躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

仏様達?

2007-01-09 21:42:12 | Weblog
久しぶりにとうちゃんが出かけたので、一人の時間。
うー嬉しい!何が?
お昼はカップラーメン。
非常用に買ったのがあったはず。
自分の畑の有機無農薬野菜で真面目に手作り料理を毎日毎日していてごらん。
カップラーメンの美味しいこと。
それにこの手間いらずでしょ。
なんというご馳走・・・たまだからなのは分かっているのだけど。

儲かった?時間に、今はまっている立花大敬さんの本を読んだ。
同じようなことを言っている本を、他にも何度か読んだことがあるのに、
大敬さんの「幸せ通信」は感性から入って来て、
心の平安ってこういうのかなと思えるほどの、静かで幸せな気持ちになる。
第5集を読み終わって、庭を見ると何もかもが仏様に見えた。
あ~影響されやすい私だこと。

ふと、縁側に目をやると、ガラス戸のすぐ外側にハラアカ(野鳥)がきている。
鳩とすずめの中間ぐらいの大きさで、お腹の部分が茶色がかったオレンジ。
とっても綺麗な鳥だ。
いつも、庭のラティスに止まっていたのを見かけてはいたがあまりに近くに来ていてびっくり。
ガラスにぶつかりそうな所まで、チョンチョンと跳んで来て、
戸を開けたら入って来そうなくらいだった。
「あら!こんにちは仏様」・・・・影響されてる~。

それから、干したお布団を仕舞いに2階のベランダに出ようとしたら、
今度は、メジロがガラス戸のすぐ外にいて、これも「入れてよ~」と言ってるみたいに、
ほんとにすぐ側にいるのでびっくりした。
うちのベランダは広くて、26畳分あるので、
こんな小さなメジロがなんでこんな所に???なのだ。
ガラス戸の下のほうに、できるだけメジロと同じ高さに顔を持っていって覗き込んだ。
こちらはお腹以外が鶯色で、目の周りに白い縁取り。
なんだか眠そうに見えるけど、砂粒みたいな目はぱっちり可愛い。
松葉のような細い足も見える。
手を伸ばせば届く位置で見られるなんて!
さっきはハラアカだし、
続けざまに2羽も訪問を受けるのは、やっぱりあの本を読んだお陰かしら。
不思議よね。

それにしても、顔は時々動かすけれどじっと座り込んだままだ。
怪我でもしているのか心配になって、
ガラス戸を開けるかどうか考えながらも、しばらく見ていた。
とうちゃんの車の音がした。
丁度良かった、見せようと思ったら、
勢い良く一気に梅の木に飛んで行ってしまった。
元気で良かったけど、残念。

ありがとう!鳥さん達・・・仏様達。

今日の海

2007-01-07 23:09:25 | Weblog
写真:とうちゃん

空が綺麗だった。
見ていると急に海を見たくなって
海に行った。
行くたびに違った海の風景だ。

今日の海は、群青の水平線。
荒れ狂う波。
波頭が強風に煽られしぶきを舞い上げながら押し寄せてくる。
波頭は夕陽の光を受けて、オレンジ気味の黄金に輝く。
波打ち際近くは薄い紫、それから薄いブルーとグリーンが入り混じる。
砂浜で壊れた波は白い泡になって寄せてくる。
クリームソーダのようだ。

空はクリスタル。
夕陽はまだエネルギーたっぷりの輝き。
沈み切れない光線が空に反射する。
ちぎれた雲は染まりながらくっきり浮き上がっている。
東の空は桃色に薄っすら染まる。
それを受けて、濡れた砂浜も桃色に染まる。

浜シギの小さな小さな鳥の群れが、
桃色の砂浜を走る。
寄せては返す波に合わせて走る。
濡れた砂浜には小鳥達が写り込んで、その影も一緒に走る。
身動きしないで見ていると2メートルのところまで近寄ってきた。
波の砕ける音の合間に、チチチチチチチチとかすかに鳴き声が聞こえる。
強風も大波も知らぬかのように、小さな足で小走りに素早く走って行った。

