とんびの視点

まとはづれなことばかり

強風の中20㎞ラン、そして5.4(日)~5.10(土)の新聞記事

2014年05月10日 | 雑文
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あっという間に1週間が過ぎた。今日は強風の中20㎞走をした。秒速10mをこえる風だ。風に向かって走るとかなりのストレスだ。グランドの土が舞い上がり目に入る。ときおり押し戻されそうになる。疲労がたまる。折り返しても、それほどの追い風にはならない。せいぜい無風に感じられる程度だ。結局、ランニングというよりLSDになってしまい、2時間半かかった。走力が落ちている。それでも今月の走行距離はすでに90㎞。悪くないペースだ。

この1週間の東京新聞を読んで気になった記事の見出しを以下に書きだした。国内的には「集団的自衛権」の問題、国際的には「中国」の問題が気になった。解釈改憲による集団的自衛権の行使には反対意見が増えている。公明党が強く反対しているほか、与党自民党内からも反対の声が上がっている。そのせいで、このところ「閣議決定の時期にはこだわらない」というコメントが官房長官から出始めている。

反対意見に耳を傾けているわけではない。「時期にこだわらない」と言っているだけで、「閣議決定にこだわらない」と言っているのではないからだ。集団的自衛権の行使を可能にしたいなら、きちんと憲法改正をすればよいのだ。そのプロセスで国民はいろいろ考え、当事者意識を持つだろう。解釈改憲は、国民から考える機会を奪うことになる。冷静に現実を把握して判断することなく、一時の感情や空気に流されてしまう。

為政者にとって都合の良い国民とは、政権のやることに異を唱えない人たちだ。政治に無関心で、何も考えないような人たちだ。しかし社会が存続するためには、その社会に住む多くの人が成熟していた方が良い。解釈改憲による集団的自衛権の行使は、明らかに前者の考え方に基づく。水曜日の記事では、閣議決定を今国会にこだわらない理由として、官房長官は「与党にご理解いただくことが最優先だ」と言った。「国民の理解」ではなく「与党の理解」だ。すでに国民は蚊帳の外に置かれている。

今週は「中国」の記事が目に付いた。香港への姿勢、南シナ海でのベトナムとの衝突、天安門25年で統制強化などだ。国内にも国外にも強く出でいる。尖閣などからも同じ印象を受ける。中国は強い国だから強く出るのだろうか。あるいは強く出ないと体制が維持できないから強く出るのだろうか。相対的な力関係で考えれば、中国は香港よりも、ベトナムよりも強いだろう。その意味では、強いから強く出ることができると言える。しかし相対関係を離れて考えれば、中国は問題だらけの国でもある。その意味では弱点をたくさん抱えている。弱点に人々の目が行かないように、強く出ている部分もある。もちろんそれは、中国だけでなくどの国でもやることだ。


5月4日(日)
1、解釈改憲反対のうねり 集団的自衛権に危機感
2、ウクライナ南部に衝突拡大46人死亡 新ロシア派占拠のビル火災 

5月5日(月)
1、福島第一 タンク置き換え、再利用検討 解体後の除染難題
2、17世紀房総沖 津波推定17メートル 古文書や堆積物で解析
3、子ども人口33年連続 1633万人主要国で最低水準
4、核再処理 青森・六ヶ所村 規制委審査中なのに動き着々 原発事故後ウラン初輸入へ

→放射性物質は厄介だ。解体した汚染水タンクの除染が必要になるのだから。低レベルで汚染された金属などは、そのままリサイクルできるらしい。いずれ低レベル汚染されたフライパンみたいなものも出回る可能性がある。そんな記事を以前読んだ。
→再稼働が決まっていないのに、もうウラン燃料を輸入している。つまり再稼働は決定済みなのだ。少なくとも民意とはズレている。国家というのはそういうものなのだ。その国家の暴走に歯止めをかけるのが、立憲主義にもとづく憲法である。

5月6日(火)
1、日仏首脳会談 「高速炉」研究で協力 防衛装備品 開発へ協定

5月7日(水)
1、集団的自衛権の閣議決定 今国会こだわらず 官房長官表明
2、中国首相消えた約束 香港「高度な自治」暗雲

5月8日(木)
1、派遣の春闘 冬の中 憲法保障の団交権機能せず 「要求したら失職」ケースも
2、「脱原発幅広く結集を」 細川・小泉氏が一般社団法人設立
3、武器 首相が売り込み 欧州輸出、成長戦略の一環に 「平和主義」変質、紛争助長も
4、中国・ベトナム船衝突 南シナ海石油掘削争い
5、「天安門」25年へ 中国統制強化 人権派弁護士ら拘束
6、共謀罪 再び浮上 国際犯罪抑止の条約口実に

