とんびの視点

まとはづれなことばかり

ついさっきまであったニジマスの命

2010年05月31日 | 雑文
週末、那須にキャンプに行ってきた。「キャンプに行きたい」、ここ1ヶ月ほど次男が言い続けていた。天気はほとんど曇り空でとても寒かった。土曜日の夕方から日曜日の明け方にかけては雨が降った。晴れた日の太陽の光の中の新緑を楽しみにしていたので、ちょっと残念だった。

それでも時おり都会を離れるのはよい。夜、タープの下で椅子に座っている。時おり、ザザザザッと雨が天井に落ちる。雨だ、と子どもたちが驚いたような声をあげる。雨じゃないよ、葉っぱにたまっている滴が、風が吹いて1度に落ちてきたんだよ。トトロのバス停のシーンと同じだよ。トトロが飛び跳ねて木々が揺れると雨粒が落ちるでしょ、と説明する。ザザザザッとまた天井に雨粒が落ちる。ピョーンと次男が飛び跳ねるトトロの真似をする。

今回のキャンプで面白かったのはニジマス論争だ。夜、テントの中で長男が次男を説得している。「どれにするか考えてね。1番、明日はニジマスを釣らない。2番、明日はニジマスを釣らない。3番、明日はニジマスを釣らない。……7番、明日はニジマスを釣らない。8番、明日はニジマスを釣らない。さあ、どれにする。」とてもやさしい声だ。「ぜんぶ〈つらない〉じゃないか。あしたはニジマスをつるの」と次男が大きな声で言い返す。

なぜこんな話しになっているのか。実は1年半くらい前に1度、同じキャンプ場でニジマス釣りをしている。竿とエサを借りてキャンプ場にある池でニジマスを釣る。釣ったニジマスは買い取ることになっていて、さばいて食べる。長男も次男も初めての釣りだった。意気揚々とニジマスを釣り上げたところまでは良かった。だがさばく段になって、長男は自分がニジマスを殺すという事実に打ちのめされた。帰りの車でもうなされながら「ひどいことが」などと言っていた。(次男は打ちひしがれた長男を横に、オレがさばく、とナイフを手にしていた)。

というわけで長男はニジマス釣りをどうしても阻止したいのだ。ところが次男は1度言い出したら引かない性格だ。「どうしてダメなの。ニジマスを釣って食べるんだよ。お兄ちゃんは見なければいいでしょ」と提案には乗らない。「だって殺しちゃうんだよ。ひどいじゃないか。かわいそうだよ。ねっ。やめようよ」。「オレはぜんぜんかわいそうじゃない」。「食べるの、ひどいよ」。「お兄ちゃんだって、肉とか食べるでしょっ」。「だってそれは殺すところは見えないじゃないか」。「いいの、釣って食べるの」。「やめようよ。那須の楽しいキャンプでそんなひどいことをしなくてもいいじゃないか。いやなんだよ」。

いつまでもやり続けているで、ちょっと口を挟む。「殺すところが見えないからいい、というのはちょっと違うと思うよ。殺すのがイヤだって言う気持ちは分かるけど、殺したものをきちんと食べるというのも大切なことなんだよ」と。長男は少し考えて、「わかった、じゃあ、釣るところは一緒に見に行く。そしてさばいている間はテントに隠れていて、焼けたら食べる。魚屋さんの魚だと思って食べる」と決心する。(何だ、やっぱり食べるのか)。

翌日、昼ご飯に合わせて釣りに行く。お金を払って竿とエサを借りる。長男にはバケツを持たせて池に向かう。魚が釣れたら走って逃げるから、と長男は早くも挙動不審。次男は竿を右手にどうどうとしている。直径10メートルもない小さな池だ。少し離れた所からもニジマス達が元気に泳いでいる姿が見える。僕らの足音を聞きつけるとさっと姿を隠す。

「じゃあ釣る」と次男が宣言する。「釣れたら走って逃げるからね、釣れたら走って逃げるからね」何度も確認する長男。エサをつけ、水に入れる。入れたと思ったらあっという間に食いつく。糸が定規で書いた線のようにピンとまっすぐになる。ウキが一気に水中に引き込まれる。竿がしなる。おおっ、と次男は声をあげながら、竿をコントロールしようとする。右、左に竿が揺れ、引き込まれる。長男は走って逃げようとしている。

すっ、と竿がもどる。逃げられたのだ。エサを付け直してもう1回。あっという間にウキが水中に引き込まれる。釣り堀とは言えいささか簡単に食いつきすぎる。これじゃあすぐに終わってしまう。今度は竿を立ててコントロールしている。竿を引き込む力が弱まって、ニジマスの姿が水の中から現れる。空中を舞い、地面に落ちる。「じゃあ、オレは行くから」そう言って長男は走っていってしまう。

ニジマスは地面で跳ねている。そう言えばバケツを用意していなかった。バケツを持ってニジマスをつかみに行くが、あっという間に池の中に飛び込んでしまう。残念だねと口では言ったものの、もう一度釣りが楽しめる。今度はバケツを用意して、エサをつけて放り込む。三度目、入れた瞬間にニジマスが食いつく。次男はしっかりと釣り上げる。ニジマスをつかみ、針を外す。掌の中のニジマスが凄い力で逃げ出そうとしている。ニジマスからすれば本能的な動きなのだろう。でも僕には、捕まったら殺され、塩焼きになるのだから、命がけで逃げようとするのも当然だと思えてくる。自分の思いをニジマスに投影しているのだ。

