三ツ谷洋子のスポーツ21・ブログ

Jリーグ開幕前から理事として17年間かかわったスポーツビジネスコンサルタントの三ッ谷洋子が日々の話題を取り上げます。

Jリーグ設立20周年

2011年01月23日 | 2011年
ブログ更新の頻度がなかなか上がりませんね。

以前は睡眠時間を削って書いていたのですが、
結構、シンドイものです。

というわけで、怠け癖がついてしまってからは、
なかなか勢い(?)が戻らず失礼しています。

先ほど久しぶりにブログをチェックしてみたら、
1月は13日だけですね。
みなしごハッチさん、
いつもコメントありがとうございます。

せっかくブログを開いたので何か書いてみます。
そうそうサッカー・アジア杯で、
日本代表が準決勝進出をもぎ取りましたね。

「相手に先行されても追いつく力」
「逆転されてもひっくり返す力」がついて
日本チームも強くなってきました。

Jリーグ設立20年目にして、
これも一つの成果です。

Jリーグが「社団法人日本プロサッカーリーグ」(正式名称)として
スタートしたのは1991年11月1日でした。

私がJリーグに関わるキッカケとなったのは、
日本サッカー協会が前年に設置したプロリーグ検討委員会の
「アドバイザリーボード」会議でした。

Jリーグ立ち上げをバックアップしていた博報堂の推薦で
ボードメンバーとなりました。

当時の日本は、オリンピックにも
ワールドカップにも出場できないサッカー弱小国でした。

ふた昔も前の「メキシコオリンピックの銅メダル」が唯一の自慢。
サッカーに特別の思い入れがあったわけでもない私は
「まさか、本気でプロ化するわけではないですよね」と
心の中でつぶやきながら
「万が一、プロ化するなら」という前提で
「スタジアムをバリアフリーに」などの提案をしました。

アドバイザリーボードのメンバーは
釜本邦茂さんや、後に日本サッカー協会のジェネラルセクレタリーになる
平田竹男さん(当時は在ブラジル日本大使館一等書記官)など11人。
11人のうち初代理事となったのは私だけでした。

川淵チェアマン(当時)からの注文は、
「サッカー界の常識が社会の非常識にならないよう
いろいろ意見をいって欲しい」ということでした。

Jリーグ設立記念パーティーの鏡割りの写真に、
私が写っています。
同じ酒樽を囲んでいるのは、
日本サッカー協会藤田静夫会長と高円宮殿下でした。

お二方とも日本サッカー界に多大な貢献をされ、
すでに亡くなられましたが、
今、思うとサッカーには素人の私が
恐れ多い場所にいたものだ、と改めて思います。
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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
 スポーツビジネスコンサルタント
 スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
 WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表
コメント
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