躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

ごろすけ ほっほ~

2009-01-30 21:11:27 | Weblog
毎日いろいろ出来事はあるのだけれど、なんだか書けないのよね。
あっという間に1日が過ぎて、練功するのを忘れないようにするのが精一杯で、
すぐに寝る時間になっている。
ほんと、ちょっとぼんやりしたかなと思うと1時間たっているんだもの。
頭がオカシくなったのかな?(もともとと言われればそうなんだけど)なんて、
心配になるけど、トシをとるのってこういうことなのかも。
まあ、いいか。

そうそう、3,4日前だったかなあ。
夜中にフクロウが庭に来て鳴いた。
小学生の頃習った歌のとおり、
”ごろすけ ほっほ~”と、何度か繰り返し鳴いた。
たまに声は聞くけど、庭に来たのは初めて。
夜の鳥は存在感が違う。

もりのふくろうがいいました
私はもりのみはりやく
こりすも小鹿もかあさんに、
抱かれて夢見てねんねしな、
ごろすけほっほ~ 
ごろすけほっほ~
だったと思う。

でもさ、ふくろうは肉食だから、
ふくろうが飛び去る時に、小さく「ちちち」と小鳥声が聞こえたのは、
餌用に連れ去られたの?
子供のころは毎日のように、近くの神社の森に住むフクロウの声を聞きながら寝ていたけど、
けっこう怖かった。
ほっほ~ ほっほ~



旧正月

2009-01-26 19:19:37 | Weblog
今日は旧元日。
庭の梅が咲いています。
今年は遅めの和水仙も咲きました。

旧歴で正月を祝うマレーシアから、
今日丁度ぴったりでお年賀状が届きました。
春から縁起がいい~。

それから、旧暦のお正月休みを利用して、
中国に長期出張中の息子夫婦が一時帰国です。

世界には、グレゴリ―歴以外での元日のお祝いが結構多いのかも。
今日は少しお正月気分です。

今年二度目の
明けまして おめでとうございます。

夕方、短い縦の虹を見ました。
天からのお祝い?

テレマカシ!

2009-01-24 16:01:14 | Weblog
インドネシア3島をつまみ食い観光だったけど、
今まで行った国々の中で一番好きかも。
インドは2番目ね。
(こんなおばさんに言われたくないか(笑))
インドは「すごい!」で、インドネシアは「美しい!」
インドは「融合」で、インドネシアは「共存」の印象。

イスラム教徒が大多数だけど、他の宗教も認めている。
認められないのは「無宗教」(ギクッ)
近年出来た制度で国民全員が身分証明書を持っているという。
これに宗教の欄があり、何の宗教でも良いから必ず書かなくてはならないのだそうだ。
じゃあ、「アミニズム」の人たちは?とバリ島のガイドさんに聞くと、
「ヒンズー教」になりますとのこと。
ヒンズー教といってもインドとは違ったヒンズー教になっているからか。

3島どこも良かったけど、ジャワ島のジョグジャカルタ周辺観光をしている時の空気が一番心地良かった。
ボルブドールでもなく、ボボロドールでもなく、ボロブドール・・・あれ?
ボ ロ ブ ドゥ ― ル の仏教遺跡は美しかった。
前に立って見上げた時は自分が溶けてしまいそうだった。
上まで登ってまわりの森を眺めた時の清清しさも忘れられない。

それよりもっと美しいと思ったのは、プランパナン遺跡群のサリー寺院。
観光シーズンの夜にはライトアップした美しいサリー寺院を背景に、あの美しいラーマヤ―ナバレーが催されるそうだ。
どんなに素敵なことだろうか。
冥土の土産に一度は見に行こう。
(それと、やっぱりエステも(笑))

忙し好きのツアーはディエン高原まで観光に行った。
でも、これは行く価値ありだった。
2000メートル以上の山の上までびっしりと段々畑が続く景観はすごかった。
きっとアンデネスよりも雄大だと思う。
それから、ヒンズー教最古の寺院があった聖地や、
移動する噴火口(これは日本でも見られる。温泉卵は?とみんなで笑った)、
スカルノ大統領をはじめ、歴代大統領が洞窟に篭もって瞑想した島がある、これまた美しい湖もあった。
瞑想しないと国民の信頼を得られないそうだ。

