躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

また疲れた~。

2008-07-31 19:29:40 | Weblog
蝉君たちが本調子に鳴き出して、
お~!夏本番じゃ。
と期待したものの、風が涼しくなって、
シエスタには窓を閉めないと寒いくらい。

一昨日の薪用の木を運ぶ作業がたたって、
今日もまだお疲れ~。

頂いたお家は敷地の周りが1キロくらいありそうなお屋敷。
屋敷林も広くて、道路にはみ出した大木の枝を切るだけでも大変な費用だろう。
今回は根元から切られた大木が痛い痛しく積み上げられていた。
切ったのを処分するのにも随分費用がかかるだろう。
貰ってくれる人(私たち)がいると聞いてかなり期待をされてたようだ。
でも、私たちが運べる木なんてしれている。
直径50センチ以上もある大木がゴロゴロしている中、
せいぜい直径が20センチくらい、30センチになるとちょっと扱いに困るというところで、探し出しては、短く切って、車2台で2回運んだ。
重い木を載せては降ろす。
昼間の炎天下で、体力も限界。
だけどこんなのではほとんど減らなかった木に、持ち主はかなりがっかりされている様子だった。

管理がほんとに大変そう。
広いお屋敷でなくて良かったねと我が家に帰った。

とうちゃんもだんだん体力がなくなっていく。
薪の調達はいつまで続けられるやら。
でも心地良いストーブは止められない。
良い方法を考えねば。

シンクロ

2008-07-28 21:15:07 | Weblog
午前中、気功教室の人が、
「杏の木を切って、薪に丁度良い長さにしているのですが、もらってくれませんか?」
ラッキー!ラッキー!

そして、夜の8時、暗闇の庭を通って近所の農家の人が来てくれた。
4キロ向こうの農家の敷地の木を伐採したそうな。
その時に、○○○(この辺の地区名)に、
薪ストーブ用の木を欲しがっている人がいたなあという話が出て、
近所の人がうちを思い出して伝えに来てくれたのだった。
木を伐採した農家は全然知らない地区。
誰からどう伝わったのか・・・
なんにしろ有難い。
ラッキー!ラッキー!

しかし、またなんで今日に限って薪の話が重なってとびこんできたのか?
昼間、友人とシンクロの話をしたばかりだった。
それもシンクロ?

ブータンの写真他いろいろ

2008-07-26 21:55:43 | Weblog
「タクツァン僧院」 参拝の山登りしました。
その他とうちゃんの写真はここです↓
http://www.geocities.jp/hibikiybb/yoko/20080709-0715Bhutan/
http://www.geocities.jp/hibikiybb/yoko/20080708Bhutan-Thimphu/


気がつけば、もうしっかり稲穂が出ている。
朝4時ごろからリモコンヘリコプターで田んぼに農薬の空中散布の音。
こんなあとに農薬がかかっているかもしれない草刈は嫌だ。
「雨」ではなかったけど、今日は「読」。
もう少しブータン。

今枝由郎著『ブータンに魅せられて』(岩波新書)
ブータンの国立図書館顧問を勤めた著者。
生活から政治のことまで書いてあります。
ブータンがよくわかる。
著者をニマルン寺の境内でお見かけした。

次に読みたいのは、
ドルジェ・ワンモ・ワンチェック『幸福大国ブータン・・・王妃が語る桃源郷の素顔』(NHK出版)

私がファンになった第4代目国王様のお妃様のおひとりが書かれた本です。
なんとこの前国王様にはお妃さまが4人いて、4人は姉妹なんです。
レストランに飾ってあった結婚式のお写真には(国王様やご家族のお写真をどこに行っても見かけました)、
若かりし国王の両側に美しいお妃さまが2人ずつ。
あ~、5番目は無理(笑)。

