躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

しばらく・・・

2007-09-19 20:57:20 | Weblog
写真は、まだ稲があった頃。
ミステリーサークルではなくて、ただ倒れているだけです。
田んぼの向こうに見えるのは共同墓地です。
太陽がいっぱいのお墓って明るくていいなあと思うのです。

豪雨で水に浸かった田んぼの写真が朝刊に出ていて、胸が痛かった。
特に、天日干しをしている稲が被害にあったのは、涙が出る。
半年の重労働が無になる。
それから収入面のことも。
たとえば、会社勤めの人が1ヶ月働いて、給料がもらえなかったらどうだろう?
半年、1年分保証されていなかったら・・・
農家の人はそのリスクを背負いながら働いて、食料を供給してくれていることを、
時々は思い出して欲しい。

明後日から、今月いっぱい留守です。
実家の母の様子を見に行って、
そのあと、とうちゃんととうちゃんの実家で合流して・・・・
ク・サ・カ・リ
どこでもいつでも草刈おばさんです。(笑)
それでは、しばらくさようなら。


長老と若者 下

2007-09-18 22:19:39 | Weblog
「若者」今年生まれたのかな?
(写真:とうちゃん)
長老の写真はこの前に


先日のこと、ウッドデッキで友人二人ととうちゃんと私でお茶をしていた。
突然、ボトッ!と私の足元近くで音がした。
それはまるで熟した柿が落ちて来たかのような音で、
見てみると、カエルの長老でした。

デッキの側に生えたケヤキの枝からジャンプしたらしい。
少し堪えたらしくて、着地したままじっとしている。
こんな高いところからじゃなあと、頭の上のケヤキの枝を見ると、
アオダイショウの若者が!
長老のジャンプの原因はこれだ。
「まだまだ経験不足な奴じゃなあ。ふっふっ。」と長老は言っているような・・・

さて、人間の方はというと、悲鳴を上げて逃げる娘さん、
嬉しそうに携帯で写真をとるマダムとカメラをとりに走るおじさん、
そして、見たい怖いのおばさんで大騒ぎでした。



9月17日

2007-09-17 21:04:38 | Weblog
完熟したニガ瓜(ゴーヤ)の種です。
写真;とうちゃん

気功教室(同好会)は休日だというのに大入りでした。
感謝。
最近入った方から、「先生はタントウ功の時には、無我の境地なんでしょうね。」
「先生」じゃなくて名前を呼んでくれるように言ってあるのに~。
せめて「先輩」にして下さい!
それはともかく、無我の境地なんてトンデモございません。
雑念が出てくる出てくる。時たまキレイなることもあるかなあというところ。
本物の先生(ウ先生)によると、雑念が湧いていても、それなりに入静が深まっていくものなんだそうですよ。
なんて、難し気なこと話して、
帰りに受付で、ハッピーダンスの会場予約なんかしたりして・・・・10月5日(金)9時~1時です。
若い受付の人に、気功とダンス?・・・あんたら夫婦は一体何なの?って顔されました~。
先に生まれた先輩ですが。(笑)





夏の余韻

2007-09-10 23:12:53 | Weblog
相も変わらず草刈をしています。
少し涼しくなると、草は、また元気良く伸びるのです。
先日、とうちゃんの係りのスイカが終ったところの草刈をしにいったら、
草の中からスイカがゴロゴロ6個も出てきた。
腐り始めている。
ありゃりゃ、探し物の下手なとうちゃんに、草の中のスイカとりを任せっきりなのが良くなかったわい。
「座ってスイカの目線になって見なきゃね。」なんて、なんでも見つけ上手な私のお説教。(笑)

なんとか2個はまだ健在だった。
何日か前に、「これで最後だね。」と言いながら食べた後だったので、
得したような気分で、再び最後のスイカを味わったつもりだった。

ところが、今日も別の畑で草刈をしていて、3個みっけ!
2個は土に返ろうとしていた。
1個はぎりぎりセーフ。

ぷっ!と口から種を庭に飛ばして、ついでに皮も草の中に放り投げる。
今年は、大きめの小玉スイカを2人で20個以上食べたそうだ。
1度に熟れて、半ば強制的に食べさせられているような日も。(笑)
猛暑の日々には、有り難かった。
もう懐かしいような・・・
こんどこそ、本当に最後のスイカ。
夏の余韻を味わって食べました。

