指導し続けてもなかなか変わらないと嘆くことがよくあります。そんな時、指導の問題よりも子どもの側に問題があると考えることがあります。
それは、なぜでしょう。
・努力しても無駄だと考えることで、努力しなくてもすむ。
・指導する責任から逃れられる。
・子どもから離れて、見つめ直すことができる。
・他の人を巻き込むことができる。
・何をしてよいかわからない悩みから解放される。
このように様々な思いが浮かんできます。
この根底には、「自分にはできないから。」という思いが流れているように思います。
この状態では、指導を他人に任せても効果があがるとは思えません。
なぜならば、指導に問題があるのではなく、諦めてしまった自分がここにいるからです。
私たちが指導し続ける裏には、「この子のために、何とかしたい。」ともがき続ける自分がいます。
このもがき続ける自分が子どもに映っているのです。うまく行かなくても、「先生は、必死になって、私のことを見ていてくれる。」という感覚を子どもは感じているのです。
諦めた瞬間、子どもは、「見捨てられた」という感覚が芽生えてきます。
これが、子どもとの関係を悪くしてしまいます。
これは、日々指導に悩んでいる子育てしている親でも同じです。失敗し続けるけれど、必ず関わっていてくれるからこそ価値があるのです。
このことを考える時、特別支援のためサポートに支援者が学級に入った時の担任の対応でよく見かけるある風景が目に浮かびます。
入っていないときは、必死で関わっていた教師が、支援者が入った瞬間から、子どもへの対応を手放し、任せっきりにしてしまうのです。
これでは、子どもは担任から離れていきます。
「今まで、関わってくれたのに・・・・。寂しいな。」と、子どもは感じるのではないでしょうか。
私たちの仕事は、子どもと関わりをもたなければ、仕事にはなりません。いくら支援者が入ったとしても、大事な子どもです。サポートに入ってもらったからと言って、関係を切ることではありません。
人が入っても、もし仮に、この困難な状況を自分の力が試されている機会だと考えると見方は、変わります。
・自分には何が足りないのだろう。
・どのような取り組みが必要なのだろう。
・どのように考えたらよいのだろう。
・どのように関わればよいのだろう。
などと学びの場としてとらえることができます。
ですから、
・他人の力を借りることも必要なことがあることがわかる。
・自分の指導とどこが違うのだろうと探ることができる。
・子どもの変化を楽しみにすることができる。
・子どものとらえ方を見つめ直すことができる。
・変化に必要な素材や資源を見つけることができる。
・変化の過程を見ることができる。
・今後の指導に役立つ指導の仕方を見つけることができる。
などと、次の指導に生かすための素材を学ぶことができます。
常に支援者と関わり、その支援者から学ぶ自分がそこにはいます。
そして、それは、支援者に対して感謝となって現れます。そして、その姿を子どもは、見ています。子どもは、
「私の変化を喜んでくれる先生がいる。」
「私と関わる人を大事にしてくれる先生がいる。」
「私を見捨てないで、見守ってくれる先生がいる。」
と考えるのではないでしょうか。
ここには、愛情深く包み込んでくれる先生が子どもの目の前にいるのです。決して手放しにはしていません。素敵な先生が目の前にいます。
ここでは、支援者が入ることと自分の能力とを切り離して考えることがポイントとなります。
そして、子どもと関わるすべての人から学ぶ姿勢があれば、自分への見方も変わってきます。決して「できない自分」ではありません。
私たちは、常に可能性を秘めた存在なのです。
自分を否定することは、変化を止めることになります。今の自分でよしとしています。変化する可能性があるにも関わらず止めてしまうのです。同じ苦しみを味わうことのないようにするには、学び続けるしかありません。
自分の可能性を信じ、「人にできることは私にもできるはずだ。」と学び続ける自分でいたいと思います。
それは、なぜでしょう。
・努力しても無駄だと考えることで、努力しなくてもすむ。
・指導する責任から逃れられる。
・子どもから離れて、見つめ直すことができる。
・他の人を巻き込むことができる。
・何をしてよいかわからない悩みから解放される。
このように様々な思いが浮かんできます。
この根底には、「自分にはできないから。」という思いが流れているように思います。
この状態では、指導を他人に任せても効果があがるとは思えません。
なぜならば、指導に問題があるのではなく、諦めてしまった自分がここにいるからです。
私たちが指導し続ける裏には、「この子のために、何とかしたい。」ともがき続ける自分がいます。
このもがき続ける自分が子どもに映っているのです。うまく行かなくても、「先生は、必死になって、私のことを見ていてくれる。」という感覚を子どもは感じているのです。
諦めた瞬間、子どもは、「見捨てられた」という感覚が芽生えてきます。
これが、子どもとの関係を悪くしてしまいます。
これは、日々指導に悩んでいる子育てしている親でも同じです。失敗し続けるけれど、必ず関わっていてくれるからこそ価値があるのです。
このことを考える時、特別支援のためサポートに支援者が学級に入った時の担任の対応でよく見かけるある風景が目に浮かびます。
入っていないときは、必死で関わっていた教師が、支援者が入った瞬間から、子どもへの対応を手放し、任せっきりにしてしまうのです。
これでは、子どもは担任から離れていきます。
「今まで、関わってくれたのに・・・・。寂しいな。」と、子どもは感じるのではないでしょうか。
私たちの仕事は、子どもと関わりをもたなければ、仕事にはなりません。いくら支援者が入ったとしても、大事な子どもです。サポートに入ってもらったからと言って、関係を切ることではありません。
人が入っても、もし仮に、この困難な状況を自分の力が試されている機会だと考えると見方は、変わります。
・自分には何が足りないのだろう。
・どのような取り組みが必要なのだろう。
・どのように考えたらよいのだろう。
・どのように関わればよいのだろう。
などと学びの場としてとらえることができます。
ですから、
・他人の力を借りることも必要なことがあることがわかる。
・自分の指導とどこが違うのだろうと探ることができる。
・子どもの変化を楽しみにすることができる。
・子どものとらえ方を見つめ直すことができる。
・変化に必要な素材や資源を見つけることができる。
・変化の過程を見ることができる。
・今後の指導に役立つ指導の仕方を見つけることができる。
などと、次の指導に生かすための素材を学ぶことができます。
常に支援者と関わり、その支援者から学ぶ自分がそこにはいます。
そして、それは、支援者に対して感謝となって現れます。そして、その姿を子どもは、見ています。子どもは、
「私の変化を喜んでくれる先生がいる。」
「私と関わる人を大事にしてくれる先生がいる。」
「私を見捨てないで、見守ってくれる先生がいる。」
と考えるのではないでしょうか。
ここには、愛情深く包み込んでくれる先生が子どもの目の前にいるのです。決して手放しにはしていません。素敵な先生が目の前にいます。
ここでは、支援者が入ることと自分の能力とを切り離して考えることがポイントとなります。
そして、子どもと関わるすべての人から学ぶ姿勢があれば、自分への見方も変わってきます。決して「できない自分」ではありません。
私たちは、常に可能性を秘めた存在なのです。
自分を否定することは、変化を止めることになります。今の自分でよしとしています。変化する可能性があるにも関わらず止めてしまうのです。同じ苦しみを味わうことのないようにするには、学び続けるしかありません。
自分の可能性を信じ、「人にできることは私にもできるはずだ。」と学び続ける自分でいたいと思います。