麻生さん、あなたも瞑想して下さい!
あ、読み方は「めいそう」です。(笑)

インドネシアで何よりも良かったのは人々。
雰囲気の柔らかさ。
素直な目。
自然体。
生活はそれほど豊かではなくても心豊かにくらしているのだろう。

インドネシアの人は民族の言葉(たくさんの民族があって、それぞれ言葉が違う)と、
共通語であるインドネシア語を話すのだそうだ。
ジョグジャカルタでお世話になったガイドさんは、西ジャワの人で、
ジョグジャカルタに住んでいてもジョグジャカルタの言葉は全くしゃべれない。
「でも、インドネシア語で話すから困ることはありません」
英語はどのくらいしゃべれるのか知らないけれど、日本語は上手だった。
ということは、少なくとも3つ以上の言語を使えるということだ。

学生の英語教育に力を入れているのか、何度も「Can you speek Inglish?」と、
子供達に声をかけられた。
最初のうちは、日本のおばさんと話たいのねなんて思って、片言英語でも頑張って話して「上げてる」つもりでいたけど、どうもそうじゃなかったらしい。

遺跡見学の時、とうちゃんがツアーのみんなから少し後れて写真を撮っていると、先生に引率されて来ている学生の一団に出会った。
とうちゃんが英語が話せると分かったら、先生が「さあ、みなさん練習しましょう。この人と話しましょう!」てことで、とうちゃんは学生達に英会話ぜめ。
そのうち、一緒に写真を撮って欲しいと1人が言い出すと、次々と記念写真ぜめ。
身動きできなくなるほどの人気者になったらしい。

たぶんこの子達は普通に少なくても3言語はしゃべるだろう。
あちこちで日本語をしゃべる人たちにも出会った。
文明国、先進国はどっちなんだろうと、日本語もアヤシイおばさんはいじけながら思ったのでした。

でも、おばさんだってあちこちで大勢の人と身振りや片言で話したも~ん。
握手もしたし、
要は心です・・・なんちゃって・・・
しつっこくまとわりつく土産物売りの20歳くらいの女の子に、大人気(こちらはオトナゲ)なく、それも神聖な仏教遺跡で大ギレしたのはだれ?
あ!・・・でも、その後仲直りして、ツアーの人達にお土産を売るのに貢献しました~。

帰りの空港での話。
待合席で隣になった布を被ったムスリムの少女6,7人に、この私が英語で話し掛けてみた。
「Can you speek Inglish?」(笑)
この子達は英語が話せなかった。
それに、なんとなく今まで会った子たちと違う。
暗い雰囲気だ。
話かけるのを止めた。
少女達同士も黙り込んでおしゃべりをしない。
しばらくすると、いかにもブローカーといったもろ怪しい顔のおじさんがやってきて、
何やら指示をしていたかと思ったら、少女達を連れて搭乗口へと消えた。
ご主人のお仕事で中東に住んだことのある女性がツアーの中にいらした。
「あの子達アラブに行って働かされるのよ」
ムスリムの格好で働ける国ってことか。
「アラブはイスラム教だから売春はさせられないと思うよ。それは大丈夫だろうけど、アラブでメイドはキツイのよ。こき使われて本当に大変なの。可哀想に。田舎から出てきて、たったあれだけの小さな荷物で働きに行くのね」
だから暗かった・・・不安で緊張していたのだろう。

成田空港に着いたら同じ飛行機に乗っていた15,6歳かと思われるインドネシアの少年の団体の中に、
ひとりだけあどけない顔の少女がいた。
片言の日本語で、「研修です」
「何の研修?」
「農業。○○農園です」
楽しそうに答えた。
「寒いけど頑張ってね」
「頑張ります!」
日本でたくさんの良い思い出が出来ますように。

