躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

歳末

2007-12-30 23:18:56 | Weblog
中途退職して農業を始めた知り合いが作った赤米、黒米の稲穂と、
庭のダイダイを摘んで来て、玄関のお飾りにした。
それから、昼食はお蕎麦を食べに行き、
お餅もついて(餅つき機で)、やっと歳末気分です。
暖かいもの~なんて思っていたら、
午後にはバラバラと雹が降ってきてびっくり。

とうちゃんはウッドデッキの大修理をしていて、
これは年を越しそう。
ウッドデッキは屋外だから傷みが激しいので、
たっぷり防腐剤やら塗料を使うのがほとんど。
おまけに、外国からの輸入材が多い。
どこかの国の緑を奪っているのかもしれない。
それで、ネットで調べてやっと見つけて、
無害の防腐加工をした国産の材木を取り寄せた。
出来上がりが楽しみ~。











やっと

2007-12-28 21:25:38 | Weblog
秋、家に隣接する畑の堆肥置き場に近づくとスズメバチがいて、
近くに巣があるらしく、日ごとに威嚇が激しくなって、
ついに畑中飛び回るようになった。
これは多分、夏に、庭のスズメバチの巣を業者の人に取ってもらったときに、
外出していて難を逃れた残党達が、新しく巣を作ったのだと思う。
だから、巣を取った後ろめたさもあって、
仕方ないと簡単に諦めた。
そのうち、寒くなれば居なくなることだしと。
ところが、この暖かさ。
いつまでも、畑を占領された。
堆肥は取りにいけず、小松菜の収穫も命がけだった。

さすがにもう大丈夫。
今日は堂々と堆肥を取りに行く。
木のチップ、籾殻、やさい屑、鶏糞などを積み重ねて作ったもの。
スズメバチのお陰で、切り替えしが出来なかったので、
ちょっと不満な出来だけど仕方ない。
スコップですくっていくと、
今年もあのカブト虫の巨大でグロテスクな幼虫(芋虫)が何匹も出てきた。
そして、カエルまで。
冬眠中のカエルは掘り出されると哀れ。
慌てているようだけど、全然動けないでクタ~となっている。
芋虫達とカエルが出てくる度に、別の場所に穴を掘り、そっと移しかえながら、
やっと堆肥を取った。














野鳥

2007-12-25 20:13:08 | Weblog
毎日たくさんの野鳥が庭に来る。
元理科の先生だった知り合いは、
野鳥の名前を覚えるようにと言うのだけど、
なんとなく面倒で、未だに数種類しか知らない。

アカハラはその名のとおりお腹が赤いので、
これは図鑑を見てすぐに覚えた。
地面に降りていることが多く、
落ち葉をくちばしで蹴散らすように払いのけては、
餌をついばむ。
毎日1羽で来て、可愛い。
リホームで不用になった風呂桶に雨水を溜めている。
そこで水浴びをしていることもある。
飲み水だけでなくそういう場所も必要なのだね。

秋に、縁側代わりのウッドデッキで、ゴマやエゴマ、黍、などの雑穀の脱穀をした時、
そこらに散らかり取りこぼした。
もったいないなあと思っていたけど、
それを、野鳥がやってきて食べているらしく、
朝一番、カーテンを開けると必ずのように小鳥達が飛び立つ。
部屋の中にいる私達に気付かず、
ウッドデッキの下に潜り込んで一生懸命ついばんでいることもある。
収穫のお裾分けが出来て良かったよ。









満月

2007-12-24 20:33:27 | Weblog
朝の光の中を
(写真:とうちゃん)


春のような陽射し。
いや春よりもきついような・・・
でも風は冷たい。

今日は満月。
お月様は「陰」の代表。
お日様は「陽」の代表。
地は「陰」で、天は「陽」。

女は「陰」で、男は「陽」。
だけど、対極図(陰陽のマーク)には、
「陰」の中には「陽」の点が、「陽」の中には「陰」の点がある。
だから、女の核は「陽」で、男の核は「陰」。
つまり、女の中心には男性性が、男の中心は女性性があるというわけ。
この間読んだ本に書いてあった。