日が沈むと、途端に気温が下がってもう居られない。
乾いた砂が大風に吹かれて砂浜を低く走り飛ぶ。
風に向かって風紋の上を歩いて戻った。


『幸せ通信』

2007-01-06 23:51:47 | Weblog
田舎の母のところでお正月を過ごした息子は、
元気で仕事も順調のようだ。
なにやら賞も取ったらしい。
学校では、ありえなかったことなのに。
孫(息子)からネックレスのプレゼントを貰った母は、
電話で幸せそうだった。
不肖の娘であり、失格の母親でもある私だけど、
なんだか、親孝行で出来の良い母親な気がしてきた。(笑)

立花大敬さんの『幸せ通信』(全6巻)は本当に良いよ。
心地良く巻き込まれて、頑なになっている意識がほどけてくる。
不思議な本だ。
6巻もあるかと思うと嬉しくて、毎日読むのが楽しみ。
大敬さんは、以前からチラッと知ってはいたけど・・・
ある日、私の友人からの電話をとうちゃんが取って、
会ったこともないのになぜか二人で話しが弾んでいた。
その時話題になったのがこの本で、とうちゃんがすぐに買った。
そして、私が読んでいる。
友人には感謝のチュッ!をしたいくらい。(逃げられるだろうけどね)
私が電話に出ていたらこの話にはならなかったはず。
これだから人生止められない。

本屋にはないそうだ。
発行は本心庵
URL http://www.honsinan.jp/

ヒヨドリ

2007-01-05 21:27:46 | Weblog
きょうも、あれこれ鳥達がやってきた。
鳥類図鑑を出してきて、「そうなんだー、これが○○なんだー。」と、
何種類も確認できたけど、もう忘れちゃった。
やれやれ、歳だわね。

リンゴの皮を鳥達の為にと裏庭に捨てるや否や、
やってきましたヒヨドリのひよちゃん。
うっ!お前がいたんだ。意地悪鳥め。
近くの枝の上のヒヨちゃんを睨んでやったら、
知らん振りして白いウンチをビュッ。
さすがに、私がいるのでリンゴの皮のところまでは来られなくて飛んでいった。
引き分け(なんでじゃ?)にしておいた。
しばらくして、とうちゃんが窓の外を見て、
「鳥が何か自分の口には入らないくらい大きな餌をくわえて木の上にいるよ。」
ヒヨちゃんがリンゴの皮を取っていったのだろう。
そんな長いリンゴの皮を独り占めして、どうやってたべるの~?
でも、ちょっと可哀想にもなって、
「明日から小さく切ってやろうかなあ。」
と言ったら、
「野生なんだからこれ以上甘やかすことないよ。」
と、とうちゃん。
そうだ、それに畑で仲間と一緒に、思いっきり私の菜っ葉食べてくれてるよねえ。
許さん!
と、毎日ヒヨドリに遊んでもらってます。

天女と鳥と虹と、それから蟹

2007-01-04 23:04:21 | Weblog
朝から、天女と羽を広げた鳥が空いっぱいに舞っている。
こんな雲が出た日は良いことがある。

北海道の娘から大きな蟹が届いた。
蟹は大好き。
さすが北海道直送で美味しい。
またお正月が来た気分。
つい指を使って食べてしまった。
指を舐めた時、ふと亡くなった父を思い出した。
子供の頃はまだ蟹がたくさんとれて、よく食べさせてくれた。
父は私の手づかみの食べっぷりを嬉しそうに見ていた。
今はこうして娘に食べさせて貰えて、本当に幸せ。

暮れからぜんざいをお鍋一杯作っていた。小豆は自家製。
ぜんざいのお汁がまだ残っていたので、また御餅をついてぜんざいをたいらげた。
さあ、これでお正月はすっかり終わりだ。