ところで、大好きになったインドネシアから帰って来たら、
和食のことだけでなく、
なぜかもっと日本が大好きになっていた。
インドネシアから人たちから、言葉にはできないたくさんのものも受け取ったようです。

心からテレマカシ!(ありがとう)

ごめんなさい

2009-01-23 18:03:54 | Weblog
・今日の昼食メニュー・
根菜煮物(いか、大根、里芋、レンコン、コンニャク)
ヒジキと揚げの煮物
キャベツとヤーコンのサラダ
ワカサギのから揚げ     
以上
美味しい~!!過ぎる~。
私のセレベス(里芋)最高!!
日本大好き!!和食万歳!!(笑)

トラジャで激撮したお墓の写真には、
たくさんの棺おけや骨以外の妖しいものは何一つ写っていなかった。
とうちゃんの写真も同じ。
ただよく見ていると、撮った時には気付かなかったけれど、
銃弾が貫通しているような丸い穴が開いた頭蓋骨の写真があった。

ツアーには、バリ、スラウェシ、ジャワの3島、それぞれ日本語を話す地元のガイドさんがついた。
3人ともとても良い人達だった。
そのうちの二人が、移動中のバスの中で地元の説明に交えて何気なく、インドネシアが日本に支配されたことを口にした。
そう言われればそうだったのだ。
日本軍は赤道を越えてはるばるこんなところまでやって来たのだ。
恥ずかしいことに、第二次世界大戦前後のインドネシアと日本の関係について良く知らない。

「終ったことを言うよりこれからが大事だと、私たち若者は思っています。日本人を恨んではいません」
誰もそんな話を持ちかけていないのに言い出したということは、恨みが残っているってことだろう。

(もうひとりのガイドさん)「私の村では70%の人が日本人OKね。30%はだめね」
日本人相手のガイドをしていることを村の人たちに対して気を使っていることだろう。

「でも、オランダのあと日本が占領した時、日本軍はインドネシア人を軍隊に入れました。そして銃の使い方を知りました。それまでオランダは支配するだけでした。戦いの方法を知ったことでインドネシア人は勇気を持つことが出来たのです。それは良かったことです」
(オランダ人が銃で攻めて来たとき、インドネシアに人たちは竹槍で戦ったのだ)

この程度で、それぞれ話しは簡単に終ったが、
何も考えず呑気にやって来て、高級ホテルでエステでもなんて考えていた日本人(私)は、申し訳なさに涙が出そうだった。
ガイドさん達のおじいちゃんやおとうさん、親戚の人達の中には、きっと日本軍に酷い目にあった人がたくさんいたことだろう。
どんなことがあったのか聞きたいと思ったけれど、ツアーの他の人たちの観光気分を壊すのもどうかと思い躊躇してしまった。
そのあと、ほんの僅かな時間だったけど、他の人達と離れガイドさんとふたりだけの機会があったので、知らなかったことを詫びた。
「あなたのおじいちゃんやおとうさんに、ごめんなさいと伝えてください。知るようにします」
「ありがとうございます」と、若いガイドさんは微笑んだ。

スラウェシ島にも日本人戦没者の慰霊碑があって、日本人の団体が慰霊に来た時にガイドをしたことがあると言っていたガイドさんは、その時どういう気持だったのだろうか。

それから、こんなに遠い南の島に送り出され戦死した大勢の日本兵のことも、
観光バスに揺られながら思った。



ス ラ ウェ シ 島

2009-01-22 19:19:54 | Weblog
アルファベットじゃなくてもカタカナで書かれていても混乱してしまう私の脳は、きっと左脳の重さが相当足りないのだと思う。
私のせいではない!(笑)
「スラウェシ」島が覚えられないのだ。
多分何回も間違って書き込んだことだろうけど、見直さないことにする。(笑)
元はセレベス島と言われていたとガイドさんから聞いたので、
セレベス島と覚えてしまったからよけいだ。
セレベス島・・・サトイモのセレベスの故郷?

