とんびの視点

まとはづれなことばかり

船頭のいない舟が迷走する

2010年04月29日 | 雑文
4月29日の毎日新聞に『「インド流」を手本?』という記事が載っていた。米軍普天間飛行場の移設問題で迷走している鳩山首相を、インドの政府高官が「ハトヤマはクレバーだ」と述べているという記事だ。インドの高官によれば、鳩山が移設先の「腹案がある」とのらくらしている間に、メディアが「候補地」を先行取材することで、全国で米軍基地を押し付けられるのがイヤだという声が上がる。結果、国外移設が最善というムードが作られる。「迷走も打算?」という記事である。

テレビをほとんど見ないので鳩山首相がどんな表情で何を言っているかは良く知らない。しかし新聞に目を通している限り、少なくとも彼がさまざまな場面で「迷走」しているように感じられる。だが、普天間問題については違う見方も出来るのではないかという気もする。というのは、封印したとはいえ、彼の持論は「常駐なき日米安保」だからだ。

僕は政治については詳しくないので、あまり突っ込んだ話は出来ないが、「常駐なき日米安保」と現状の間にはかなりのギャップが存在している。地元に基地が来るのは反対だが、米軍が日本からいなくなることは不安だと思っている人がかなりの数になることは、新聞の報道からでもわかる。米軍そのものは日本に必要だが、地元に来てもらっては困る。これが前提条件である。

この前提条件から「常駐なき日米安保」まで引っ張るために出来ることは何か。1つには、あらゆる地元に基地がくる可能性を想像させ、意思表明をさせることだろう。そういう声を集めていけば、日本に米軍基地を受け入れる地域がほとんどないことになる。その結果、そもそも米軍が日本に常駐している必要があるのだろうか、という問いが出てくるかもしれない。鳩山首相が迷走しているのかクレバーなのかはわからない。しかし、受け入れ拒否の声がかつてより大きくなっているのは事実だ。

この記事を見た時に「自然な出来事ほど人々はそれを受け入れざるを得ない」という(むかし自分で考え出した)言葉を思い出した。人間というのは人が行なったことには積極的な反応をするが、自然な出来事には基本的には受け身となるということだ。

『荘子』か何かに出ていた話しだと思うが、川で舟を操っているときには別の舟がぶつかってくる。その時、人が乗っていない舟だと腹は立たないが、人が乗っている舟だと腹が立つ、というのがある。(だから人が乗っている舟とぶつかっても、乗っていない舟と同じだと思えば腹も立たないだろう、というのがこの話しの要点である。)もちろん近ごろでは、道端に停まっている自転車に自分からぶつかっても、自転車に腹を立てるような人たちが増えている。その意味では現在では、舟の話しのリアリティーは薄れているかもしれない。

それでもまだ天災よりは人災に腹を立てるという傾向はある。例えば、大地震と大規模テロ。どちらも多くの犠牲者がでるが、その反応はかなり違うものだろう。大地震については、防災の不備や建築の違法性など人が関わる部分の責任追及は起こるが、地震そのものは受け入れざるをえない。しかし大規模テロをしかたがないから受け入れようとは思わないだろう。報復をする。原因を追及する。可能な限り積極的に動くだろう。テロには明確な人の意志が働いているからだ。ある出来事が人の意志に基づいているとき、人はそれに積極的に反応する。言い方を変えれば、出来事に人の意志が働いていない場合は、人はそれを受け入れがちになる。

そこで話しを鳩山首相の普天間問題に戻す。彼の行動は意図によるのか、よらないのか。少なくとも「迷走」というのが大方の判断である。つまり「意図によらない」言動ということだ。意図によらない言動によって、基地はいらないという声が上がっている。つまり地方の人々の自然の声である。沖縄の声や、徳之島の声を「わがままだ」と批判することはできない。心情的にはその声を受け入れたいと思う人は多いだろう。

可能性としては3つだ。第一。今回のドタバタは単なる「迷走」である。この場合、鳩山首相はただの愚か者ということになる。しかし結果的には沖縄の基地問題に(というか日本の基地問題に)一石を投じたことになるかもしれない。

第二。鳩山首相が中途半端に賢い場合。この場合、今回のドタバタは意図にもとづいていることになる。自分が「迷走」しているような振りをして、基地問題、ひいては日米安保の問題を顕在化させることを狙っている。中途半端に賢ければ、いずれ「あれは意図に基づいたものである」という声がどこかから出てくることになる。(その場合、本人の口からではなく、周辺から出てくることになる)

