ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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子どもの意見を道具にしていないか

2013-10-28 | 育児
 私たちは、講義のような教師からの一方的な説明だけを行う授業を目指しているわけではないと思います。
 子どもが授業に参加し、自らの学び、自らの学びの質を上げていく授業を目指しています。

 このような授業では、子どもが発言をし、子ども同士が学び合う姿をイメージすることになります。
 
 その時、教師が子どもたちに発問をし、子どもが自分の考えを述べることになります。
 教師のうまい誘導により、内容の理解が進むように授業を仕組みます。ここに教師の熟練された妙技が生かされてきます。

 一見見事な授業に見えますが、本当にこれでいいのだろうかと疑問をもつことがあります。

 子どもの発言には、様々な内容が含まれています。つまずきのある子どもの発言の内容と理解した子どもの発言の内容にはかなり差があります。
 
 授業を進める教師側が理解した子どもの発言を順序よく組み立てれば、授業はスムーズに進みます。

 しかし、反対につまずきのある子どもの発言を取り上げると、壁にぶち当たるようにごつごつとして、なかなか前に進みません。

 どの子もわかりたいと願っています。つまずきのある子もわかりたいと願っています。
 
 つまずきのある子どもの発言を取り上げないで、どうやってその子がわかっていくのでしょう。

 わからない→わかる となるのが、授業だとすれば、つまずきのある子どもを生かさなければ 授業にはならないことになります。

 子どもの論理で授業を作ることを目指すと言いながら、実は教師の都合のよい発言だけを取り上げている授業を見かけることがあります。

 これでは、子どもの発言は教師の論理に合う授業のための道具でしかありません。

 教師の論理に合わせるのではなく、子どもの論理に合わせるならば、次の話を子どもたちに聞かせたい。

 「先生は、あなたが何を考えているのか、知りたいんだ。」
 「学級のみんな一人一人がどう考えているのかが、知りたいんだよ。」
 「だから、自分の考えを発表して教えてほしい。」
 「仲間の意見を聞けば、必ず自分の考えは深まるはずだよ。」
 「だから、生き物のようにあなたの考えも変わっていくんだ。」
 「だから、一人の話を聞いたら反応して、意見を述べて欲しい。常に反応して、変化していく自分の考えを話して欲しい。」
 「あなたの学びの足跡がそこにあるんだよ。」
 「教師や仲間の顔色を伺って、この考えでいいかななどと考えることはないよ。自分のその時々の考えを話して欲しい。」
 「あなたが話さなければ、あなたのことは誰もわからないんだよ。」
 「あなたの考えをうまく生かすように必ず先生が考えるから。お願いだから、話してくれないかい。」

 どの子も大切にしたい・・・そんな気持ちを子どもたちに伝えた上で、発言を求めたいのです。
 子どもの発言をうまく生かせなかったとしたら、教師の責任です。
 話しづらそうな子どもが発言したら、感謝の気持ちが沸いてきます。
 私の願いに応えてくれた子どもの思いに応えようと努力したくなります。

 様々な子どもの意見から、子どもにわかりやすい道筋に整理しながら、組み立ていく・・・・そんな授業を目指したいのです。

 子どもたちのための努力がここにあります。
 うまく組み立てられるかどうかは、この努力が必要なのです。


 ただ、うまく組み立てられるようになるためには、教師が頑張るだけではなく、子どもたちのも頑張ってもらわなければなりません。

 以前、「わからない。」と言った子どもに、説明してもらったときに、子どもの中から「わからないって言ったけど、前に勉強したことだよ。前勉強したことをちゃんと家で勉強したの?」と「わからないと言った子どもに言い返す子どもがいました。

 みんなで学び合う学級にするためには、個々の子どもが最低努力しなければならないことがあるのです。復習をし、以前勉強したことは最低身につけておく努力をしなければならないのです。そういう厳しさをもった仲間だからこそ新しい学びを一緒に作り上げられるのです。

 分からない子どもを教師が全部救うことは無理です。子ども同士で助け合う必要があります。子ども同士が一緒に学び合うためにも、一人一人が授業に向かう準備ができていなければなりません。

 教師が一人一人を大事にするから、仲間に対して厳しく対応する子どもが出てくるのだと思います。

 教師が子どもの発言を授業を組み立てる道具として利用しているうちは、子どもは、本音を吐くことはないと思います。顔色を伺って、よいことしか言わなくなります。

 授業の始まりに多くの子どもが発言しているにもかかわらず、授業の終末に向かうに従って、発言する子どもが次第に少なくなるという授業だったとしたら、子どもの発言を授業を組み立てる道具にしていないか、問いかける必要があると思います。

 授業の終末には、多くの子どもがわかったと喜ぶ授業を作り上げるためにも、どの子の意見も大切にしたいと思います。