躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

金環食

2012-04-25 19:49:55 | Weblog
今日は、やっと綿の種蒔きをした。
今年は寒かったので、ちょっと遅め。

家の周りの田んぼに水が入ったので、
蛙の大合唱が始った。
元気な声が嬉しい~。

金環食って月に太陽が隠されちゃうんだってね!
知らなかった。
金星が太陽と地球の間を通るのだと思ってた!
だから、太陽に黒い点が出来るくらいなんだと。
なんでそんなので騒いでるんだろうなんてね。

さっきTVのニュースを見ていたら、
金環食の光のわっかが写っていて、
影がでかい。
あれ?金星ってそんなに大きかったっけ?
ということで、とうちゃんに言って、笑われた。
日本中でそんなこと考えた人いないと思うってさ。
(絶対にもう一人くらいはいる!
いたらお知らせください。粗品なしだけど)

ま、とにかくすごいわ。
2百何十年かに一度だって。
一生のうちに見ることができるのはラッキーなんだね。
しかも、東京の真上。
2012年に起こるって、なんかやっぱり意味あるのかも。

ま、とにかく楽しみ。
お天気が良いといいね。

4月24日

2012-04-24 21:31:50 | Weblog
ふたりの知り合いから連名でお礼が届いた。
なんと!千葉県北部産の高級ほんしめじ。
これ、生産量が少なく、超美味しいのだ。
だけど、今の私に北部のキノコか?
そりゃあお菓子は嫌いだとは普段言っているけど、
放射能恐怖症の私にキノコとは、
ええ度胸やないか。(笑)
ふたりは全然気にしていないのだ。

悩んだ末、捨てようかと思ったけど、
とにかく、この本シメジを生産している会社に電話して、
放射能測定の結果があるか聞いてみることにした。
あった。
測定限界値5ベクレルで、NDとの答え。
ま、いいか。
超美味しいし。。。わーい嬉しい!!
でも、ほんとかな?

ほんと、気にしていない人達は楽チンで、
気にする者は一々悩む。疑う。
おまけに、馬鹿にされたり。
仕方ない、性格だからね。

絶望に対峙してこそ希望が生まれるっていう人もいるし。(ぼそっ)

これ、絶望だけど・・・・
「フクシマの嘘」吹き替え
http://www.youtube.com/watch?v=ln9A4wHteiU&feature=player_embedded#at=1716

で、海外が動くよりないのか。
カレイドスコープ
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1212.html

さて、希望は?

負けそう

2012-04-23 14:47:24 | Weblog
もうぽつぽつと田植えが始った。
こんなに寒いのに苗大丈夫?
まだ、桜が咲いているのに。
毎年どんどん早くなっていくようだ。
新米に一番のりの競争かな?

昨日今日と、2日続きで気功教室。

昨日はなんと80歳のおばあちゃんがいらした!
背中が少し曲がっていて、
歯が大分抜けているおばあちゃんなのだけど、
早足で歩き、階段もスイスイ上っていかれる。
体のねじりや膝の曲げ伸ばしが多く、たくさんの動作がある気功もなんのその。

そして、
今日の基本の気功にも参加された。
1時間半、平気で立っておられた。
呆けないように、頑張って2種類の気功を同時に覚えるのだそうだ。
「やってれば体がそのうち覚えるでしょう」
80歳で「そのうち」って!
すごく前向き。

先日、換気扇の掃除をしようと椅子に上がって倒れたのだけど、
自分の体はなんともなくて、
倒れこんだところのプラスチックの入れ物と、
テーブルが壊れたとか。
元気過ぎる!

医者は嫌いで、行かない。
薬も飲まない。
肉が嫌い。
健康なはずだわ。

でも、甘いものが好きで、少し調子が悪くなった。
毎日朝晩2個づつ!どら焼きを食べたのがいけなかったと。

帯津先生が気功が良いというのを聞いて来られたそうだけど、
80歳で新しいことを始める気力。
負けそう。
負けてるかも。


ヨギ

2012-04-18 21:10:20 | Weblog
昨夜はインドから来日したヨギが行う、非公開のセレモニーに、
若いご夫婦が誘ってくださって、車で40分のところに行った。
久しぶりにインドの風に吹かれて良い気持だった。
瞑想すると、ついチャクラを意識したりなんかして、
節操のない気功の先生。(笑)