第三。鳩山首相が地球人の予想を超えて賢かった場合。すべての言動は意図したとおりで、起こっているドタバタも予想通りである。例えば、沖縄の基地問題は数十年というスパンで考える問題で、自分の役割は解決ではなく、問題を顕在化させることのみだと割り切っている。そしてそのことは誰にも知らせずに、そこから生じる周囲の評価も受け入れる。なぜなら、意図により出来事を引き起こすより、意図のない迷走から引き起こされた出来事の方が人々に受け入れられやすいからである。

可能性として3つ挙げたが、それぞれの確率にはかなりの差がある。おまけに、1番目と3番目は現象的にはまったく同じである。仮に2番だとしても、その話しが出てくるのは、この問題に決着がついてからだろう。つまり基本的には「迷走」なのだ。

迷走しているのは一つの舟だ。鳩山丸という舟だ。そこにはあたかも船頭がいないかのようである。舟はどこかにぶつかることになるだろう。船頭がいない舟がぶつかっても腹が立たなかったのは、はるか昔の中国の話で、ここは現在の日本である。
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イメージ

2010年04月26日 | 雑文
「意識を死に瀕したところまでもってゆく修練を積むと、概念はすべてイメージに転化されていく」。吉本隆明の『詩とは何か』という本にある言葉だ。出来事は徹底的に考えれば映像化されるということなのだろう。

考えと映像という問題が、近ごろコーチングの場面で話題になる。きちんと想像することが苦手な人が思ったより多いことに気がついた。想像するとは、像を想うこと、つまり何らかの映像を思い浮かべることである。

人々が口々に「イメージ」という言葉を使っているで、みんな映像を思い浮かべることがよっぽど好きなのかと思っていた。そんなことはなかった。「イメージ」というは見栄えの良いラッピングのようなものでしかなかった。よく分からない中身を「イメージ」という包装紙に包んで相互にやり取りしている。

「イメージ」という言葉を使うことで、指し示されている出来事の内容を深く考えずにすませているのだ。徹底的に考えれば出来事は「イメージ」に転化されるはずなのに、「イメージ」という言葉を使うことで出来事は「イメージ」に転化されないという自家撞着に陥っている。

というわけで、近ごろ「イメージの作り方」のトレーニングをすることがある。日常生活でイメージすることは、「いま・ここ」にはない何かを思い浮かべることである。仕事の場面で多いのは、将来の目標を考えることである。

将来の目標を尋ねて返ってくる返事のほとんどは、「抽象的な言語」か「現実不可能な妄想」のどちらかである。こういう答えはどれほど装飾されていても、「いま・ここ」との繋がりが感じられない。経験を積んでいると、話しの内容はよく分からなくても、そういう言葉がアンテナに引っかかってくるようになる。

将来の目標を立てるということは、将来をイメージするということである。将来というのは「いま・ここ」とは異なった時処であるが、「いま・ここ」と繋がりがある。「いま・ここ」とは異なっていながら繋がりのある時処をきちんと思い浮かべるのがイメージすることだ。それは結局のところ、将来の自分自身を思い浮かべることである。

きちんとイメージする際のポイントは、期待も悲観も交えずにこのままいったらどうなるかを素直に思い浮かべることである。今までやってきたようにこの先もやっていったら、自分はどんなになっているだろうか。このまま行ったら1年後はどうなっているか、2年後はどうなっているか、期待も悲観も交えずに素直に想像する。素直になれば大抵の場合は映像を思い浮かべることが出来る。

想像が出来ればあとは簡単である。その「イメージ」を自分が欲しているかどうか確認すれば良い。欲しているのであればいままで通りに進めば良いし、欲していないのであればそのイメージをたたき台に自分が欲するイメージを作り上げ、今までの自分とは異なったやり方で生きれば良い。ここまで行けばイメージを達成するための具体的なプログラムを作り上げることはそれほど難しいことではない。(実際は、プログラムを実践することの方が難しい。今までの自分と異なったやり方をするのはとても困難だからだ)。

厄介なのは素直に想像しない人間である。「このままいったらどうなると思う?」という質問を投げると、「どうせ上手くいかないに決まっている」と言いながら不平不満をのべたり、「きちんと出来てなければダメなんだ」と反対にこちらを説教する。「どうせ上手くいかない」という人間は、そう言うことで現状に向かい合うのを拒んでいるし、「きちんと出来ていなければダメだ」という人間は、そう言うことで将来に繋がる現状を見るのを避けている。