でも、これは決して女性の地位が低いというのではなく、姉妹婚、兄弟婚の風習もあるからで、むしろ女性の力は強いらしい。
土地や家畜などの資産は女性に受け継がれる女系の家が多いのだそうです。
女性が飽きたら男性は家から追い出されるとか、
結婚式、婚姻届はしないとガイドさんは言っていた。
(ティンプーのような町では近年は少しずつ変わって来ているようだ)
そして、男女とも複数の相手がいてもOKなのだそうです。

それから、ブータン人は姓を持たない。
つまり結婚しているかどうか、誰と結婚しているかは聞いてみないとわからないという。
本林靖久著「ブータンと幸福論」によると、パスポートとか、どうしても姓を記入する必要があるときには、
ドゥックパ(「ブータン人」と言う意味)を姓の代わりに付け足すそうです。

医療と教育費は基本的に無料だ。
入院費も無料で、西洋医学と伝統医学の両方から選べる。
教育費には、授業料、教科書代、宿舎のの費用、制服(民族衣装)、交通費まで含まれる。
これだけでもかなり幸福な国民と言えそう。

学校まで遠くて通えない子供達は、小学校から寄宿舎生活。
親に会えなくて可哀想かなと思っていたけど、
お祭りで知り合った寄宿生活をしているらしい子達は、
兄弟、従兄弟達6人で来て家族をして楽しそうだった。
一番年長の女の子が、「ハワイに行きたい」というので、
「どうしてハワイ?」と訪ねたら、「日本の首都じゃなかったかしら?」
東京は知名度低い?
まあ、日本もハワイもみたことのない海に浮かぶ遠い島。
似たようなものね。(笑)

また、ある時は寄宿舎生活をしている人なつっこい中学生に「撮った写真をおくって」と頼まれた。
私の名前を教えると、「私の体育の先生と同じだ!」
先生は日本人だった。

今回の旅行が、たまたま2週間の夏休みにぶつかったので、たくさんの子供達に会えてラッキーでした。
それから、小学校から英語で授業を受けるので、子供達でも英語がぺらぺら。
(日本のおばさん劣等感)

ところで犯罪だけど、以前は鍵も必要ないくらい安全だったとか。
ただ最近は外国人が増え、首都では少し気をつけたほうがよいとガイドブック。
(夜に町を歩いたけど、のどかだった)
刑務所が見えるところでガイドさんが教えてくれたところによると、
一番重い終身刑になっている人は、
宗教関係のものを盗んだり壊したりした人達だそうで、
さすがに生きた仏教国だ。
あとは離婚のトラブルに関することで入っている人が多いとか。

20の県のうち、全く車道がない県もまだ一つあるそうだ。
県庁所在地にも歩きでないとは行けない!
お金がないのではなく住民が本当に必要になるまで作らないだけだとか。
また、あんなに危険ながけっぷちの山道ばかりなのに、トンネルがない。
その理由も、谷底から山の天辺まで人が住んでいるので、トンネルを作ると山の上の方の人が取り残される。
みんなが同じように恩恵を受けられるためだとガイドさん。

欧米流近代化の弊害を避け、国民の真の幸福を願う国王が、
ブータン独自のペースで発展を進めてきた。
今年は5代目国王の戴冠式があるそうです。
議会制民主主義も本格化する。

静かな驚きと感動。
幸福の国ブータンにはまだまだ興味がつきません。
おわり。


カディン・チェラ

2008-07-22 23:02:38 | Weblog
今は観光シーズンオフのブータンではあったけど、
二つのお寺のお祭りの日が重なっていて、
お祭りを目指してやってきた外国の観光客が結構いた。
この二つのお寺は近くとはいえ、3000メートル弱の峠を越えなければ行来できない。
両方のお祭りに行ったり来たり、上ったり下ったりでした。

まず7月11日午前は二マルン寺のツェチュ祭を見に行った。
このお寺はチベット仏教の古い宗派のニンマ派。
チベット仏教もたくさんの宗派があるようだ。
因みに、(簡単に本を読んだところによると)、昔、チベットで宗派の争いで迫害を受けて逃げて来た人たちや、チベットから布教に来た僧たちなどがブータンに住み着いたらしい。(小チベット?)
それから、チベットから攻撃されたこともあるし、ブータンの中でも争いが続いたようだ。