ところで、この若いご夫婦は半年のインド滞在(旅)を2度も経験しているのだそうだ。
若いっていいなあ。
この年じゃインドの蒸し暑い安宿で、
虫の中で寝る元気は残ってないもんね。
無理!
そこそこちゃんとしたホテルだってゴキブリ、ネズミ出たし。
来世では、若いうちに放浪しようっと・・・と、
思っただけで疲れるわ。(笑)

そうそう、あとから知ったのだけど、
このヨギはクリヤヨガのヨギだったよ。

私も~

2012-04-10 21:05:33 | Weblog

「砂金採りの人達」

まだ、心がラオスにいる。
あまりにも空気が合いすぎた。



「メコン河の夕陽・ビエンチャンにて」
向こう岸はタイ。
(乾期なので)広い河川敷を歩いてやってきて、
大人も子供も大勢が水際で遊んでいる。
洋服を着たまま河に飛び込んで泳ぐ人も。
水牛の群れを追う人もいた。
首都だ。

岸辺で若い女性が話かけてきた。
毎日ジョギングに来るそうだ。
走る人もいるのだ!(笑)
夫と英語で話した。
ヨーロッパに行きたいらしい。

女性と別れると、
今度は高校くらいの子供達が挨拶をしてきた。
話したいけど恥ずかしいと顔に書いてあるので、
こちらから話しかけた。

私程度の片言英語だった。
私の年齢を聞くので、いうとびっくりしていた。
美しい!だってさ。
(おいおい)
ラオスの女性の平均寿命60代後半だそうなので、
あと10年もない年齢だからね。
因みに男性は60代前半。
夫危うし。

例のごとくホテルを抜け出して来ていたので、
夕飯の集合時間ギリギリになり、
走って帰ろうとすると、その子達が、
「ジョギング?」

日本人はね、忙しくていつも走っているの。
ジョギング以外にも走るの。
と言ったら、またびっくりしただろうね。




ベトナム辺境の地ツアーで一緒だった女性に、
ラオスから絵葉書を送った。
彼女の最初の海外がラオスで、2度目がそのベトナムだった。(すご!)
ラオスが良かったと言っていたのを思い出したのだ。

帰宅して次の日に返事がきた。
「私も先日ラオスに行っていました」
ええっ!どこかですれ違ったかも。
「次回はラオスの北部、ミャンマーや中国との国境付近へ行ってみたいと思っています」
私も~



「ふたりで洞窟の仏像にお参り」
写真を撮らせてくれて生協の紅茶・・・じゃなく
コープチャイ!(ありがとう!)

ジャール平原

2012-04-03 16:25:52 | Weblog
ジャール平原に散らばる謎の石壺を見に行きました。
この地方には、1万個以上の石壺が発見されているのですが、由来も用途もはっきりとは解明されていません。
334個の石壺があるサイト1を40分くらいかけて歩きました。
サイト1以外のサイトには危険で行かれませんでした。
なぜなら・・・


これは、白い側は安全、(もう半分は色が剥げていますが)赤い側は未だに地雷が埋められている可能性があるということ。
サイト1の遊歩道にはこれがずっと続いていました。
白い側から、はみ出さないように歩かねばなりませんでした。
この時ばかりは、さすがの私もきちんと従いました。
(実際には、ある程度安全で、村の人は安全地帯を知っているので入って行くそうです。目視のみの調査は終わっているのですが、機械を使って調査し、完全除去するには至ってないということのようです)

ベトナム戦争の爪あとはそれだけではなく、激しい空爆で出来た直径10メートルほどのクレーターが(最初の写真、木の左)、遊歩道周辺にも、あちこちにボコボコたくさん残っていました。
アメリカ軍は、この地方(シュンクワン地方)には、1964~1975年の間に、
なんと7500t、国全体では、一人に付き1tにもなる爆弾を落としたのだそうです。
これは、世界で最悪の記録だそうです。
この地方の中心地になっていた大きな街は、鉄筋の家が2軒残っただけで、壊滅してしまったそうです。
そして、まだ不発弾がたくさん埋まっているようです。

また、遊歩道からいくつもの丘が見えたのですが、
アメリカ軍の枯葉剤で禿山になっていました。
30年以上経った今でも植林をしても、根づかないのだそうです。
畑は作物が出来ないとか。
たくさんの奇形児が産まれたそうです。

