躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

インド・ジャンブゴダの写真

2008-02-29 20:57:56 | Weblog
とうちゃんが撮った写真↓
http://hibiki.web.infoseek.co.jp/yoko/20080211/index.html

インドツァーの添乗員さんが、私やとうちゃんが踊るのを見て、
帰国後、家でハッピーダンスをやってみるって言っていた。
今日はハッピーダンスして、お昼はそば粉100%の蕎麦を食べに行った。
午後からは庭の敷石を敷く作業。
くったくた。

一期一会

2008-02-27 22:41:48 | Weblog
糸売りのおばあちゃんと私と、ちゃっかり一緒に写っている親子連れ。
(写真:とうちゃん)

今回のホテルはマハラジャパレスでありながら民宿という雰囲気。
部屋のドアには南京錠もなく、部屋の外にある、もう一部屋と共有のリビングのドアに錠をかける有様だったけど、のんびりした気分になった。

バスで1時間くらいのところで、月曜日に開かれる市に行った。
この市には周辺や遠くの村々から、ジープや車に人が鈴なりなってやって来る。
売る人も買う人も集まる。
色々な民族の人達が集まる。
こんな地方の田舎、どこから人が湧いて来るのだろうかといううほど。
もともと店を構えている人、屋台をだしている人、道端にしきものを敷いて商品を並べる人。
たくさんの商品を出している商売人もいるし、村々から僅かな農産物などを持ってきて並べている村人達もいる。
ところによっては、満員電車に乗っているかのような混雑ぶりだった。
観光客は私たちだけ。

生活に必要なものはなんでも売っていた。
たくさんの鶏が生きたまま足を縛られて並べられていた。
ガイドさんが貧乏な人たちが吸う格安タバコを買って、吸わせてくれた。
外側は別の葉っぱで中に少しだけ本物のタバコの葉が入っている葉巻だった。
クセがなくてなかなか良かった。

おばあさんがカラフルな糸の細い束を紐のようにぶら下げて売っていた。
綺麗なので4,5本適当に取って値段も聞かず20ルピーを渡した。
一緒に写真を撮らせてもらって、ついでにポケットにあったキャンディも一つ上げた。
子供にはだめでも(貧しくてキャンディを食べたことのない子がキャンディの味を覚えると、その味を求めるようになるので、可哀想。)
お年寄りが美味しいものを食べるには良いのではないかと思った。
びっくり嬉しそうだった。
その場を離れようとすると、おばあさんが5ルピーを差し出してきた。
お釣りのようだった。
いらないと言う仕草をすると、びっくり嬉しそうな顔。
値段を聞かず何も言わないのにお釣りをくれようとした人は、インドでは初めてだったので、こちらもびっくり。
そして、嬉しかった。
こんな場所では値段は交渉で決めるものだから、お金出してそれが売り手の思ってる値段より高ければ、その値段になって当然だ。
きっと20ルピー(60円弱)はあまりにも高かったのだろうけど、お釣りなんて奇跡のようなこと。
糸売りのおばあちゃん、人生おもわぬ良いこともあるものだよね。
私達、一言も話せなかったけど、おばあちゃんのこと忘れないよ。

物々交換もあると聞いてたので、体験したかった。
トマトを並べている女性のところで、小さなチョコレート2個とミニトマト2個を交換しようとしたが、断られた。
お金に替えて、買っていかなければならないものがあったのだろう。

先住民の男性達はターバンを巻いて威厳に満ちた顔で歩いていた。
カーストでは最下層だと聞いたけど。
足は細くて美しい・・・アボリジニの人と同じように。
とうちゃんはこの人たちに写真を取らせてもらいたいのだけど、あまりの威厳に声をかけられない。
ちょぴりニコニコ顔のおじいちゃんがいたので、私が声をかけた。
おじいちゃんはびっくりしながら、これまた嬉しそう。
混雑しているので、側にいた男性が道端の空いているところへおじいちゃんを誘導した。
写真を撮って、さっきの小さいチョコレートを2個とキャンディを1個渡した。
もっとニコニコした。
男性も一緒になって、「良かったなあ、おじいちゃん。」という風に喜んでいた。
住所がわかれば写真を送れるけど、言葉は通じないし、おじいちゃんはきっと字は書けないだろう。
一期一会だね、おじいちゃん。

集合時間ギリギリにバスに戻ったが、今回は集まりが悪い。
ふとみると、バスの運転席のフロントガラスにはたくさんの神様のシールが貼られていた。
添乗員さんによると、運転手さんが近くで買ってきたとのこと。
添乗員さん「いいですよねえ。欲しくないですか?」
私「欲しいけど、もう集合時間来てますよね。」
添乗員さん「大丈夫ですよ。ガイドさんもまだだし。欲しいでしょ。さあ、一緒に行きましょう。」
添乗員さんの喜びぶり。
私はダシだったのね。(笑)
神様好きの添乗員さんはあれもこれもと買っている。
私も一緒にいろいろな神様のシールを買った。
そこには神様の絵がやグッズがわんさかあって、やっぱりヒンズー教の神様ってアイドル的存在なのだろうか?
とにかく楽しい添乗員さんだった。

市からホテルに帰る途中で、また結婚式に出会った。
道端に人が集まっている。
水牛に牽かせた大型の荷車には、たくさんの子供達が乗ったまま見ている。
太鼓と笛だけの3人の楽隊。
まだあどけない顔をした少年がお婿さんだという。
お婿さんは、ウコンで顔を黄色くぬって、親戚の男性に肩車されている。
親戚の男性はお婿さんを肩車したまま、音楽に合わせて左右に半回転するのを続けた。
しばらくすると、また別の男性が肩車をして同じことをした。
素朴な村の結婚の儀式のようだった。
ガイドさんは、私が踊り好きなのを知っているので、踊れと言った。
誰も踊ってないけどいいかと、ひとりでハッピーダンス。
う~ん、生の民族音楽でのハッピーダンスは最高!
でも、なんか場違いみたい。
ここでは踊らないようだった。(汗)
すぐに止めた。

