躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

桑の実

2013-05-31 20:58:28 | Weblog
家の側の空き地から帰ってきた夫が、
「セシュウムが美味しいよ~!」と。

「何?どうしたの?」

「ははは、桑の実の完熟が最高に美味しいよ」
そうか。
桑の実の季節だ。
震災以前は、毎日木のところに行っては立ちっぱなしで、
飽きるほどたべていたのに、
なんとなく移行率が高そうな気がして2年ほどほとんど食べてない。
放射能検査に出すほどは採るのは大変だから測っていないし。


「真っ黒になって今にも落ちそうなのを食べると甘くて甘くて・・・」
ううう、もう我慢できない。

「よし!私もセシュウム補給するよ」
ということで、
梅雨入り前後の今が食べごろ、
桑の実と、それから庭のユスラ梅とグミを採って食べました。
ああ、美味しかった!!
明日も食べよう。

良い子のみなさんは真似しないほうが良いかもしれません。

 

できごと

2013-05-23 21:25:28 | Weblog
私の畑に君がよくきているのは知っていましたよ。
お食事もしているみたいね。

その畑の、農道と小さな水路を挟んだ向こう側の、
鬱蒼とした林の中に君のお住まいがあるのも知っていましたよ。

私はいつも午後から畑に出るのが習慣で、
君は午前中、私の畑を横切って、
(横切る時、ついでにお食事もするのでしょうね)
あちらの竹やぶの側を通り過ぎ、
どこか行くのが習慣だったのですね。
そして、今日もいつもの時間に出発しようとしたのですね。
いつもどおりの散歩道を。

でも、林を出ようとして、
びっくり!!
ななななんで、おばさんが!!

何でって言われても、私の畑だしねえ、
いついようと勝手でしょ!
昨日買ってきたのに植えられなかった苗を、
急いで植えようとして、今日は午前中に畑に出たのよ。

私の畑って言われてもなあ、
僕の毎日決まった散歩道なんだよお~。

君は、私の姿を見てフリーズ状態。
私は綺麗な君の姿にみとれて、
お互い遠くから見つめ合っていたよね。

しばらくして、やっと気を取り直した君は、
誰かに合図するようにケーン、ケーンと鳴いた。
(本当はこんな風には聞こえない。もっと濁音)
今日は少し遅くなるからとか、
こちらには危険がとか、
きっと彼女に知らせたのね。
そして、仕方なくUターンをして林の中に姿を消したよね。

私は苗を植えながら、
君の困った様子を思い出すと可笑しくて、
ひとり笑いをしましたよ。

あの後君はどうしたのかしら?
彼女に会えたかしら?

オスの雉(きじ)君、
明日の午前中は私はダンスだから、
いつもの散歩道、ご安心を。(笑)





サツマイモ

2013-05-18 19:53:12 | Weblog
サツマイモの苗を買いに、いつもの種苗店へ。
今年は3種類植えてみようか、などと思いながら苗を見ていると、
女性2人男性1人の家族らしいアラフォーな人たちがやってきた。
「10本あればいいかなあ」(たった10本!)
「1人3個づつ食べればいいから、そんなものよねえ」
「1本に1個ってことないだろう?」
可笑しくなって、つい
「そうですよ。1本に何個もできますよ」と言ったら、
「これ、どうやって植えればいいのですか?」と聞いてきた。
どうやってと言われても・・・まさか葉の方を土に埋めるわけじゃないでしょ!(笑)
「こうやって斜めに差して植えるの」
「そうですか。それで、ビニールとかしなくていいのですか?」
「しなくても平気よ。だけど草はとってやらないと負けちゃうよ」
て、また店員をしてしまった。(笑)

で、私はこの辺では定番の紅アズマ20本と、初めての紅はるか20本と、
ほくほく系で昔ながらの寿を30本を買い込んで帰り、
畑に植えてから気がついた。
え~!!1本で1個としても70個だ。
そんなわけないし(笑)・・・おいおい、どうする?
芋壺で春まで保管しながら食べるとしても、
多すぎるよ~!
他人のこと可笑しがっている場合じゃなかった。


サトイモ

2013-05-09 20:26:12 | Weblog
まだサトイモを植えつけていないことに気がついた。
急いで直売場へ行ってみた。
芽のでかかったサトイモ(普通に食べ物としてのサトイモ)がまだ売られていたので、ゲット。
これを植えればいいのだから、種芋を買うより安い。
でも、どたれ(「土垂れ」昔ながらのサトイモ)しかなかった。

それで、今度はそのまま種苗店へ行ってみた。
ラッキーなことに、まだ何種類ものサトイモが残っていた。
種類ごとにふたを開けた箱に入っていて、500g、1kgと切りの良いところで測り売りだ。