いずれも「いま・ここ」を正面から受けとめようとしない。話題がそこに及ぼうとすると、自分を取り巻く環境にさまざまな問題があることを話しはじめる。そしてそれらに評価を下す。そこには明らかに心理的な抵抗がある。自分から逃げようとしているのだ。「いま・ここ」を正面から受けとめることは、自分自身を正面から受けとめることになるからだ。

イメージするとは、「自分自身」と「自分に関わりのある出来事」が、いまどのように存在していて、このさきどのようになるかを素直に思い浮かべ、その思いとともに歩んでいくことである。道元が「しづかに思量すべし、いまこの生、および生と同生せるところの衆法は、生にともなりとやせん、生にともならずとやせん。一時一法としても、生にともならざることなし、一事一心としても、生にともならざるなし」と言っているのも同じことだ。

期待も悲観も交えず素直に想像してみる。「1年後の自分は、10年後の自分は、30年後の自分は、50年後は、100年後は」と。いま・ここの私と繋がっていながら、いま・こことは異なっている時処が上手く思い浮かべられるだろうか。どうだろう?「意識を死に瀕したところまでもってゆく修練を積むと、概念はすべてイメージに転化されていく」、とは吉本隆明の言葉である。
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言葉と出来事のズレ

2010年04月19日 | 雑文
さてさて『1Q84 book3』を読み終える。金曜日、子どもが寝てから2時間ほど読む。中断されずに読み進めるためには子どもが寝るのを待たねばならない。同じ理由で、土曜日も子どもが寝てから本を手に取る。布団に横になり読みはじめる。10ページも進まないうちに睡魔に襲われ、眠ってしまう。

2時間ほど眠っただろうか、夜中に目が覚める。体は眠ろうとしているのだが、意識がどこかで覚醒している。眠ろうと思うが眠れない。暗い天井をしばし眺めて本を手に取る。静かな夜中に時間を気にせずに本を読む。何年ぶりだろうか。ちょっと懐かしい気持ちになりながら一心不乱に読み進める。3時頃ちょっと眠くなるが、物語の面白さに引きずられて読み続ける。結局、空が少しだけ明るくなった5時頃に読み終わる。

とても良かった。とても。読みながらところどころ引っかかった。それらはやがて疑問として言語化されるだろう。でもそれらの疑問が解消されることもわかっている。それくらいの深みのある物語だった。これから読むことを楽しみにしている人もいると思うので、内容については書かないでおく。

読みながら感心したのは、村上春樹の言葉である。言葉と出来事のズレがほとんどない。だから言葉を追っていると自然と出来事の世界に引き込まれていく。現実と切り離された小説の世界を外から楽しむのではなく、現実と地続きの物語の世界の出来事を通り抜けているような気になる。良し悪しというより、好みの問題として僕は後者の方が好きだ。

少し前に三浦しをんの『神去りなあなあ日常』という本を読んだ。これは前者であった。この本は、高校を卒業した男子がひょんなことから紀伊半島で林業をするという小説だ。春夏秋冬と1年間のことが書かれている。小説は2本の骨組みから成る。1つは高校を卒業した10代終わりの男子がどこででも経験しそうなことである。例えば、恋愛であったり、大人の社会での未熟な自分の発見などだ。もう1つは、林業を行なっている田舎の生活である。(この本が読者を得ている理由は、この林業を中心とした田舎の生活が目新しいからだろう。そして小説が春夏秋冬の1年で終わるのは、田舎の生活の目新しさがひと通り終わってしまったからだろう)。

『神去りなあなあ日常』を読んだ時には言葉と出来事が離れていると感じ、『1Q84 book3』を読んだ時には言葉と出来事のズレがないと感じた。前者は現実とは切り離された小説の世界を外から楽しむように読めたし、後者は物語の出来事をかなりリアルに感じられた。考えてみると不思議なことである。『神去りなあなあ日常』は林業や田舎の生活をかなり取材した上で書かれたものであり、『1Q84 book3』は月が2つある何かが違う世界について書かれたものである。現実の話が作り物の話になり、架空の世界の話が現実の物語になる。しかしこれはあくまで僕の主観である。