見たことのないガイジンの観光客が来たので、少年は益々緊張気味。
子供達の中にはカメラを向けられて泣き出す子もいた。
そのうち少年は刀を持って、白い馬にまたがり進み始めた。
子供達を乗せた荷車も水牛に牽かれて行った。
バイバイをする子供がちらほらいたけど、何が起こったのかと緊張している子供や、まだ泣いている子もいた。
泣いている子を抱きしめて、小さなお姉ちゃんが大丈夫と慰めていた。

ふんどしを織るおじさんの家を訪問。
ふんどしと言ってもひもは付いていなくて、反物状態。
おじさんはふんどしのつけ方をやって見せてくれた。
綺麗な模様に惹かれて4枚分繋がったまま買う。
暖簾にするつもり。
近くに石灰岩を石灰にする工場があった。
益々酷い埃。
とうちゃんは、青空トイレをしに外に出て、石灰岩置き場の方へ行ったら、後からぞろぞろ子供達がついてきて目的は達成できなく、小指を立てるトイレの合図をして、民家で借りたとか。
親しくなって、ここでも近所の人の家に呼ばれてお邪魔したらしい。
バスが出発するというのにいない。
捜索隊にすぐに呼び戻された。
この集落には、ユダヤ人も住んでいた。
宗教が違っても仲良くらせるのだ。
しかし、ふんどしを喜んで買いにきて、首に巻いたりして帰って行く日本人は、可笑しいだろなあ。

それから、遊牧民の女性達が家財道具一式をラクダに載せて移動している行列に出会った。
男性たちは家畜を追って移動するのだそうだ。
女性たちの堂々とした姿を、沿道の人たちも眺めていた。
旅行で出会った遊牧民は男性も女性も逞しさが満ち溢れていた。
ラクダには、小さな子供も乗っていた。

ホテルに戻り昼食。屋根がついいただけの食堂は、緑に囲まれて気持が良かった。

ホテルからジャンブコダの空港へ。
途中で民家に立ち寄って、家の中の壁に絵を描いてあるのを見せてもらった。
お宅訪問は飽きていたので、外の畑でたくさんのひよこを連れた鶏を見ていた。
家の屋根には、牛糞が直径30センチくらいの円盤状にまとめられて干されていた。
燃料だろう。

ジャコブダイから、ムンバイへ飛行機で。
ムンバイの街に着くと、あ~帰って来たと思った。
近代的な建物の中は日本と同じだ。
快適にお湯が出るシャワーは旅行中はここだけだった。
ほっとしながらも、帰って来たことが寂しかった。

握手をしたたくさんの子供達。元気で育ってね。
ツァーの人達はそれぞれ個性豊かだったけど、トラブルもなく笑い声が絶えなかった。
この人達には、またどこかで会えるかもしれない。
インドで?

No problem

2008-02-26 22:20:29 | Weblog
ガソリンスタンドの水牛
(写真:とうちゃん)
その他の写真  http://hibiki.web.infoseek.co.jp/yoko/20080210/index.html


この日は5時45分のモーニングコール。
夜の9時に到着して朝7時に出発なんて(もっと短時間の滞在もあった)、食べて寝るだけ。
忙しいスケジュールでも、平気で時間厳守をする他のメンバー。
さすが、海外旅行100回以上の人をはじめ、つわもの揃いだった。
(以前、200回以上の人がいた!正確にはもう数えてないって。そうだろうなあ。)
このインド旅行が終って2、3日後には、もう別の旅行に出かけるという年配の女性は、地方なので、家には帰らないでそのまま行くとか。
3月にも行く人がいたし、今回の旅行は10月の似たようなグジャラートツァーの下見だと言う人もいた。
ヒマラヤ登山の予定がある人も。
あ~、世の中には元気な人がいるものだ。
お金と時間と体力と気力が揃っているなんて、すごいとことだ。
でも、それほど羨ましいと思わないのはなぜ?

それはともかく、夜になってもバスで走ったり、早朝のまだ真っ暗な時に起きるので、星がきれいに見えた。
星が多くて北斗七星が探しにくい。
さそり座は、しっぽまで全部がきれいに見えて感動した。

ところで、このホテルのマハラジャは趣味が悪くて、宮殿の壁にはハンティングで世界中から集めた動物の頭の剥製飾れていて、それを自慢する。
床には虎の皮と頭の敷物が・・・もう二度と行きたくない。
(行けないけど(笑))

宮殿を脱出して、インダス文明の遺跡のあるロータルヘ。
とても気持のいい場所だったけど、巨大な貯水池以外は複製だとか。

それから、バローダ。
その途中、道路脇に、多数のサリーを吊るした木があって、その下のヒンズー教の祠で何人かお祈りをしている。
バスが止まり、見に行くと、やはり誘われ、祭壇の前でお祈りをした。
赤い印を眉間につけてくれて、お菓子もくれたので、お賽銭をいれた。
10ルピーも入れたから、神様ならぬ村人が喜んでいた。
ヒンズー教徒している私。
とうちゃんは、仏教徒だから(笑)ふらふら近くの民家の方へ行ったらしい。
覚えたばかりの、『小指を立てて見せるとトイレを意味する』(日本では、女を意味するのと同じ仕草)を実践したらしい。
そうしたら、トイレは貸してくれるは絵を見せてくれるは、近くの家に呼ばれるはで、また遅刻だった。
本当にフレンドリーなのだ。

この辺の村人達は、身なりはそんなに良くないけど、みんなが生き生き明るくて柔らかい。
農地が豊かだからだろう。
あたりまえだけど、ある程度の生活レベルは必要だとしみじみ思った。

