躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

お遍路さん

2018-04-29 20:00:32 | Weblog
四国に2週間滞在してきました。
山の緑が綺麗すぎ!

ある日のこと、朝、夫の実家近くのスーパーに行ったら、
笠をかぶり、白い着物のお遍路さん姿で、入り口に立っている人がいました。
小さな箱の蓋のようなものを手にして、お金を入れて下さいの体勢でした。
横には荷物でいっぱいの自転車が置いてありました。

近づいて、「自転車で回られているんですか?」と話しかけました。
「そうです。もう8回回りました」
「えっ!!8回も」すご!
修行僧みたいなものだわと感激。
思わず財布から1000円札を取り出し、箱の蓋みたいなものの上に載せました。
巡礼のカンパです。
(そこにはすでに100円玉2つがあり、私のすぐ後にも、「ご苦労様」と、100円玉をおいていく人がいました。さすが、1番札所がある町)

びっくりした顔をして(多分カンパ1000円は珍しいのだろう)、男性は、
肩からかけた白い袋から赤いお札を取り出し、くれました。
それだけではなく、慌てて袋の奥の方を探って、
「これも上げます」と、お守り袋もくれました。
「わ~!ありがとうございます!お気をつけて周られてくださいね」
私もびっくりしたので、お札とお守りをさっさと手提げに入れて、
スーパーに入った。

私は四国育ちだけど、88ヶ所巡りはしない。(できないし)
どこでもお寺にいけば手をあわせるけど、あまりそういうの信じてないから。(しんどいし)
本来の釈迦の教えと違うし・・・・

だけど、信じている人が88ものお寺を回ればそれはそれでご利益とか、
それなりの悟りみたいなものとかを得られるとは思う。
信じてなくても、歩き通せばある種の修行になるだろう。
だから、お遍路さんは好きだ。
御布施できたことは嬉しかった

でも、お礼にとお守り袋を貰い、ラッキーと喜ぶのはいかがなものか・・・・

だけど、ラッキー!と喜んだのでした。
買い物から帰り、
早速夫に報告。
手提げに入れておいたお守りを取り出し、わくわくしながら、
「何番札所のかしら?」
お守り袋を見た夫が言いました。
「これ、明治神宮のだよ」
「うそ!」
「袋にそう書いてあるよ」

ま、ま、とにかく、お守りをくれたあの男性が、
無事結願できますように。


ところで、
私の育ったのは、88ヶ所回りの順路(国道)からは2キロほど外れた集落だ。
記憶も定かではないほど小さな子供だったころ、
そんなところにもお遍路さんの格好をした人がよく来た。
もちろん、どの人も歩きだ。

玄関先でお経をあげてくれる人もいたが、ただ立っておりんを鳴らすだけの人もいた。
本当のお遍路さんなのか偽物かはわからなかったが、
どの人にも小さな茶碗に一杯のお米を上げていた。
母が留守の時でも来たら上げるようにと言われていたので、
よく白い袋に米櫃から出して入れて上げたものだ。
無邪気に。

今思えば、
まだその頃は「戦後」が終わっていなかったのだろう、
土地の言葉で「ほいと」と言われていた物貰いの人たちが混ざっていたようだった。
もしかしたら、ほとんどがそういう人だったのかもしれないし、
生活できないからお遍路をしていた人たちだったのかもしれない。
いつのころからかお遍路姿が玄関先に立つことがなくなったから。

今では、歩き遍路は時間と(宿泊の)お金がある人達がする贅沢な遍路なのだとか。
車で、何回にも分けて回るのが多いみたい。
でも、あの自転車のお遍路さんみたいに御布施に頼っていたり、
野宿をしながら回っている人達もいるのだ。