そんなことはともかく、バリ島はバリヒンズーの文化や宗教や暮らしはとても興味深かったけど、さわりだけだったし、あちこち見てまわった観光地は大したことはなかった。
ホテルではエステも出来なかったし(笑)寝るだけだったし・・・まあ綺麗な庭園を眺めていてもすぐに飽きるだろうし、リゾート地にならない時はどんなに素敵な森だったのだろうかと想像して悲しくなったりするだけだ。
でも、人は好きだ。
村の人達が行く寺院のお祭りの儀式や踊りをじっくり見に、いつか改めて行きたいと思う。

ということで、バリはとばして、ス ラ ウェ シ島(覚えた!・・・たぶん)
前回書いたお墓があるタナ・トラジャはスラウェシ島にあって、
スラウェシ島の南の玄関口、マカッサル空港から(休憩も含め)8時間もバスに揺られて行った。
舗装はしてあるけれどもガタガタ道で30人乗り観光バスは乗り心地は良くない。
山を越えて山の中へと走った。

タナ・トラジャでは舟の形をした屋根をもつ伝統的な家(トンコナン)だ。
保存用の家の屋根は竹を割ったものを重ねて葺いていたけど、
あちこちで見かける現代のトンコナンの屋根は竹の代わりにトタンになっていたが、
それでも貫禄充分だ。
住居用と倉庫用のトンコナンが向かい合わせにずらっと並んで建っている様子は圧巻だった。

住居用には家族と親戚以外のものは入れないのだそうだ。
それでも、観光用に保存されているトコナン(持ち主が使っていたり、あるいは側の普通の形の家に住んでいるたりする)の中には客に特別見せてくれる家もいくつかあった。
2階建てで2階に行くのは外階段を上った。
倉庫用のトコナンは高床式で、2階の高さの倉庫にはお米が籾のまま保管されていた。
ここには太い竹をかけて上って行く。
1本の竹に間隔をおいて穴をあけたものがハシゴがわりなのだ。
穴に爪先を引っ掛けて上る。
意外に上りやすい。
親戚縁者以外の来客は倉庫用のトコナンの床下で過ごすのだそうだ。
床下といっても立てるほど高い。

住居用トコナンの外側に建つ柱には、お葬式で殺されたのであろう水牛の角がたくさん飾られていた。
水牛は労働させずに葬式用として大事に育てるのだそうだ。
ピンクと黒のぶちの水牛が一番高価なのだとかで、
1頭見る機会があったが、それはそれはきれいに手入れされていた。

お葬式には興味があるけど、何十頭もの牛が殺されるシーンなんて見たくない。
お墓の頭蓋骨や骨も少し見れば充分だ。
大抵の日本人は嫌がるので、日本人観光客はとても少ないそうだ。
ところがヨーロッパ人にはとても人気がある観光地だという。
現地ガイドさん「バリ島よりも人気があるよ」(ほんまかいな)
「ヨーロッパ人は牛が殺されるところや、人骨が大好きなのです」(ほんまかいな・・・そうかも)
「田んぼがある風景も珍しくて良いみたいです」(これは納得)
とにかく、はるばる悪路を8時間もかけてやって来た寒村だと想像していたタナ・トラジャは、ヨーロッパ人に人気の山の街だった。
泊まった郊外のホテルはひろ~い敷地のリゾートホテル。(またか)
しかし、ちょっと街を出ると、山村がのどか~。
朝はあちこちから聞こえる鶏の鳴き声で目が覚めた。
棚田が美しかった。
何日かけてゆっりトレッキングでもして村々を歩いてみたかった。

タナ・トラジャはトラジャコーヒー豆の産地でもある。
キーコーヒーの事務所で炒ったコーヒー豆を買った。
225グラムが日本円にして200円くらい。
それでも地元人には高価なのでトウモロコシの粉を混ぜて飲むのが普通のようだ。
そのあとで山の喫茶店にて地元のコーヒーを飲んだ。
カップの底にトウモロコシの粉がどろりと残った。

ついでに。
空港があるマカッサルの周辺ではエビの養殖が盛んだ。
それはほとんどが日本に輸出される。
地元の人にとってはとても高い値段なのだそうだ。
それで日本に輸出される時に取り除かれたエビの頭を買うのだとガイドさんが話してくれた。
「美味しいスープになるよ」
チクン胸と痛んだ。