バローダに着く前にバスの音が変。
なんとかたどり着いて、昼食を取ってる間にも直らない。
で、近代的な街で自由時間が出来た。

出かけると、早速、靴磨きの少年に捕まった。
私のサンダルが皮製だったのだ。
埃だらけでも別に気にもならないけど、労働の対価としてお金を上げたかった。
磨き始めて、いくら?と聞いたら、「150ルピー(450円弱)」
冗談じゃない、暴利だ。「ノー!」
足を引っ込めても磨く。
仕方ないので、近くを通りかかった男性に相場を聞いた。
10ルピーだそうだ。
ナンタルチアだ。
150ルピーだと言われていると男性に言うと、靴磨きの少年を怒鳴りつけて10ルピーにしろと言ってくれた。
それだけではなく、ちゃんと磨くようにと指示をして、磨き終わるまで見届けようとしてくれるのだ。
ガイジンに嫌な思いをさせたくないという気持が伝わってきた。
男性には時間をとらせても悪いので、礼を言って行ってもらった。
その途端、靴磨きは「マダム150ルピー。」
私「ノー!10ルピー」
靴磨き「100ルピー」
私「NO!」
靴磨き「マダム50ルピー」
私、日本語で「ノー!10ルピーと言ったでしょ!ちゃんと磨きなさいよ。」
とうちゃん、日本語で「20ルピーにすれば?」
私、日本語で「わかってる。そう思ってるけど今は言わない。10ルピー!」
子供相手に何やってんだろ。
でも、お涙で騙されやすいひ弱な日本のおばさんは、子供にでも鍛えてもらわないとね。
案の定、靴磨きの少年は20ルピーを喜びはしなかった。
「50ルピー!マダム」とまだ言っている。
「NO!」
マダムがマムに聞こえて、お母さんはちょっと辛い。
でも、サンダルなんて靴の半分も磨くところがないのに2倍も貰ったくせに、「いい根性だわ。」
うん、これくらい強い心を持てば、インド一人旅できそうな・・・あまい!(笑)

近くの店で安いショールをゲット。
バスがなかなか直らないので、インド10回目の女性にお願いして、サリーのお店へ。
気に入ったパンジャビスーツをゲット。

バスが直って、出発。
現地ガイドさんは故障を平謝りだけど、みんなはお陰で買い物ができたと大喜び。
No Problem!・・・これインド人の得意な言葉なんだけど、今回は私が言ってあげた。
前向き前向き。

少し走ると、結婚式の行列に出会った。
花婿さんが車に乗って花嫁さんを迎えに行くのだ。
先頭に楽隊がいて、その後に踊る友人達が続く。
そして、最後が花婿さんの車だ。
バスを止めて見学。
もちろん誘われて、何人かの日本人が混ざって踊りまくり。
見物人も大喜び。
何を勘違いしたか、10代の男の子に両手をつながれたかと思うと、グルグルまわされた。
帽子を被っているから白髪は見えないものね。(笑)
ガイドさんが青い顔して止めにきた。
いや~!楽しいインド。

ジャコブダイ近くの森の中にあるマハラジャパレスのホテルに着いたのも夜だった。
とっても田舎。
村のおじいちゃんと若者と子供の使用人達が出迎えてくれた。
街で買ったケーキを私達が食べているのを子供達が見ている。
結構食べ残しが出て、嫌な気持だった。
部屋は古くて汚いけど、気持は悪くなかった。
吹き抜けで穀物倉庫のような部屋。
屋根の近くの壁には空気穴のような素通しの窓がついていて、そこから風が入る。
毛布は2枚あったものの、この夜も寒かった。
宮殿の外で音楽が夜中まで聞こえ、早朝からも聞こえた。
ここでも結婚式かな。

















ドーラビーラ

2008-02-25 22:52:39 | Weblog
ドーラビーラ遺跡に立つ私です
(写真:とうちゃん)
その他写真はココ↓「
http://hibiki.web.infoseek.co.jp/yoko/20080209/index.html

やっと私にとっての今回の旅のハイライト。
ドーラビーラ遺跡に向かう。
どこまでも続く荒野を走り抜け現れた、真っ白な塩に覆われたカッチ大湿原のなかを真っ直ぐ走る道。
雨季にはこの道路は冠水することが多い。
ドーラビーラのある村は孤島になる。

ここでもお塩を採る日本人。
これこそ純天然もの。
雨季には湿原になりたくさんの野鳥が集まるという。
全く違う風景なるのだ。

地の果てに行き着いたように、ドーラビーラの遺跡があった。
まだ発掘途中である。
この周辺が軍事上の未開放地区な上に、この遺跡は外国の調査団を拒否していることもあって、遺跡のガイドさんと一緒でないと入場できない。
監視の軍人がひとり、銃を持って立っていた。
しかし、届出が必要なことや、辺鄙なところなので、観光客は私達ツァーの他に10人もいたかどうかというほどで、静かで良かった。
元は海に浮かぶ島だったこの遺跡がある場所の一番高いところから見ると、
どこまでも続く塩の先にパキスタン側と思える山並みが薄っすら見えた。
モヘンジョダロがある方だ。
インダス文明の栄えた頃は、メソポタミアとも交流があったという。
5000年前はたくさんの船がこの島に行き交っていたのだろう。

ドーラビーラ遺跡は大きな貯水池がたくさんある。
深い井戸もあっる。
水がキーポイントの遺跡らしい。
世界最古の球技場ではないかといわれる場所もある。
文字は僅かしか発見されていない。
まだまだ謎だらけらしい。

遺跡には遠い昔の人たちの影や声がまだ残っている気がした。
5000年前の懐かしい風が吹いている。
古代遺跡好きの私達夫婦は、ゆっくりしているうちに、いつの間にか広い遺跡でふたりだけになってしまっていた。
監視の人もいない。
土の匂いがなんとも言えず心地よい。
それは少しの時間だったけれど、ドーラビーラに抱かれた素晴らしい時だった。

しかし、日本人は忙しい。
こんな地の果てまで来て、5000年前の遺跡を前に、説明が終ったら自由時間ほ30分あるかなしかで集合時間だなんて。
しかもみんなきちんと集合するなんて!オカシイ。(笑)
遅刻の確信犯はバスで謝罪したのだった。