結論から言えば反対のこと、つまり『神去りなあなあ日常』を現実の物語と感じ、『1Q84 book3』を架空の話と感じることもある。そのような主観を持つ人も必ずいるはずだ。なぜそのようなことが起こるかを考えたときに「言葉と出来事のズレ」という視点が有効ではないかと思った。(というか書きながら思いついた)

言葉と出来事には根源的にズレが存在する。それは語彙不足のために思っていることを言えないというのとは違う。言葉と出来事は根源的にズレているのだ。私たちは一般的に言葉と出来事はきちんと対応していると考えがちだ。そしてその対応を過たなければきちんとした言語運用ができると思っている。

しかし厳密にはそれは誤りである。私たちの目の前のさまざまな出来事をきちんと捉まえようとすれば、基本的には際限のない広がりを追いかけることになる。(それは自己の出自を極限まで想像したときに、生命の始まりまで行き着いてしまうのと同じである)。そのような広がりをつねに追いかけることは不可能だし、非生産的なので、私たちは適当なところで出来事を限定する。(父親と母親が疎開先で出会ったから私がいる、と出自を考えるように)。出来事を限定する時に使われるのが言葉である。言葉は出来事を限定するために使うのである。つまり原理的に言葉と出来事にはズレが存在する。

物書きにとって重要なのは、そのズレと自分がどのような関係にあるかである。出来事と言葉のズレにほとんど気づかない物書き、言葉と出来事のズレを意識して何かを表現しようとする物書き、言葉と出来事のズレをなくそうとする物書き。さまざまである。

『神去りなあなあ日常』を読む限り、作者は出来事と言葉の根源的なズレをほとんど意識していない。正しい語の選択というレベルでの言語運用を意識しているくらいだろう。言い方を変えれば、本人が正しい語の選択だという感覚を持てれば、きちんと表現できた実感を持つことになる。同時に、同じような状態の読者が読めば、その読者も実感を持てることになる。つまり作者も読者も小説の内容を現実の物語として感じられるわけだ。

村上春樹は言葉と出来事の根源的なズレをつねに意識している作家である。彼の小説に譬喩が多いのはそのためだろう。根源的なズレを無視し、正しい語の選択をいくら積み重ねても、ズレは広がるだけだ。だからそのズレを解消するために譬喩を用いる。譬喩によって言葉が出来事に行なった限定を解除する。上手くいけば、出来事は言葉によって言葉から解放され、出来事そのものを出現させる。そういう感覚を持っている読者にとっては、その内容はすごく現実的に感じられるだろう。しかし言葉と出来事の根源的なズレを感じない人にとっては、それらの譬喩は非現実的な言葉遊びのように聴こえてしまうかもしれない。

結局、何が言いたいのか。僕にとっては『1Q84 book3』は現実的であるが『神去りなあなあ日常』は作られた話しである。しかし人によっては『神去りなあなあ日常』は現実的だが『1Q84 book3』は架空の話しとなる。小説には正しい読み方はなく、人それぞれである。そういうことが言いたいのだろうか。そう言えるかもしれない。ただしこれは結論ではない。物事を考える出発点である。どちらか片方が正しくて、片方が間違っている。そんな単純な図式で物事を論じるのであれば何の苦労もない。やっかいなのは、相反するものが同時に成り立つような世界でその両者にどのような秩序を見いだすかだろう。(どうやら書きながら話しが柵を飛び越えはじめた。まだまだ続きそうなのでこの辺りで終わりにする。)

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属することなく中心

2010年04月16日 | 雑文
このところ立て続けに普段では読まないような本を読んだ。『どこから行っても遠い町』(川上弘美)、『なぜ、猫とつきあうのか』(吉本隆明)、『リーダーは半歩前を歩け―金大中というヒント』(姜尚中)、『神去りなあなあ日常』(三浦しをん)の4冊だ。そして手元には本日発売の村上春樹の『1Q84 BOOK3』がある。読みはじめると何も手に付かなくなるので、その前にこのブログを書いておく。

『リーダーは半歩前を歩け―金大中というヒント』について。タイトルのとおりリーダーについての本だ。そしてリーダー像の理想の1つとして金大中が取り上げられている。聞いたことがなかったような新しいリーダー像が語られているわけではない。どちらかというとすでに知っていることばかりである。例えば、リーダーに必要な7つの力を挙げているが、いずれもどこかで目にしたものだ。