「金持ちはビエンチャンに逃げたけれど、逃げれなかった人、特に少数民族の人達がたくさん犠牲になりました」とガイドさん。



この洞窟に逃れていた、ラオスの負傷兵達も爆撃を受けて亡くなったそうです。

謎の石壺見学どころではなく、思わぬ衝撃を受けることになりました。
ラオスでも、アメリカ軍の攻撃によるこんなにも大きな被害がでていたとは!
地雷や枯葉剤、空爆のこと、知っているつもりでしたが、やはりその場に行くと実感になり、全然違います。
戦争は恐ろしい。
でも、まだまだ私は本当には知っていない。

食べ物の話いろいろ

2012-04-02 21:27:48 | Weblog
ラオスの食事は、なんといってもご飯が美味しい~~~!!
タイ米のような長い形のお米だけど、もち米で、
黒米を混ぜているので、お赤飯みたいな色。
固めに蒸してある。
ツアーのみんなも絶賛していた。

ホテルやレストラン、食堂でも、
椰子かバナナの葉っぱか何か忘れたけど、植物で編んだ筒状の蓋の付いた籠に一人分ずつ入って出てきた。
ご飯をを指で掴んで小さく丸め、おかずに押し付けくっつけて食べるのがラオス流。
これが、また私にぴったり。(笑)
手で食べると更に更に美味しいのだ。
(もちろん、ナイフ、フォーク、スプーンがで出た。プラスお箸も出るところも多い)

ツアー参加者のなかには、籠に残ったご飯をお握りにして(他の人のまで)、夜食用に部屋に持ち帰る人まで現れる。
最終日の食事の時には、口々に「明日からこのご飯が食べられなくなるなんて、残念だよね」と、言い合うほど美味しかった。

なので、ちょっと辛子が利き過ぎた料理が出ても、食事に困ることはなかった。
ご飯を食べれば大満足。
それに、料理も辛子以外はとても美味しかったし、
特にモン族の辛子抜き料理は日本人向けだと思う。
フランス領だったのでラオス風あっさりフランス料理も美味しかった。

そして、野菜もだけど、肉がとても美味しい。
チキンも豚も牛も水牛も食べた。
外でよく運動をして、天然の草や無農薬のものを食べて育っていれば、美味しいに決まっている。
(農家の庭先で、豚さんが鶏君の側で気持よさそうに昼寝をしてた)

ということで、ご飯を食べまくり、ビールと肉食を何日か続けた。
そうそうラオスビールも美味しかった。(私的には、ブータンのパンダビールが一番だと思うけど)
そんなに冷やしていないのがまた美味しいのだ。
で、さすがに肉の食べ過ぎになり、途中からはベジタリアンで、
最後はおにぎり。(笑)

現地ガイドさんの話だと、
子供の頃は、お腹が空けばどこの家にでも入って「ご飯食べさせて」と言えば食べさせてくれたのだそうだ。

そんな話を聞いたあと、えらいお坊さんが修行したという洞窟の前で、
地元の人がござを敷いて、家族でお昼ご飯を食べているところに出くわした。
ガイドさんが、その家族になにやら話しかけ、
それから私達みんなに向かって、「お昼ご飯一緒にたべていいそうですよ」という。
家族がニコニコと、どうぞ、どうぞと手招きをするので、ござに座らせてもらって馳走になることにした。
もちろん手づかみで。
美味しい~。
気が付くとわたしだけ。
なんだよ~、みんな(笑)

ありがとう!(ラオス語で)を言って立ち上がりかけると、
なんとご飯を両手で掴んでどっさりくれようとするだ。
お気持はとてもとても嬉しいけど・・・どうやって持っていくの?
両手で食べながらってわけにもいかないでしょ?
本当に親切すぎるよ~。

それから、トイレ休憩のドライブインの店先では、コウモリを何匹も串刺しにして焼いたのや、モグラを串刺しで焼いたのを見たけど、
買わなかった。(笑)

ある名所旧跡前で、蜂蜜が巣ごと切ってバナナの葉に包んで焼いているのを見つけた。
美味しそうなので買って一口食べたら、
蜂蜜じゃなく、巣の中のは蜂蜜色の幼い蜂の子(芋虫の小さいの)だった!
栄養満点で元気になるだろうけど、ねっとり生臭い味に、2口でギブ・アップだった。
もう少し育ったのを炒めてるか、よく焼いていれば大丈夫!なのに。(笑)

田舎道を走るバスの中で、
「この辺にはどんな動物がいるんですか?」とガイドさんに聞いたら、
「大きな動物はずっと奥の方にいかないといないんです。この辺のは、人がみんな食べちゃったから」(すご!)