白い塩の原を引き返して、荒野の一本道を走っていると、
鶴の群れが見えたので、バスがストップ。
外に出て見ていると、オートバイが止まった。
オートバイが誇らしげに、10代の若者が乗っていた。
後ろの荷台には、1メートル弱×1メートル弱の真新しい金網が筒状になって載っていた。
急になぜかとても親しい気分に襲われて、
私「あら、いいわね。買ってきたの?」
彼「そうなんだ、いいだろう。やっと手に入れたよ。これで、明日はこういうふうにして・・・・・この網をつけて完成するんだよ。」と身振り手振り。
私「そう、良かったね。」
横から添乗員さんが、「あら、お知り合いなんですか?」(笑)
そこで、はっと気が付いた。
この会話は、日本語とグジャラート語(あるいは部族の言葉だったかもしれない。)
なのになぜかお互いに通じているかのように普通に話したのだ。
バイバイと笑って別れたあの子は遠い日の知り合い?
ドーラビーラの遺跡がある村に向かってオートバイは走って行った。

ひたすらバスは走る。忙しい日本人を乗せて。
このバス、クラクションが音階を持っていて、石焼いも売り風になったりしながら、嬉しげに鳴らしまくる。
チャイ休憩の時運転席を覗いたら、5つのキーがあって、それを指で鳴らしているとわかった。
ご自慢のクラクションらしい。
これじゃあ鳴らすはずだ。
そうでなくとも、どの車もクラクションはよく鳴らす。
前方に車でも人でも動物でも見えると鳴らす。
でも、このクラクションは日本と違って、「ドケドケ」でも「何してるんだ!」でもなく、「通りますから気をつけて下さい。」なのだ。
「クラクションを鳴らしてください。」と車の後ろに書いてあるのを見た。
みんなで注意しあって安全に走ろうというわけで、信号がほとんどなかった。

自慢のクラクションを鳴らしていると、向こうから来た車がさらに素晴らしい演奏だったことがあって、運転手さんがシュンとしているようで、みんなで大笑い。

ワンカーネルのマハラジャパレスに宿泊。
大きいけど滅茶苦茶古い。
30畳はあろうかという寝室と10畳くらいのシャワー室。広すぎて古すぎて嫌な雰囲気だ。
(ひとり参加の人達で、これにもう一部屋20畳のくらいのリビング付きだったり、もう二部屋ついていた人もいた。寂しすぎると嫌がっていた。)
ベッドは年代もの。
人が寝た形にへたっているのがわかる。
冷たくて・・・・このベッドで誰か死んだよなみたいな。
夜中に部屋の外で鐘が鳴る音がして、「使用人は起きなさい。」
起きなきゃと思っている。
いや~、リアル夢(?)だった。








ブジ周辺の村めぐり

2008-02-23 21:44:38 | Weblog
「だんだん現地の人になってきた」
(写真:とうちゃん)
他の写真はココ↓
http://hibiki.web.infoseek.co.jp/yoko/20080208/index.html


職人が集まる村二ローナ村へ。
いくつかの工房を見た。

みごとな手作りを実演して見せてくれた家で、カウベルを買う。
ツアーのメンバーのひとりが、
「二階の主人を呼ぶ時にこれを鳴らすの。」
そんな悠長な。
うちは、これをとうちゃんの首に着けときたい。
せめて旅行中ふらふらどこかへ行ってしまわないように。
ほんと、いつも集合時間に探さなくてはなんだから~。
ま、添乗員さんには、二人揃って着けてくださいと言われそうな気がするけど。(笑)

木工細工の家の前で、近所の子供達がまたまた店開き。
手作りの布の人形を並べる。
仕方ない、買わなきゃならん。
でもこういうのが意外に記念になるものだ。
貧しそうな人形は貧しそうな子供が作って売っている。
古着の切れ端のような薄汚れた布で、なんとか人形の形になっている程度のを買うことにした。
値段はこちらで決めてそれ以上は出さない決心で、50ルピー(150円弱)を渡す。
とうちゃんが呼ぶので見ると、人形を並べるのに敷く布さえなく、土の上に直に人形を3つだけ置いている子がいた。
まだ5,6歳で、見るからに極貧という感じだ。
細い腕は汚れて真っ黒。
暗い表情で黙ってうつむいたまま。
人形を作る材料もないのか、人形は小さく、目も鼻もない。
手垢と土埃が染み付いている。
それでも、どこかで拾ってきたような何個かの小さなビーズで作ったネックレスをつけさせている。
これも50ルピー渡した。
10ルピー5枚を見て、嬉しそうに目が輝いた。

今、ふたつの人形はここにある。
何を思いながら作ったのだろうか。
今あの子はどうしているのだろうか。
50ルピーで何を買えたのだろうか。

昼食は、ランチボックス。
休憩所で食べ始めると、犬や牛やそれから人がじわじわと集まってきた。
1人の男の子が側に来て黙って手を出す。
誰かが耐え切れずに、マッシュポテトを渡したら納得したようにいなくなった。
私たちには美味しいと思えるランチではなかった。
上げてもいいのだけど・・・難しい。

チキンの骨付きもも肉が2個も入っていた。
骨の近くはまだ赤味が残っていて食べられない。
いくつかに分けて、のら犬たちに投げてやると、大きな犬が独り占めして小さな犬に食べさせない。
こんな美味しいもの食べたことがないのだろう。

後ろ足が満足に立たない、文字通りの骨と皮だけの小犬がいた。
かじりかけの肉がついた骨が残飯として集まったので、それを与えると勢いよく食べる。
食べるとまた与える。どんどんやる。
誰かが、
「そんなに急にたくさん食べると死んじゃうよ。」
私、
「良いんじゃないの、このままでは長くはいきられないし、これから先こんなご馳走は食べられないよ。お腹いっぱいになって、もし死んだとしても幸せよ。」
誰か
「それはわからないよ。犬に聞かなきゃ。」
犬に聞いてもわからないよ。
犬は食べたくて食べてるんだから、いいのだ。

