『1Q84 Book3』が出版されて3週間がたった。ときおり書評も目にする。褒めているものを読めば「うんうんそのとおり」と喜び、否定的なことが書いてあれば「何もわかっていないな」と悪態をついてやり過ごす。すごく不公平である。でも仕方がない。僕は村上春樹のファンだからだ。私たちは自分が良いと認めたものを好むのではない。自分が好むものを良いと認めるのである。僕がどれだけ村上春樹を良いと述べても、結局のところそれは好みの問題である。
ちなみに僕が村上春樹を初めて読んだのは高校生の頃である。『風の歌を聴け』に心を動かされ100回以上は読んだ。おかげで、自分で初めて買ったビールはバドワイザーだし、ピスタチオなる食べ物を下町のお店で探した。『1973年のピンボール』を読んだあと、しばらくはゲームセンターに通った。『羊をめぐる冒険』のラストシーンの砂浜、最後に残された50メートルの砂浜にも行った。あるいは、村上春樹がランナーでなく、作品の中にもランニングシーンが出てこなかったら、僕は今のように走っていなかったかもしれない。
これだけ影響を受けているのだから、村上春樹を肯定したくなるのも当然である。だからと言って、誰もが僕と同じように考えるとは思っていない。というかまずそれは無理である。だから僕は村上春樹の作品を人に薦めることはしない。下手に感想などを述べられたら困るからだ。まして否定的な評価などされたら、きっとその人間を憎憎んでしまうだろう。
というわけで『1Q84 Book3』について個人的な意見を書く。僕の印象では、今回の作品で村上春樹は今までとは違う所に到達した。『1Q84 Book1』『Book2』の段階でもそう思っていたが、『Book3』でそれがはっきりした。どこに到達したのか。
現実の世界は日常の世界と非日常の異界が1つに重なった時処だ。そのように世界を捉えれば、命がけで何かをやれば奇跡が起きる。そういうことをはっきりさせたのだと思う。いい方を変えれば、誰にでも奇跡が起こる可能性のある時処としてこの世界を描いたのだ。
天吾と青豆という30歳の男女がいる。彼らは小学校の時に1度だけ運命的な繋がりを感じる。その後、2人は1度も会うことなく、人生を過ごす。ひょんなことから、彼らは日常の1984年の世界から非日常の1Q84年の異界へと迷い込んでしまう。しかし1Q84年の異界は、日常の1984年の世界とほとんど変わりがない。月が2つあるくらいである。(あとは、ある宗教団体が起した事件とそれにより警官の装備が変わった点くらい)。
出会う人々にも変化はない。1984年での話しの続きが1Q84年でできるくらいだ。唯一の違いは月が2つあるくらいだ。しかし人々は月が2つあることに気づいていないし、彼らにとってそこは1984年という日常の世界である。
天吾と青豆は月が1つの世界から月が2つの世界に迷い込んだ。ただその異界の人々はそれ以前の日常の世界の人たちと何ら変わりない。天吾と青豆にとっては、1Q84年は月が2つある異界でありながら、同時に1984年という日常の世界との同一性を強く保った世界である。つまり日常の世界と非日常の異界が1つに重なったものとして現実の世界が描かれているのだ。その世界(天吾と青豆にとっての1Q84年の世界)で、彼らは1984年であれば出会わないような出来事にそれぞれ遭遇する。そしてそれらの出来事をくぐり抜けることで奇跡的な再開を果たすことになる。
村上春樹の小説は、これまでも日常の世界と異界という要素を強く持っていた。例えば、『羊をめぐる冒険』では、主人公が行き着く北海道の鼠の別荘が異界である。(そこですでに死んでいる鼠と対話をして日常に戻ってくる。)『ノルウェーの森』では、直子のいる阿美寮(あるいは直子の世界)が異界である。『ダンス・ダンス・ダンス』では、ドルフィンホテルの16階やホノルルの死の部屋が異界である。『国境の南 太陽の西』では島本さんとの時間が異界であり、『ねじまき鳥クロニクル』では井戸の中が異界であり、『スプートニクの恋人』ではギリシアの山の中が異界である。『海辺のカフカ』では中田さんがひっくり返す石は異界との扉であり、カフカ少年が迷い込む森の中が異界である。ただいずれの小説でも、日常の世界と異界は別のところに存在していた。そして登場人物たちは日常の世界から異界へ行き、異界から日常世界へ戻ってくる。そのことによって何かが変わってしまう。そこに主眼が置かれていた。