→原発や武器で成長戦略か。どんな理屈を並べても兵器は人殺しの道具だ。それを成長戦略の一環として打ち出すのか。成長戦略はアベノミクスの3本目の矢だ。まさか本当に「武器=矢」を売り出すとは。
→国際組織犯罪防止条約(パレルモ条約)の批准には、共謀罪か結社罪が必要。(日本にはすでに「予備罪」「準備罪」「ほう助罪」「共謀共同正犯」などがあるので不要との意見もある)。共謀罪は、懲役4年以上の刑罰がある犯罪は、たとえ実行しなくても「犯罪計画を話しあう」だけで罰するもの。結社罪は、犯罪目的の組織設立を禁じる法律。特定秘密保護法、通信傍受法の改正、共謀罪創設の3つはワンセット。

5月9日(金)
1、不正受給通報 12市に専用電話 生活保護申請萎縮の恐れ 「息苦しい監視社会に」
2、集団的自衛権論議で先行論 グレーゾーン事態って… 「尖閣」トラブルなど想定
3、「南京大虐殺はなかった」 翻訳者無断で加筆 英記者が修正要求

→『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)という本は10万部も売れていたそうだ。その中に「南京大虐殺はなかった」という記述があるが、それは著者の言葉ではなく、翻訳者が勝手に書き加えていた。ねつ造である。翻訳者にとって「南京大虐殺はなかった」というのは正しい前提なのだろう。前提に反する事実は見ないし、前提を強化する為にはねつ造も構わない。近ごろ、この手のやり方が目に付く。

5月10日(土)
1、安保法制懇 空白3ヶ月 集団的自衛権容認提言へ 報告時期 政権意のまま
2、「五輪 改修国立競技場で」 「新築は費用莫大」伊東豊雄氏ら代替案公表へ

→先日、ビデオニュースドットコムで「新国立競技場は本当に必要なのか」という番組を見た。なるほどいろいろ問題があるのだと思った。
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植物たちも共同で戦っている

2014年05月04日 | 雑文
早いものでもう5月になった。そして暦の上では今日が春の最後の日にあたる。この1週間の東京新聞で気になった記事のタイトルを書きだし、思ったことなどを書く。記事の内容を書くのはもう止めにする。いたずらに文字数が増えるし、時間がかかるからだ。記事を書き写すことで知識が増えるかと思ったが、キーボードを打つのが速くなるだけで、あまり頭には内容が残らなかった。知識を増やしたり、思索するためには、別の時間を設けた方が良いようだ。

1週間分の見出しを見直して、個人的にもっとも興味が引かれた記事は4月29日(火)の「葉を食べられた植物 香りで虫撃退 「仲間」の被害防ぐ」だ。葉っぱを食べられたある植物が、何らかの香り物質を放出する。それを周りの植物が関知して、虫が成長しにくい物質を作り出すことで、周りの植物は虫からの被害を減らせる、という内容だ。

植物が生きていることは誰でも知っている。しかし動物とは違い、動くこともないし、仲間内でやり取りもしない。何となくそう捉えている人は多いのではないか。仲間内でやり取りしないというのは、目的や意図のようなものを持ち、相互に伝達や共有をしないということだ。だから私たちは、植物の身になって考えることはあまりしない。人間の都合で物のように扱うことも多い。

植物が虫を撃退して仲間の被害を防ぐ。感心している場合ではないかもしれない。植物にとっての一番の天敵は人間だろう。考えるまでもないことだ。(植物たちが人間を撃退すべく何らかの共同作戦を取るかもしれない)。現実的には自然破壊や異常気象などの問題として現れるだろうが、それでも、植物の身になって世界を想像することが必要なのかもしれない。相手の身になって考える、その射程は植物や物にまで広げることができる。


4月27日(日)
1、安保政策結党時から変遷 公明「平和の党」正念場 集団的自衛権「譲れない」
2、住民、除染効果に不信感 川内村避難区域で長期終日滞在 基準緩和に怒り まだ高い放射線量
3、日韓協議開始 米大統領も言及 慰安婦問題「歴史共有を」
4、新ロシア派 東部で拷問か ウクライナ 住民投票前、クリミアでも

公明党は今回は中途半端なことではダメだろう。政権にとどまるための現実的な落とし所などと言っていたら、党の存在意義が問われることになる。公明党の反対すらシナリオの内なのか?
慰安婦問題に関しては、アメリカでは「強制連行の有無」が問題の核心ではないそうだ。軍専用の慰安所の存在そのものが問題らしい。このあたりもう少し詳しく調べる必要がある。合わせてヨーロッパなどでどのように扱われているのかも調べる必要がある。慰安婦問題はオランダなども関わっている。日韓という狭い視野で見ていると、ドメスティックな議論で終わってしまう。
人が拷問を行ってしまう状況を作らないこと。

4月28日(月)
1、世界遺産効果4972人 富岡製糸場最多の見学
2、台湾の第四原発2号機建設中止

世界遺産になる前の富岡製紙工場と、世界遺産決定後の富岡製紙工場。何が変わったのか?その変わった部分を多くの人が見学に行ったのだろうか?
台湾は日本と同様、地震の危険があるので、世界的に原発を立てない方が良い場所だ。同じ原発でも、地震が多い場所と地震が全くない場所では、安全性はまったく異なる。