でも、この食べ残しはホテルに持ち帰るのではなく、わざとそのまま置いて行った。
そうなのだ、チキンは高級なお肉。
村の人はめったに食べられないだろう。
犬より先に人間が必要としていたのかもしれないのだ。
集まって来ていた人たちに本当に悪いことをしたと、後悔をしている。

壁に絵が書かれた丸い家の村に行った。
絵本の世界のようだ。
不可触賎民(ガンジーはハリジャン=神の子とこの村の人を呼んだのだが。)の村だ。
土ぼこりが舞うブッシュの中にあった。

それから、原始的な炭焼きの見学もした。

最期に、細かい刺繍でパッチワークの雑誌にも紹介された少女の家に訪問。

帰り道、荒野の水溜りに夕陽が写りこんで綺麗だった。







ダサダからブジヘ

2008-02-22 22:48:32 | Weblog
ダサダで泊まったホテル。丸い部屋。
(写真:とうちゃん)
今日の写真はここ↓
http://hibiki.web.infoseek.co.jp/yoko/20080207/index.html

私の生まれ育ったのは「ど」がつくくらいの田舎の村だった。
家ではヤギも鶏も飼っていた。
本家には牛もいた。
荷車にもよく乗った。
お風呂は小学生になる頃までなかったような気がする。
本家に2日に1度もらいぶろをしていた。
玄関から台所は土間で、ねずみもよく出ていた。
もちろん、汲み取りのトイレだったし、外で用を足すこともあった。
ポンプはあったけど井戸水だった。
小さい頃は夏はパンツ一枚で遊んでいたこともある。
などと思い出して見れば、旅行中に貧乏に見えた村の子供達よりは、少しはましな程度の生活だったのだ。
村では、みんなが似たり寄ったりの生活だったから、なんとも感じてなかった。
普通の生活をしていただけだ。
きっと、あの子供達もそうなのだろう。

村々を訪ねる時はそんな体験からくる懐かしさもあった気がする。
それから、近代化の生活に慣れてしまった私には、もうこんなたくましい生活は出来ないという引け目のようなものもあった。
たくましく生きている人たちが羨ましいのだ。
アクセサリーを売りつけてきた人たちにさえ、そのしたたかさを羨ましがっている自分がいた。
彼等を見ていると、生きるという野性を自分が失っているのではないかとさえ思ってしまう。


ダサダからブジへ行く途中で、遊牧民が道路脇の広い空き地に宿営しているのを見かけて、バスが止まってくれた。
兄弟のところに一族で手伝いに来たらしい。
はるばる大カッチ近くから、家畜を連れ、家財道具一式をラクダに乗せてやってきたのだ。
家畜は農家の人に頼んで農地に入れてもらうそうだ。
それで、家畜の糞が肥料になるから、農家からはお金が支払われるらしい。
男性たちは背が高く、目に威厳があり見たことないほど男らしい顔立ちだった。
最初は写真をとらせてくれなかった。
少し交流したところでOKが出た。

それから、ジャイナ教白衣派の修行者(女性)達に出会った。
バスの全員を前にお経をあげてくれた。

次は、綿畑が続く道路の途中でバスが止まった。
農場主が使用人達に綿摘みをさせている。
降りていって綿摘みをした。

予定のブロックペイントの工房へ。
版木に染料をつけ、手作業で押していく。
染料は自然のもの。草木染めだ。
ブロックペイントは好きなので、布を2枚買った。

ブジに無事に(さむ!)着いて昼食。
古い街。
何年か前の大地震で被害の大きかった所。

昼食後ブジョディ村へ。
また子供達。元気で明るい。
露地の脇に座り込んで、女性達が刺繍をしている。
顔にハエが何匹もいるのに気にしていない。
若い女性が結婚のための衣装だと嬉しそうに刺繍をしていた。
ここでもミラーワークの布を販売。
外で待っている間に、懐いた2歳の男の子を抱っこさせてもらった。

その後バザールへ。
葡萄とナツメヤシを買っただけ。
根性が入った少女が売る葡萄は値切れなかった。
ぼられたと思いながらも、ま、いいか。

ホテルの一角で、緻密なミラーワークと刺繍のバッグを売っていた。
今まで見たのとは違う出来の良さ。
形がイマイチだけど買った。

ホテルの部屋があまりにも酷く、おまけに窓のすぐ側にダクトがあってうるさい。
替えてもらった。
6度くらいまで冷え込んだのに、暖房なしで毛布一枚。
とうちゃんの風邪が悪化して、機嫌が悪く、寒がるので私の毛布を貸す。
予備の毛布もない。
成田へ行った格好になってシーツだけで寝る。
それでも寒くてホッカイロを1つ貼った。

あ~寒いインド。





















インド・グラジャート州(ダサダ周辺)

2008-02-21 22:48:34 | Weblog
スーリヤ寺院の階段井戸
(写真:とうちゃん)
ダサダ周辺・その他の写真はここ↓
http://hibiki.web.infoseek.co.jp/yoko/20080206/index.html

今回の旅行は連泊3回、ダサダも連泊でした。

野生動物保護区のサファリ&塩採り(笑)を終って、ホテルで昼食。
ここのボーイさんたちが「ありがとう」を覚えた。
にこにこ笑って「ありがとう」と食事を持ってくる可愛いボーイさんが気に入ってチップをあげた。
「ありがとう」は言わなかったなあ。(笑)

その後、ダサダ周辺の少数民族を、ジープに分乗して訪ねる。
ホテルのオーナーの運転するジープに乗った。
素敵な男性だったので、インド10回目のパンジャビースーツの独身女性が喜んで助手席に座る。

