躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

大斎原

2014-05-02 20:40:32 | Weblog
旅行の行き先は夫の思いつきで、
計画も夫任せというのがいつものパターン。
旅行に関しては亭主関白なのだ。(笑)

で、私は、出発の前日だったか前々日だったか、
旅行雑誌に簡単に紹介されている熊野大社の記事に目を通した。
どうしてもここに行きたい!と閃いたのは、大斎原(おおゆのはら)。
明治になって洪水で流されるまではここに大社があったという場所。
つまり、もとの本宮大社跡で、今の本宮大社の近くにある。

志摩に泊まって紀勢線で新宮まで行く。
伊勢神宮の前を2回も電車で素通りした。
天照さん、ごめんなさ~い(笑)
(「天照学園」ていう大きな看板を見た。さすが伊勢・・・でも何の学校?)
紀勢線の本数の少なさにはびっくりで、
各停より特急の方が多くて、
それも2時間に1本程度なのだ。
新宮からはバスで1時間。
このバスも1時間に1本あるかないかで、
上手く乗り継がないとたどり着くのが大変なところでした。

やっと本宮大社前に着いて、
用があったので郵便局へ。
受け付けてくれたおじさん
「これから大社ですか?」
夫「先に大斎原に行きたいというので。エネルギーが良さそうとかなんとかこの人が。どうなんですか?」
おじさん「そんなこという人いますよね。私には全然わかりませんが・・・ははは」(馬鹿にしてる?)
夫「私も信じてないです。気のせいですよね」(馬鹿にしてる!)
私「だから『気』なんじゃないの!」
などと、なぜかむきになる。
だって、もうすでに気が良いんだもん。

で、日本で一番大きい超デカで、
ヤタガラスのマークが入っている鳥居の方からではなく、
裏?の古い小さな赤い鳥居の方から入った。
これもバスをおりて地図を見たときに閃いてた。

で、鳥居に足を踏み入れた途端に夫が、
「なんなんだ、これ!!?」
「何って、気よ」
「こんなの初めてだよ」
「良かったね、感じるようになったんだ。さっきまで馬鹿にしてたくせに」(笑)

時と空間と自然のエネルギーの絶妙なバランスなのだろうか。
柔らかく清浄なエネルギーにつつまれた。(もっと良い表現はないのか)
あちこちに立ってみた。
一番地からのエネルギーが強いと感じる場所を見つけて夫に立ってもらったら、
足湯に入っているみたいだと。
私にはそこまでは暖かさは感じなかった。
「ついにシフトしたんだね」と、おちょくる。(笑)
雨上がりということもあり、人がいなかった。
何もない小さな広場で心行くまでうろつく怪しい夫婦。
地と天の両方から同じように入ってくる場所があったけど、秘密。(笑)

次の日、もっと奥までバスで行って、熊野古道を7キロ歩いて引き返し、
やっと熊野本宮大社にお参りした。

そのあと、やっぱりもう一度大斎原へ。
今度は、超デカの鳥居から入ってみた。
こちらからは外と内のエネルギーの差はほとんど感じなかった。(古い鳥居、当たり!)
進むにつれて感じるようになる。
広場に来ると前日と同じように強くなった。
でも、夫は、前日ほどじゃなく、
足湯みたいだった場所もあんまり暖かくないという。

「昨日はあんなに感じたのに、今日はそれほど感じないのはなんで?」
「なんでって、私に聞かれてもわかりません!」
ま、人それぞれ、その時々。
気のせいだしね。(笑)

周りを川に囲まれていて、
大きな山々が連なる。
マチュピチュと同じよう。
だからかエネルギーも似ていた気がする。

側の川原に下りて石を拾いながら歩いた。
向こう岸の山の緑が鮮明に迫ってきた。

熊野の山並みも綺麗だった。

その他色々、その後色々あって、
確かに熊野詣では「癒しと再生」なのかもしれない。