ニンマ派の高僧の生まれ変わりである若いリンポチェのお顔を拝見できた。
この方は何度かの前世を全部覚えていらしゃるとか。
それから、この日泊まったゲストハウスの息子さんも生まれ変わりの承認を得て修行中だとか。

ニマルン寺は村の小さなお寺だけど、お面を被ったお坊さん達が大勢で踊るので有名なお祭りらしい。
お寺の中庭に集まった村人達はみんなブータンの民族衣装を着ている。
日本の若い女性観光客も民族衣装を着ている人達が10人くらいいて、
顔が同じだけど、化粧をしているのですぐにわかった。
化粧って気持悪いよ~。(笑)

面白かったのは道化だ。
3人のお面を被った道化がいて、その中の1人は木で作った男根に赤く色を塗ったものを持って、見物人に突きつけたりして笑わせる。
(男根は豊穣のシンボルで、農家の壁に描いてあったりする)
儀式のお供えを蹴飛ばす真似をしたり、村の娘達が踊っている中に入ってからかったりと、道化だけは無礼講だ。
観光客にもサービス満点で、白人の若者を連れ出してボクシングのふりをしあったり、
女性観光客に男根を見せびらかしたりしていたかと思うと、
いきなり私の近くにいたブータンの民族衣装を着た日本女性2人に抱きついた。
それを笑ってみていると、今度は私を抱き上げてほっぺにチュ。
驚いたわ!

道化は実はお祭りの進行役も兼ねている大切な役割。
それで道化専門の人がいて、祭りがあるところに呼ばれるのが普通らしい。
でも、このお寺ではお坊さんがやっているのだとガイドさん。
ということは、お坊さんにチュされたわけ?

次の日、7月12日クジェラカンでトンドルの(大掛仏・・・「タンカ」とは言わないらしい)年に一度のご開帳があった。
仏教歴の6月10日でパドマサンババのお誕生日。
4階建ての壁いっぱいにパドマサンババが描かれた布が吊り下げられた。
これも一度見ただけで極楽浄土に行けるご利益があるらしい。
ふふふ、タクツァン僧院の山登り参りもしたし、もういつ死んでもバッチリよ。

このクジェラカンの御開帳の儀式にはニマルン寺の何倍もの人が集まった。
お寺の大きさも格も違う。
ブータンの人たちは控えめでおとなしい。
自分の前に他人が立って儀式が見えなくなっても何にも言わない。
他人に文句を言っている場面に旅の間一度も会わなかった。
そんな雰囲気にほんわかなっていると、
突然どどどっとブータンの人々が動いて何事かとびっくりしたら、
ほとんどのブータンの見物人が列をなして並び、パドマサンババに祝福を受けるために、順番にトンドルの裾に沿って歩き始めた。
自分の息で汚さないためか片手で口と鼻を押さえ、頭を低くし、額をトンドルの裾に触れて歩く。
整然とした何百人もの静かな熱気に信仰心の深さを思い知らされた。
この国では、仏教が人々の心に確かに生きている。

その日の午後もう一度ニマルン寺へ、クライマックスの踊りを見に行った。
若いリンポチェもお面を被って踊っていた。
体を斜めにしてグルグル回りながら飛び跳ねる。
前日と同じ場所で地べたに座り込んで見ていると、またあの道化がやってきて私と並んで座り込んだ。
2日もやっていると疲れるよね。
でもお坊さんならこれも修行ね。
ここで、またオバタリアン。
とうちゃんのカメラで道化と寄り添ってツーショット。
道化が立ち上がっったので「バイバイ」と言って握手の代わりに手をにぎった。
せめてものお礼のつもり。
サービスしてくれたけど顔も見えなかったお坊さん。
本当にありがとう!!

