ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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自然体で

2012-07-23 | 育児
 私たちは、教師である前に人間です。教師というのは、私という人間のほんの一面でしかありえません。しかし、教師になった以上、その顔をはずす訳にはいきません。
 自分の意志とは別に教師として見られている自分があります。
 何か問題が起こった時に、必ずあなたの職業は?と問われ、好むと好まないとにかかわらず教師としての顔が出てきます。
 これは、隠すことのできない宿命でしょう。
 街を歩いていても、車に乗っていても、教師の顔を出さなくても、一般的に教師ならばきっとこうあるべきだと作られた価値観が、ついて回ります。

 このことは、誰でもわかっています。

 そして、これが自分の行動の制限となってと少なからず感じるところです。

 この制限を強く感じるとなると、自分らしさではない生き方を迫られることになります。

 い・・・飲酒運転
 い・・・淫行
 こ・・・個人情報の漏洩
 た・・・体罰
 こ・・・公金横領

 あんないい先生がなぜ?と言われる人が事件を起こしたという記事がよく新聞に載せられます。 

どの事件も根っこは同じように思えてなりません。

 光と影

 光が強いと影も濃くなります。

教師として力を入れて頑張りすぎる時は、光が強くなります。その分反動が大きくなります。

 誰も完璧な人はいません。教師も同じです。

頑張りすぎるとどこかで闇を作ることになります。

 教員のあり方について締め付けを強くし、あたかも聖人君子を目指すようにきまりを増やしたり、制限を加えたりすることがあります。

 これでは、事件が減るどころか増える一方だと思います。

 つまり、制限を加えることは、光の部分を強くすることに他なりません。その分、影も強くなります。

 制限があっても、「それは当たり前のことでしょ。」と軽くいなせる程度の自分であって欲しいのです。

 普通の生活をしていたら、事件など起こるはずがないと言える自分がここにはいます。

 いつ見られても平気な自分
 あたならしくていいよと言われる自分
 画一された教師像ではなく、個性を十分発揮している自分

 これは自然体です。

 もしかすると、自分らしさを見つけられないのかもしれません。
 苦しんでいるから、せめてマニュアル通りに動こうとしているのかもしれません。
 
 教師として選ばれたあなたは、「あなたのもつ人間性は、教師として相応しい。」とすでに認められているのです。
 
 あとはそれを磨くだけです。

 自分のペースで、長い年月をかけて磨くだけです。

 無理をするから、反動が大きくなるのです。病気になったり、事件を起こしたりすることになってしまうのです。

 常に自然体でいたいと思います。

 こどものために何ができるだろう。
 子どもたちが幸せになるように何をしようか。
 子どもたちから憧れる生き方をしよう。

 教師として自然に考えていることが自分の憧れる生き方につながるはずです。
 
 失敗は学びです。子どもたちにもそれを伝えている私たちです。

 自分をごまかすことなく、素直に自らの生き方を子どもの目の前にさらしていいのです。

 自然体でいれば、大きな失敗にはつながりません。大きな失敗は事件につながります。

 誰もが完璧ではないのです。誰かが作り上げた教師像などは、あこがれにはなりません。

 自分自身で描いた教師像しか描けないのです。

 長い年月をかけてじっくりと磨き続けたいと思います。

 自然体で。