次男は嬉しそうにバケツの中をのぞき込んでいる。ニジマスは元気そうに泳いでいる。今回はキャンプ場の人にニジマスをさばいてもらう。手にしたバケツの中でニジマスが跳ねる。その力が手に伝わる。バケツを手渡す。5分ほど待ってビニール袋に入ったニジマスを手渡される。右手で受け取る。拍子抜けするくらい軽い。命がなくなったのだ。重さというか、手応えとして命(の欠落)を感じたのは久しぶりだ。

ついさっきまであったニジマスの命はどこに行ったのだろう。どこも思いつけずに、ニジマスの池に思いを向ける。あそこには同じような運命を待っているニジマスがたくさんいる。誰かに釣られ、さばかれることを待っているニジマス達だ。釣られ、さばかれ、食べられるために存在しているニジマス達。そう思うと、ちょっとやるせない気分になる。

でもそれも僕の投影にすぎない。ニジマス達にとってはそこが釣り堀であることも、キャンプ場のアトラクションであることも関係はない。水の中を泳ぎ、エサがあれば食いつき、命が終わるまで生きるだけである。自分たちが「何のために」存在しているのかは問題ではない。それは人間が勝手に考えることだ。

それは私たち人間にとっても同じである。「人間が他の生き物に対してやっていることは、すでに人間に対してやったことだ」という格言がある。(嘘です。いま思いついたものです)。私たちも釣り堀のニジマスのような存在なのかもしれない。私たちの生きる枠組みは誰かに決められているのかもしれない。その存在理由さえも決定済みなのかもしれない。でもそれは誰かが勝手に考えることで、私たちの問題ではない。ニジマスが水の中を泳ぎ、エサがあれば食いつき、命が終わるまで生きるように、私たちも出来事と巡り合い、トラブルを乗り越え、命が終わるまで生きるのである。


情報は集まりますが

2010年05月28日 | 雑文
仕事の性質上ということもあるが、私の所にはいろいろな情報が集まってくる。その情報は、誰でも耳に出来る情報と本当に一部の人間しか知ることの出来ない極秘情報の間くらいのものである。話す方にすれば誰にでも言える情報ではない。伝える相手を選ばねばならない。光栄にもその相手に選んでもらえることが多い。

情報を多く持つことが良いこととされている。なぜならその方が目的を達成しやすくなるからだ。少なくともこの社会ではそういう考え方が主流である。ここで言う「目的」とは、「自分」の目的である。つまり情報を多く持つことで達成したいのは「自分」を満たすことである。目的が大きく達成が完全であるほど、「自分」が大きくなっていく。

ところが私の場合は矢印は反対を向いていく(いつものことである)。情報が集まれば集まるほど、「自分」が薄くなっていく。さまざまな場所から集まる情報を調和させなければならないからだ。ある出来事について1人の人から話しを聞く。そこには客観的な状況の説明があり、明確な願望があり、無自覚な操作がある。

相手が1人であれば調整はシンプルだ。現実に起こっている出来事と、相手の捉えている現実を兆羽させれば良いからだ。シンプルな調和であれば、それを成し遂げるために私の意図を強く出してもそれほど問題はない。意図の強弱を1人の相手に合わせていれば調和が保てるからだ。

しかし相手が複数となると話しは複雑になる。現実に起こっている1つの出来事に対して、複数の人間がそれぞれ異なった現実を捉えるからだ。(芥川の「薮の中」と同じだ)。複数の人間の間の現実の捉え方を調整し、さらにその捉え方と現実に起こっている出来事を調和させねばならないからだ。

こうなると私の意図はちょっと出しにくくなる。複数の人間に同じように受け取られることはまずないからだ。ある人にとっては良く見える意図が、他の人にとっては悪意に見えることもある。出来事を調整するに当たって意図を働かせれば、どこかからは不満が出てくる。これは仕方のないことである。

そのような不満に対抗できる唯一の手段は、手に入れた情報から自分の利益を得ようとしないことである。少なくとも、自分の利益は最後に考えることだ。結果、情報が集まれば集まるほど自分が利益を得ることは出来なくなる。でも不思議なことに自分が利益を得ないということが、情報が集まってくる理由にもなる。私に話しても、その情報を私的に利用しないと安心できるからである。

そういう訳で、情報はどんどん集まり、そのぶん自分の利益を追求できないという、この社会の常識とはちょっと違った事態が起こることになる。じゃあお前はそこから何も得ていないのかというとそんなことはない。利益と連動しない信頼関係を手に入れることが出来る。そういった信頼関係は私にとってはけっこう大事なものである。

ためらいは死角から生まれる

2010年05月26日 | 雑文
ブログを書く時間を上手く確保できない。書かない日が続くとかえって書きにくくなる。ランニングをしない日が続くと走るのが辛くなるのと同じだ。少しきつくても継続して走っていた方が結果的には楽なように、少しきつくても継続して書き続けることが必要だろう。ざっと書く。

先週末は葉山に行く。土曜日は天気も良く海岸で凧揚げと水遊びをしてから、磯でカニやハゼなどを捕まえる。アオウミウシを初めて捕まえる。大きさや形はナメクジを想像してもらえばよい。とくに色がきれいだ。鮮やかな青にレモンイエローの縞模様、それに触覚としっぽの付け根のひらひらのバレンシアオレンジ。9歳と5歳の子どもが生まれて初めて目にした日に、僕も目にした。

凧揚げでは兄弟それぞれの性格が出ていた。(凧揚げにも性格が出ることにちょっと感心した)。長男は風を受ける凧に引っ張られるようにどんどんと前に進んでいく。表情もゆるい。だからちょっと風が弱くなると凧は落ちそうになる。次男は凧が受ける風の手応えと戦っている。だから少しずつ後ずさりしていく。軽く歯を食いしばっている。長男は細かいことは気にせずに何でも受け入れてしまう性格だし、次男は自分の主張を絶対にゆずらないタイプである。それぞれの性格に身を委ね、2人は少しずつ離れていく。十数年も経てば、やはりそれぞれが自分に身を委ね、それぞれの道を行くようになるのだろう。