ここでもリンポチェに祝福を受ける時に、やはりあの熱気だった。
信仰心を持つ人たちが羨ましかった。

にわか仏教徒なのに優しく迎えてくれたたくさんのお寺のお坊さん達。
お経のお勉強中なのに見学させてくれた子供のお坊さん達。
観光客にも快く祝福の印を下さった、国でナンバー2だったという高僧。
はにかみながら静かに微笑み返してくれたブータンの人達。
そして、私を呼んでくれたパドマサンババ。(多分前国王様も)
ブータンの山と空にも。
すべてにカディン・チェラ!(ありがとうございました!)

ホテルでキラ(女性の民族衣装)を着た私はよく似合いすぎてました。
生まれ代わりってあるのかも~。(笑)


疲れた~~のは?

2008-07-21 22:15:43 | Weblog
気功教室があったのでなんとか元気が回復。
誰のための気功教室なんじゃ?(笑)
午後からは、やっと草に埋もれた畑に出ることが出来た。
お~い、この中でに育っているのは誰じゃ~?
と、野菜に声をかけたくなるくらいの草草。。。

しかし、今回の旅行は疲れた~~。
昨日まで昼も夜も寝ると起きられなかった。
もしかして、あのドーマ(軽いドラッグ)のせい?
これ、生のはっぱに石灰をつけて何かの実を包んで食べる。
それを2回チャレンジした。
1度はチベット難民が暮らす村で車が止まった時買った。
もう1度はお祭りの日に現地のおばさん達の間に座らせてもらったら、
おばさんがくれた。
ペルーのコカの葉みたいに日常的に噛んでいる人が多い。
口が赤くなるので良くわかる。
で、どうだったかというと、ちょっと体がぽっぽと熱くなって元気が出た程度。
美味しくもなく不味くもない味。

あとお祭りの露天で買って食べたお好みやきっぽいやつが美味しかったけど、
衛生上まずかったのかな。
ノートを破いた紙に包んでくれた。
ドーマもこれもツアーの人達は誰も手を出さなかった。

それから、お祭りで振舞われた雑炊も地元の人と同じように手づかみで食べた。
美味しかったけど、手を洗ってなかったなあ。

それから、現地ガイドさんが信仰心が強い人で(ブータンの人はみんなそうだろうけど)、バスの中でマントラの練習をさせられて、たくさんのお寺(お堂)に案内してくれた。
仏像の前でマントラを唱え五体投地を3回して、お賽銭を上げたあと、
お坊さんが聖水を掌にくれるところが多かった。
(掌に付いた残り水で顔や頭にを撫でる)
飲まない人もいたけど、真面目にあり難くいただいた。
10回くらい。
ブータンの水は硬水なのでお腹を壊すからと、ペットボトルの水しか飲まないように言われているのに、この聖水は?と思いつつチベット仏教徒をしたのだった。
ついでに、その辺に山積みされていたお供えのお菓子も貰って食べた。
このお菓子も私だけだったような。。。大丈夫?
あ~こんな罰当たりなことを考えてはいかん!

話はそれるけど、
以前は宗教ミーハ―だった私、チベット仏教に興味をもった時期があって、
あるリンポチェが日本に来た時チベット仏教の灌頂を受けるために10日間も電車で通ったことがある。
チベット仏教って興味あるけど、信じるにはとっても違和感があった。
特に仏像や仏画、お経も、慣れ親しんだ日本のと違いすぎて、1日目から頭が痛くなった。
でも、高額を払い込んでしまっていたので最後まで頑張った。(笑)
10日間たくさんの仏画とバターで出来たカラフルなお供えに囲まれてお経を唱え続けたのだけど、どうもなじめなかった。
(ごめんなさい、リンポチェ)