来年用の種は、ちゃんと採ってあります~。










老い

2007-09-08 22:02:10 | Weblog
台風で畑の背が低くなった。
トウモロコシ、ゴマ、ひまわりが傾いたり、寝てしまったり。
庭の木々の葉はちぎれて、地面には緑の絨毯だ。
家の側の田んぼは、まだ稲刈をしていなくて、稲はすっかり倒れてしまっている。
昼間のツクツクボウシの声は弱まってきて、その代わりのように、夜には虫の声が元気。
移り行く季節。

夕方、近所の90才を過ぎたおじいちゃんが、おばあちゃんに車椅子を押してもらって散歩をしていた。
久しぶりに見たおじいちゃんは、すっかり痩せていた。
車椅子だと好きな時に散歩が出来ないからと、家族の目を盗んで自転車で散歩にでてしまう
ちゃめっけたっぷりなおじいちゃんだったのに。

田舎で一人暮らしをしている気丈な母が、電話で珍しく弱音を吐いた。
膝の痛みが悪化して、トイレに行くのも辛いという。
それでも、母らしく、
「自分がこれまで生きた結果だから、自分で引き受けなくちゃならないのよ。だれもがこうして、老いていくのだから。」

とりあえず特上の鹿茸(漢方薬)を送ろうと思う。






インドで

2007-09-05 22:06:56 | Weblog
「先日の空」

マザーテレサ没後10周年のミサの新聞記事が目に留まった。
偶然にも、今日は部屋の片付けをしていて、そのままになっていたインド旅行の写真を眺めていた。
あまりにも濃厚、内容豊富な旅行だったので、マザーテレサの病院はことは忘れていたけど、
忘れていたと言っても、思い出せば胸が痛くなるほどの印象だったのだけど・・・
(他の体験がそれ以上にインパクトがありすぎた。インドはすご過ぎる)

で、今日はそのときのことを思い出して。

病院があるコルカタの街は、混沌そのもの。
車輪のついたありとあらゆる乗り物(荷車から高級車まで)、
あらゆる家畜、そして人が、道路に溢れている。
ホームレスの家族は道端にびっしり。
そして、立派なホテルも。
インドに着いて何日も日が経っていたので、見慣れてはいたけど、
その混沌さを特別深く感じた。
これが、たまらなく心地よいのです。

まず、カーリー神(ヒンズー教)を祀っている寺院に行く。
汚れた露地裏は人通りは少なかったのに、
地から興奮のエネルギーが沸き上がって来た。

そして、カーリー寺院の周りは、お土産やさんというか、神様の絵や飾り物を売るお店が、
ところ狭しと並んでいて、参拝の人たちでごった返していた。
子やぎが生贄にされる場所だけをなんとか見学して、
(運良くその場面には出遭わなかった)
押し合いへしあいでやっとの思いで、寺院の前に出てくると、
入り口の広場には、参拝の喜びに、我先にと言わんばかりの人たちが、長い列を作らされて騒然としている。
そのうち、女の人同士が、髪の毛をつかみあって喧嘩をはじめた。
そして、それを止めに入る男性。(いつも必ず誰かが止めに入るのだそうだ)
その喧騒(喧嘩じゃなくケンソウだよ)は、生命の躍動そのもの。
踊り出したくなるようなインドの生命エネルギー!
これがたまらなくいいの~。

その喧騒の広場のすぐ側、生贄が行われるカーリー寺院の隣と言ってもいい場所に、
マザーテレサの病院があった。
路上で病気になったまま動けない人たちを収容している。
死を待つ家の中を見学したのだけど、
一歩中に入った途端に言いようのない悲しみに襲われ、その場に泣き崩れそうになった。
まだ、玄関口なので、患者さんを見たわけでもないのに。
何とか頑張って歩いた。
病院とはいえ、がらんとした講堂のような大きな部屋に、簡素ベットが並んでいるだけだ。
20人~30人を見舞っただろうか。というより見学だ。
涙を見せると申し訳ないと思いながらも泣いてしまう。
合掌をして「ナマステ。」と挨拶すると、優しく笑いながら挨拶を返してくれる人たち。
私の方が慰められている。
知らん振りをしている人たちもいる。
蛆に食われたのか腰に穴の開いた人が、シスター達に手当てをしてもらっている。
なにやら怒って、介護のシスターの手を払いのけている人もいた。
あまりにも悲しみが込み上げてくるので、早々に外に出た。