「あなたには自分でも気がつかない決定的な死角のようなものがあるのよ」というような言葉を村上春樹の小説で読んだのはもう20年近く前のことだろうか。それ以来、死角の存在を確認しようとときどき後を振り返ったりする。振り返った瞬間、自分の後には死角が出来る。自分は常に何かを見落としている、そういった基本的な事実を忘れないようにしている。

仕事でコーチングをしているときなどは、物事を整理してきちんと話すようにアドバイスすることがある。自分が見ていること、考えていることを自信を持ってはっきりと述べるように、と。とは言え、ある種の人が自信たっぷりに話しをしているのを見たりすると、個人的にはちょっとうんざりする。対話を成り立たせるのが困難だからだ。

そういう人たちに共通しているのは、自分が見ているものがすべてである。ふつうに考えれば自分と同じような考えに誰もが至るはずであると、無反省に信じ込んでいるのだ。自分には決定的な死角があるかもしれない、などとは思ったこともないのだろう。だからそういう人たちの言葉は、すべて自分の正しさを披瀝するため(証明ではない)に使われる。そこには厳密な意味での対話はない。こちらの役割はただ相手の意見を肯定するだけである。

ひどいときなど相談があると話しを持ちかけておきながら、自分が言いたいことだけ話していく人もいる。(何を勘違いしたのか、こちらにアドバイスをしてくれる人もいる)。もちろん大抵のケースにおいて論破することはそれほど困難ではない。そう言う人は、自分の死角に気づけないことが死角を拡大し、あからさまに弱点を曝すことになるからだ。とは言え、そういうタイプの人を論破するとあとで厄介なことになるので、基本的には人間というのは不思議なものだなと感心しながらきちんと話しを聞くようにしている。

自分が見ているものが自分にとってのすべてである、というのはその通りである。しかしそのことは、自分がすべてを見ているということを意味しない。同じように、自分が知っていることは自分にとってのすべてであるが、そのことは自分がすべてを知っていることを意味しない。ましてや自分の考え方の死角を想像していなければ、考えるほどにその考えはズレていくことになる。

自分は何かを見落としている、自分には知らないことがある、自分の考え方には決定的な死角があるかもしれない、そういう思いから出てくる言葉や行動には「ためらい」が感じられる。「ためらい」があるから「対話」が生まれる。死角を持った者同士が対話することで、自分だけでは気づけなかった何かを知ったり、共有することができる。何より、自分がすべてを見て、知って、わかっていると思っている人間は、そこがゴールである。それ以上の成長はない。自分には見えていないものがあり、知らないことがあり、わからないことがあると思っている人間は、まだまだ途中であり、可能性があるのだ。

ソクラテスが知者であった理由は、自分が知らないということを知っていたからである。論語には「知ると言うことは、知っていることを知っているとし、知らないことを知らないとすることである」といった内容の言葉があったはずだ。道元は「迷に大悟するは諸仏なり、悟に大迷なるは衆生なり」と言っている。言葉は違うが、「知らないことに自覚的でいること」の大切さを読み取ることは可能である。

火事だ、みんなで助けに行くぞ

2010年05月21日 | 雑文
小さな羽虫が集団で飛んでいる。といっても移動しているわけではない。1ヶ所に集まって上下しながら浮かんでいるという感じだ。春のやわらかい西日の中を心地よく走っていると、気がつかないうちにそんな中に突っ込んでいくことがある。小さなものが口の中に入る。ちょっと柔らかい。吐き出そう、吐き出そうと思うが何も出てこない。イヤな気分を払拭するために「1粒200メートル」とグリコキャラメルのことを思うが、口の中にはイヤな感触が残る。毎年5月のランニングとはこんなものである。

小学校4年生の長男のテストが僕の机の上に置いてあった。社会科のテストで、範囲は「火事の時は119番」というものだ。得点は90点。教育熱心な家庭ならもう少しで100点なのにと残念がるだろう。僕にとっては点数の良し悪しはそれほど問題ではない。それよりもどんなところを間違えたのかが気になる。間違えたのはこんな問題だ。

「4、東京都の区部で火事が起きたときのことについて、正しいものを2つ選んで○をつけましょう」
選択肢は4つだ。長男は1つ選択肢を誤った。何を間違えて選んだのか見てみた。「火事が起きると、区内の全部の消防自動車がいっせいに出動する」というところに○をつけていた。これが間違いだった。

なるほど長男らしいと思った。これを選んだとき、彼の頭の中では「火事が起きた大変だ、みんなで助けに行くぞ」という物語が展開されていたのだろう。誰かが困っていたらみんなで助けよう、そんな真っ当な気持ちの表れだ。心持ちとしては悪くない。君は間違っている、と面と向かって言おうという気にはなれない。

とは言え、社会のテストという意味ではこの解答は間違いだ。1つの火事にすべての消防車が出ていってしまったら、他の場所で火事が起きたときにそちらが手付かずになってしまう。ものごとを全体的に見て、もっとも効率のよいやり方を考えねばならない。そういうやり方こそ、結果的にはより多くの利益を人々にもたらすものだからだ。だから、1つの火事にすべての消防車が出ていくなどというのは子どもの考えであり、そんな子どもに正しいことを教えるのが学校教育である。

なるほど。では、大人たちは結果的により多くの利益を人々にもたらす社会を作り上げているだろうか。どうもそのようには見えない。確かに大人たちは、子どもに比べて日々何かを考えている。考えというのは、どんな内容であれ当人にとっては合理的なものだ。とすれば誰もが合理的に正しく考えている。