話を戻して・・・
ヨーロッパ人は長期滞在が普通なのに超忙しい日本人。
1日観光しただけで次の日はまた8時間のバスに揺られてマカッサル空港へ・・・疲れる~。

トラウェシ島にはたくさんの民族が住んでいて、
それぞれ言葉も文化も全く違うのだという。
トラジャ州では舟の屋根の家で、帰り道トラジャ州を出ると途端に例の高床式の弥生時代?みたいな民家になる。
日本の神社で見かける素朴な社によく似た家だ。

国道沿いに並んで建っている1軒のお宅を訪問させてもらった。
高い床の下にはアヒルなど家畜がいて、地面は湿地だった。
外階段を上がって屋内へ入った。
「危ない!みんなが一度に入ると床が抜けそう」と、誰かの声。
でもみんなで入った。(笑)
床がきしんだ。
薄い床板と床板の間には細い隙間があった。
その方が涼しいからだろう
8畳くらいのスペース2つが目隠しのように壁で仕切られていてドアはない。
窓際に低いベッドが置かれてあった。
その続きには3畳程度のスペースがあってこちらは壁もドアもなかった。
その床の一部は床板の隙間が他より広めに開いていた。
なんとそれが用を足す場所なのだとか。
つまりトイレ。
床板の隙間からおしっこを下に落としたあと、桶にはいっている水を汚れた床にかけるのだそうだ。
大便の時は外に行って青空トイレ。
家の中は粗末ながらもきちんとお掃除されていた。
「あまりお金持ちのうちではありません」と、ガイドさん。
その辺ではよくある普通の家だったと思う。

ちなみに、国道が広げられる工事があちこちで見られたのだけど、
沿道の高床式の家を後に下げなければならない。
この高床式の家を移動するのは簡単で、
「大勢の人でヨイショと持ち上げて動かすのです」

家から出ると、あちらこちらから「うちにも寄って行け」コールだったけど、
ありがとうございます、でもごめんね、忙しいのよねツアーは。
しかし、色々と効率よく見られるのはツアーの良さだなのだけど・・・。








インドネシアで

2009-01-21 22:40:47 | Weblog
バリに着いた夜のホテルでは、スコールを見ながら雨季のインドネシアに来てしまったことに心の方も暗雲が立ち込めた。
だけどこの時期は各種トロピカルフルーツがいっぱいで、
マンゴスチンは今の時期しか食べられないのよと、ツアーベテランの人が教えてくれた。
そうか私は晴れ女だったはずと気を取り直して、「スコールなんか蹴散らすわ!」
晴れ女が他にもいたらしく、みごと屋外でスコールに会うことなく観光ができた。
雨具はほとんど必要なかったし、
むしろたまに青空から日が射すと滅茶苦茶痛い(暑い)ので、
観光地巡りには雲がある雨季が良かったのかもというハッピーエンドでした。

バリ島で3泊したけど砂浜に出たのは、着いた夜、夕飯が終わって5分だけ。
リゾートしてる間なんてない。
ツアーは忙しいのだ。(笑)

まずはバリ島で見た悪魔を祓う神聖な儀礼として始ったというバロンダンスに驚いた。
私の故郷の小さな村で毎年行われる祭りの獅子舞にそっくりなのだ。
獅子もそうだけど、道化役の猿が獅子の毛づくろいをしてノミをとる仕草、猟師が現れるとか、男根で使った下ネタで笑いをとる出し物まで同じなのだ。
ずっと気になっていたルーツに出会った気がした。
それからトラジャやジョグジャカルタでは和太鼓そのものといえる太鼓を見た。
スラウエッシ島の高床式の家は神社でみかける小さなお社のようだった。
ここがルーツなのかルーツが同じなのか。
遠く離れた南の島からはるばる海を渡って日本に来たご先祖さまを想像した。