この他にもマザーテレサの病院や孤児院はたくさんあるらしい。
本部を訪ねて寄付をした。
その建物の中も静かな悲しみが充満していた。

後で聞くと、病院の中に入ったとうちゃんともうひとりの女性(同じツアーの)も、
同じように、強い悲しみのエネルギーだったという。
あの異常な悲しみは、なんだったのかと時々思う。
あの病院で死ぬとき、彼らは幸せだったのだろうか?
喧騒の路上に帰りたかった人はいなかったのだろうか?
天邪鬼な私は、マザーテレサの悲しみだったような気もした。
(もちろん、マザーテレサの勇気と献身は尊敬している。)
マザーテレサ、安らかに。

マザーテレサの病院とカーリー寺院。
両極端なエネルギーがなんでもなく隣り合わせにある。
インドのすごさを思い知らされた一つの場面でした。



















スズメバチの巣が

2007-09-03 17:09:09 | Weblog
今年新しく借りた畑の様子です。
(写真:とうちゃん)

うちの庭は、ミニ林になっていて、大小様々な木の密集乱立状態だ。
特に椿が木が多い(100本はある)。
それで、毎日のようにとうちゃんはチョコチョコ剪定をしている。
剪定した木が山積みになって奥の方にあるのを見ながら、
「今日は、あれを燃やそうかなあ。」と、つぶやいた。
「冬にしたら?」などと話していると、
最近、毎日ペアーで庭に来ている鳩のポッポちゃん(以前のポッポちゃんとは別)が、
縁側のすぐ向こうでミニ林の入り口、目の前に来てへたり込むように座った。
そして、今までに見たことがない行動。
羽の裏側を見せるように立てて広げたまま動かない。
しばらく様子を見ていたのだけど、じっと座ったまま。
ペアーの片割れが姿を見せないし、呼んでないのもオカシイ。
怪我でもしたのだろうかと心配になって、縁側に出て行ってみたけど、
じっとそのままだ。
よく見ようともう少し近づいたら、普通に飛び立って少し高い木の枝に止まった。
「なんだ、元気じゃない。心配させないでよ。」
「それにしても、何してたんだろうね、あんな格好。」
などとしばらく話して、また気になったので、
もう一度姿を見ようと止まった枝を見ようとして目を木立にやると、
ポッポちゃんが止まっている枝のすぐ下椿の木の茂みに、何やら茶色の塊。
ポッポちゃんの巣?
違う!なななななんとスズメバチの巣だあ

とうちゃんに指差して教えてもなかなか見つけられないらしい。
杉かなにかの木肌のような色と模様なので、茂みにあるとわかりにくいのだ。
遠巻きに方向を変えてやっと見つけて、
「本当だ!」
と、言ったすぐ後に、ポッポちゃんは真上の枝から飛び立った。

スズメバチの巣とは~・・・・知らなかった、いつの間に?
だって、二、三日前に、チャドクガが出たので、庭中の椿の木を点検したはずだったけど気が付かなかった。
おまけに、とうちゃんはチャドクガをふるい落とそうと、いそうな椿の木を棒で叩いたりしていたのだった。
巣は2メートル程の高さの所なので、剪定の枝の片付けをしていたら、枝が巣に触れて今日は間違いなく刺されただろう。
ポッポちゃんのあの妙な行動で、助かった!
教えてくれたとしか思えない。
きっと、とうちゃんに知らせたかったのね。

