感を子どもに与えてしまうことになります。
こうなったら、ますます子どもは、挙手しなくなります。
真剣に授業に向かう子どもに育てるためには、ある程度の緊張感が必要です。(「真剣」とは本物の剣を使って戦うという意味ですから、まさに一つ間違うと切られてしまう危険があるという言葉のとおりです。)
自分の考えが間違っている、不安がある子どもたちが、堂々と挙手することができるためには、「わかった子」という言葉かけでは無理があります。
中には「間違えることが勉強なんだ。」「学校は間違えるところだ。」などと少しでも安心して挙手ができるように話す教師もいます。
でも、根本的に「自分の考えは間違っている。」「不安がある。」という問題を解決したことにはなりません。
もともと自分が考えたことに間違いはあるのでしょうか。
考えたことと課題の正解と重ねた時に合っているかどうかを心配しているだけで、考えたこと自体はすごく自然な事で、自分の体験や経験して作りあげられた内容ですから、間違ではないはずです。
どの子も、考えを生み出した時には、自分の体験や経験に基づいて精一杯力を発揮して、作り出した考えです。体験や経験の違いから、違いが生まれただけです。
ですから、この「自分で考えた」ということに自信と誇りをもたせることができたら、間違いや不安を解消することができます。
授業が学ぶところであり、今の自分からさらに伸びようとするためにみんなで支え合っていくという考え方をもちながら、「自分で考えた」事の素晴らしさをみんなで認め合うそんな学級作りが挙手率を上げることになります。
ですから、「自分の考えを書けた子」という言葉かけが重要になります。
挙手した子どもに「素晴らしい。よく頑張ったね。一人で精一杯考えたね。」と子どもたちを褒めてやりたいと願う気持ちをもちたいと思います。
もし、書けていない子がいれば、支援をしようという構えがあるから、この言葉をかけるのです。決して正解を求めるのではなく、子どもたちが考えた個々の考えを生かすためにまず一人一人に自分の考えをもたせたいという気持ちが、この言葉かけになります。
「聞いて学べばよい」という考えを教師がもっていると、挙手率は下がります。「どの子も挙手させたい」と考えている教師だけが挙手率を上げることができます。
どの言葉かけを選ぶかは、教師次第です。教師の子ども理解の違いが選ぶ言葉を作り出します。
その言葉を選ぶ背景には、教師の挙手の扱い方に関わる考え方の違いがあります。
挙手を子どもの意見を聞くための道具とするか、子どもの理解の程度を探る道具とするかという違いです。
意見を聞くための道具というならば、4つの内容をクリアし、意見を言いやすい状況を作り出す必要があります。そうでなければ、どの子からも意見を聞くことはできません。一部のできる子どもだけの授業になります。
さて、あなたは、挙手をどのように扱っているのでしょう。