これ納得してしまう。
だからなんだ、私この頃とうちゃんに威張ってる。(笑)

今日は満月。
きれいな陰の気をいっぱい浴びましょ。




陰が極まって

2007-12-23 20:26:01 | Weblog
勝手に出来た今年のかぼちゃは、こんなのでした。
多分スイカと交雑したのだと思うけど、味はカボチャでした。
(しゃしん:とうちゃん)


陰が極まって陽となる。
昨日の冬至が過ぎて、これから陽の気が徐々に増えていく。
なんとなくウキウキ。

そうそう、クリスマスはイエスキリストの誕生日ってことになっているけど、
実はそうじゃなくて、
キリスト教が広まった頃、
もともとあった太陽が復活するお祝いと融合して始ったらしい。




気功あれこれ

2007-12-19 20:36:33 | Weblog
庭の紅葉(今月初旬)
写真:とうちゃん

昨日気功のことを書いたけど、
気功は何千種類とあって、危ないのもある。
偏差(副作用)で、頭が変になったり、植物人間になったりした例も聞く。
気を当てられ飛ばされ、怪我をした人も。
私が思うには、パフォーマンス的なのとか、
パワーを強調するものは気をつけたほうが良いと思う。
気の量もだけど、質の方がもっと大事だと思うのです。

以前見たTVで、手で釘を板に打ち付けたりしてたけど、
わざわざそんなことしてどうするの?と思った。
釘は金槌で打てば良いじゃないの。

中国の武術気功は本当にすごいらしい。
格闘技に出てこないのは、
一瞬で相手を破壊してしまえるからだそうだ。
中国の巷には、そういう人がごろごろ居るらしい。

以前気功教室で出会った男性から聞いた話。
日本でのことだけど、気を使った格闘技の道場に行っていたそうだ。
救急車をしょっちゅう呼ぶような、本気でやるところ。
気功で人を飛ばすので有名な日本人の気功師が来ていたけど、
道場に来ている人の中では低レベルで弱かったとか。
話してくれた男性の目は鋭い野生の目だった。
気功の道場を渡り歩いて、
やっと(私の習っている)先生にたどり着けたのだと話してくれた。

気功には外気功と内気功がある。
外気功は外に向かって気を出すのが目的。
内気功は自分の中の気を高めるのが目的。

人を飛ばしたりするのもそうだけど、
気を出して人を治療するのは外気功だ。
他人を治療するのはちょっとくらいのレベルじゃ危ないと思う。
私も治療とはいかないまでも、手当をすると気が出ているのがわかるし、
相手も暖かくなると喜ぶけど、家族以外にはほとんどしない。
自分の気持ち(まさに「持つ気」なのだけど)が、
本当に本当に純粋におごる気持なく(邪気がなく)、
相手に向かえるか自信がないということと、
相手からの邪気に負けないでいられるかどうか、とても自信がないからだ。
基本的に、自分の心身の健康は自分でということだと思っている。

それから別の分け方では、武術気功、養生気功、道家気功、仏家気功などなど。。。
(私の習っているのは医家気功)
太極拳は気功の一種といえる。
元々は、武術だったもの。
それが健康のためにアレンジされてきたもののようだ。
















気功

2007-12-18 20:06:09 | Weblog
自分で目標を決めた72日間の気功プチ修行が昨日完了。
毎日コツコツなんてガラじゃないと思っていたけど、できるもんだわ。
で、効果の程はバッチリ。
生まれつきと言って良いほど長かった冷え性が治った。

夕飯は薪ストーブのオーブンで焼いたピザパイだったので、
プチ修行完了のお祝いも兼ねてワインでも飲もうと言うことにしたけど、
どうも嬉しくならない。
欲しくない。
だけどまあ、冷蔵庫に入ったままになったのがあるので片付けようということになって、
グラスについで一口飲んだら、やっぱり「もう結構です!」
美味しいと感じていた頃が信じられない。不思議。