『1Q84 Book3』の大きな違いは、日常の世界と異界が1つの時処として描かれていることである。つまり「いまここ」から「いまここ」への移動することで、世界が大きく変わることを示している。言い方を変えれば、「いまここ」に居ながら奇跡が起こる、そんな時処としてこの現実を描いたのだ。
これはなかなかすごいことである。私たちの多くは不平不満や苦しみを抱えながら日常の世界を生きている。そして不平不満や苦しみのない世界を「いまここ」ではない「どこか」に希求し、そのことによってさらに苦しむ。あるいは不平不満の日常世界を求めることすら諦めてしまい、苦しみにマヒした日々を過ごすようになる。そのような状況を奇跡的に変えることなど出来ないと思っている。『1Q84 Book3』は物語という形で、その可能性を提示したのだ。
これと同種のことをかつて親鸞という人物が行なった。彼は浄土概念と阿弥陀仏の概念を論理的に展開することによって、「いまここ」における奇跡の可能性を万人に開いたのである。すごく簡単に書いてみる。
浄土に関する一般的な理解は、浄土とは西方にある極楽世界で、そこには阿弥陀仏がいて、死んだあとに人が行く場所、という程度だろう。誤りではないがもう少し詳しく説明する。まず西方極楽浄土の「極楽」が意味する所である。おそらく一般的には、極楽浄土とは何の苦しみもない楽園のようなものとして理解されているだろう。これは半分間違いである。確かに観無量寿経などには、極楽世界は楽園のような描かれ方をしている。しかし「極楽」が意味しているのは、修行を行なうのに妨げとなるものがない、ということである。つまり、修行を極めて楽に行なえる世界ということである。
西方浄土に比して、私たちが生きている世界は、娑婆世界あるいは穢土と言われる。本来であれば、人々はこの娑婆世界で仏道修行をして悟りを開くことを求められている。しかしこの世界には修行を妨げるさまざまな理由が存在するので、多くの人はきちんと修行など出来ない。そのような人たちに提供された修行の妨げのない場所、極めて楽に修行できる場所、それが西方極楽世界である。
人々は死後に浄土に行き、そこで修行をすればよい。ということは現世でやるべきことは、死後に浄土に行くための修行となる。浄土教が中国から日本に伝わり、時代的な変遷にしたがって、浄土に行くための修行は困難なものから易しいものへと向かうことになった。それは浄土の教主である阿弥陀仏を信じてその名前を称えることである。つまり、阿弥陀仏を信じて「南無阿弥陀仏」と称えれば、死後に浄土に行くことが出来る、これが浄土の一般的な考え方である。つまり、「いま・ここ」の苦しみを「死後・浄土」で解決するという図式である。
親鸞は「いま・ここ」から「死後・浄土」という図式を変えてしまう。この2つを1つに重ね合わせてしまったのである。このあたりは主著『教行信証』の真仏土巻に詳しく書いてある。まず、人物的な表象で理解されている阿弥陀仏を「あらゆる時処に行き渡る光そのもの」としてしまう。(もちろん勝手にやったのではなく、論理的にきちんと詰めている)。そして光のある場所こそが「浄土」であるとする。つまり宇宙のどこにでも、言い換えれば「いま・ここ」にも、阿弥陀仏という光が届いていることになり、それゆえ「いま・ここ」が浄土になる。
浄土とは、極めて楽に修行ができる場所のことであった。この娑婆世界とは、もともと修行が困難な場であった。娑婆世界が浄土と1つになることによって、この世界で不可能と思われた修行が出来るようになった。つまり娑婆世界という日常の世界で修行が行なえるという奇跡が起こるのだ。この図式は『1Q84 Book3』の1984年の日常の世界と1Q84年の異界が1つに重なることで奇跡が起こるというのと同じものである。
親鸞において大切なのは、この娑婆世界が浄土と重なっていることを四の五の言わずにそのまま飲み込めるかであった。そのまま飲み込むことを「信」という言葉で表した。そのまま飲み込むための努力と飲み込んだ表明が「南無阿弥陀仏」という称名であった。では村上春樹においては何が重要になるのだろう。おそらくリトルピープルだろう。リトルピープル(と村上春樹がなづけたもの)について考えるほど、日常世界が異界と1つに重なり、奇跡が起こる可能性が現実に見えてくるのだろう。(もちろん、奇跡を起すには天吾と青豆がやったように命がけである)。