「1、先見力―リーダーはビジョンを示せ」「2、目標設定力―具体的に、何をめざすのか」「3、動員力―これぞカリスマの本領」「4、コミュニケーション力―キメのセリフを出せ」「5、マネジメント力―情報管理と人事管理」「6、判断力―生ものと干もののインテリジェンス」「7、決断力―孤独に耐える精神力」

金大中についてはいろいろ学ぶことも出来た。しかし理想的なリーダーとしての取り上げられ方は、朝鮮半島の歴史や情勢にうとい日本人にとって今ひとつピンと来ない気もする。とはいえ読んで無駄な本ではないだろう。リーダーについて知っていることを再確認することも出来るし、金大中をこのように評価できるメンタリティーを想像することで、日韓問題のギャップを考える機会にもなる。

僕がこの本で引っかかったのは「半歩前」という言葉だ。これは金大中の「私は民衆の半歩前を歩く」という言葉から来ている。リーダーというのはフォロアーの「半歩前」を行かねばならない。十歩前を行くと民衆から離れてしまい、革命家や独裁者のようになってしまう。また民衆とまったく同じ場所にいてもダメである。下手をすれば衆愚政治に陥ってしまうからである。結局のところ、リーダーとはフォロワーと離れすぎてもダメだし、一緒になってもダメなのだ。

「離れもせず、同化もしない」。著者の姜尚中氏はこの考えを金大中から学んだというが、僕の想像ではちょっと違う。姜尚中はこの考えを良いものとして受け入れられる状態にあったから、金大中からこの言葉を聞いたときに「学んだ」と思えたのだ。在日として日本で暮らす氏の存在そのものが「日本と離れもせず、同化もしない」し「半島と離れもせず、同化もしない」というものである。つまり「半歩前」とは彼のアイデンティティーに触れる言葉なのだ(と思う)。

そして僕が「半歩前」という言葉に僕が引っかかったのも同じである。その言葉を良いものとして受けいれる僕がいたからである。(人は自分が良いと思うものしか良いと思えない)。「離れもせず、同化もしない」というのは、「二つにもならず、一つにもならない」ということである。仏教の術語ではこれを「不一不二」という。存在するものを説明した言葉である。

あるいは「菩薩」という言葉に引き付けて考えることもできる。仏教には「此岸」と「彼岸」という言い方がある。「迷いの世界」と「悟りの世界」と言ってもよいし、「衆生の世界」と「仏の世界」と言ってもよい。(といっても空間的に離れた2つの世界があるわけではない。これも「不一不二」である)。宗教的な側面からすれば、迷っている衆生が、発心(悟りをえたいと思う心をおこす)し、修行して、やがて仏(覚者)となることが一連の出来事として考えられている。

この中の「発心」して「修行」をしている状態を「菩薩」と呼ぶ。此岸が衆生の世界で、彼岸が仏の世界であれば、菩薩とはどちらにも属していないものとなる。つまりどちらの世界とも「離れもせず、同化もしない」ということになる。(おまけに菩薩の修行は、生きとし生けるものを此岸から彼岸に渡すということである。すべてを彼岸に渡してから、最後に自分が彼岸に行くことが自らの修行の達成である。)

リーダーは「半歩前」という時、リーダーは現状と目標の「あいだ」にいることになる。現状に飲み込まれることもなく、1人で目標に向かうこともしない。菩薩も此岸と彼岸の「あいだ」にいる。迷いの世界にどっぷり漬かることもなく、1人で悟りの世界に行くこともしない。どちらも属するところがなく、何者かの「あいだ」に存在する。

属するところがないというのはとても孤独なことだと思っていた。どこにいても、自分はよそ者だ。しかし見方を変えれば、属するところがないというのは、「ある時処」と「べつの時処」の「あいだ」にいることだ。それは「ある時処」と「別の時処」を繋げるための場所である。「ある時処」と「別の時処」を含めたより大きな全体から見れば、「あいだの時処」は中心である。

「属するところがない」ことがそのまま「大きな時処の中心」となる。しかしそこで終わりにはならない。「大きな時処の中心」をさらに別の広がりに放り込み、再び自らを属することがない状態にする。それにより、さら異なった「ある時処」と「べつの時処」の中心になることが出来る。「属することがないのに中心」「不安定でいながら安定」。いっけん矛盾するような出来事が成り立つ世界。世界は摩訶不思議である。
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映像、言葉、身体感覚

2010年04月12日 | 雑文
朝から冷たい雨が降り続けている。北風に乗って細かい雨が空中を流れる。遠くのほうが白く煙ってどんよりしている。初夏を思わせた昨日に比べると、まるで冬に逆戻りしたようだ。寒さが風に乗って体にしみ込んでくる。

