ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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常に現在可能な最善を尽くしている

2012-07-09 | 育児
 わたしたちの目の前で、子どもたちは様々な姿を見せてくれます。
そして、その一つ一つに価値判断をし、子どもを評価しています。
 人が話をしているときに、話をよく聞こうとしている子どももいれば、そうでない子もいます。
 もし、私たちが、話をよく聞こうとしている子を学習に前向きなよい子だ。そして、聞いていない子は、学習に対して消極的でだめな子だと判断したとすれば、それはその教師の価値判断によるものです。これが正しい判断かどうかは別です。

 もし、聞いていない子が話がよくわからないから、聞いても仕方がないと思っていたとしたら、その子は、学習に対して取り組みが悪いと言い切ってよいでしょうか。わかるように話をしたならば、学習に積極的に取り組むかもしれません。
 また、逆に話をよく聞こうとしている子が、「先生に褒められたいから一生懸命に聞こう。」と思っているとしたら、本当にその子は学習に対して前向きだと考えてよいしょうか。学習内容も十分理解せずに、ただ、教師の顔色を伺っているのであって、学習に興味関心があるとは言えません。

 これは、極端な例ですが、目の前の現れる子どもの姿だけで判断すると間違った判断を下すことになるということです。
 
 私たちは、子どもの自立を願っています。これは、自分の価値判断で行動する子どもです。

 行動の裏にある思いを十分に汲み取らないと間違った判断をしてしまいます。

 誰もがわかりたい、知りたいと思っています。

しかし、過去の体験や経験の違いから行動の仕方が異なってきます。

 うまく自分を表現できない子どもは、常に損をしてしまいます。うまく甘えられない子どもが損をしてしまいます。

  
 教師の価値判断が、子どもの状況を見誤ってしまうことになることがあります。また、誤った指導をしてしまうことにもなりかねません。

 学びは、その子その子のレベルになります。それぞれの学びの上に積み重ねていくしかないのです。

 学習でつまずきの多い子どもは、そのつまずきを取り除き、補う所から始めなければ、積み上げにはなりません。でないと足下から崩れてしまいます。

 いつも力になるのは、過去の体験や経験です。

 話し下手な子どもは、話す体験や経験が少なく、話すことに自信をもつ機会が少なかっただけです。話し下手になろうと思って話し下手になったわけではありません。話し下手な子はその子なりに精一杯頑張っています。それしかできないのが今の姿です。
 教師に反発する子がいます。わかってもらいたいと思いつつも、うまくそれを伝えることができないために反発しているのかもしれません。これも過去の体験や経験の中にうまく伝える術を学ぶ機会がなかっただけです。反発しながら、「先生、こっちみて。」のサインを出して関わろうとしているのかもしれません。
 うまくものを扱えない子どもがいます。扱い方を知らなかったり、扱い方の意味がわからないために粗末に扱ったりしていることがあります。これも体験や経験がないからです。現状のミスを叱っても力になりません。欠けていることを補うしかないのです。体験や経験を重ねるしかないのです。

 どのように頑張っても、過去の体験や経験から学んで身につけたことしか、武器にはなりません。

 できないからと言って責めることは、子どもに自信をなくさせることでしかありません。

 できない状況があるだけです。そこから始めるしかありません。責めたくなるのは、教師に子どもに合わせる力がないと考えた方がよいでしょう。
 

 評価の時期になりますが、子どもをだめにしているのは、教師の価値判断ではないかと、自分を見つめ直す機会でもあります。

 どの子も今置かれた状況の中で、常に現在可能な最善を尽くしています。

 本当にその子どもを活かすために、努力することは、まず、よく観察をするところから始まります。そして、子どもが最善を尽くしていると思えた時、子どもを評価することなく、「ああ、一生懸命なんだ。」と心から応援したくなります。そして、その子らしさを評価することができます。

 絶対評価で、客観的に評価することが求められていますが、これは、個々の能力を正確に見届けるためのものです。
 大事なことは、評価することではありません。その評価を元にどのようにその子を育てるかが重要です。
 どのような体験をどのように積み上げれば、その子が伸びるのでしょうか。ここがポイントになります。

 評価のための評価をしているうちは、子どもを育てることはできません。

 どの子も常に可能な最善を尽くしています。
その上に立って、教師として、できることは何かをじっくりと考える機会として今の時期をとらえたいと思います。