それで、ブータンに行くととうちゃんが言い出したとき、ちょっとひっかかっていた。
ブータンの観光って、自然とか村の景色以外は、ほとんどがお寺の集合体があるゾンとかお寺の集合体のラカンなのです。
仕方ない、郷に入れば郷に従えってもんで、それに、現地ガイドさんがチベット仏教を切々と説くパワーと、チベット仏教に関する興味を満たしてくれることもあって、
パドマサンババのマントラを唱えまくり、マニ車を回しまくり、五体投地も真剣にして、お賽銭も人より多くした・・・はず。
宗派の違いのためか、灌頂を受けに行ったときのチベットのチベット仏教よりは少しなじみがある仏像、仏画だったので、熱心なにわかチベット仏教徒になりました。

もうひとつ話がそれるけど、このパドマサンババって聖人は、
インドからチベットに仏教を伝えたエライお坊さんなのだそうです。
(お釈迦様の生まれ変わりとか)
その後ブータンの王様の要請でチベットからいらして、
ブータンにも仏教が入って、パドマサンババがあの世にいかれるまえに尊いお経をブータンに隠したのです。
そのお経は末法の世になると超能力者によって見つけられるようになっているのだそうで、ある超能力をもったお坊さんがこの場所を見つけて一つ取り出したのだけど、同じ場所にまだ残りがあるのだそうだ。

そこにも行けた!
山の中の(どこも山だけど)川岸の岩だった。
確かにその辺の気はかなり良かった。
瞑想をしたかったけど、それはそれ普通のツアーなものだから、
みんなはちょこっと見ただけでおしまい。
最後まで残った私が瞑想したがっているのをガイドさんは嬉しそうだったけど、
添乗員さんにせかされて出来なかった。
普通のツアーは嫌だ~。もう飽きたし。(笑)

え~と、もとに戻って疲れがとれない話です。
そんなこんなでいろいろ口にして大丈夫だったのかなと思い始めた。
やわな日本人のおばちゃん。
なんか病気になっているのか?なんて思うほど眠くてだるくて。。。。
もう旅行なんか行きたくない~と言い出すほど。

それが気功でやっとこさ取れて、まともな頭(?)で考えてみると、
どうも標高疲れのように思えてきた。
旅行中ほとんどが2000メートルから3000メートルで過ごしている。
隣の町に移動するのに3000メートル以上の峠越えだ。
毎日何回も上がったり下ったり。
気圧がしょっちゅう変わっていることにもなるし、空気も薄い。
高山病にはならなかったけど、動きは鈍くなっていた。

おまけに最後の日には、断崖絶壁にあるタクツァン僧院(3000メートルちょい)にお参り行く山登りをした。
ちょっと前までは外国人は展望台までしかだめだったそうだけど、つい最近行けるようになった・・・ラッキー!
どんな悪い行いをした人でも一度お参りすれば救われるというほどのご利益があるお寺なのだから、こんな機会に登らないてはないと思ったけど、雲上の僧院まではきつかった。
そりゃあ、1度で救われるんだもんね。
ほんとによろしく!
最後の石段はすべるので裸足になって登った。
(みんなびっくりしてたけどこの方が楽で気持ちよかったよ)

標高が高くて異様な疲れになったみたい。
と、気功教室の人にいうと、「あら、気功でたくさん気を入れていてもですか?」
なんだかチベット仏教の国で気功はしづらかったのよね。(チベットと中国)
空気が少ないと「空」の気も少ない・・・なんちゃって。

ブータンは素晴らしい自然と人と王様。
エコ、スローライフ好きには理想郷かも。
でも、やっぱり日本がいいわ。
このちょっと汚れた日本の空気でも、私には合ってるみたい。









ブータン 2

2008-07-19 22:50:44 | Weblog
「パロの飛行場の建物」
写真:とうちゃん
その他パロの写真
http://cid-5b6c57da67228eaa.skydrive.live.com/browse.aspx/Bhutan

飛行場を出て観光バスに乗った。
観光バスはマイクロバス。
20人乗ってとこ。
ツアー客は16人で添乗員と現地ガイドを載せると、スーツケース等大型荷物は載せられないので、もう一台のもっと小さなマイクロバスが荷物を載せて着いてきた。