社内で誰かが困っていたらみんなで助けに行きたい、という思いがある。その一方で、困っている人を助けるよりも明日の自分の仕事の準備をすることの方が会社にとっての利益が大きいはずだ、という考えもある。消防車の話と同じ型である。あるいは、非正規労働者の所得が上がるようにみんなで何とかしたい、という思いがある。その一方で、自分や家族の将来の不安をなくすためには取り分は確保したい、という考え方がある。これも消防車の話と同型である。

とりあえずみんなで助けよう。そう思うよりも、まず自分を守ることを考えてしまう。おそらく人を助けることが自分を守ることにつながる、という実感が持てないのだろう。何故だろう。困ったときに助けてもらった経験がないからかもしれない。誰も自分を助けてくれないから、自分も誰も助けない。そういう気持ちの動きは理解できなくはない。

でも、その考え方にはすでに合理的な思考が入り込んでいる。「助ける」と「助けられる」が損得勘定の対象になっている。「助ける」という行為は、損得勘定を突き抜けているものだ。少なくとも助けた相手からの見返りを期待したら、それは「助ける」という行為ではない。「助ける」ということは大人の合理的な思考より、火事が起きたらすべての消防車が集まってしまうという愚かな子どもの気持ちに近いのかもしれない。大人とは愚かなことはしないものである。そう言えば、僕が私淑する親鸞という人物は自らを「愚禿」と名乗っていた。

風呂で眠るのは気絶です

2010年05月17日 | 雑文
まずは【受け売り】から。先日、Podcastでヴォイニッチの科学書を聞いていたら、風呂に浸かりながら眠るのは危険だという話しをしていた。本人は寝ているつもりでも、実は気絶をしているらしい。血管が拡張して血圧が下がることによる気絶だそうだ。場合によってはそのまま湯船に沈んでしまうことがあるとのこと。湯船で眠る習慣のある人は気をつけましょう。

さて、前回は不完全であることの可能性について書いた。実際、コーチングの場面などで、不完全であることをマイナスに受け取っている人に出くわすことがある。本人は出来ないことを気に病んでいる。しかし僕から見ればそれは可能性を見て取れる状態である。

何かが出来ないということは、それが出来るようになれば、1つ成長することを意味します。出来ないことにぶつかるということは、自分が成長するチャンスに出合えるということです。出来ないことにぶつかれなければ、もうこの先、なんの成長も望めないということです。だから出来ないことにぶつかるのは喜ばしいことです。自然にしていても世界のほうが成長するきっかけを与えてくれるのです。いやあ、世界も捨てたものではありません。

こんなおちゃらけた感じではないが、こういう主旨のことを伝えて相手にやる気を出させる。そんなことを自分以外の人間に仕事でやっている。しかし自分にとっては出来ない状態というのはイヤなものである。いかに可能性に満ちていようが、不完全はやはり不完全である。そんな自分の姿を見ていると気が滅入ってくる。

厄介なことに、真剣にやろうとするほど不完全さは目につく。今の自分と完全な姿を比較してしまうからだ。気が滅入らなくするためには、完全など目指さないで適当にやっていればよい。しかしそんな風にして数十年生き、そして死んでもあまり意味もなかろう。そんなわけでやはり、気が滅入りながらも不完全な自分の姿を眺め、1つずつ向上させて行くことになる。

潮の干満のように、自分の文章が度し難くひどいものに感じられる時期が周期的にやって来る。今もその時期だ。他人の文章にショックを受けて、状況を打破しようと思った。そんなわけで、アーサー・ビナードの本を図書館から2冊借りてみた。『空からきた魚』というエッセイと『釣り上げては』という詩集である。名前からも分かるように日本語を母語としない外国人である。しかし日本語でエッセイや詩を書いている。しかも講談社エッセイ賞と中原中也賞を受賞している。

外国人が日本語で詩集を出したり受賞しているという事実ほど、文章そのものにはショックは受けなかった。きちんと読み込めば学ぶ所もありそうだが、そんな時間もないので楽しく読んだ。気になったのはエッセイと詩の間にそれほどの差が感じられなかったことだ。感性も言葉を掴まえる場所も詩とエッセーでそれほど違う感じがしない。詩をもう少し膨らませればエッセーになりそうだし、エッセーを凝縮させれば詩になりそうである。

実際、和歌や俳句などの定型詩と散文では両者の違いは形式からすぐわかるが、自由詩と散文の違いは読者には区別がつきにくいときがある。そんなことを思っていたら、そもそも詩とは何か、そういう根源的な疑問が浮かんできた。個々の詩については何らかの意見を述べることは出来るが、「詩とは何か」と尋ねられたらおそらく絶句するか、適当にごまかすことになるだろう。そこで吉本隆明の『詩とはなにか』という本をめくってみた。さすがである。きちんと一言で書いてある。

《詩とはなにか。それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、かくという行為で口に出すことである。》

全世界を凍らせるかもしれないほんとのこと、というのが凄い。そういう言葉を書きたいという気持ちは言葉を使うものであれば誰でも持つだろう。ただ、そういう言葉だけを使おうとすれば、つねに絶句していることになるだろう。不完全でダメな言葉で書き続けるしかない(そしてそれは今回のテーマでもある)。しかし不完全さを自覚しながら使われる言葉には「ためらい」という良い点がある。そんなわけで次回は「不完全さとためらい」について。