ぷち楽しみにしていたのが、男性の集団が「チャ」の声のリズムだけで踊るケチャダンス。
でも見たのが観光用のせいかイマイチ真剣さがなかった気がしたが、それでも何か独特の雰囲気。
そのあとに、シャーマン(?)のお祈りで神がかりになった男性が、
目をらんらんと輝かし嬉しそうに笑いながら、
何度も燃える火の中に座り込んだり、火を食べたりするのを見たときはショックだった。
火傷をするのではないかという恐さもあったけど、そのいっちゃている目つきにゾッとした。
私にはシャーマン系は無理宣言しま~す。(笑)
見ていられなかった。
シャーマン(?)が、聖水を振り掛けると男性は正気に戻って、
火の粉が服に着いていないか初めて気にしているようだったが、少しも焦げた様子がなかった。
火を食べた口も大丈夫らしかった。

バリ・ヒンズーの世界は悪魔と神を共存させ認めるらしい。
悪魔には静かにしていてくれるようにと祀り、お供え物をする。
人の心の中の悪と善も同じように考えているのだと現地ガイドさんの話だった。
寺院、お寺だらけのバリだった。
家の敷地内にも祠やお寺がいくつもあるのだ。
それを祀るのことが生活のようだった。

ジョグジャカルタ(ジャワ島)で見たヒンズー伝統舞踊はこの上なく美しかった。
特に女性の踊りは天女を思わせる美しさ。
この世の美しさとは思えないほどで、見惚れた。

ラーマヤ―ナ・バレーの舞台も素晴らしかった。
始る前には僧のお祈りがあった。
踊りは奉納なのだ。
特別の空気なった。
神がかりで踊ることが普通なのかしら。
こちらは美しい優しい精霊が憑いているように思えた。

それから、ワヤンの人形劇(影絵)も見た。
ここでも独特の雰囲気を感じたと思ったら、あとでガイドさんの説明では、
「精霊達も見に来ているのです。それで昔は劇を見た後具合が悪くなったり、病気になる人もいたのです。観客に精霊が憑いていくことがあるのです」
シーズンオフで観客はわずかなのに、あの濃厚な雰囲気はそういうことだったのか・・・本当に「昔は」だけなの?・・・コワ。
だけど、この素晴らしい芸術はもっとゆっくり見たかった・・・なんせツアーなもので。
インドの『ラーマ・ヤナ』の劇で毎晩やって5晩かかるとか。
精神的、哲学的なことも含む劇だ。

あっちの世界の話のついでに、
インドネシアではシャーマンがお医者さん代わりをすることが普通らしい。
医療費が高額なのでお祓いなどで直して貰うらしい。
その他、願い事をする時もシャーマンのところに行くとか。
例えば、好きになった人の気持を自分に向かせるとかも。
シャーマン大活躍ってところか。
理知的な感じのガイドさんも行ったことがあると言っていた。

タナ・トラジャ(スラウェッシュ島)では、死んだ人があっちの世界に行くための儀式がすごい。
お葬式の時、水牛をたくさん殺すことで天国に行くらしい。
盛大なお葬式ができるように、それを目的にしたこの一生なのだそうだ。
この世よりあっちの世界の方がはるかに長いからとか。
亡くなっても水牛の用意ができるまでは、死体は薬草で臭いをおさえ、布で巻いて家の中で家族と暮らす。
ミイラ作りのように内臓を抜くこともしない。
腐るに任せる。
葬式が終るまでは死人ではなく病人としてみているとか。
蛆が出たら毎日家族がとりながら暮らす。
半年とか1年でも水牛の用意ができるまで。

殺す水牛の数は多いほうが良いらしく何十頭とか百頭を超えることもあるらしい。
運良く(?)葬儀には遭遇しなかったけど、
お墓を見に行った。
村によって違っているらしく、断崖の岩を掘ってお墓にしているものや、
鍾乳洞を利用したものなどを見た。
岩を掘ったお墓には布に包んだそのままで入れて蓋をする。
一所帯一つのお墓に死んだら次々入れる。
そしてその岩を掘った穴のお墓の横には、故人に似せた人形が並べてあった。
身分の高い人ほどお墓が崖の上の方に掘ってあり、
低い人は下の方・・・足元を見ると人骨があるある。