日本語での会話。
Aさんが独身女性に「インドでホテルのオーナー夫人になるのはどうですか?」
独身女性「いいですねえ。」
私「でも、奥さんいるかもよ。」
Aさん「彼、イスラム教徒だから、4人までは大丈夫よ。」
私「でも、法律では一夫一婦制でしょう?」
野暮なことを言ったものだから沈黙。(笑)

最初は青いビニールのテント村。
かなり貧しそうだ。
ビール族と聞こえたけど、違うかも。
私たちが着くや否や、20人くらいの女性と女の子達が集まってきて、
草か何かで編んだ寝台兼椅子を持ち出し、あっという間に並べられた雑貨。
にわか作りの露天商だ。
アクセサリーがほとんどで、
特にアクセサリーに興味のない私にとってはゴミに見えてしまう。
だけど、この貧しさ。
その上、あっという間に私の両手にはブレスレットと指輪がはめられた・・・
仕方ないので、ましなのを探して、半額に値切って二つで100ルピー(300円弱)。
高~。まだ半額に値切れただろうけど・・・ま、いいか。
しかももっと買えと言う。冗談じゃない。
少しのチャンスも逃がさない彼女(彼)等。
買ったものをあとでよく見たらアンクレットだった。
私がアンクレット?(ぷっ)←(吹)

その後は、カラパティナバリ族の村。
またまたたくさんの子供達。
もういいよ~。

その中に、薪を頭にのせた利発そうな少女を発見。
どう見ても、昔のアメリカのホームドラマに出てきた、おしゃまな女の子。
どうしてここに?と思った。
ナバリ族は遊牧民なので、かなり広い範囲の混血があってもおかしくないだろう。
祖先の誰かの血が現れたのか。
一緒にいる少女は、全然違っていて見たことない顔立ちだ。
一体民族ってなんだ?
利発そうなこの女の子がとても気に入った。
この子は、きっと貧しさから脱出できるだろう。
でも、さっきの村とは違って、ここの子達は幸せそうで明るい。
貧しさってなんだろう。
貧しさの限度を考えさせられる。

この村はミラーワークが盛んなのだそうだ。
布に小さな薄いミラーをはめ込んで刺繍をしたもの。
ある女性の家で、どっさりだされたミラーワークの布の山。
買わねばならぬ雰囲気だ。
暗い部屋で、よく見ると染みがついているものもある。
あれこれ探しても、私の気に入ったのはない。
元々ミラーワークは好きじゃないし。
メンバーのひとりが、やっと気に入ったのを見つけて買うことになり、思わず
「さあ、これで帰れる。」と言ってしまった。(笑)

村の露地を歩いて、ジープを待っている間に、女の子達の後をついて川の側の共同井戸へ。
バケツをロープで吊るして水を汲み、頭に載せて運ぶ明るい女性達と、
陰でこそこそというように洗濯をしている暗い女性たち。
階級が違うのだろう。
使う川辺の場所も違うらしい。
カーストは私たちが社会科で習ったような単純なものではなく、
複雑に、とてもたくさんの階級に分かれているらしい。

次は、バハルワード族の村へ、綿畑の中の農道をジープが走る。
乾期の今は、この辺では湿度11%ぐらいだ。
土ぼこりを毎日浴びている。
その上のホロなしジープの後ろの座席はすごいものだった。

村は、夕方ということもあり、暗い雰囲気で、はよ帰ろ~よ。
でも、みんなは写真をパチパチ予定をしっかりこなしている。
帰り道、大きなガジュマルの木の一部が、恐竜に見えるというのでジープが止まる。
それよりも、野生の孔雀がガジュマルの枝から枝へと飛んでいて、近くにねぐらもあるようだた。
「気」が良い場所だった。

ホテルの周りにも野生の孔雀がたくさんいた。
インコも何度か見た。
その他、何種類も珍しい鳥だと説明されたけど、覚えられなかった。
インドには野鳥もたくさんいるのだ。
生き物だらけ。

夜は音楽の演奏があるとかで楽しみにしていた。
が、現れたのはあのテント村の人。
男の子が真鍮の桶のようなものを叩き、大人の男性が太鼓、女性達が踊り。
女性に誘われて踊る。
私の手ををしっかり握って離さない。
打楽器のリズムも、踊りもとても民族音楽・舞踊とは思えない。
ほとんどめちゃくちゃやんけ。
踊りにつき合わされている感じ。
しばらくして一息つくのかなと思いきや、床に雑貨を並べた!
どうりで手を離さなかったはずだ。
例によってあっという間に、私の手にはアクセサリーだらけ。
足にアンクレットをつけようとしたので、
「昼間買ったでしょ!」(日本語)

なんにもいらないから、お金を上げたい気分。
でもそれでは乞食にしてしまう。
大した額ではないしと、また仕方なく買う。
例によって更に売りつけてくる。
もういやだ。
大きな声で、「フィニッシュ!」と叫んだ。
メンバー達が笑う。

彼等にとっては、これが現金収入を得る主な方法なのだろう。
貧困のせいなのだ。



ダサダ

2008-02-20 21:18:11 | Weblog
私たちが泊まったダサダのロッジ風ホテルの名前は「RANN RIDERS」
丸い部屋と屋根(天井なしで梁みえる)の部屋は最高だった。
ベッドに寝ると、宇宙に繋がって行くみたいな安心感だった。
ゆっくりしたかったけど、日本人は忙しい。

バスの故障で時間が足りなく、前日観光予定だったスーリヤ寺院の太陽神殿を、
早朝出発で見に行く。
太陽神殿前の長方形の階段井戸がとても美しい。
とても気持がいい場所だった。

学生が集団で見学に来ているのと出会った。
子供に疲れ気味だけど、「ハロー!」には答えなくっちゃ。
とうちゃんは家族連れに話し掛けられた。
裕福そうな普通のインド人。
親戚も一緒で仲良し家族は楽しそう。
ご主人ととうちゃんはカメラのことで話が弾んでいた。
写真を撮って上げて、私たちも撮ってもらって、まだ、ご主人が何か話したいようだ。
集合時間までに見たいところがまだあるので、そんなにゆっくりしてられない。
日本人は忙しいの。

