私たちは、成長と共に多くの経験を元にいろいろな価値観を身につけてきました。子どもは、その成長の過程にいます。私たちと比べると子どもたちは、体験の数も少なく、これから価値観を学び、身につけていく過程にあると言ってもよいでしょう。
そのため、初めからうまくいくことが少なく、失敗の体験の方が成功の体験よりも多くなります。
子どもたちの失敗をどのように扱うかは、教師次第です。
先日、防火扉を誤って開けてしまったと子どもが私の所へ謝罪にきました。それも2件続けて異年齢の子どもがやってきました。
子どもたちは、私の所に来るまでに、担任に指導されてやってきます。
何故開けてしまったのか、どうするといいのかなどを十分指導されてから来ることになります。
どちらも神妙な面持ちで、私の所にやってきました。そして、謝りました。
これからは、こんなことが起こらないようにします。ごめんなさい。」と話してくれます。
子どもたちは、失敗すると、その行動を否定し、新たな行動を提案します。
私は、子どもに「失敗することは、誰でもあります。この失敗から何を学びましたか?」と尋ねました。
私に叱られると思っていた子どもは、ちょっと気分が楽になるようです。
そして、じっくりと考えた上でいろいろ話してくれますが、私が知りたいのは、行動を変えるための考え方です。それを学びとしない限り、形を変えて同じ失敗をします。
そこで、考え方になるまで、少し問い返しをしました。
その結果、
一人は、「ふざけていると失敗することがある。」という考えに至りました。
「ふざけていると失敗したことは、今回の他にないか。」と尋ねた所、
・箒でチャンバラごっこをしたこと
・バケツの水を友達にかけたこと
・友達の足をひっかけたこと
などを話してくれました。
もう一人は、「落ち着いて行動しないと失敗することがある。」という考えに至りました。
そして、
・廊下を走ったこと
・教室を走り回ったこと
などを話してくれました。
「今回の失敗は、このような失敗に気づくチャンスだったんだよ。失敗したから学べたんだよ。いい学びができたね。これから、これらの失敗がなくなるといいね。そして、これからのあなたの様子を担任の先生に見ていてもらうから、頑張ってね。そして、担任の先生からあなたの頑張りを聞くのを楽しみにしているよ。」
と話しました。
子どもたちの失敗を学びに変えるのは、教師のこだわりです。
子どもの行動の背景を探る教師のこだわりが、子どもに学びを提供することになります。
そのため、初めからうまくいくことが少なく、失敗の体験の方が成功の体験よりも多くなります。
子どもたちの失敗をどのように扱うかは、教師次第です。
先日、防火扉を誤って開けてしまったと子どもが私の所へ謝罪にきました。それも2件続けて異年齢の子どもがやってきました。
子どもたちは、私の所に来るまでに、担任に指導されてやってきます。
何故開けてしまったのか、どうするといいのかなどを十分指導されてから来ることになります。
どちらも神妙な面持ちで、私の所にやってきました。そして、謝りました。
これからは、こんなことが起こらないようにします。ごめんなさい。」と話してくれます。
子どもたちは、失敗すると、その行動を否定し、新たな行動を提案します。
私は、子どもに「失敗することは、誰でもあります。この失敗から何を学びましたか?」と尋ねました。
私に叱られると思っていた子どもは、ちょっと気分が楽になるようです。
そして、じっくりと考えた上でいろいろ話してくれますが、私が知りたいのは、行動を変えるための考え方です。それを学びとしない限り、形を変えて同じ失敗をします。
そこで、考え方になるまで、少し問い返しをしました。
その結果、
一人は、「ふざけていると失敗することがある。」という考えに至りました。
「ふざけていると失敗したことは、今回の他にないか。」と尋ねた所、
・箒でチャンバラごっこをしたこと
・バケツの水を友達にかけたこと
・友達の足をひっかけたこと
などを話してくれました。
もう一人は、「落ち着いて行動しないと失敗することがある。」という考えに至りました。
そして、
・廊下を走ったこと
・教室を走り回ったこと
などを話してくれました。
「今回の失敗は、このような失敗に気づくチャンスだったんだよ。失敗したから学べたんだよ。いい学びができたね。これから、これらの失敗がなくなるといいね。そして、これからのあなたの様子を担任の先生に見ていてもらうから、頑張ってね。そして、担任の先生からあなたの頑張りを聞くのを楽しみにしているよ。」
と話しました。
子どもたちの失敗を学びに変えるのは、教師のこだわりです。
子どもの行動の背景を探る教師のこだわりが、子どもに学びを提供することになります。