4月29日(火)
1、「00年ES細胞論文で疑問」指摘 山中教授、会見で否定 実験ノーと不備は謝罪
2、葉を食べられた植物 香りで虫撃退 「仲間」の被害防ぐ
3、日米首脳会談 政府「尖閣で成果」 オバマ発言を我田引水

小保方さんのSTAP細胞に始まり、理系の研究論文の杜撰さが問題になっている。これは個人の問題ではないと思う。おそらくこの程度の杜撰さがスタンダードだったのだ。そしていい加減な実験や論文は、時間の中で淘汰されていったのだろう。
日米首脳会談では、尖閣諸島をめぐっての日米安保と、TPPが大きな話題だったようだ。大手メディアは首脳会談を成功と報じているが、神保哲男のビデオニュースではまるで反対だった。立場や解釈の違いもあるだろうが、僕はビデオニュースよりの理解を採用している。

4月30日(水)
1、被害と加害 戦争の表裏 高まる「自虐」批判に遺族疑問
2、9条改憲反対62%に増 解釈改憲も半数反対 本紙世論調査 原発再稼働反対61%
3、浜岡 数十業者所得隠し 津波対策で計5億円

自虐、という言葉が何を指しているのか気になる。日本の過去の行為の反省を自虐というなら、それは間違いだ。戦争において一方のみが100パーセント悪いことはない。だからすべて日本が悪いというのは自虐となるだろう。(そして、すべて日本が悪いという言い方は、結果的に思考を放棄したものとなる)。きちんと自国の行為を反省すれば良いのだ。自分たちが行ったことをきちんと整理し、その中で反省すべき行為があれば、二度と同じことを行わないようにすればよい。だから結果的には、反省するということは、自らが行った悪い部分のみに焦点が当たりがちになる。その行為を自虐というなら、それは自らの暗部に向かい合う強さを持っていないだけのことだ。
浜岡原発絡みだ。原発というのは巨大な利権構造になっている。表向きには経済や電力などの理由で再稼働を推し進めているが、元経産省の古賀さんなどに言わせれば、利権構造の維持が最大の理由だそうだ。もちろん、その辺りのことは大手メディアではほとんど報道されない。『電通と原発報道』(本間龍著)などを読むとわかる。

5月1日(木)
1、取り調べ可視化3% 警察に配慮 通信傍受は拡大
2、東電黒字1913億円 消費者負担で営業利益
3、3Dプリンター家屋建築成功 世界初、中国で商業化
4、ウルムチ駅で爆発 中国・新疆 習首席視察直後 50人負傷、死者も

取り調べ可視化。焼け太りである。もともと厚労省の村木さん事件が発端だった。だが、今回の可視化では村木さん事件は可視化対象にならない。可視化も「自白部分」のみを録画するとか、無茶苦茶なものらしい。おまけに、通信傍受を拡大するという、官僚得意の焼け太り作戦である。
東電が黒字。でも柏崎刈羽原発を再稼働しなければ、家庭用電気料金を再値上げするといっている。その一方、東海第二原発と敦賀原発を抱える原電に、発電が一切されていないにも関わらず、基本料として485億円も支払っている。電気料金、税金、いろんな形で国民はつけを払わされている。
世界初の商業化と国内テロ、中国の全体像はどう捉えればよいのか。この辺りはも課題である。とりあえず『街場の中国論』でも読んでみようか。

5月2日(金)
1、凍土壁に疑念「意図せぬ結果 心配」 東電改革監視委クライン委員長
2、ロシア大統領支持率 強硬策で急上昇 4月82% 愛国心を利用
3、首相 原発再稼働を明言 英シティで公演

愛国心を利用して支持率を上げる。危険なやり方である。おそらく「正しい愛国心なら良い」という人もいるだろう。しかし正しさとは不変の真理ではなく、多くの場合、その時の状況で決まる。現在のロシアの愛国心は、ロシア人の主観では正しいものだろう。しかしウクライナから違って見えるだろう。同様の構造はどんな場合にも当てはまる。だから「愛国心を利用して支持率を上げる」というのは、その内容ではなく、やり方として危険なのだ。

5月3日(土)
1、「日中は裏安保」 戦争知る3政権(池田、田中、大平) 平和へ知恵
2、脱原発 金曜デモ100回
3、表現の自由揺らぐ 「憲法は政治的」集会後援を自治体拒否

自治体が憲法について「政治的な中立」を述べることが、憲法を「政治化」していることになる。憲法九十九条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」とある。後援を拒否すること自体が九十九条に反しているのだ。とはいえ、確かに現在、憲法が話題になっている。現行憲法について賛否があることも確かだ。当然そこには議論の余地がある。いや、きちんと時間をかけて丁寧な議論をすべきである。しかし自治体は、政治的な中立を持ち出すことで、議論をさせない方向に持っていこうとしている。人々が憲法について考えることを封じているかのようだ。その意味で二重に、憲法を尊重し擁護する義務を怠っている。
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