ホテル(ロッジ)に帰って、ジープに乗り換えて小カッチ湿原へ野生動物を見に行く途中で、
ヒンズー教の行者に遇う。
ふんどし一枚の裸だ。
伴走の自転車もいる。
ジープが止まると行者が私たちに笑いながら手を上げた。
「あれ、パフォーマンスっぽいよね。」と、出発して通り過ぎた。
後続のジープの人たちの話によると、えらい行者様だったらしい。

小カッチ湿原は見渡す限り360度真平ら。
地球は丸い。
水がある場所には、鶴やフラミンゴの群れをはじめとして、様々な野鳥がいた。
そして、草木が生えているところには野ロバの群れがいた。
湿地帯を走っていくと蜃気楼が見えた。
走りつづけて塩田に着いた。
塩の大きな結晶が見える。
塩田の持ち主がまだ出来上がる途中の塩の結晶をくれた。
その人のオートバイはエンジンがかからない。
修理をしていた。
大人2人子供2人で乗って帰るらしいけど。

塩の集積場に行った。
塩の山。
若い男女が10人ほどで、塩を袋詰にしていた。
(10キロ以上ありそう)
塩の山から取って行っても良いと言われて狂喜して手持ちのビニール袋に入れる日本人達。
日本には塩がないと勘違いされたかも。

近くに小学校があるらしく、ここでも大勢の子供達に取り囲まれた。
塩をビニール袋に入れるのを手伝ってくれた身分の低そうだけど人の良さそうなおじさんが車までついてきた。
子供達と、そのおじさんとも握手して別れた。
おじさんの嬉しそうな顔が忘れられない。

午後は










インド・グラジャート州(ダサダへ)

2008-02-19 14:15:13 | Weblog
赤くなった帽子を被っているのが私
(写真:とうちゃん)
その他の写真もここで↓
http://hibiki.web.infoseek.co.jp/yoko/20080205/index.html

ポシナからダサダへ行く途中でヒンズー寺院(アンバジ寺院)に立ち寄った。
白亜の総大理石寺院だった。
参道まで大理石。

参道前の階段では修学旅行のような少年達がいて、ガイジンの私達に写真を撮ってくれと大騒ぎ。
片や、お供え用の花(茎なし)売りの子供も。
お供え用の花を買った。
参道の入り口で靴を脱いで預ける。
更に、寺院の入り口では全ての手荷物を預けて入らなければならない。
テロを恐れてこうしている寺院は前回も結構あった。

イスラム教に襲われれてヒンズー教徒がその仕返しをした何年か前の暴動騒ぎは、
グジャラート州だった。
「あれは、都市部の一部の人が煽動したことで、田舎では両教徒が仲良く暮らしているよ。」
と、地元ガイドさん。

大勢の参拝客がごった返す中、なぜか特別な順路で早く祭壇前まで行けた。
ガイドさんがお布施をたくさんしたのかしら。
花をお供えして、眉間に赤いしるしをつけてもらって外に出た。
「なんで仏教徒が(え!そうなの?)ヒンズー教寺院で拝むんだよ~。」と、とうちゃん。
これがインドよ。(笑)

参道に戻ると、熱狂的な信者の団体が巡礼に来たところだった。
顔中に赤く塗りたくって踊っている。
参道脇に並んだお土産屋さん達や、参拝者も何事?といった風に見ている。
近づいて写真を撮っていると、一緒に踊れと誘われた。
待ってました!(笑)
と、踊りの中に入っていったら、なんと頭から赤い粉をどさっと振りかけられた。
これでこの人たちの顔が赤くなっていたのだと判った時はもう遅い。
帽子も服もバッグも、自分では見えないけど顔も真っ赤っか。
もうやけくそで踊りまくり。
両手に鈴のついた楽器まで持たされて。
いや~楽しい!なんだか分からないけどヒンズー教万歳!

ところで、この寺院の神様の名前は?
覚えてない!長たらしい名前だったような・・・
それでも記念に神様の絵を買った。(笑)
歌のCDも買った。

昼食は素敵なリゾートホテル。
ヘリポートまである。
ここもマハラジャの邸宅だったところだ。
カレーの食事も美味しい。

マルワリラバリ族のお宅を訪問。
やっぱり子供達を追いかけて遊んだ。
深追いしすぎて1人の子が泣きべそをかいた。
ガイジンに追いかけられて怖くなったのだろう。
いじめてないからね私。
そろそろ子供に飽きてきた。
多すぎるよ。子供だらけ。
まだまだこれからだと言うのに、お宅訪問にも飽きてきた。

観光バスが故障!
前回の別の旅行社のツァーでもそうだったので、驚きはしなかった。
近くに線路が見えたので、とうちゃんと二人で歩いてみた。
「インドの線路を歩くなんていいよねえ。」(何が?)
日本よりちょっと線路の幅が広い気がした。
呑気にぶらついていたら、現地ガイドさんが青い顔して、三輪自動車のタクシーで探しに来た。

なんとかバスを走らせて、少し行くと近代的な建物があった。
そこにはファーストフードの店が!
メンバー全員入れられて(脱走者予防?)バスの修理を待つ。
数学を学んでいるという美人の女子大生が話しかけてくる。
これからの世界を背負って立つのだろう。

バスが直って乗り込もうとしたら、老人と足のない男性の乞食がいた。
現地ガイドさんがお金をあげるのを見て安心。

ドライブインには旅行中よく立ち寄った。
簡素なつくりでもち込み可。
チャイのお店が必ずある。
タンクに汲み置きの水を使っていた。
カップはデミタス。
駄菓子や雑貨も面白かった。
揚げ菓子屋のおじさんに出来たての菓子を味見させてくれと小さいのをつまんだら、もっと大きいのをくれた。
悪いのでお金を渡そうとしたら受け取らない。
みんな親切で、インドを楽しん行ってくれと言う風だった。