昨日は家族で荒川の土手に行く。相方が自転車、後に次男を乗せる。長男はキックボード。僕はランニング。Tシャツに短パン姿でも十分に暖かい。走ると汗が出る。空は青く、入道雲を思わせる白い雲が散らばる。太陽の光は暖かく広がりながら体にしみ込んでくる。

相方が土手でランニングをしているあいだ、子どもたちと遊ぶ。綿毛になったタンポポを摘んでは息を吹きかけたり、土手の斜面で追いかけっこをしたり、柵の上に乗ってバランスを取ったり。2人とも笑いながら汗を流している。

土手の横の公園では、散りはじめた桜の木の下で、家族連れがレジャーシートを広げ、お弁当を食べている。暖かい風に乗って桜の花びらが散る。おぼつかない足取りで子どもが花びらを追う。春というのはよいものだなと思う。暑くもなく、寒くもない。太陽の下にいて、ただそれだけで心地よい。冬の引き締まるような寒さも、夏の焼けるような暑さも悪くないが、気が緩んでくるような心地よさは春ならではだ。

合気道は難しいなあ、ここのところよく思う。いつまでたっても上達しないことを言っているのではない。一つの技術を身に付けるシステムとして難しいと思うのだ。僕が通っている道場は成人部と少年部からなる。正確に言えば少年部は少年部(小学生以上)と幼年部に分かれる。

稽古方法は、師範が有段者と組になって皆の前で手本を示す。皆はそれを正座して見ている。手本が終われば2人1組になって皆も稽古する。これは基本的には少年部でも同じである。師範が手本を見せる。子どもたちは座ってそれを見て、その後、2人1組になって同じ型を稽古する。正直、一部の人を除いて、大人も子どももそれほど上達しているようには思えない。

教え方が悪いとか、稽古している人間に才能がないとかいうのではない。おそらくシステムそのものが時代とズレはじめているのだ。これまでの稽古システムで上達できる人間は、本気で武道に取り組む気持ちがあって、稽古する時間も十分に取れるような人たちだろう。週に一度、カルチャーセンターに通うつもりで道場に稽古に来るような人間を伸ばせるシステムではない。大人であってもそうである。まして親に連れて来られた子どもにとってはきついものだろう。

そもそも武道とは週に一回のカルチャーセンター感覚で身に付くものではない。これは正しい意見である。だからと言って、やる気も時間が十分な人だけを相手にしているわけにもいかない。第一、そんな人が技を身に付けても実際に使う場面などない。技を身に付けるのではなく稽古に意味があるというなら、カルチャーセンター感覚で来る人にも意味があるようなシステムを作ることが必要だ。

その場所でやるはずのことをやって、そこに何らかの手応えが感じられればそれでよい。そう思うのだ。合気道であれば、合気道を稽古していてそこに手応えが感じられればよいのだ。具体的には、自分が「どんな状態か」、自分が「何」をやらねばならないか」、自分が「いずれどうなるか」がわかっている状態で稽古ができていることだ。

この3つを言い換えると「身体感覚」と「言葉」と「映像」となる。自分の動きを確認できる身体感覚、技について相手が理解できるまで説明できる言葉、そして師範などが手本として見せる技の映像、この3つのバランスが取れていれば、本気でやる人も、カルチャーセンター感覚でやる人もそれなりの手応えが感じられるはずだ。

今までのシステムでは「手本としての映像」のみが突出していた。だから「技は盗め」というような雰囲気があった。個人的な意見としては、週1回の稽古、おまけに稽古ごとに技の種類が違う状況では「手本としての映像」はそれほど記憶に残らない。「映像」のみが手掛かりの稽古では、映像を忘れたらおしまいである。

手本としての「映像」を忘れても、「身体感覚」が残っていれば不完全な稽古は出来るし、説明の「言葉」が残っていれば技について考えることができる。身体感覚を優先させれば上質な動きが出来るようになるのは、一握りの天才である。多くの凡人は、手本の「映像」を手掛かりに、「言葉」でさまざまに考えながら、正しい動作を「身体感覚」に刻み込んでいくしかない。その際、それらのことを確認するのが「言葉」である。手本の映像を確認するのも言葉だし、説明を反復するのも言葉だし、身体感覚が正しいか間違っているかを確認するのも言葉である。