それが心の準備となり(笑)今度は自然の洞窟を利用したお墓にいくつか見に行った。
こちらは布で巻いた死体を棺おけに入れて洞窟内に置いている。
洞窟の外に高く吊るしてある棺おけもあった。
洞窟内にはまるで放り込んだように乱雑に棺おけが積み重ねられていた。
壊れた棺おけからは頭蓋骨や骨が見えている。
下層階級は棺おけもないらしく、やはり足元に頭蓋骨も骨もあるわあるわ。
「これでも大分綺麗になったのです。5年前に来た時には骨の山で、怖くて歩けませんでした」とガイドさん。
「足元の土を掘れば骨が積み重なっているはずです」
でも不思議と怖さはあまり感じなくて、死は清々するものなのかもと思った。
大勢(ツアー13名)で見たからなんだろうけど。
因みに水牛の数が足りない人は天国に行けずにさ迷っているのだそうだ。
なぜか写真をとりまくったけど、思い出して現像が出来てくるのが怖くなっている。(笑)



やれやれ

2009-01-20 20:36:55 | Weblog
インドネシアに10日間(滞在は正味8日間)のツアーに行って、
昨日帰って来たところ。
ふっくらコシヒカリを食べてしあわせ~。
焼き芋を食べながらしあわせ~。
野菜鍋をつっついてしあわせ~。

インドネシアの料理は美味しかった。
一流ホテルのコース料理も食べた。
でも、どうも食事に対する柔軟性に乏しくなってきたらしいワタシ。
自分の畑の野菜に自分の味付け料理がだんだん恋しくなって、
後半は「早くおうちに帰りたい病」になってしまった。
こんなのじゃあもう旅行はいいかなとも思う。
自家菜園、手料理で墓穴を掘った気もするけど・・・ま、いいか。
単におトシなのかもしれません。

そのおトシを常々感じているとうちゃんは、死ぬ時に後悔しないように行けるときに行っておきたいと、急に旅行を思いつく。
いきなりキュ―バに行こうと言い出した時には、
「なんでまたキューバなのよ~。」
「社会主義国で福祉が充実していて、貧しくてもとても幸せそうな国だから。それに音楽好きの国民だから踊れるよ。」
キューバの本を読んだらしい。
「そんなぐらいでキュ―バなんかに行こうなんて変人はそうそうはいないと思うよ。ツアーが催行されるかどうかだって怪しいよ。」
しかし、満席だった。(笑)

なんと今回のツアーの中に1ヶ月前にキューバに行ってきたばかりという方がいらして、お話を聞くことができた。
確かに人々がとても幸せに暮らしているらしい。
成功した社会主義国で、病気になっても老人になっても国が面倒見てくれる。
教育費も無料だし、最低限の生活は保障されているのだから先の心配が一切ない。
観光的にはあまりたいしたものはなかったけど、人々の雰囲気がなんとも良くて居るだけで幸せになったそうだ。
子供の目が本当に綺麗でおっとりしていて、インドネシアの子よりも可愛いかったと話して下さった。
インドネシアの子だって相当可愛い~。私達が今まで行った国の中では一番だと思った。
日本ではもうほとんど見られなくなったような子供らしい目をしている少年少女達。
連れて帰りたいくらいだったのだけど、これよりってどんなのだろうと思った。
「是非行ってみた方がいいですよ」

とにかくそのキューバがだめだからって、とうちゃんはその電話で、インドネシアの3島(バリ島、スラウェッシュ島、ジャワ島)を巡るツアーに申し込んだ。
以前からボルブドール遺跡が気になってたらしい。
それにしても、なんでキューバからそこに跳ぶの?・・・ま、いいけどさ。
バリ島も入っているから、私としては神様は仏様もうたくさんなんだけどな~。
でも、スラウェッシュ島タナ・トラジャの船の形をした屋根の家は見たいかな~。
岩壁に掘ったお墓の横に並ぶ死者に似せたお人形もかな~。
お付き合しましょだった。

