躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

エジプト旅行

2007-01-29 22:03:19 | Weblog
普通のツァーなのに、変な旅行だった。
ツァー客は4人。私達ともう一組の夫婦だけ。
6人で催行を決定したらしいけど、2人キャンセルが出てこうなったらしい。

エジプトの主な遺跡の観光地を結ぶ移動は、大抵が飛行機かクルージングだが、
私たちのツァーはカイロからアスワンまでは、遺跡を見ながらバスで走った。
バスのツァーはは少ないので、
途中の、そこそこ有名な遺跡なのに観光客は私たちだけということも何度かあった。

バスで町から町へ移動する時は、
規則で観光バスを護衛する警察の車が付くことになっている。
バスには、添乗員とガイド、それから規則で、現地ガイド、運転手、警察関係者、護衛などが必要とされているので、スタッフが5~6人乗り込んだ。
観光客より警官やスタッフの方がはるかに多いことになってしまった。
まるで要人並だ。
警察の車はサイレンを鳴らして猛スピードで先導するし、
村の渡しのフェリーボートにも、先に来て待ってる人や動物達を無視して、
優先的に乗り込む。
バスが重いので、満員でもないのに乗れなくなって、
次のフェリーを1時間待ちの人たちで船着場が溢れている。
そこまでしてくれなくても・・・と、申し訳ない気分だった。

そして、小型バスで走っていくと、
村の子供達がもの珍しいのと人懐っこさで、手を振って駆け寄って来る。
大人たちまで手を振るから、
こちらも手を振りつづけて、「まるで雅子さま状態だね。」と笑った。

主要な幹線道路には軍の検問所が何ヶ所もあった。
移動の届け出をしないといけない。
州(市)が変わると、管轄の警官が交替して先導する。
観光地にも軍人や警官が銃を持って警備しているので、
観光客のいない遺跡に行くのはまるで見張られているようだし、
バスの移動は時には犯罪者の護送のような気分になることもあった。

銃にはそのうち慣れた。
だって、銃を持って遺跡見学についてきて、
一緒に写真を撮れと言うので、撮ればボールペンやチップをねだって来るのだから・・・
「う~ん、も~」である。
そのうち、それにも慣れて無視無視。

ところで、どうしてこんなに警備が?というと、
10何年か前に、観光客がルクソールでテロ集団に無差別に撃ち殺された事件があって、
日本人もたくさん亡くなった。
観光が大きな収入源になっているので、それからは観光客を守るということでこういうことになったらしい。
(その事件のテロ集団の根拠地であった町を抜けて行くというコースだった。)

アビドス、デンデラからルクソールまでは、ほかの観光バスなどと合流したので、
15台の車が1列に並び、護衛の車が先頭と最後尾について、
隊列を組んでサイレンを鳴らし、猛スピードで走るという、ちょっと異様な光景になった。

それから、エジプトは軍事国なので、平和呆けの日本人には驚くほど多く、軍人や警官が目に付くということだろう。
護衛だけでなく警戒でもあるのだ。
どのホテルでも客でありながら、入り口でチェックされた。
金属探知機のゲートを通らされた。
博物館やピラミッド、人気の遺跡の入り口でもそうだった。
でもね、ずっとピーピー鳴りっ放しで、それでもどんどん通していくので、
用を成していないと思うのだけど。

大統領が移動されるというと、街中が突然通行止めになってしまうという。
事前に知らされていたりはしない。
その街から出られたり、あるいは官邸に入られるまで一切の交通がストップにになるので、
道路で、何時間も止まった車の中で過ごすはめになることもあるらしい。
暑い車の中、降りることも許されないそうだ。
飛行場も同じ。飛行機が予告なしに全部止まる。
だから、「どうぞお願いだから大統領、お出掛けにならないで、お家でゆっくりしていて下さい。」
と、ガイドさん。(笑)
私達も危なかったのだ。
道路やあちこちのビルの屋上に私服のガードマンがたくさん見えて、
「これはそろそろですね。」
ハラハラだった。