それから、まだ・・・
学校の先生はとても薄給なのだそうで、1ヶ月の生活費が足りないから、
あるところでは、食事に困ると、山に入って野生動物を狩に行く先生もいるのだとか。
そうすると授業はなしで、子供達は遊んでいる。
動物が獲れるまで何日も先生は帰ってこない。(笑)

また、生徒のお父さんが猪を狩ったら、先生にお裾分けの肉を持って行く。
うちの子供にたくさん勉強を教えてくれるようにってことで・・・賄賂か。(笑)

でも、野生動物を獲るのは禁止されていると言っていた。
(そりゃあ、これじゃあ絶滅しかねないもの)
違反して捕まえたのが見つかると警察に取り上げられるのだそうだ。
だけど、「きっとあとで警察が殺して食べているはずです」
(さすがに笑えない)


托鉢

2012-04-01 20:46:54 | Weblog
ラオスには日本からの直行便がないので、
行きはベトナムのホーチミンで乗り換え、プノンペン経由で(同じ飛行機なのに、一度降りた)やっとラオスの首都ビエンチャンへ着いた。
帰りは、もう二度と行きたくないと思っていたハノイで乗り換えなければならなかった。
(ハノイ空港の態度の悪さは本当に嫌!)
しかし、このコースが一番速いのだ。

ラオスには特別すごい見所というのはなかった。
だけど、自然と人がかもしだす、空気、雰囲気が、まったりとあまりにも優しくて、
細胞も頭も心も緩みっぱなし。
こちらは最高級だった。
ニューヨークタイムズによると、西洋人が一度は訪れたいNO1の国なのだそうだ。
(ツアー参加者談)

不思議なほどもの静かで、心遣いがあり、優しい人達ばかりだった。
ベトナムの喧騒を思うと、地続きの隣国だとは信じられない。
車のクラクッションの音をほとんど聞かなかった。
言い争う場面にも出遭わなかった。
集合時間に遅れそうなので走っていると、何事かとびっくりした様子で見られたほどだった。

人口密度が低いというのがもともとの原因かもしれない。
日本の本州の広さの国土に国民60万人程度。
緑の自然がたくさん。
土地があれば、熱帯の気候なので果物は勝手になるだろうし、
作物もよく育つ。
あくせくすることもない。

周りの国々からは、ラオス人は怠け者だと軽蔑されていると現地ガイドさん。
「それで生きていけるなら一番良いことよね」と、日本のおばさん(私)。
スローライフ、ロハス(何?それ)以上なのだ。

それから、ラオス人はすぐ諦めると現地ガイドさん。
上座仏教(小乗仏教)の国だから欲を張らないのかも。

普通の男性でも20歳になると、
多くはお寺に住んでお坊さんの修行をするのだそうだ。
このガイドさんも(3ヶ月間だけど)ヴィパ―サナーを修行したガイドさんだったのだ!
修行の仕方を熱心に質問する日本のおばさん(笑)。

ツアーの観光では1回の予定だった早朝の托鉢に、
早起きして私は4回行った。

まず、南部メコン河に浮かぶ島での、のどかな托鉢。
これは素晴らしかった。
朝6時頃、村の道にぽつりぽつりと人が出てきて、お布施をする食べもの(主にご飯)を持って、ござを敷いてお坊さんが来るのを座ってまっている。
私は何も持っていないので、遠慮気味に村の人の後の方に座っていると、
微笑みながら手招きして、横に座らせてくれた。
柿色の布をまとったお坊さが5,6人1列になって歩いてきた。
まだ少年、子供のお坊さんも。
村の人は通りすぎる全員のお坊さんの鉢(台所で使うボウルくらい大きい)に、
順々に食物を入れてお布施をする。
私は何もないので合掌のみ。
全員にお布施が終わったところで、私達に対して短いお経を唱えてくれた。
その声がなんとも美しく、天から聞こえてくる歌声のようで、胸が震えた。
素朴な心がこもったお経だった。
日本でも、ブータンでも、日本に来たチベットのお坊さんからも、
たくさんのお経は聞いたけど、これほど有り難いと思えるお経はなかった。