不完全の可能性

2010年05月16日 | 雑文
寝違えたようだ。首が上手く回らない。何となく窮屈な週末を過ごす。今日は家族で上野に行った。義父の絵が展覧会に出ているので、見に行ったのだ。どいうわけか、行きも帰りも乗った車両には異臭がした。浮浪者の放つ異臭だ。行きの電車では長男が気持ち悪いと言い出したので車両を変える。何か気になると囚われてしまう呪いにかかりやすいタイプなのだ。(帰りの電車は乗った瞬間に車両を変えた)。

上野公園は休日のにぎわいだ。太陽の光は強いが、乾いた風は少しばかりひんやりする。上野の森の新緑は太陽の光を浴びながら風に揺れる。緑の葉が白く光ったり黒く陰ったりする。そんな光と風と緑の中を子供たちは追いかけっこをしている。笑い声が透明に響く。

展覧会は思ったより面白かった。正直、展覧会には期待していなかった。おじいちゃんの絵が展覧会で飾られているという事実を子どもたちに体験させるイベントというのが狙いだった。ところが思いの他に楽しめた。会場の雰囲気が有名画家の企画展などとは違う。見に来ている人は出展者の知り合いが多いのだろう。すべての絵を見るというよりも、目指した絵を探しているような人が多い。そして絵の前に集まって記念写真を撮ったり、声をひそめることなく話しをしている。ざわついた感じが心地よく、子どもも気楽そうにしている。

絵を見ることも楽しかった。時おり、はっとさせられるものもあったが、大抵は(素人がみれば)ふつうに上手な絵というところだ。でもその分、見ていて楽しい。ふつうに上手な分、ただ描くだけではなく、何かをしようとしている。その意図や狙いが見ていて心地よいのだ。意図や狙いが大きいほど、表現もあからさまになる。絵の出来としてはアンバランスになるが、そういうチャレンジしている姿勢はとても良い。

結局のところ、完璧な作品などないのかもしれない。ある状況において全力で作品を作る。その状況ではそれがベストかもしれない。でも状況という考え方を外せば、その作品にも何か足りない所がある。それが次の作品を作る原動力になる。見方を変えれば、全力で仕上げた不完全な作品を人前に曝すことに芸術の1つの意味があるのかもしれない。そういえば、ゆらゆら帝国が解散したときに、慎太郎さんは、バンドが過去最高に充実した状態、完成度にあると感じた、だから終わりにする、と書いていた。完成を追い求めるには不完成でなければならない。

自分が「何か」になりたいと思えるのは、自分が「何か」ではないからだ。そして自分が「何か」になってしまったときには、「何か」になりたいと思っていた自分はすでに存在しない。私は何かを追い求めている。しかしその何かを手に入れたときには、私はすでに何かを追い求める私ではなくなる。何かを追い求めている人は、それを手に入れることは決して出来ない。(これは大乗仏教で空の理論を打ち立てた竜樹の言葉遣いである。ちなみに、追い求めていない人は、追い求めていないのだからそれを手に入れることはない。追い求める人も、追い求めない人も、手に入れることはないのだから、追い求めて手に入れるということは存在しない。竜樹ならこう続けるだろう)

いずれにせよ、何かを追い求めて不完全であることは出来るのだ。そして不完全であることは、まだその先があるということ、これで終わりではないことを意味している。不完全というのは可能性の別名なのだ。そう、今日の展覧会が楽しかったのは、そこに可能性を感じられたからだろう。そのことを通して、自分の不完全さにも少し可能性を感じられたのかもしれない。

たこ揚げ

2010年05月10日 | 雑文
今月はランニングが好調だ。走行距離は10日現在で75km。月の目標が150kmなのでかなりのハイペースだ。考えて見れば今月に入って運動をしていない日は1日もない。ランニングか合気道かボクシングの練習のおつき合い。何かしら体を動かしている。とくに先月くらいから合気道の基本的な動作を家でも稽古するようにしたので、(ランニングのように)雨だからできないということがない(言い訳が出来ない)。

そのぶんものすごく疲労しているし、全身が筋肉痛だ。ちゃんと睡眠はとっているのだが、目覚めて最初の言葉が「疲れた」だったりする。それを聞いた次男に「起きたばかりで疲れたはないでしょう」と何度も注意される。確かにそうだ。朝から「疲れた」はないだろう。かりに疲れていても、子どもの前では「疲れた」という言葉は口にしない方がよいだろう。親の言葉遣いは子どもにうつるからだ。(子どもが意図的に真似するというよりも自然にうつるのだろう。だから子どもの言葉遣いはほぼすべて親の責任である)

そんな状態でも週末には続けて土手にランニングに行った。土曜日には1人で、日曜日には家族と一緒に。本当は日曜日には体を休めるつもりだったが、天気がよいので子たちを土手に連れていき、凧揚げをした。相方は次男を後に載せた自転車、長男は自分の自転車、僕だけがランニングだ。重い体でドタバタと走る。土手に着きしばらく荒川を上流に。暖かく風もゆるい。ジョギングやバイクの人たちも多いが、土手に遊びに来た家族連れが多い。

広場の所で3人と分かれて僕だけランニングを続ける。いつものように岩淵水門まで行き折り返し、3人が遊んでいる広場まで戻る。少し離れた所から凧が揚がっているのが見える。ああ、いい感じで遊べているのだな、走りながらそう思う。でも、凧は落ちてしまう。いささか風が弱いのだ。

上手く揚がらないんだ、と長男が言う。風が弱いからね、もう少し風が強くなったら揚げるといいよ、という。次男は糸を1メートルくらいにしてとにかく走る。走る勢いで風の抵抗が生まれ凧は落ちない。円を描くようにグルグルと走る。「あがってるよ、あがってるよ」と楽しそうだ。楽しそうだが、だんだんと顔が赤くなり、息もあがってくる。