セレベスを見繕っていると、
「まだ、サトイモの種芋あるかしら?」と、
私より年配のおばさんの元気な声がした。
(もちろん知らない人)
私と同じ忘れ組みの人かと思うと、つい、
「ここにまだありますよ」と、呼びかけたら、
「わ~、よかった!」と、こちらにやってきた。
箱に書いてある”どたれ”を指差して、
「これはどういう味なのかしら?」
私「ねっとりしてますよ」
おばさん「これは?」
私「セレベスはほくほくです」
おばさん「ほくほくが好きだわ。これどうやって植えるのかしら?」
わたし「これをそのまま、この芽が出ているほうを上にしてうえるんですよ」
おばさん「そうなの。でも、筍みたいに長くなるのが欲しいのよね。ないかしら?」
私、店員か?(笑)
わたし「それなら、これじゃないですか?「塔の芋」ってかいてありますよ」
おばさん「これこれ。ほくほくしてるのよね。美味しいの」
わたし「じゃあ、それも植えてみようかなあ」
「測ります」と、
やっと、店員さんがやってきた。

ということで、セレベスと塔の芋を買ったので、
どたれと合わせてサトイモだらけ。
それから、夏野菜の苗をあれこれ買って・・・・
また今年も買いすぎだわ。

洋服を買うのはめんどくさいのに、
種苗は手当たり次第買い込むおもろいおんなだわ、ワタクシ。
と、毎年思うであります。

練功日和

2013-05-08 20:32:04 | Weblog
久しぶりに(夫が続けている)気功教室の人たちと、
山に囲まれた溜池の公園で練功(気功)をしました。
山の緑の綺麗なこと!
溜池の水は、まだ冷たそうで、青く穏やか。
気温は暑からず寒からず、
湿度は低く、風はそよ風、よく晴れて、快適!
1年に何度あるのだろうかというような、恵まれた屋外の練功日和でした。
葉が茂った桜の木の下で、
野鳥の声を聞きながらの練功は、空気の中に溶けてしまいそうでした。

練功中に、犬を連れた人が散歩で通りかかったのですが、
人は不審なグループ(私たち)を見て、さっさと通りすぎようとするのに、
犬は私たちの円陣に入ってこようとして、飼い主に引っ張られ、
それでも私たちの側を離れたがらず、無理やり連れていかれました。
良い気の場にいたかったのにね、可哀想なわんちゃん。

そういえば、ずっと以前に猫を飼っていたことがあるのですが、
練功していると、必ず、いつの間にかやってきて、
私の両足の間で寛いでいるのです。
どうして、両足の間なのかわかりませんが。

動物って素直によく気がわかるのです。
というか、ほとんど気の世界で生きているのでしょうね。

スプーン事件

2013-05-05 20:23:55 | Weblog
掘りの残したキクイモから芽が出たのを新しい場所に植え替えた。
残したつもりはないのに、畝一面に芽が出ていて、
その中から植え替えるのを選ぶわけで、
選ばれなかったのは、草と一緒に耕されてしまうのが気の毒で、
心が痛む。

ところで、
畑の土の中からスプーンが出てきた。
懐かしい見慣れたスプーンだ。

「この畑では、スプーン事件はよくあるのだよ、ワトソン君」
「ホームズ君、僕に推理させてくれたまえ。ずばり犯人はおばさんだ!第一発見者でもあるけ どね」
「その通り!しかし、犯人といえるかどうか。犯行の意識はないからね。流しのゴミ受け → コンポストor堆肥コーナー→畑の土の中ってことでね」

はい、その通りでございます。
時にはコンポストで発見することもありまして。
でも、ステンレスだから綺麗に磨けばまた使えますですから・・・byおばさん

全くアバウトなんだから~。
なんだかスプーンがどんどん減っていくと思っていたよ。
昨日は洗濯機の音がオカシイから覗いてみたら、
プラスチックのハンガーも一緒に回ってたよ・・・by夫

ぷちわくわく

2013-05-03 20:30:01 | Weblog
庭の向こうのひろ~い田んぼも田植えが終わり、
そのお祝いのように派手な蛙の合唱です。
本当に大合唱なので、五月蝿いくらいだけど、
こういうのは気持ちが安らぐから不思議です。

今年は(種まきは去年だけど)小麦と大麦を作ってみました。
麦のつんつんとした緑の穂が綺麗です。
稲穂とはまた違ったオーラが出ています。
写真を載せたいけど、いまいちわからなくて・・・
パソコンの機種?ソフト?が古いとかでややこしい(?)

それから、ルッコラ、コリアンダーの花が咲いています。
花を摘んで、私にしてはおしゃれなサラダを作ります。

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午後、Iさんご夫婦がいらして、おしゃべりしているうちに、
Iさんの深い体験をお聞きできた。
ラッキー
お聞きしているうちに、
玉石混交のニューエイジ騒ぎが終わったあとに、
ひっそりとではあるけれど、今も確かに輝いている玉石の人々の影響を受けたくなった。
紹介していただけるらしい。
ラッキー

気功とかスピリチュアル系とかの括りをはずして、
体も含めた自分探しを続けたい・・・しつっこく、めげずに。
そのうち、自分などというものは幻想なのだと体感する時がくるのか、
それも含めて、人の不思議と可能性を知りたい!・・・という、
そういうタイプに生まれついているってことらしい。

叩き続けている扉は開くのだと信じて・・・久しぶりにぷちわくわくしています