パロ・ゾンとタゾンを見学。
この「ゾン」というのは16世紀あたりから作られ始めたお城のことだけど、
お寺が集まった宗教施設と政治の施設からなっている建物だ。
今は必要ないけど敵の襲撃に対抗できるように設計されている。
宗教施設(チベット仏教)にはたくさんのお坊さんたちがいて、
政治の施設は県庁となっている。
修理したり立て直したりして昔の建築様式のまま今も使われている。
中庭がいくつかあって、仏様や神様の絵が書かれてある場所やマニ車もある。
どの県にもこのゾンある。
宗教と政治が一体となっているのを目の当たりにさせられた。

タゾンはゾンの見張り台の役目をしている建物で、今は博物館になっている。
ここで、あのりりしい素敵な王様に再会。
もちろん写真だけど。
あ~、でももう今はあの王様も中年になっておられました。(笑)

パロから首都ティンプーへは1時間弱。
国で唯一の高速道路は7キロだけ。
ティンプーの町手前にあった。
片側2車線の外側の車線をバスが走っていると、
同じ左車線の内側の車線を反対から馬がてくてくと歩いてきた。
つまり逆走(歩)。
「この国では、高速道路を馬も人も歩くんです。」と、ガイドさん。

首都ティンプーの町は建設ラッシュ。
それでも、ホテルやお店が軒を並べたメインストリートは5分も歩けば通り過ぎる。
建物は全てブータン様式と決められていて、ティンプーの町で一番高い建物は6階建て。
それ以上は禁止されている。

タシチョ・ゾンを見学。
国の政庁と宗教施設が入っている。
現在の5代目の王様が他の公務員と同じように、9時から5時までお仕事されているお部屋もある
飛行機で知り合った若者もここにお勤めしているはずだ。
公務員の仕事が終る5時からの見学だった。
と言っても、どのゾンでも政治の施設は立ち入り禁止だ。
許可が出たお寺の一つ二つ(お堂と言ったほうがわかりやすい)に入っての見学だけで、ほとんどが中庭や外からの見学だった。

帰って行く公務員は皆民族衣装を着ている。
いきなり日本語で「日本から来られたのですか?」と話しかけてきた若者がいた。
ブータンの人は顔が日本人と同じと言っていいくらい似ているので、
みんなで戸惑った。
見ればスーツ姿。
「僕、日本人です。ここで働いているのですよ。」

現国王の官舎(?)も見えた。
予想外に小さい平屋で驚くと同時に好感を持った。
みんなで眺めていると、警備の警官に注意された。
100メートルくらい離れているのに眺めるのもだめらしい。

そうそう、ゾンに入るには、帽子も傘も禁止。
晴れると標高の高いブータンでは陽射しがキツイ。
それに雨が降っても帽子も傘もだめなのです。
靴でなくてはならない。(サンダル、草履禁止)
それから、襟がある服ではならなくて、ノースリーブ禁止なのです。
これは観光客の話で、
現地のガイドさんはゴという民族衣装に白くて長いスカーフのようなものを体に巻いて、ハイソックスに皮の靴でなくてはいけないのです。
もちろん帽子、傘は禁止。
それほど神聖な場所だってことなのでしょう。








ブータン

2008-07-18 21:38:16 | Weblog
ブータンに行ってきました。
チベット密教の国で王国。
19世紀半ばまで鎖国をしていた国。
インドとはまた違ったカルチャーショックでした。

まずは、行きの飛行機の乗り換えのために1泊したタイのバンコックでは、
スコールの空港。
ホテルに入ってスーツケースを開けるとビニールに入れていなかった衣類全部に
水が沁み込んでいた。
ブータンまで湿った衣類を運ぶはめになった。
これでカルマ落としが終ったのね。(笑)