長男はたこ揚げを一時中止して、地面にしゃがみ込んで何かをやっている。ラディッシュのようなものを見つけたらしい。僕を呼んで地面の隙間から見える、直径1センチくらいの赤い実を見せてくれる。ラディッシュの次はきれいな石を探している。長男は自然相手にいつまでも遊んでいられる。

少し風が吹いてきたので、僕が凧を揚げる。ゲイラカイトというビニール製の凧だ。僕が子どもの頃にも売っていた。当時、ほとんどの凧は紙製の和凧だったが、ゲイラカイトはビニール製のアメリカ凧だ。形も斬新な2等辺3角形。わが家にとっては決して安いものではなく、正月を待って特別に買ってもらった記憶がある。

そんな記憶があったのでネットで買ったのだが、手にしてみると思ったより小さくてチャチなものだった。今なら和紙で作った凧の方が絶対によいものだとわかる。でも当時はそうは見えなかったのだ。そして今の子どもたちにもそうは見えないのだろう。大きくてカラフルで立派な凧に見えているのだろう。

時おり吹く、強い風をつかまえて一気に凧を揚げる。糸を少し送り出しては風を受けとめる。そして凧の高度をあげる。高度が上がったらまた糸を送り出す。風と調子を合わせながらどんどんと凧を揚げる。凧がどんなふうに風を受けているのかを、指先に引っかけた糸を通して感じる。そして凧をコントロールする。

風が止む。一気に凧が落ちはじめる。急いで糸をたぐり寄せる。凧は揚げるテクニックよりも、思った所に落とすテクニックの方が大事だ。ただ落とすだけではない、一気にたぐり寄せた糸が絡まらないようにしなければならない。凧が落ちはじめるまでそんなことは忘れていた。でも、落ちはじめた瞬間にそうやっていた。案外、いろんなことを覚えているものだ。

しばらく待つが、風は吹かない。やっぱり風がないと凧は揚がらないね、また今度にしよう、と言う。「あがるよ」次男は30センチくらい糸を出して走り出す。「ほらね、あがった、あがった」。グルグルと走り回る。顔が赤くなり、息があがってくる。「おもしろいから、やってごらんよ」と僕に凧を手渡す。見ているのは面白いけど、やっても面白くなさそうだな、と思う。でも、次男に言わせれば、凧も持たずに土手をジョギングしている方がよっぽどつまらないかもしれない。

とりあえず、手に持ってちょっとだけ走ってみる。頭のすぐ後にはゲイラカイトの目玉がある。おもしろいでしょ、と次男が嬉しそうに言う。うん、悪くない。確かに、悪くない。ほとんど糸の出ていないゲイラカイトをもって1人で走ってもつまらないだろうが、君と一緒にこういう時間を持つことは何にも増してよいものだよ。僕に向ける君の笑顔を見ていると本当にそう思う。全身の疲労も筋肉痛もどこかに行ってしまいそうだった。


『1Q84』と親鸞

2010年05月07日 | 雑文
『1Q84 Book3』が出版されて3週間がたった。ときおり書評も目にする。褒めているものを読めば「うんうんそのとおり」と喜び、否定的なことが書いてあれば「何もわかっていないな」と悪態をついてやり過ごす。すごく不公平である。でも仕方がない。僕は村上春樹のファンだからだ。私たちは自分が良いと認めたものを好むのではない。自分が好むものを良いと認めるのである。僕がどれだけ村上春樹を良いと述べても、結局のところそれは好みの問題である。

ちなみに僕が村上春樹を初めて読んだのは高校生の頃である。『風の歌を聴け』に心を動かされ100回以上は読んだ。おかげで、自分で初めて買ったビールはバドワイザーだし、ピスタチオなる食べ物を下町のお店で探した。『1973年のピンボール』を読んだあと、しばらくはゲームセンターに通った。『羊をめぐる冒険』のラストシーンの砂浜、最後に残された50メートルの砂浜にも行った。あるいは、村上春樹がランナーでなく、作品の中にもランニングシーンが出てこなかったら、僕は今のように走っていなかったかもしれない。

これだけ影響を受けているのだから、村上春樹を肯定したくなるのも当然である。だからと言って、誰もが僕と同じように考えるとは思っていない。というかまずそれは無理である。だから僕は村上春樹の作品を人に薦めることはしない。下手に感想などを述べられたら困るからだ。まして否定的な評価などされたら、きっとその人間を憎憎んでしまうだろう。

というわけで『1Q84 Book3』について個人的な意見を書く。僕の印象では、今回の作品で村上春樹は今までとは違う所に到達した。『1Q84 Book1』『Book2』の段階でもそう思っていたが、『Book3』でそれがはっきりした。どこに到達したのか。

現実の世界は日常の世界と非日常の異界が1つに重なった時処だ。そのように世界を捉えれば、命がけで何かをやれば奇跡が起きる。そういうことをはっきりさせたのだと思う。いい方を変えれば、誰にでも奇跡が起こる可能性のある時処としてこの世界を描いたのだ。

天吾と青豆という30歳の男女がいる。彼らは小学校の時に1度だけ運命的な繋がりを感じる。その後、2人は1度も会うことなく、人生を過ごす。ひょんなことから、彼らは日常の1984年の世界から非日常の1Q84年の異界へと迷い込んでしまう。しかし1Q84年の異界は、日常の1984年の世界とほとんど変わりがない。月が2つあるくらいである。(あとは、ある宗教団体が起した事件とそれにより警官の装備が変わった点くらい)。

出会う人々にも変化はない。1984年での話しの続きが1Q84年でできるくらいだ。唯一の違いは月が2つあるくらいだ。しかし人々は月が2つあることに気づいていないし、彼らにとってそこは1984年という日常の世界である。

