躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

想いの変化

2017-11-19 19:39:37 | Weblog
母が春から入っている老人施設の4階フロアーは8部屋。
基本的な自分の身の回りのことはできるけれど、
一人暮らしが不安な人たちが入っている自立型です。
なので、個人的に外部からヘルパーさんにたまに来てもらうのと、
食堂に全員の食事をまとめて運んでくれる係の人が来るぐらいで、
あとは8人の老人たちだけで暮らしているのですが、

やはり老人たちだけの会話となると、
どんどんネガティブになっていくようです。
仕方ない状況とはいえ住み慣れた家から出た寂しさ、
身体の衰えと死への不安が家族への不満となり、
ついに、「姥捨て山に捨てられたようなものだ」と皆で話すのだと、
母が嫌味ったらしく電話で言うようになったのです。

そのうち、
「でもね、子供がいないAさんが一番可哀想なのよ。連休になっても会いに来てくれる子がいないのだからね」
自分たちより可哀想なAさんがいることで、少しは救われた気がしているみたいでした。
Aさんのいない時にはそれが話題になっていたのだと思います。
やれやれと思ったけれど、老人ばかりじゃ暗くなっても仕方ないし、気持ちもわかるなと思い、
聞き流してはいたけど、気が滅入ってました。

ところが、先日の母の電話。
「この間からね、Aさんがね、『結構なことよ』と言うようになってね、だんだんみんなが『結構なことよ』と言うようになったんよ!
施設に入りたくても入れない人もいるし、子供がいても親の年金をあてにして自立しない子供がいる人もいるのよね。
そんなことを思うとねえ、子供のことになんの心配もないし、何もしなくてもご飯は食べられるし、暑くもなく寒くもなく、私ら本当に結構なことよと話しているんよ」

すごいな、Aさん!!

ひとりの想いの変化(ある種小さな悟り)が周りに及ぼす影響の大きさを思いました。