納屋の前でおっとっとと、地面の蝉をふんづけそうになった。
アブラゼミが死にかけているのだ。
ま、良くあることで、寿命がくれば仕方ない・・・ん?え
カマキリが蝉を掴んで食べている
顔の前側、目の下の方からボリボリやっている。
蝉はあきらめずにバタバタと羽を動かす。
すぐにとうちゃんを呼んできて、写真にとってもらった。
「相当怖いね」
「うん。でも、もっと怖いのをこの間畑で見たよ。カマキリが蛙を捕まえて食べていた。蛙の頭がなくて、でれ~んと伸びきっているのは恐かったなあ」
「カマキリは残忍だね」
「でも、カマキリも蜂に襲われているのを見たことがあるし・・・」
「脱皮中に蟻にやられたのもいたね」
「ライオンだってシマウマに蹴り殺されることがあるらしいから、悠々と狩をしているわけでもなさそうだよ」
「常に恐怖と隣り合わせの世界か」
「恐怖という意識がどこまであるのかどうか」
「そうだね、カマキリを見て残忍だと思うのは、私たち人間の判断で、勝手に解釈しているだけよね。右脳だけの世界だとニルバーナのようだし・・・」
私たちに気付いてカマキリはアブラゼミを引っ張って草の陰に行った。
そして、ボリボリを続けていた。
2時間ほどして、見てみるとカマキリはいなくて、
顔の一部をかじられた蝉に蟻が集まっていた。
寿命間近だった蝉が地面に落ちたのをカマキリが捕まえて食べ、
(または元気なのを木の枝で捕まえて、一緒に地面に落ちたのかもしれないが)
その食べ残しを蟻が食べ、そのまた食べ残しは微生物が始末するのだろう。
庭にこんなにたくさん蝉が鳴いているのに、見かける死骸の数は少ない。
命の循環は美しい。
残忍と見えるのは、人間の残忍さを投影してみているってことなのだろう。
ところで・・・と、ふと思った。
ヒトはその命の循環に従っているだろうか。
個の意識を持ち、死を考えられるヒトは果たして虫より幸せなのだろうか。