午後からは、えんどう豆の霜よけ兼支柱にするために、細い竹を20本以上切った。
えんどう豆の側に葉が付いたまま立てておく。
葉が霜よけになってくれて、春になると今度は葉が落ちた枝にツルが巻きついて伸びていく。
思っている以上に時間がかかって、
それぞれの竹を横に通した竹に固定する作業は明日に持ち越しだ。
5月のえんどう豆のご飯を思えばなんのその、頑張る~。

ふと遠くの空をみると、
虹の柱!
真っ直ぐに立っていた。
天女と鳥と虹のパレードとは、なんて縁起が良いのだろう。
夕陽は朝日のような輝きのまま沈んでいった。


無題

2007-01-03 20:56:48 | Weblog
いつも考えることは、宇宙は私に何をさせたがっているのだろうということ。
それは、私は何をしたがっているのだろうということでもある。
(私も宇宙の一部なのだから)
わかっているようでわからない。
それを捜すための人生なのかしらん。
はたまたそんなことは何もなくて、日々楽しくやっていればいいのかしら。
でも、この「楽しさ」とか「喜び」っていうのが曲者で、
些細な楽しさやら喜びから、心の底からというようなのものまでいろいろで、
どれでも良いのだけど、私の知らないもっと違うのがあるような気がして・・・
欲張りだとは思うのだけど、今の私の枠を越えた「喜び」を知ってみたい。

ありゃ!なんだ、見つかっている。
私はこれをしたがっているということだから、
きっと宇宙はそれをさせたがっているのだ。
きっと、それは欲張りだという意識とか、
不可能ではないだろうかとかいう意識が
足をひっぱているのだろう。
意識の力を抜くこと。
宇宙と自分をもっと信頼してみようっと・・・そうか、
この信頼ってやつがキーポイントかも。

書いてみて良かった。
付き合ってくれてありがとう!

お正月

2007-01-02 11:30:41 | Weblog
「剣山の日の出」
写真:とうちゃんhttp://www.geocities.jp/uchunohibiki/tsurugi/index.htm

皆様
あけましておめでとうございます。

庭の椿にメジロが何羽か来ています。
椿の花に止まって、花の蜜を吸っています。
ヒヨドリは大きいので枝に止まって蜜を吸いますが、
メジロは小さいので花に止まれます。
鮮やかな白や赤、ピンクの椿の花と、緑の小さな体に目の周りの白い縁取りは
日本画の世界です。

メジロは鶯色で、メジロを鶯と間違えて鶯色というようになったという説を何かで読んだ気がします。
鶯は汚れたグレーの細身の鳥なので、声はあんなに素敵で目立つのに、
高い木の上ということもあって、鳴いていても姿を見つけるのはなかなかです。
そんな訳でメジロが鶯と間違えられたのでしょか。
まだまだ鶯の声はしませんが、あの素敵な鳴き声を出すために、一声一声に全身の力を振絞っているように見えます。
小さな体であの軽やかに響き渡るメロディは快挙としか言えなくて、
全身全霊で鳴く姿を見た時の感動は忘れられません。

畑の葉ものは鳥についばまれて無残な姿になっているのがあります。
冬には虫がいないからと思っていても、今度は鳥にやられるのです。
鳥のくちばしですから、あっという間にぼろぼろです。
美味しいものは良く知っているので、チンゲンサイや若い白菜、ブロッコリーの葉などは見つけられるとひとたまりもありません。
餌になるリンゴの皮などの生ゴミを縁側近くに置いてやっていると、
餌があるので毎日の巡回コースになって、
近くに切干大根を作るために干していたのを、食べられたこともあります。
なかなかこちらの意図は通じませんね。
でも、美味しく食べて貰えたらまあいいかとも思います。
こちらは今のところ食べるものに困っているわけではないのですから。

話がそれましたが、昨日午後からは二人だけになって、
梅に鶯(実はメジロ?)ではなく、椿にメジロの静かなお正月をしています。
今年一年何があっても(楽しいことも嫌なことも)この静けさを忘れないようにしたいと思っています。
今年もよろしく~です。