パタンの町でパタン織(絣のルーツ)の工房と地下7層もある階段井戸を見た。

日没を撮るためにバス停車した時、らくだに引かせた荷車に乗った親子がいて、写真を撮れとポーズをきめた。
写真を撮るのが好きな日本人。写真を撮ってもらうのが好きなインド人。
相性が良い。

ダサダのロッジは、民家風。
寝室も水周りの部屋(バスタブがないので、バスルームとは言えないのだ。)も同じ。
部屋の中はミラーワークのような鏡を塗りこんだ模様つきの白壁。
まるで絵本の家。
丸い部屋はリラックス満点だった。
そして、ここもドアの鍵は南京錠だった。
しかも、ドアの一番上に。(笑)


インド・グジャラート州(ポシナ)

2008-02-18 21:52:43 | Weblog
テラコッタ・ホース(写真:とうちゃん)
その他ポシナの写真はここ↓
http://hibiki.web.infoseek.co.jp/yoko/20080204/index.html

山村ポシナでは、マハラジャのお城を改造してホテルにしたところに宿泊。
お城と言っても、そんなに広くはない。
かなりの古い。
洗面所の水はチョロチョロ。
トイレはなんとか。
シャワーはついているもののそこからお水もお湯も出ない。
バケツが用意してある。
行水のお湯は蛇口から出てくるが、なんと薪で沸かしたもの。
とうちゃんがシャンプーをして、石鹸で体を洗って、いざ行水と言う時に、熱すぎるお湯を水で埋めようとしたら、お水が出なくなっていた!(笑)
冷ましてから使う羽目になって、日本から持って行った風邪が悪化した。
部屋の鍵は南京錠で、2度目に開けるときに、開かなくなった!
ボーイさんが結局は南京錠をハンマーで叩いて壊して無事(?)解決。
ふ~。
でも、お城の周りの村人達は、井戸水を手で汲んでいるのだろうし、
文句は言えない。

朝、お城の前の大通りを歩いてみた。
子供達が薪を頭に載せて家々に運んでいる。
薪を売って食料を買って行く子達も多いという。
近くの農家に牛乳を買いに行く人たちもいる。
あちこちから声がかかって、写真を撮る。
家の中からでも声をかけてくる人、小さなヒンズー教の神様の祠を見せてくれる子供達。
大人も子供もフレンドリーだ。
私が観光しているのか、地元が私を珍しがって喜んでいるのか・・・両方だろう。
写真を撮ればお金を要求されたことがしばしばだった前回とは全く大違いだった。
こんな調子で最期まで地元の人に会うのが楽しかった。
特に子供達は本当に愛らしく、人なつっこく、子供らしい。
汚れた服を着て裸足の子でも、目はきらきら輝いていた。

ジープに分譲して周辺の村を訪ねる途中に、テラコッタ・ホースの奉納に行く。
川の側の小さな祠に素焼きの馬の像をお供えする。
儀式だ。(なんで?ま、いいか)
奉納された千を越すほどの馬がズラリ並んでいる。
村の子供達が大勢どこからともなく集まってきた。
1人ずつ奉納するので、自分の番になるまで、子供達とおしゃべり(?)したり、写真を撮ったり、畑を見に行ったり。
奉納はお線香を立て、お菓子を備え、ココナッツを石にぶつけて割る。
硬くてなかなか割れず、手がしびれる。

次はビール族の村へ。
村の神様をお祭りしている粗末な土壁の家。
独特の雰囲気で、誰も中には入らない。
ここでお祈りしている村人が、突然トランス状態になることもあるとか。

続いて、民家を訪問。
土壁の家。
小さな部屋とせいぜい8畳ほどの部屋があわせて三つほどある家だ。
牛、鶏、ヤギがいるが、その小屋らしきものはない。
子供達がたくさんいる。
赤ちゃんはともかく、どの子がここのうちの子達かわからない。

お宅の中を拝見。
奥の部屋は真っ暗で見えない。
目が慣れてくるとやっと一人の女性がなにやら料理をしているのが見えてきた。
手が届く天井は植物を編んで作られていた。
天井から釣り下げられている2つの籠の中には、卵を抱いて温めている鶏が座っていた。
寝台の上に衣類が積み重ねられていた。
天井裏には、保存用のトウモロコシや、普段使わない道具などがおいてあった。
窓が少なく換気が悪い。
酷い匂いだった。
複数の動物の臭い、糞、人の体臭、料理、埃等の臭いが入り混じっていて、耐えられない。
説明が終らないうちに皆より先に外に出た。
子供達と鬼ごっこ。

ビール族のビールとは弓の意味だと言う。
狩猟と、たぶん戦いにも使ったのだろうとガイドの話。
若いご主人が、年季が入った弓矢を持ち出して何度か矢を放ってみせてくれた。
強力でこわ!
背の高い豆の木の畑の中でヤギを追っている少女が見えた。

もう一箇所のテラコッタホースの祠まで出発しようとした時、
ツァーの1人の女性が貧血で倒れた。
その後も調子が悪くて、もうインドには来られないと、お土産を買い込んでいた。
でも、「日本に帰ってしばらくして元気になれば、また来たくなるものよ。」
と他のメンバーの意見は一致。

午後は、ホテル周辺のバザールを見て、ガラシヤ族の村へジープで。
マハラジャ自ら運転のジープ。
(このマハラジャは、私達の朝食のパンも焼いていたとか。)
緑の畑にガラシヤの女性の赤い民族衣装が映えた。
家はやはり粗末な小さなもの。一部屋か二部屋。
どこの村でも、そうした家が多数だった。

前日夜遅くホテルに着いたため、
少ししか聞けなかった村の音楽演奏を期待していたのに、
音楽隊が来なかった。
マハラジャが私のせいにして、適当な言い分けした。
ツァーの女性に人気の若いマハラジャだった。

遠くで、結婚式か何かの音楽が一晩中続いていた。