思えば、小学生低学年の時から、酒好きの父に連れられて飲み屋に行っていた。
もちろん飲みはしなかったけど、気分はすでに飲兵衛だった。
会社勤めをしてる時は、毎日のように会社の入り口で、飲み仲間が待っていた。
結婚した相手(前夫)も飲む人だったので、毎日晩酌をしていた。
ひとりで昼食に飲むこともあった。
肝臓、膵臓をはじめ体中かなりいかれてた気がする。
もちろんストレスもあったけど、
そのストレスが原因で飲んでいたのだと思う。
あのままだったら、もうこの世にはいなかっただろうと思うとぞっとする。
健康になって分かった慢性不健康。
なくなってわかった慢性ストレス。

気功をし始めて段々お酒の量が減った。
止めようと思ったわけでなく、飲みたくなくなったのだ。
気功教室を始めて、生徒の女性の一人に、
「気功を始めたら運命が変わりますよね。」と言われたとき、
「え~~そこまですごいのかなあ。」と、笑ったけど、
思い返せば、私の運命も気功で変えられた?・・・かも。
だらだら不真面目にでも続けてきて良かったとしみじみ思う。

でも、そんなに甘くはない。
自分が勝手に決めたプチ修行は完了だけど、気功の修行は一生なのだ~。
(しかも毎日ね・・・もう無理!(笑))
体の健康から精神の健康へ、そして天人合一・・・
やれやれ、タオ(道)の流れに乗るのはいつのことやら。








欲張り

2007-12-17 20:32:48 | Weblog
とうちゃんは毎日一日中忙しくしている。
私はぼやっとしてる時間も含めて、やっぱり時間が足りない。
それから、あちこち散らかっていたり、お掃除も出来てない。
イライラして、なんでだろう?と思っていたけど、
そうなんだ。
プチだけど田舎の暮らしは、なんでも出来るので、
次々手を広げてしまうからだ。

畑だってしなくても、直売場に行けば安くて新鮮なものが置いてある。
それでも、もっと安全なものをなんて思うから自分で作って、
それが美味しいから、ますます止められなくて、
種類もどんどん増やす。
今では。80~90種類くらい。
堆肥も作る。

料理も畑に材料があると思うと、かなりのところまで手作りだ。
干したり、煮て冷凍したりして保存するのにも手間をかける。
味噌、コンニャク、餅、野草茶、等いろいろ作ってみる。
だって、場所もあし、材料もあるんだもの。

それから、気功にダンス。
不思議の系本を読むのも好きだし、
ぼやっとしたり、考え込む時間も必要。
睡眠時間もたくさん欲しい。

本当は、絵も描きたいし、機織もしたい。
洋裁も編物もし始めると止められないのだけど、
時間がない。

こんなだから、綺麗にお掃除をして・・・なんてことは無理よね。
それなのに、木がたくさんあって、まわりは土の生活をしていると、
普通以上に汚れる。

そうそう、薪ストーブもだ。
エアコンを入れて生活すればそれで足りるのに、
火のエネルギーが心地よくて、
わざわざ、木を集めて、薪を作って、時間をかける。
ストーブの回りは灰だの木屑だので汚れる。

庭だって、木を全部切ってしまって、
芝生か何かにすれば楽になるのに、
あの木もこの木も生かしたい。
木立の庭にしておきたいと思うから、忙しい。

そして、道具や本、資料が溜まって、
収納場所が間に合わなくなる。

何もかもが欲から始っているのだ。
欲張りをして時間が足りない、場所が足りないと、また欲を張る。

いい加減にせい!・・・「はい。」

でもね、本当は自分に必要なことはやっているんだよね。
だから、時間や場所が足りないって思わないで、
出来ないことを思わないで、欲張りさんを楽しもうと思う。
楽しんで、良い加減にしようっと。
(上手く表現できないけど。)