そのお経に魅せられて、
世界遺産になっている、
小さな古都ルアンブラバンに3泊した時、もう一度あの感動をと思った。
欲が深い日本のおばさん(笑)。
最初の朝、ホテルの前の托鉢に、また手ぶらで出た。
やはり、遠慮気に土の上に座る私を、地元のおばさんは優しく手招きをして、
自分のござに座らせてくれた。
何も持っていないといっても、「いいから」みたいな仕草。
お坊さんは15,6人の列で、ここではお布施の前にお経だった。
でも、あのメコン河に面した田舎道で聞いたお経ほどの感動はなかった。

合掌しているのであまり顔を見れなかったけど、
まだあどけない子供のお坊さんが何人もいた。

しかし、お坊さん達が行ったあと、お布施をしたおばさん達が、前に置いていたペットボトルに詰めたお水を、少しづつ地面に流しながら熱心にお祈りしている様子に、信仰の熱さを感じた。

2日目の朝は暗いうちにホテルを抜け出し、
3輪自動車を改造した輪タクに乗り、
お寺にお経を聞きに行ったのだけど、お寺はもぬけの殻。
すでにお坊さんは托鉢に行ったのだ。
仕方ないので、ぶらぶら歩いていると、子供達がスーパーの籠のようなものを持ってどこやらに走って行くので、着いていってみたら、
それはそれはすごく長い列の托鉢に出遭った。
この街のメインストリートで、観光客もいっぱい。
びっくりして突っ立て入ると、いきなりおばさんにバナナとご飯がどっさり入った平たいかごをドンと持たされた。
きょとんとしていると、なにやら言いながら、ござも渡そうとする。
商売だと気が付いたので、急いでかごを返した。
この人込みではそんな気分になれないもの。
あっさり諦めてくれた。
この辺がラオスの良さだ。
押し売りも「すぐに諦める」
インドじゃ、こうはいかない。(笑)

観光客や同じ小乗仏教の隣国タイからの人達も、お布施をするために道路の端にびっしりと一列に並んで座っている。
その前をお坊さんの列が途切れなく托鉢しながら歩く。
それを見学する観光客、お布施のための食べ物を売る地元の人達。
たくさんのお寺からたくさんのお坊さん達が出てきて、このメインストリートを歩くので(全部で100人以上?何百人?のお坊さん)圧巻ではあったけれど、
いちいちお経を唱えるわけにもいかないのか、お経がなかった。
観光化していっているように思えたけど、お坊さんにはそれも修行なのかも。

で、あの子供達は?
お菓子のお布施があると、お坊さんが自分の鉢からとって側にいる子供のかごに入れていた。
道路に座って前にかごを置き、合掌して、お菓子を貰う子供たちもいた。
お坊さんの行列に子供達と、犬が着いて行く。
犬にもおこぼれがあるのだろう。

この長い行列の托鉢は、次の朝のツアー観光の予定に入っていた。
偶然一足お先に見学して、一度見れば充分なので、パスして、

3日目は、またホテルの前の道路で托鉢を待った。
今度はお布施のマンゴー(前日ホテル近くを散歩していると、マンゴーを採っていたので見ていると、くれた!本当に親切で優しい。)と、バナナチップスを持って。
丁度、竹に詰めたご飯とメコン河の川海苔を売るおばさんが、ふたつの籠をぶら下げた天秤棒をかついでやってきたので、買って、ご飯も用意できた。
今度も、前回とは別の女性がござに座わるよう誘ってくれた。
お坊さんのお経は、やはり天からの歌声ではなかったけれど、
その辺には、ござに座らせてくれたおばさんと私の二人だけだったのに、
お経を唱えてくれたのだ。(夫は見学)
お坊さん達の清々しいオーラを感じながら、でもお布施は大変だった。
次々に目の前に来る鉢に入れていくテクニック(慣れ)が必要だと、気が付いたけど遅い。
買った竹筒にはそれほどご飯は入っておらず、お坊さん達全員に差し上げるには程遠い量で焦る。
その上、ご飯は柔らかくて、手にべたべたくっつく。
ご飯がなくなったので、バナナチップスを入れようと掴むと、ご飯がくっついた手から離れにくい。
もたもたしていると行列が止まる。(汗)
見学の夫によると、そのせいで少し離れた所に座っていた次の人たちのところに行くまでに、列が乱れて、
その人たちには、お坊さん全員が揃ってお経を唱えられなかったみたいだったと。

こんなお騒がせ、にわか仏教徒の観光客でも優しく受け入れ、快く托鉢(お布施)体験をさせてくれるラオスの人達。
優しさを伝達していく、これが本来の仏教なのだと思う。