で、とってもドジな話なんだけど、
今はインドネシアの雨季だということを申し込んだあとで知った。
バリ島に着くと「これから台風が来るのですか?」と、冗談だけどガイドさんに聞いてしまうような状態。
毎日曇りとスコールなんだそうで、1月にほとんど一年分の雨が降ると言っていい程なんだそうだ。
さっそく夜にはそれはそれはものすごい土砂降りが続いて・・・
やれやれ。
ホテルはガラガラ。
ま、それでランクアップしてホテルが取れているのかもしれなかったけど、
忙しいツアーじゃ寝るだけみたいなもので、
せめて一生に一度くらいバリの一流ホテルで優雅にエステ体験をと思っていたのに、そんな時間はとてもなかった。
やれやれⅡ。


踊りのグル

2009-01-09 13:29:22 | Weblog
ハッピーダンスに毎回参加されているお年寄りのご夫婦。
おばあちゃま(70代?)があまりにもムードいっぱいで酔いしれて踊られる。
自然体の踊りが元プロだったとしか思えないオーラが出てる。
それにdarling kiss me~・・・なんて歌が流れると座り込んでいたおじいちゃんも立ち上がり一緒に踊りだされて、なんとも可愛くて素敵すぎるご夫婦だ。
終了後に思い切ってお聞きしたら、
社交ダンスをしたことはあるけど、あとはなんと自己流なのだそうだ。
「子供の時ダンスをやりたかったのに親にやらせてもらえなくて・・・。
こうして自由に踊ることが出来て本当に幸せなのです。
体の中から湧き上がって来るのですよ。
開放されて世界が広がって行くようです。」
解かりすぎている。
そして、「病気をしていたのですけど、これに参加して私たち夫婦は救われました。
ありがとうございます。」と、おっしゃって下さった。
気功もそうだけど、自分の好きなことをしていて感謝された時は涙が出るほど嬉しい。
「こちらこそ、素敵な人生の先輩にお会いして、夢を持つことが出来ます。
ありがとうございます。」と、お返事したけど、
彼女は私の踊りのグルかもしれない。
踊りの「場」を高めてもらえてこちらこそ感謝。

1月1日

2009-01-01 22:11:24 | Weblog
昨夜夜更かしをしたのに今朝は6時過ぎに目が覚めた。
昨日が今日になっただけなんだけど、「海で初日の出見たい」モードになった。
とうちゃんに声をかけると、「眠い」
わざわざ寒い海に行かなくても、
ぬくぬくお布団の中から正面に初日の出が見えるんだけど、
どうしようかなと迷ったのが災いして、
決心してひとりで仕度をして車を出した頃には光線が見え始めていた。

大変!80キロを出して海に向かって暴走だ~。(房総だけに・・・さむ)
これ今までの新記録。
そして初めての追い越しをした。
(そんな失礼なことはしたことがなかった)
おまけに初めて意図的に(笑)信号無視。
なんであれ元旦に「新記録」「初めて」は気分が良いものだ。(笑)
あ、昨日が今日になっただけだけど・・・

そんなご機嫌の私を更に追い抜いて爆走した車は多摩ナンバー。
100キロは出てる。
私の軽自動車ではかないません。
彼(多分)も日の出を見に行くのだろうけど、お互いもう遅かったね。
目の前にお日様。

海に着いたら、見終わって帰って行く人でごった返していた。
いつもは人気のない海岸なのに元旦には何百人も出るのだ。
(日が出た瞬間に「わ~!」の歓声が揃い見知らぬ人々でも共感が響き合うのがなんとも心地よかった・・・あれからもう5年も来ていない。)
みんなニコニコ良い顔をしていた。
日の出には間に合わなかったけど、海もそれを照らす太陽も綺麗でした。
海岸線もずっと先まではっきり見えて、元旦らしい清らかさ。
昨日が今日になったわけではなさそうかも。
気持ちの良さに砂浜でプチ初気功をしてして帰って来ました。

新年明けましておめでとうございます。