ちなみに僕が村上春樹を初めて読んだのは高校生の頃である。『風の歌を聴け』に心を動かされ100回以上は読んだ。おかげで、自分で初めて買ったビールはバドワイザーだし、ピスタチオなる食べ物を下町のお店で探した。『1973年のピンボール』を読んだあと、しばらくはゲームセンターに通った。『羊をめぐる冒険』のラストシーンの砂浜、最後に残された50メートルの砂浜にも行った。あるいは、村上春樹がランナーでなく、作品の中にもランニングシーンが出てこなかったら、僕は今のように走っていなかったかもしれない。
これだけ影響を受けているのだから、村上春樹を肯定したくなるのも当然である。だからと言って、誰もが僕と同じように考えるとは思っていない。というかまずそれは無理である。だから僕は村上春樹の作品を人に薦めることはしない。下手に感想などを述べられたら困るからだ。まして否定的な評価などされたら、きっとその人間を憎憎んでしまうだろう。
というわけで『1Q84 Book3』について個人的な意見を書く。僕の印象では、今回の作品で村上春樹は今までとは違う所に到達した。『1Q84 Book1』『Book2』の段階でもそう思っていたが、『Book3』でそれがはっきりした。どこに到達したのか。
現実の世界は日常の世界と非日常の異界が1つに重なった時処だ。そのように世界を捉えれば、命がけで何かをやれば奇跡が起きる。そういうことをはっきりさせたのだと思う。いい方を変えれば、誰にでも奇跡が起こる可能性のある時処としてこの世界を描いたのだ。
天吾と青豆という30歳の男女がいる。彼らは小学校の時に1度だけ運命的な繋がりを感じる。その後、2人は1度も会うことなく、人生を過ごす。ひょんなことから、彼らは日常の1984年の世界から非日常の1Q84年の異界へと迷い込んでしまう。しかし1Q84年の異界は、日常の1984年の世界とほとんど変わりがない。月が2つあるくらいである。(あとは、ある宗教団体が起した事件とそれにより警官の装備が変わった点くらい)。
出会う人々にも変化はない。1984年での話しの続きが1Q84年でできるくらいだ。唯一の違いは月が2つあるくらいだ。しかし人々は月が2つあることに気づいていないし、彼らにとってそこは1984年という日常の世界である。
天吾と青豆は月が1つの世界から月が2つの世界に迷い込んだ。ただその異界の人々はそれ以前の日常の世界の人たちと何ら変わりない。天吾と青豆にとっては、1Q84年は月が2つある異界でありながら、同時に1984年という日常の世界との同一性を強く保った世界である。つまり日常の世界と非日常の異界が1つに重なったものとして現実の世界が描かれているのだ。その世界(天吾と青豆にとっての1Q84年の世界)で、彼らは1984年であれば出会わないような出来事にそれぞれ遭遇する。そしてそれらの出来事をくぐり抜けることで奇跡的な再開を果たすことになる。
村上春樹の小説は、これまでも日常の世界と異界という要素を強く持っていた。例えば、『羊をめぐる冒険』では、主人公が行き着く北海道の鼠の別荘が異界である。(そこですでに死んでいる鼠と対話をして日常に戻ってくる。)『ノルウェーの森』では、直子のいる阿美寮(あるいは直子の世界)が異界である。『ダンス・ダンス・ダンス』では、ドルフィンホテルの16階やホノルルの死の部屋が異界である。『国境の南 太陽の西』では島本さんとの時間が異界であり、『ねじまき鳥クロニクル』では井戸の中が異界であり、『スプートニクの恋人』ではギリシアの山の中が異界である。『海辺のカフカ』では中田さんがひっくり返す石は異界との扉であり、カフカ少年が迷い込む森の中が異界である。ただいずれの小説でも、日常の世界と異界は別のところに存在していた。そして登場人物たちは日常の世界から異界へ行き、異界から日常世界へ戻ってくる。そのことによって何かが変わってしまう。そこに主眼が置かれていた。