この「身体感覚」(自分がどんな状態か確認できる)と、「言葉」(自分がなにをやらねばならないかを説明できる)と、「映像」(自分がいずれどうなるのか)の3つは、仕事をする上でも大切である。「映像」とは「ビジョン」である。つまり未来の目標を具体的に捕まえている状態だ。「言葉」とは「共有すべき計画」である。目標に向かってどのような順序で何をしていくのかを共有するための手段である。「身体感覚」とは「モチベーション」である。自分がやっていることの手応えを確認する最後の基盤がこれである。仕事において、「ビジョン」と「共有すべき計画」と「モチベーション」が揃っていれば、それほどひどい結果にはならない。

繰り返しになるが、合気道においても「ビジョン」(つまり将来の自分の姿)と「共有すべき計画」(どの順序でどのように稽古を進めていくか)と「モチベーション」(稽古の正しさを身体感覚で確認できる状態)が揃っていれば、そこには確実な手応えが存在するはずである。「映像」と「言葉」と「身体感覚」、ブログを書きながら出てきた言葉だが、ある程度の射程はありそうである。合気道と仕事で応用してみよう。
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ゆらぐ

2010年04月07日 | 雑文
すでに起こったにもかかわらず、思い浮かべるとそれは起こっていなくて、いずれ確実に起こる出来事のように思えてくる。そういう感覚にとらわれることがある。現在を中心に考えれば、過去と未来はまるっきり逆の方向を向いている。しかし現在から離れているという点ではどちらも同じである。過去を思い出す。未来を思う。どちらも現在における言葉と映像だ。

現在における言葉と映像という意味では、過去も未来も同じ、だから時おり、すでに起こったことがいずれ起こる出来事のように感じられるのかもしれない。こういうことに引っかかっている時期、言葉は内向きになる。書いて外に出すというより、黙して内に言葉を溜めるという感じだ。

サロマ湖ウルトラマラソン。あのことを思うと、自分が走っている映像は浮かぶのだが、それが想像された未来の映像のように感じられる。頭ではわかっている、実際に走ったということを。でも、自分がこれから走らなければならないのだと、どこかで感じる。そういう時、レースのことをじっと思い出す。やがて自分が走ったという実感がわいてきて、いい感じになる。

近ごろでは、ゆらゆら帝国の解散を思うとわからなくなる。それはすでに起こったことのように感じるが、いずれきっと起こる出来事のような気もする。不思議なもので、ゆらゆら帝国の解散を思い浮かべても、彼らが演奏している姿しか思い浮かばない。解散するということは、そのかたちでの演奏をこのさき目にすることがないということだ。にもかかわらず、思い浮かぶのは彼らが演奏している姿だ。演奏を実際には見ることができないとい不思議な形でしか解散はイメージできない。それはイメージですらない。いまこのブログを書いている時もその演奏を見ていないのだから。

思い浮かべることで過去と未来を現在に確認する。過去と未来を方向をもった直線としてイメージすれば、両者は現在を中心に反対方向に位置する。でも繰り返される出来事という点から見れば、過去と未来は現在で一つに重なる。春ごとに繰り返し咲く桜。過去の桜と現在の桜と未来の桜。すでに咲いたにもかかわらず、いま咲いているし、いずれ咲くことになる。過去と現在と未来が桜という一点で重なる。

桜の花びらが風に舞うのを眺めながら、ヘッドフォンでゆらゆら帝国を聞く。解散する前と同じ音楽が聞こえる。3人が演奏している姿が浮かぶ。解散、ということすら頭の中からなくなっている。
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『解散です』

2010年04月02日 | 雑文
火曜日の夜11時頃。品川駅の階段をホームにむかって降りる。ホームに降りた瞬間、心地よい風が吹く。久しぶりにライブに行きたいな、と思う。ゆらゆら帝国のライブだ。

考えようによっては虫の知らせだったのかもしれない。昨日の夜、友だちから「本日付けでゆらゆら帝国が解散するって知ってました?」というメールが届いた。意味がよく理解できない。言葉は読めるのだが、意味がわからない。いや本当は理解できているのだが、それを受け入れまいとしている。メールには発表元のURLがコピーしてあるにも関わらず、それで確認することを思いつかない。何かの間違いだよ、きっと1日早いエイプリルフールだよ、自分でもぜんぜん信じていないことを相方に口走る。

