躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

親子

2006-10-05 22:20:24 | Weblog
『おもしろサツマイモ』
(写真:とうちゃん)

母は四国の田舎で一人暮らしだ。
9月の母の誕生日祝いに花束を贈った。
丁度その日は、弟達と私の娘が実家に行っていたのだけど、
多分、本人も含めてみんな母の誕生日のことは忘れていたのだと思う。
そんな時に私が花を送ったので、大喜びしたようだ。
というのも、私は夫の実家に行っていて、
留守電に嬉しそうに興奮した母の声が入っていたを聞いたのと、
娘から写真がパソコンに送られて来ていたのを見たからだ。
私が家に帰った頃は、母は趣味の会の旅行に行っていたので、
それっきりになっていた。
今日、大きく引き伸ばした誕生日の写真と、お礼の短歌が届いた。

実は、花を贈る前に電話で喧嘩をしていて、
親子喧嘩ではあるが、私は深く傷ついていた。
母は家族に対して面倒見が良くて、
いわゆる良妻賢母だったのだが、
私とは、感性が全く合わないところがある。
それは、親子であっても仕方のないことなのに、
母には許せないらしい。
小さい頃から、母に理解できない私の部分をいつも罵られていた。
今回の喧嘩もそうだった。
でも、誕生日を幸せに迎えて欲しいくらいの気持ちは私に残っていたのだ。

確かに、私にはおかしなところがある。
何事につけても、本当だろうかと考え込んでしまう。
世間が当たり前のこととしてやっていることが、
何か変に思えてくると、日常がとても辛くなる。
母にはずっとそのことを解かって貰えなかったし、
そういう話をすることも出来なかった。
母だけではなく、夫に会うまでは、
そのことを誰とも共感して話せることはなかったのだ。
だから、母を責めることは出来ないのだけれど、
感情的になったとはいえ、親に人格を否定されることは、
いくつになっても悲しいものだ。

昨日、友人達とお茶飲みをしていたら、
一人の友人が、息子の話が理解できないと話し始めた。
「あの子、いちいち考え込んでしまうのよねえ。
反対に、どうしてそんなに気楽に生きられるのかと言われちゃった。
話を聞いてはやるけど、解からないわ。
なんか違う世界みたいで。」
辛い子がここにもいたのだ。
でも、友人(母親)は解からなくとも認めて上げているから、
息子さんは大丈夫よ。
そこから先を見つけるのが息子さんの人生よ。

さて、頑張って母に電話をしよう。