『1Q84 Book3』の大きな違いは、日常の世界と異界が1つの時処として描かれていることである。つまり「いまここ」から「いまここ」への移動することで、世界が大きく変わることを示している。言い方を変えれば、「いまここ」に居ながら奇跡が起こる、そんな時処としてこの現実を描いたのだ。
これはなかなかすごいことである。私たちの多くは不平不満や苦しみを抱えながら日常の世界を生きている。そして不平不満や苦しみのない世界を「いまここ」ではない「どこか」に希求し、そのことによってさらに苦しむ。あるいは不平不満の日常世界を求めることすら諦めてしまい、苦しみにマヒした日々を過ごすようになる。そのような状況を奇跡的に変えることなど出来ないと思っている。『1Q84 Book3』は物語という形で、その可能性を提示したのだ。
これと同種のことをかつて親鸞という人物が行なった。彼は浄土概念と阿弥陀仏の概念を論理的に展開することによって、「いまここ」における奇跡の可能性を万人に開いたのである。すごく簡単に書いてみる。
浄土に関する一般的な理解は、浄土とは西方にある極楽世界で、そこには阿弥陀仏がいて、死んだあとに人が行く場所、という程度だろう。誤りではないがもう少し詳しく説明する。まず西方極楽浄土の「極楽」が意味する所である。おそらく一般的には、極楽浄土とは何の苦しみもない楽園のようなものとして理解されているだろう。これは半分間違いである。確かに観無量寿経などには、極楽世界は楽園のような描かれ方をしている。しかし「極楽」が意味しているのは、修行を行なうのに妨げとなるものがない、ということである。つまり、修行を極めて楽に行なえる世界ということである。
西方浄土に比して、私たちが生きている世界は、娑婆世界あるいは穢土と言われる。本来であれば、人々はこの娑婆世界で仏道修行をして悟りを開くことを求められている。しかしこの世界には修行を妨げるさまざまな理由が存在するので、多くの人はきちんと修行など出来ない。そのような人たちに提供された修行の妨げのない場所、極めて楽に修行できる場所、それが西方極楽世界である。
人々は死後に浄土に行き、そこで修行をすればよい。ということは現世でやるべきことは、死後に浄土に行くための修行となる。浄土教が中国から日本に伝わり、時代的な変遷にしたがって、浄土に行くための修行は困難なものから易しいものへと向かうことになった。それは浄土の教主である阿弥陀仏を信じてその名前を称えることである。つまり、阿弥陀仏を信じて「南無阿弥陀仏」と称えれば、死後に浄土に行くことが出来る、これが浄土の一般的な考え方である。つまり、「いま・ここ」の苦しみを「死後・浄土」で解決するという図式である。
親鸞は「いま・ここ」から「死後・浄土」という図式を変えてしまう。この2つを1つに重ね合わせてしまったのである。このあたりは主著『教行信証』の真仏土巻に詳しく書いてある。まず、人物的な表象で理解されている阿弥陀仏を「あらゆる時処に行き渡る光そのもの」としてしまう。(もちろん勝手にやったのではなく、論理的にきちんと詰めている)。そして光のある場所こそが「浄土」であるとする。つまり宇宙のどこにでも、言い換えれば「いま・ここ」にも、阿弥陀仏という光が届いていることになり、それゆえ「いま・ここ」が浄土になる。
浄土とは、極めて楽に修行ができる場所のことであった。この娑婆世界とは、もともと修行が困難な場であった。娑婆世界が浄土と1つになることによって、この世界で不可能と思われた修行が出来るようになった。つまり娑婆世界という日常の世界で修行が行なえるという奇跡が起こるのだ。この図式は『1Q84 Book3』の1984年の日常の世界と1Q84年の異界が1つに重なることで奇跡が起こるというのと同じものである。
親鸞において大切なのは、この娑婆世界が浄土と重なっていることを四の五の言わずにそのまま飲み込めるかであった。そのまま飲み込むことを「信」という言葉で表した。そのまま飲み込むための努力と飲み込んだ表明が「南無阿弥陀仏」という称名であった。では村上春樹においては何が重要になるのだろう。おそらくリトルピープルだろう。リトルピープル(と村上春樹がなづけたもの)について考えるほど、日常世界が異界と1つに重なり、奇跡が起こる可能性が現実に見えてくるのだろう。(もちろん、奇跡を起すには天吾と青豆がやったように命がけである)。