さて、スズメバチ。
何年か前には近くの林で農家のおじいちゃんが射されて亡くなっている。
可哀想だけど仕方ない。大急ぎで業者の人に来てもらった。
月面を歩く宇宙飛行士そっくりな格好で、巣に近づいていった。
蜂が出入りする唯一の穴から殺虫剤を入れて、
穴を塞いで蜂が死んだら、鋸で巣を切り落としてビニール袋に。
その間、僅か2,3分。
巣は直径が20cmくらいのボール状。
中を割って見せてくれた。
スズメバチがうじゃうじゃといて死んでいる。
白い幼虫は、細かく仕切られた部屋に一匹づつびっしりと入っていて、こちらは生きているのだそうだ。
それから、もしあのままにしておいたら、この幼虫達がどんどん成虫になり、巣が益々大きくなっていただろうとのこと。
外に出かけている蜂が帰って来くると、巣がないのでパニックになるから、とても凶暴になるらしい。
2、3日は注意するようにと。
それなら夕方全員集合の時がいいと思うのだけど、
業者の人は方々で頼まれているらしいくて忙しい。贅沢はいえないよね。
有り難かった。

因みに費用は巣の大きさによって違うらしい。
まだ小さかったので、最低の1万円。

同じ町内のゴルフ場に巨大な巣が二つ出来て、ゴルフ客が二人射されて救急車で運ばれたらしい。
それから、町営の体育館がある敷地内をジョギングしている人も二人、射されてやはり救急車。
1回目に射されて抗体ができ、2回目には反応がひどくてショック死することが多いらしい。

ポッポちゃん、
スズメバチの巣がなくなってすぐに、また様子を見るかのように来て、
それから、すぐに竹薮に飛んで行った。
嘴(くちばし)には、隣の田んぼから採って来た藁が。
あなたも巣作りの真っ最中だったのね。

出かけていたスズメバチが3,4匹帰って来て、巣があった周辺を必死で飛び回っていた。
哀れで、申し訳ない気持ちになったけど、通路にも近かったし、仕方ないの。
ごめんね。





石油のお陰

2007-09-02 17:13:19 | Weblog
このところ、気功の先生の本の出版のお手伝いで、
とうちゃんは編集、私は入力。
今までの復習や中医学のお勉強になって面白いので、つい夢中になる。
「両手合わせて、せめて指5本でキーボードを打つ」という目標も達成できたし。(笑)
でも、お眼めが疲れます。

昨日、有機無農薬米の農家にお米を買いに行ったら、新米だった。
まだ稲刈りの最中なんだけど、機械化されたから、あっという間に食べられる状態のお米になる。
私の子供の頃を思えば信じられないような話だ。

稲を刈る機械(コンバイン)で刈りとりながら、同時に脱穀が出来る。
コンバインの中で、籾(もみ)と稲わらに分けられて、稲わらは短くカットされて田んぼに返されていく。
つまり、コンバインが通ると、1度でお米(もみ)になって収穫できるいうわけだ。
手刈りのことを思えば嘘みたいに少ない労力。
100分の1くらい!といっても決して大げさではない。

籾(もみ)の方は電力の大型乾燥機で乾燥される。
1~2日間だろう。
そして、籾摺り機にかければ、玄米となる。
それを、精米機にかけて白米になります。

手刈りで、おだかけだと(洗濯の物干しのようなのを作って、刈り取った稲を束にして掛けて天日で干す)、2週間くらい干す。
その間の管理も大変で、長雨に当たるのも困るし、台風でおだかけが倒れたりすれば、すぐにやり直しをしなければならないし、鳥の被害もある。
もちろん、手刈り(稲刈)はとてもきつい仕事です。
昔は、一家総出、親戚中総出でやっていました。
これら人力の作業の代わりに、機械があっという間にやってくれるようになったのです。
それから、田植え前の田起こしのトラクターや田植え機のこと、除草剤を使った草取りなど思えば、やっぱり100分の1以下の労力になっているはず。

こうして、誰もがたらふくお米を食べられるようになったことは、
本当にあり難いことだと思います。
それは、石油のお陰でもあるのです。(電力は原子力か)

野菜作りにも農家ではビニールを使う場合が多くて、(ビニールハウスやマルチといって野菜の周りの地面に黒いビニールを敷き詰める)
それらも石油製品ですから、
今の日本の農業は石油で成り立たっていると言っても過言ではないと思う。

でも、冬のイチゴ、きゅうり、トマトなどの生産で、
ビニールハウスの中の温度を上げるためにも、膨大な石油エネルギーが使われているわけで、
温暖化をはじめ地球環境の話が盛んだけど、
心配なら、まず、こういう季節はずれのものをあまり食べない様にして欲しいと思う。
健康のためにも。