ブータンでは雨季でもスコールはそれほど頻繁ではないらしく、
特に前半は現地ガイドさんも驚くほど晴れた。
滞在中に透明感のある綺麗な太い虹も2回見たよ。
そりゃあ日本から晴れ女が来たのだから。。。。なんてね。
でも、お祭りの踊り最中に雨になって、終るとすっかり晴れたことがあって、
現地の人によると雨は神様が来た証拠なのだそうだ。
う~ん、なんでも都合良く考えよっと。

現地ガイドさんによると、ブータン王国の人口は60万人らしい。
これは最近それぞれの地方の高い山の上から見下ろして、家の数で人口推定して合計したという、ちゃんとした(笑)数字らしい。

国の広さは九州と同じくらい。
ほとんどが険しい山ばかり。
ちょっとでも緩やかな勾配のところは耕地になっている。
絶壁に見えるようなところでも段々畑や棚田が出来ている。
深い谷底から標高差1000メートルはあろうかと思える山の天辺まで、
へばりつくように家がまばらにあった。

自然破壊が少なく、多くの原生林が残っている。
そして世界で一番自然保護に力を入れている国だという。
とにかく、どこを見ても緑緑緑・・・・
飽きるほどの緑でした。
(春の花を見たので雨季の夏の緑を見にいらしたとブータン2回目のご夫婦。雨季もまた良し。)

それから仏教国なのでもともと殺生を嫌うけど、
家畜が襲われても野生動物も殺してはいけないと国からのお達しがあって、
被害にあった家畜に対しては国が保証してくれるとか。
野生動物の保護にも力を入れているのです。

ついでに、野良犬。
町が出来ていくと家畜の番をしていた犬のお仕事がなくなり、
野良犬が急増しているという。
国が野良犬を捕まえ避妊をし、保護をしている場所があるらしい。
どこかの国のように年に何十万頭もの犬を焼却処分なんてことはないのだ。
それでも、人が集まるところには野良犬が多かった。
残飯を貰えているらしい。
生まれ変わりでいうと、犬に生まれると次は人間に生まれ変われるのだそうです。

それから猫。
こちらはまだまだネズミ捕りのお仕事があって、野良猫はいないそうだ。

ブータンには、小型(通路を挟んで左右3席、計横6席)の国営のエアバスが2機あるだけ。
ヘリコプターもない。
飛行場は西部のパロにひとつだけ。
このエアバスがタイのバンコクからインドのコルカタ経由で毎日1便。
その他の航路で週に2,3便が就航しているそうだ。

バンコクから朝4時発の飛行機に乗った。
4時です!
(ホテルでのモーニングコールは1時半)
なんとしても、飛行機からヒマラヤの方の高い山を見たかった。
なのに通路側の席。
窓側の席にはブータンの若者。
その若者が通路の反対側のひとつ後ろの3席に座った若者に叫ぶように何度も話す。
私の席の方が近いじゃないの。
で、日本のオバタリアンは、とうちゃんに頼んで、
「席を替わってあげましょうか?」(笑)と聞いてもらった。
「大丈夫です。」と若者。(ガックリ)
2、3分位して、若者はこちらの真意を察したみたいで、
「席を替わりましょう!」
私、思わず「Thank you!!Thank you!!」で、すぐに立ち上がった(ばればれやんか)

私は幼稚園の子供並みに窓外を見ていた。
その間に若者ととうちゃんが話している。
若者は国家公務員だった。
あの国では多分かなりのエリートにオバタリアンしたわけだけど、
貴重な現金収入になる観光客に公務員が席くらい代わって当然だよね。
とうちゃんと若者はメルアド交換をしていた。

それから、若者が同じ飛行機のファーストクラスには前国王のお母様だかお妃様だかが乗っていると教えてくれた。
憧れの前国王(4代目)。
17歳で国王になって40代で自ら王位を息子に譲った。カッコいいのだ。
おもえば昭和天皇の国葬の時に、民族衣装を着たりりしい若い王様がテレビに映った時からブータンが憧れの地になったのだった。
(要するに王様に惚れたってこと)
近づくブータンにドキドキ。