天吾と青豆は月が1つの世界から月が2つの世界に迷い込んだ。ただその異界の人々はそれ以前の日常の世界の人たちと何ら変わりない。天吾と青豆にとっては、1Q84年は月が2つある異界でありながら、同時に1984年という日常の世界との同一性を強く保った世界である。つまり日常の世界と非日常の異界が1つに重なったものとして現実の世界が描かれているのだ。その世界(天吾と青豆にとっての1Q84年の世界)で、彼らは1984年であれば出会わないような出来事にそれぞれ遭遇する。そしてそれらの出来事をくぐり抜けることで奇跡的な再開を果たすことになる。

村上春樹の小説は、これまでも日常の世界と異界という要素を強く持っていた。例えば、『羊をめぐる冒険』では、主人公が行き着く北海道の鼠の別荘が異界である。(そこですでに死んでいる鼠と対話をして日常に戻ってくる。)『ノルウェーの森』では、直子のいる阿美寮(あるいは直子の世界)が異界である。『ダンス・ダンス・ダンス』では、ドルフィンホテルの16階やホノルルの死の部屋が異界である。『国境の南 太陽の西』では島本さんとの時間が異界であり、『ねじまき鳥クロニクル』では井戸の中が異界であり、『スプートニクの恋人』ではギリシアの山の中が異界である。『海辺のカフカ』では中田さんがひっくり返す石は異界との扉であり、カフカ少年が迷い込む森の中が異界である。ただいずれの小説でも、日常の世界と異界は別のところに存在していた。そして登場人物たちは日常の世界から異界へ行き、異界から日常世界へ戻ってくる。そのことによって何かが変わってしまう。そこに主眼が置かれていた。

『1Q84 Book3』の大きな違いは、日常の世界と異界が1つの時処として描かれていることである。つまり「いまここ」から「いまここ」への移動することで、世界が大きく変わることを示している。言い方を変えれば、「いまここ」に居ながら奇跡が起こる、そんな時処としてこの現実を描いたのだ。

これはなかなかすごいことである。私たちの多くは不平不満や苦しみを抱えながら日常の世界を生きている。そして不平不満や苦しみのない世界を「いまここ」ではない「どこか」に希求し、そのことによってさらに苦しむ。あるいは不平不満の日常世界を求めることすら諦めてしまい、苦しみにマヒした日々を過ごすようになる。そのような状況を奇跡的に変えることなど出来ないと思っている。『1Q84 Book3』は物語という形で、その可能性を提示したのだ。

これと同種のことをかつて親鸞という人物が行なった。彼は浄土概念と阿弥陀仏の概念を論理的に展開することによって、「いまここ」における奇跡の可能性を万人に開いたのである。すごく簡単に書いてみる。

浄土に関する一般的な理解は、浄土とは西方にある極楽世界で、そこには阿弥陀仏がいて、死んだあとに人が行く場所、という程度だろう。誤りではないがもう少し詳しく説明する。まず西方極楽浄土の「極楽」が意味する所である。おそらく一般的には、極楽浄土とは何の苦しみもない楽園のようなものとして理解されているだろう。これは半分間違いである。確かに観無量寿経などには、極楽世界は楽園のような描かれ方をしている。しかし「極楽」が意味しているのは、修行を行なうのに妨げとなるものがない、ということである。つまり、修行を極めて楽に行なえる世界ということである。

西方浄土に比して、私たちが生きている世界は、娑婆世界あるいは穢土と言われる。本来であれば、人々はこの娑婆世界で仏道修行をして悟りを開くことを求められている。しかしこの世界には修行を妨げるさまざまな理由が存在するので、多くの人はきちんと修行など出来ない。そのような人たちに提供された修行の妨げのない場所、極めて楽に修行できる場所、それが西方極楽世界である。

人々は死後に浄土に行き、そこで修行をすればよい。ということは現世でやるべきことは、死後に浄土に行くための修行となる。浄土教が中国から日本に伝わり、時代的な変遷にしたがって、浄土に行くための修行は困難なものから易しいものへと向かうことになった。それは浄土の教主である阿弥陀仏を信じてその名前を称えることである。つまり、阿弥陀仏を信じて「南無阿弥陀仏」と称えれば、死後に浄土に行くことが出来る、これが浄土の一般的な考え方である。つまり、「いま・ここ」の苦しみを「死後・浄土」で解決するという図式である。

親鸞は「いま・ここ」から「死後・浄土」という図式を変えてしまう。この2つを1つに重ね合わせてしまったのである。このあたりは主著『教行信証』の真仏土巻に詳しく書いてある。まず、人物的な表象で理解されている阿弥陀仏を「あらゆる時処に行き渡る光そのもの」としてしまう。(もちろん勝手にやったのではなく、論理的にきちんと詰めている)。そして光のある場所こそが「浄土」であるとする。つまり宇宙のどこにでも、言い換えれば「いま・ここ」にも、阿弥陀仏という光が届いていることになり、それゆえ「いま・ここ」が浄土になる。

浄土とは、極めて楽に修行ができる場所のことであった。この娑婆世界とは、もともと修行が困難な場であった。娑婆世界が浄土と1つになることによって、この世界で不可能と思われた修行が出来るようになった。つまり娑婆世界という日常の世界で修行が行なえるという奇跡が起こるのだ。この図式は『1Q84 Book3』の1984年の日常の世界と1Q84年の異界が1つに重なることで奇跡が起こるというのと同じものである。