嘘であってほしいが、どこかで本当だと確信していた。ライブで3人が演奏している姿を見ていると、今回が最後のライブじゃないか、といつも思わされた。それくらい迫力のある演奏をしていた。それくらい真剣に演奏をしていた。慎太郎さんが同じフレーズを繰り返す。何度も何度もしつこいくらいに繰り返す。ふつうなら惰性で繰り返すだけになり、聞いている方もだんだんと気が緩んできそうなものだ。でも慎太郎さんがギターを弾く姿勢はちがう。弾けば弾くほど必死な姿になっていく。何でこんなに一生懸命にギターを弾いているんだろう。まるでギターを弾けるのがこれで最後であるかのようだ。「これが最後のライブです、これで解散します、ありがとうございました」、演奏が終わったらそういう言葉が出てくるんじゃないか、いつもそう思っていた。

公式ホームページにアクセスする。そこにははっきりと「突然ですが、ゆらゆら帝国は2010年3月31日をもちまして、解散することになりました」とある。解散の理由は、「『空洞です』(最後のアルバム)の先にあるものを見つけられなかった」からであり、「ゆらゆら帝国は完全にでき上がってしまったと感じた」からだとある。

ホームページの内容を簡単にまとめると、①結成当初から日本語の響とビート感を活かした日本独自のロックを追求する。②同時にアルバムごとに過去のイメージを払拭することを自らに課してきた。③アルバム「空洞です」とその後のライブツアーで自分たちが完成したことを実感した。自分たち3人でしか表現できない演奏と世界観に到達したと実感した。④これ以上続けてもルーティンワークになるだけだ、とある。

だから解散したのである。自分たちが完成したから終わりにしなければならない。すごい姿勢である。少なくとも現代を覆っている一般的な考え方からは逸脱している。自分たちは完成した。だから以後はルーティンワークしか残っていない。これをビジネスの世界に置き換えれば、ビジネスモデルが完成したので今後は安定的な運用段階に入るということになる。つまりここから先、労少なくして安定的な利益を確保できる状態が始まることになる。ビジネスではこれを放棄することはまずない。自分たちが運用するにしろ、他社に売りつけるにしろ、完成したから終わりにすることはない。ゆらゆら帝国は現在の利益至上主義とは全く相いれないのだ。

また、ゆらゆら帝国のライブチケットは、人によっては最も手に入りにくいチケットと言われるほどである。ライブをやればいくらでも人が呼べる。ビジネス的なワードにすればニーズはいくらでもあるのだ。ニーズがあるにも関わらずその商品を供給しないというのも、ビジネス的な考え方からは理解不能なものだ。ゆらゆら帝国は音楽をビジネスと考えていないのだ。

ではどういう風に考えればよいのか。前回のブログに引き付けて考えれば、「すべての問いに答えてしまった」ということなのだろう。「答えることが新たな問いを生み出さなくなった」のだ。完成するというのは、あらゆる問いに答えが出てしまったことだ。「ゆらゆら帝国」という問いに対する答えがすべて出てしまったのだ。

ビジネス的な考えをする人であればバンドを続けることは可能だろう。しかし生きることを「問いと答えの繰り返し」と考える人間にとって、それは出来ない。すべての問いに答えが出てしまうことは「完成」であると同時に「終わり」でもある。死を生きることが出来ないように、人は終わりを続けることは出来ない。だから3人はゆらゆら帝国を終わりにして、次の「問い」を探さねばならないのだ。「バンドは解散するが、メンバーは違った形で音楽を続けていく」。ホームページにはそう結んである。

ある物事がある。その物事を巡って問いと答えが繰り返される。すべての問いに答えが出てしまったときに、その物事は終わり、次の物事に移り変わる。その物事が「ゆらゆら帝国」だった。すべての答えが出てしまった。だからゆらゆら帝国は終わり、次の問いを求めて物事は移り行く。

そんなことを考えながら、ある物事が「僕」であったらどうだろうと思う。僕には僕が答えなければならない問いがある。その問いをすべてきちんと答える。すると「僕」とい出来事は終わり、次の物事に移り変わる。つまり僕は「生」という出来事から「死」という出来事に変わる。必ず迎えねばならない「死」をそういう形で迎えられるのは喜ばしいことである。ゆらゆら帝国を見ていると、そんなことまで教えられる。だから僕はゆらゆら帝国がたまらなく好きだったのだろう。

唯一、後悔しているのは、子どもたちをライブに連れていけなかったことである。とても残念である。
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