窓側の席からはばっちり高くそびえる白い雪山が見えました。
チョモランマじゃなく、チョモラリ(?)だったみたいだけど。。。
なんでもいいのだ、ヒマラヤ連峰だ。

窓の下を覗き込めば、開発の痕が全く見えない緑の山また山。
その中にぽつりぽつり家が見える。
山の天辺にも。
「あれはお寺です」と若者が教えてくれた。

周りは山と田んぼ畑の、
え~!というほどのどかなパロの空港に着陸。
タラップを降りて空港の建物びっくり。
ビルではなく、模様がいっぱいのブータン様式の建物に向かって歩いて行ったのでした。









明日から

2008-07-06 20:53:17 | Weblog
水路の草を刈る草刈機の音が半日聞こえた。
炎天下の中、なんでこの時期に?と思う。
道端ならともかくも水路の斜面の草は生えているほうが、雨の時崩れなくて良いと思うのだけど。
子供の頃は農道脇にも水路にも草は茂っていた気がする。
ちゃんとした理由があるのかもしれないけど、
想像するに、草の中の虫から田んぼを守りたいのかも。
でも、害虫がいれば益虫もいるはずだし・・・わからん。

草刈が終ったあと、たまにしか聞こえない鳥の声がずっと続いた。
それは2種類の鳥の声で、何かを訴えているようだった。
水辺に住む小鳥が住処を追われたのかもしれないと思うと胸が痛かった。

さて、明日からブータンに行ってきます。
みごとなお花畑の風景や紅葉の風景も何もない今は観光シーズンオフのモンスーンの時期だと知ったのは、締め切りぎりぎりに申し込んだあと。
雨降っているとただの景色も見えないよね。
お馬鹿な夫婦です。
でも私晴れ女。モンスーンなんか蹴散らすわ。ついでに天中殺も蹴散らす。
(とうちゃん雨男。首都ティンプーの天気予報は1週間先まで雨だそうです。は~
どうなるんじゃろ。
行ってきま~す。

草刈

2008-07-05 19:12:54 | Weblog
蝉が1匹庭で鳴き始めた。
わ~い夏だあ~。

今日も草刈・・・なんだか去年を思い出す。
草刈に明け暮れてやっと終らせ行った合宿、踊りのワークショップ。
初日から草刈ワークがあったのは堪らなかった。
逃げ出した。(笑)
今年はブータン。
明後日からなんだけど、まさかブータンで草刈体験なんてないよね。(笑)

なんて書いていたら、丁度今お隣のご主人がやって来て、
「明日農業用水路の草刈があるのだけど、参加しませんか?」
ととととんでもございませんです。
農家の人たちと一緒になんてとうちゃんにはきつ過ぎて無理無理無理。
あの人達は私たちからみると超人。
あの体力にはと~てもついていけませんです。
ばてて寝込んじゃう~。
草刈のおかげで旅行をキャンセルなんて笑えないよね。(笑)


あっちの畑で

2008-07-04 19:39:49 | Weblog
午前中は雨がぽつぽつ降っていたけどあっちに畑に行った。
そのうち晴れたかと思うと、夏の天気。
待ってましたお日様。
草刈をして汗だくになって気持いい~。
もう7月なんだからこうでなくっちゃ。

半分とり残したまま忘れていたニンニクは、
茎がすっかり枯れてぱんぱんに大きく育っていた。
草の中からじゃが芋が出てきたり、ニラが出てきたりで草刈は結構楽しい。
それから、去年掘り当てられなかったコンニャクイモから豹柄の太い茎が伸びて、
草の上高く突き出ていた。
こんな所にあったのかと確認。
今年は間違えないで掘るよ。

お昼に帰ってきたら、服は絞れるほどの汗。
さすがに疲れて、『ミレラパ』を読みながら椅子で昼寝をしてしまった。
ラジニーシは飽きたので今度はミラレパ(チベットの聖人)。(笑)

目が覚めたので、午後の炎天下、頑張ってもう一度あっちの畑へ行って、小豆を播いてきました。