親鸞において大切なのは、この娑婆世界が浄土と重なっていることを四の五の言わずにそのまま飲み込めるかであった。そのまま飲み込むことを「信」という言葉で表した。そのまま飲み込むための努力と飲み込んだ表明が「南無阿弥陀仏」という称名であった。では村上春樹においては何が重要になるのだろう。おそらくリトルピープルだろう。リトルピープル(と村上春樹がなづけたもの)について考えるほど、日常世界が異界と1つに重なり、奇跡が起こる可能性が現実に見えてくるのだろう。(もちろん、奇跡を起すには天吾と青豆がやったように命がけである)。

ゴールデンウィーク、雑記

2010年05月03日 | 雑文
今日は調子を整えるための雑記である。何となく書く、ということはあまりやりたくないのだが、適当なサイクルで文章を書いていると日常も良い感じで回っていく。書きながら何かが整理されていくのだろう。そういうわけで、雑記である。付け加えるなら、適当なサイクルで文章が書けているときは、うまくランニングができているときでもある。

というわけで4月のランニング。4月の走行距離は112km。突発性難聴以来、ランニングの負荷を下げたとはいえ少なすぎる数字である。4月はブログの本数も少なかったし、日常も少しだれていたような気がする。実際、走力も落ちている。ちょうど1年前には、サロマ湖ウルトラマラソンの準備のために、自宅から葉山まで一人で走った。72kmを8時間ちょっとかけて。そんな走力も気力も今はない。

ゴールデンウィークの始まりで次男(五歳)が体調を崩す。そのため予定が少しばかり狂う。狂ったことを利用して、長男(八歳)と2日続けて岩淵水門までランニングに行く。自宅から荒川の土手に出て上流に向かう。岩淵水門で折り返し家に帰ると11~12kmくらいになる。長男は途中まで自転車。水門の一つ手前の橋から水門までランニングをする。往復で2.5km程度。

長男は走るのが苦手だ。体はグニャグニャでフォームもめちゃくちゃだ。走り出せば、頭は左右に揺れているし、背筋も伸びずタコのようだ。脚も上がらずドタバタと足音がする。つま先が地面から離れないので、ときどき躓きそうになる。上半身と下半身がバラバラでお互いの力を殺しあっている。ちょっと走ると息が上がり、苦しそうな表情だ。

自分の子どものころとまったく同じだ。長い距離を走るのがとにかく嫌いだった。苦手と言いたいところだが、そう言えるほど走らなかった。ちょっと走って楽じゃないので、そのまま逃げていたのだ。スポーツは嫌いではなかったが、長距離で苦しむのは大嫌いだった。小学校、中学校、高校とずっと避けていた。だから長男の苦しさはよくわかる。無理にスピードを上げさせるより、ゆっくりでも良いから、あきらめずに最後まで走れるように励ます。

晴れていて暖かく、風も穏やかに吹いている。遠くのグランドでは少年野球をやっている。時折、金属バットにボールが当たる音が聞こえる。サイクリングの集団が注意深くスピードを落として横を抜けていく。長男は苦しそうな表情で足下を見ながら走っている。足下には昼近くの太陽が作った短い影がランニングに合わせて動く。僕の影はほとんど動かないが、長男の影は踊っているかのようだ。影の髪の毛も飛び跳ねている。

影をよく見てごらん、僕の影はほとんど揺れてないけど、君の影はすごく動いている。もう少し体をしっかりさせ、あまり影が揺れないように走ってごらん。声を出さずにうなずく。そして少しだけしっかり走る。

水門で折り返すと向かい風だ。苦しそうなのに、なんでだー、と元気な声を上げる。そして遠くのゴールを見て、まだあんなにある、と言う。あまり前を見ずに一歩、一歩走ろう、そうすればいずれ終わるから。そう言ってスピードを落とす。残り700mあたりで突然、足音が聞こえなくなる。そしてスピードが上がる。表情も苦しくなさそうだ。体が調整し始めたのだ。自分にとって合理的な動きを始めたのだ。フォームも整ってきた。その感じだよ、そのまま最後まで走ろう、あまりスピードは上げずに。最後までいいペースで走り終わる。本人も満足そうだ。彼より走れる四年生はいくらでもいるだろうが、四年生のときの僕よりもよい。十分である。

翌日も同じような感じだ。最初はどたばたして苦しむが、最後の方でフォームができて良い走りになる。本人も満足している。走り終わった後、水道で水を飲む。そして自転車で僕のランニングの併走をする。風を受け、髪の毛が流れる。目を細めながら自転車をこぐ。とても良い顔をしている。僕はその表情を何度も思い出すのだろう、とくに春に土手をランニングしたときなどには。長男も大人になったら父親のランニングに自転車で併走したことを思い出すのだろう。そして今度は長男が自分の息子とランニングをするのかもしれない。そうやって、あたりまえのような出来事が、受け渡されていくのだろう。何かを受け渡すために、僕たちは時間を共有しているのかもしれない。そんなことを考えながら走る。ランニングをしていると、頭がいい感じでゆるんでいくものだ。

先日、舟について書いたら、舟についての言葉にぶつかった。道元の言葉だ。相変わらず、道元の言葉はすばらしい。こんな言葉だ。「生というは、たとへば、人のふねにのれるときのごとし。このふねは、われ帆をつかい、われかじをとれり。われさおをさすといえども、ふねわれをのせて、ふねのほかにわれなし。われふねにのりて、このふねをもふねならしむ。この正当恁麼時を功夫参学すべし」

生きていることは、人が舟に乗るときのようなものだ。この舟は、私が帆を使い、舵をとり、竿をさしている。だが、舟が私を乗せているのだ。舟に乗っている時のほかに私は成り立たない。私が舟に乗っていることで、この舟は舟としてあるのだ。このようにしていままさに生きている。そのことを大切に大切に考えねばならない。

さてさて、ゴールデンウィークも後半、とりあえずランニングは好調である。